2006年02月15日

傲慢な初心者

 拙者はものぐさだ。
 わからないことがあると身近に知っていそうな人がいると自分で調べる前に訪ねてしまう。
 少しは自分で調べてから質問したらどうだと諸先輩に怒られたことは少なくない。
 しかし、調べる時間があったら訊いた方が早くて能率的だと心でつぶやいていた。
 このような拙者だから傲慢な初心者教えてくんなどを批判したり揶揄したりする記事を見ると自分の人格否定をされているようで不愉快であった。
 どこがわからないかわからないのが初心者だから、なにがわからないかをわかるように誘導するのが教える側の態度だと信じ、拙者はそのように努めてきたつもりだ。
 しかし、最近になって拙者を凌駕する傲慢な初心者に音を上げるようになってきた。
 メールで質問をし回答に対してウンともスンとも返答がない。
 自分としては自信のない回答だったから呆れ果てて返信がないのかもしれないが、それならそれで質問の主旨と違う回答であるなどの返信をするのが礼儀ではなかろうか。
 拙者は教えてくんには違いないがこのような非礼を働いたことはない。
 気分が悪いのは部下に対するような質問だ。
部長「○○は便利そうだがどう使ったらいいかね」
部下「それはこのように使うと仕事の能率が非常に上がります」
 同じ職場内なら仕事の内容がわかっているからその仕事に適した使い方を教えることができるだろう。
 しかし、赤の他人にこのような訊き方をしたら訊かれた方はその人の生活環境がわからないから答えに困る。
 具体的に質問してくれと言うと気分を害したのかそれっきりなしのつぶて。
 気を利かして使用環境を想像して回答し、別の人からそれに対する補足があると、私の質問に対する回答はどうなっているのだと宣う。
 この御仁は拙者を自分の部下だと思っているのだろう。
 傲慢な初心者とはこのような御仁を指すのだろうか。

2006年02月10日

2月9日のクイズ!日本語王

 毎回できの悪さにがっくり来ているのに懲りずに見てしまう。
 第1ブロックの二択問題「愚かなのはどちら:Aまぬけ Bあほ」Aを選択して×。
 間抜けとは読んで字のごとくときどき愚かなことをするから阿保よりはましであったことを後から気がつく拙者は愚か者であった。もうやだ〜(悲しい顔)
 第2ブロックの書き取り問題。
 和洋折衷の衷の字が書けない。ふらふら
 この字は中でもいいそうだ。
 知ったかぶりをして衷の字を書こうともがくよりダメモトで中の字を書けばよかった。ちっ(怒った顔)
 鳴門海峡の峡をサンズイにしてしまった。
 そんな字ないよなぁ。がく〜(落胆した顔)
 第三ブロックは銀座から語源を訪ねての出題。
 たった1枚しかない晴れ着:一張羅を一丁羅と書いてしまった。ふらふら
 ものごとのきまりをつける:【 】がつく
 拙者はまんまの【決まり】がつく。
 正解は【けり】がつくであった。もうやだ〜(悲しい顔)
 和歌が「〜けり」で終わることが多いから「けりがつく」なのだそうだ。へぇーーー
 トータル5問間違えてゲストの松島みどり議員と同じ75点であった。がく〜(落胆した顔)

2006年01月31日

寝々えれ爺

 昨日はよく寝たなぁ。眠い(睡眠)
 前の日に寝床に潜り込めたのが深夜11時過ぎだったので昨日は1日中頭がボーッとして体もいうことをきかない。
 怪我をするといけないのでインラインスケートをするのを止めて家でごろごろしていた。
 それでも起きているのがつらいので午後3時過ぎにはパジャマに着替えて寝床に潜り込んでしまった。
 夜5時半ころ夕食のために起きたが食べ終わったらすぐに寝てしまった。
 いつも5回はトイレに通うのに昨夜は2回だけだ。
 それなのに今朝は寝坊して目覚めたのが4時半過ぎだ。
 年寄りは睡眠時間が少なくてすむはずなのに拙者はどうして睡眠時間が長いのだろう。
 睡眠の質が悪いのかなぁ。
 残り少ない人生なのに活動できる時間が少ないのはすごく損をした気がする。もうやだ〜(悲しい顔)
 睡眠時間3時間程度でも翌日ピンシャンと活動できる人が羨ましくてならない。
 寿命が10年縮まってもいいから毎夜12時すぎまで起きて活動できるようになれないかなぁ。
 ファウストに出てくるメフィストフェレスが実在するものなら取引したいと思う罰当たりであった。

2006年01月27日

1月26日のクイズ!日本語王

 昨晩の日本語王挑戦結果は竜頭蛇尾だった。もうやだ〜(悲しい顔)
 第1ブロックの「かたい」の使い分けは10問全部でき鼻高々だったのだがわーい(嬉しい顔)
 第2ブロックが半分しかできない。
 しおり(栞)に枝折りという漢字があるのは知らなかった。
 湯船の語源がお風呂が付いた船であることはへぇーであった。
 第3ブロックの「は長く勤めは堅く薄く細うして広かれ」は全滅の0点がく〜(落胆した顔)
 第4ブロックの「鼻を折る」「鼻を明かす」も間違え15点。
 総合点は出川哲朗と同じ75点であった。ふらふら

2006年01月22日

名画の約束事

 昨夜のNTV放映「世界一受けたい授業」の名画の話と再生医療の話は非常に感銘を受けた
 拙者は日本画と違い自由奔放に描かれるのが西洋画だと思っていたが、150年以前の西洋画は約束事がいっぱいあると言われて驚いた。
貝殻があればヴィーナス へぇーーー
バラの花があればヴィーナス へぇーーー
百合の花があれば聖母マリア へぇーーー
赤と青の着物は聖母マリア へぇーーー
聖書を持っていれば受胎告知 へぇーーー
夫婦で描かれているのはその絵のスポンサー へぇーーー
 へぇーーーを連発する一夜であった。

2006年01月21日

1秒の世界

 昨晩のTBSテレビ『一秒の世界』は素晴らしい番組だった。
 血管の中や胎内まで見ることができる内視鏡があるのを知り、技術の進歩に驚嘆した。
 しかし、1秒ごとに破壊されていく環境を見て文明は麻薬だと慄然とした。
 産業のために自然破壊されることがわかっていても電気のない生活、自動車や飛行機のない社会に耐えることはできない。
 やはり人間らしい生活をするためには文明は絶対に必要だと思う。
 番組の最後では植林作業で緑化がすすんでいる明るい話題で締めくくったが、緑化の速度は砂漠化の速度に比べて遙かに小さいのが気になった。
 人間が人間らしい生活をして自然を破壊しないためには人口を増やさないことが大切ではなかろうか。
 幸い日本は少子化が進んでいる。
 世界各国が少子化を推進すれば環境破壊を抑制できるのではなかろうか。

2006年01月16日

紛らわしい言葉

 「人間は動物だ」と言うと「人間を犬や猫と一緒にするとはけしからん」と腹を立てる人がいる。
 「人間はほ乳類だ」と言っても「人間を犬や猫と一緒にするのはけしからん」と腹を立てる人にお目にかかったことはない。
 「人間は動物だ」と言うと腹を立てる人は動物=獣と定義しているのだろう。
 この人にとって魚や鳥は動物でないに違いない。
 そういえば動物を食べないと言う人でも魚は食べる。
 同じ言葉が同じ分野で違う定義がされていると紛らわしくて困る。
 なんとかならないものだろうか。

2006年01月15日

脳疲労

 テレビ東京(12CH)の16:00からの疲労回復スペシャルを見た。
 いまの日本人は疲労している人が半数以上を占め、その経済損失は1兆2千億円になるという。
 疲労、痛み、発熱は人間の三大アラームだが疲労の程度を示す物差しが確立されていないそうだ。
 疲労の程度をはかる研究が紹介されたが、脳が疲労するとしゃべったときの母音のゆらぎの幅がせまくなることがわかってきたという。
 自動車にマイクを取り付けて脳の疲労度を計測し、疲労があるレベルに達するとアラームをハッスルようになれば居眠り運転を防ぐことができるようになるという。
 はやくそのような装置が実用化して欲しい。
 疲労の研究が進めば血圧計のように疲労度計が商品化され家庭でも簡単に疲労の程度をはかることができるようになるという。
 現在ではそのような装置はないがチェックシートで疲労の程度をしることができるというのでチェックシートが紹介された。
 チェックシートは筋肉疲労と脳疲労の2つに分かれている。
 筋肉疲労では、マイナス2点でいたって健康。
 会う人ごとに「お元気そうですね」と言われるのが納得。
 脳疲労ではマイナス25点で一刻もはやく専門医の診断を受けなければならないという危険領域。
 オーふらふらノーもうやだ〜(悲しい顔)
 碁を考える気力がないのはこのためだったのか。
 脳疲労回復には、笑いが非常に効果があり、アロマセラピー、アニマルセラピーも効果的だという。
 せっせとお笑い番組を見よう。わーい(嬉しい顔)

2006年01月13日

吾輩は不審者?

 最近ディスカウントスーパーで見知らぬ人から挨拶されることが多い。
 吾輩を追い越して振り返りながらにこやかに挨拶する人もいる。
 「ありがとうございます」という台詞が混じるところをみると私服の店員かもしれない。
 しかし、ほかのお客に挨拶している様子はない。
 もしかすると吾輩を要注意人物と監視しているのではないかということに思い至った。
 スーパー、コンビニ、デパ地下などは客が左回りに店内を歩くという前提で商品を配置しているという。
 吾輩はそんな歩き方をしたことがない。
 このディスカウントスーパーでは、どの入り口から入っても真っ先に左奥の魚屋に向かうのが常だ。
 400円以下で刺身になりそうな魚があると三枚下ろしにすることを頼んで番号札を貰ってから他の売り場に向かう。
 他の売り場でも買う予定の商品の値段を見てから同じ商品が島に置かれていないか店内を歩き回って島をチェックする。
 ついでに島に置かれている買う予定のない商品も底値を知るために値段をチェックする。
 だから、あっちうろうろ、こっちうろうろになる。
 最初に寄った魚屋にめぼしいものがなく、買おうと思った商品が自分の知っている底値より高い場合は何も買わずに店を出る。
 ホームレスですと言ったら納得されそうな風体なうえ流感予防にマスクをしているから警備員の目からは挙動不審者に見えて当然かもしれない。がく〜(落胆した顔)
 しかし、このディスカウントスーパーではちょくちょく買い物をしているのだから顧客の一人と覚えて欲しいなぁ。ちっ(怒った顔)
 

2006年01月05日

増税前に罰金増額を

 今年は税金が大幅に上がりそうだ。
 しかし、税金を上げる前にすることがいっぱいあるだろう。
 まっさきに税金の無駄遣いをやめて欲しい。
 次に罰金を増額すべきだろう。
 いまの罰金は終戦直後の貨幣価値を基準に設定されているのではなかろうか。
 悪いことをしてボロ儲けした者が5万円以下の罰金では正直者が馬鹿を見るだけだ。
 街の環境悪化を招くステカンの氾濫も罰則が甘すぎるからだ。
 無許可で張り紙や落書きをした者に対し罰金100万円または禁固1年に処したらステカンは一掃されよう。
 6月から駐車違反対策が強化されるというが駐車違反の罰金も増額すべきだ。
 駐車違反の車は最寄りの空き駐車場に移送し、初犯50万円、再犯100万円程度の罰金にし、罰金+移送量+保管料の支払いが確認されるまでは返還しないようにする。
 移送せずに違反ステッカーを貼った車は、翌日付で車検証を無効にし、車検証を発行された所轄警察署で罰金と引き替えに車検証の再発行を受けるようにすべきだ。
 また、車検証を無効にされた車のナンバーは一般公開し、その車が走っているのを通報した者には報奨金を渡すような制度にする。
 無車検証で走った車は没収か200万円の罰金を追徴する。
 このような措置をとれば国庫の収益に貢献するし、駐車違反が激減するだろう。

2006年01月04日

平成教育委員会SP

 昨晩の平成教育委員会は2時間半の特番だ。
 特番のせいかいつもより問題がやさしい。
 しかし、トリノオリンピックの国名を漢字1文字で書けという問題には参った。がく〜(落胆した顔)
 トリノのある国がイタリアであることを解答を見てはじめて知った。ふらふら
 ま、地理は知らなくて当然だからいいとして滑車の問題が解けなかったのは情けなかった。
 老衰と言われても仕方がない。
 グルメタイムになって瞼が重くてどうしようもなく平成教育委員会を見るのを諦め寝床に潜り込んだ。もうやだ〜(悲しい顔)
 2時間半特番なら7時からではなく6時から始めて欲しい。

2006年01月02日

初夢

 日本共和国初代大統領ビートたけしの就任演説が放映されている。
 ニート対策や学力対策に熱弁を奮っている。
 特殊法人皇族会が制定され天皇は会長、皇族は理事に就任し、宮内庁職員は皇族会職員に天下った。
 天皇家御用達および皇族会御用達が商標登録され、これらの商標を付けた商品はそれぞれ売り上げの20%および10%を皇族会に納めることになった。
 少年法が改正され、義務教育を終了すると成人として扱われることになった。
 法令で認められた学校に就学または法令で認められた職業に本人もしくは配偶者が従事しない70歳未満の成人は軍隊に入隊しなければならないことになった。
 ニートな拙者のところに徴兵令状が届き、はっとして目が覚めた。

2005年12月31日

ブログ元年

 今年は私にとってブログ元年でした。
 梅沢由香里のつれづれ日記にコメントを書けないことがブログを作る発端でしたが作ってはみたもののブログの良さがわからない上にトラバの嵐に嫌気がさしすぐに畳んでしまいました。
 しかし、烏鷺せせらぎの広場で透明党さん、ADV55さん、朋ママさんなどからブログの良さを教えて頂き、ADV55さんの使われているseesaaでブログを再開することにしました。
 再開してみたもののブログの良さは依然としてわからないことを嘆いていたら通りすがりさんにブログのカスタマイズのしかたを教えていただきました。
 その後、通りすがりさん、棋譜大好きさん、小雪さん、むさしさん、冬の冷水さん、izuizuさんなどから私の要望に添うようがカスタマイズの仕方を具体的に教えていただき、それをコピペすることにより私的に満足のいくブログになりました。
 上記の皆様に心から感謝致します。
 ハイテクブログとお褒めの言葉を頂戴することもありますが、すべて人の褌で相撲をとった成果なのでくすぐったい思いをしています。
 ご協力頂いた皆様にがっかりした思いをさせないように頑張るつもりですので今後ともよろしくお願いいたします。
 皆様よいお年をお過ごしください。
 ありがとうございました。

2005年12月25日

北方4島は禁句か

 日テレの世界一受けたい授業は拙者の最も好きな番組だ。
 この番組を見るたびに目から鱗を2〜3枚落としている。
 今回は年末特番の2時間番組でゴルバチョフが登場するというのでどんな内容になるか大いに期待していた。
 しかし、当たり障りのない内容で期待はずれもいいところだった。
 誰一人として北方4島に関する発言がない。
 いくらお笑いタレントがメンバーだからといっても北方4島に関心がないということはなかろう。
 ゴルバチョフの出演交渉のにあたって北方4島に関しては触れないという契約があったのだろうか。
 北方4島に触れないことを条件に出演依頼するほどの価値があるのだろうか。
 ゴルバチョフの名前だけで視聴率がとれるという判断だったのだろうか。
 あんな内容なら二度と呼んで欲しくないと思ったのは拙者だけだろうか。

2005年12月24日

おためごかし

 若者は端的にものを言うが拙者が社会人の頃はおためごかし京のぶぶ漬けには悩まされたものだった。
 こちらの要望が正当で拒絶する理由がない場合「君の言うとおりしてもいいんだよ。だけど世間はどうみるかな。私はしたくなくて言うんじゃないんだ。君のためを思って言うんだ。止めた方が君のためだよ。
 おためごかしの台詞を無視して要求をのませると陰で「あいつは自己虫だ」「あいつは物わかりが悪い奴だ」と誹謗される。
 理に合わないことをこちらに要求するときは「私はいいんだけど、他の人が見たらおかしいというから、こうした方がいい」と常に自分をよい子にする。
 このような輩に限って、こちらが悪い場合は居丈高に罵倒する。
 謝っても「ごめんですむなら警察はいらん」と徹底的にとっちめてくる。
 しかも「君を憎くて怒っているんじゃないんだ。君の将来を思って心を鬼にして注意しているんだ」とほざく。
 ずいぶん悩まされたものだった。

 「もう帰れ」を「お茶漬けでも食べて行ってください。」と言うように要望とは反対の表現をする京のぶぶ漬けにもほとほと閉口した。
 空気を読むことが苦手な拙者は、相手の言うことを真に受けて顰蹙を買うのが年中行事だった。

 今の若い者は口の利き方を知らないと言う年寄りが多いが、無礼な発言の方がおためごかし京のぶぶ漬けより遙かにいいと思っている。

2005年12月21日

似て非なるもの(1)

 胸を膝に近づけると前屈みになってコケる。
 膝を胸に抱え込むと衝撃を吸収して安定する。
 何が違うのだろう?????

2005年12月20日

12月は節約月

 12月になるとどこもかしこもクリスマス・クリスマスとクリスマスが耳たこになる。
 いまでも飲み屋ではパーティー券の押し売りをしているだろうか?
 いまを去ること40ン年前、独身のサラリーマン時代には3交代勤務のポン友が1直(7:30〜15:30)勤務になると必ず飲み歩いたものだった。
 しかし、12月になると飲み屋でパーティー券を買ってくれとせがまれ、断るとなんとなく居づらい雰囲気になった。
 楽しい思いをするために飲みに行くのに不愉快な思いをするのでは意味がないので12月になると飲み歩きをするのを止め、ラーメン屋で餃子や揚げワンタンを肴に酒を飲んだものだった。
 おかげで12月は他の月より出費が少なくてすんだ。

宝の持ち腐れ

 渋川を過ぎ赤城にさしかかると関越道の路肩に雪の残骸が見えるようになってきた。
 赤城PAでタイヤチェック。ノーマルタイヤの車はここでチェーンを装着させられる。
 しかし、ここから水上までは雪がなく路上は乾燥状態。
 スタッドレスの拙者にとってはありがたいが、チェーン装着車は困ったろう。
 水上を過ぎると雪道になる。シフトノブのボタンを押して4WDに切り替える。
 月夜野ICから国道17号(三国街道)を苗場に向かって走るとだんだんと雪が深くなる。
 猿ヶ京温泉を過ぎ、三国トンネルに向かう山道にさしかかると路上の雪の状態が悪く20〜30km/hの低速でもときどきコブで車が跳ね上げられる。
 道路にもコブ斜面とは肝を冷やした。
 吹雪で視界が悪く55カ所の急カーブは緊張の連続で自動車の運転大好き人間の拙者もほとほと疲れ果てた。
 三国トンネルを過ぎると下り坂だ。
 車が跳ねとばされないように4WDから2WDに切り替える。
 最初の信号を左折すると向こうから大型車が上ってくる。
 左側によけて大型車に道をゆずったまではいいのだが、発進しようとしたら車がスリップしてでられない。
 除雪した雪が溜まっているところに車を乗り入れてしまったのだ。
 車の後ろに積んであるスコップを取り出して車の回りの雪を掘って発進しようとするが車は空回りするのみ。
 苗プリ商店街の人が応援に駆けつけて車を押してくれるが出られない。
 そのうち雪道になれた地元の人が車を動かすからと拙者の代わりに車に乗り込んだ。
 開口一番。
 「なんで2WDになってるんだ。出ないのは当たり前じゃないか」ちっ(怒った顔)
 4WDに切り替えてあっさりと車は雪溜まりから脱出。手(チョキ)
 完全にパニクっていた拙者は下り坂で2WDに切り替えていたことを失念していたのであった。ふらふら

2005年12月17日

フィルター付きタバコは廃止せよ

 私は、いまでこそ遠くから微かにタバコの煙が漂ってくるだけで息苦しくなるタバコアレルギーだが35歳くらいまでは1日に40本ていどタバコを吸う喫煙者だった。
 当時の私は新生またはいこいを吸っていた。
 ホープやハイライトを吸ったこともあるが味が薄くてタバコを吸った気にならず新生が入手できれば新生、入手できないときはいこいを吸い、ボーナスを貰ったときにピースを吸っていた。
 同僚や先輩が「フィルターのないタバコは健康に悪いからフィルター付きタバコにしろ」と忠告してくれたが「健康を気にしていたらそもそもタバコを吸わない。美味しいから吸うのだ。美味しくないタバコを吸ったのでは意味がない。俺の健康だ。誰に迷惑をかけるわけではない。」と言ってフィルターのないタバコを味わい続けていた。
 35歳すぎのある日、タバコは吸っている本人よりその煙を吸う周りの人に健康被害を及ぼすということを知りタバコから縁を切った。

 フィルター付きタバコは、タバコを吸う人には害を少なくしようという喫煙者にとって身勝手この上ないタバコだと思う。ちっ(怒った顔)
 フィルターでタバコの味を薄くするから物足りなくてますます喫煙量が増えてしまうだろう。
 私はタバコ生産を廃止せよといいたいが、抵抗勢力が多すぎて実現不可能だろうから、せめてフィルター付きでタバコだけでも廃止せよと叫びたい。

2005年12月02日

クイズ!日本語王

 TBSテレビ(6CH)のクイズ!日本語王は、毎週楽しみに見ている。
 人の不幸は蜜の味。おばかタレントの間違いを見て優越感に浸っていたが自分はどのくらいできるのだろうと解答用紙をダウンロードして試してみた。
 第1ブロックは20問中2問の間違いだったからまずまずだったが、第2ブロックの冠婚葬祭の漢字書き取りで愕然がく〜(落胆した顔)
 俺はこんなに字を知らなかったのかふらふら
 「ひろうえん」、「かいみょう」、「もちゅう」が正しく書けない。
 第3ブロックの送りがなに至っては送りすぎて間違いだらけ。
 第4ブロックはまずまずだが、第5ブロックも半分以上できない。
 どんな問題だったか思い出すことさえできないのが情けない。
 総合点はタレントの菊池麻衣子の得点71点を下回る68点となり、足取り重く寝床に向かうことになった。

2005年11月28日

ZEROトラブルの後遺症

 じゃらんで宿の予約手続きをはじめ最終段階でメールアドレスが無効になっていますのメッセージが表示された。
 ZEROトラブル中にじゃらんからのDMがUser Unknownエラーになったのだろう。
 そこでZEROからの確認メールを受け、そのメールに記されているキーワードを入力してメールアドレスの再登録作業をさせられた。
 その後、じゃらんから指定された1文字を含めたパスワードの再設定をさせらる。
 覚えにくいパスワードになってしまったため、登録が完了してから再度パスワードを変更した。
 メールトラブルがこんなところにまで後遺症が現れるとは思わなかった。

2005年11月24日

不器用者

 吾輩はは生まれついての不器用者だ。
 塗り絵をすれば必ず色が輪郭からはみ出る。
 ペンキ塗りをすれば回りがペンキのしずくだらけになる。
 釘を打てば途中で曲がり最後まで打ち込むことができない。
 ワインのコルクを抜こうとすれば真っ直ぐコルク抜きをねじ込めないのでコルクを途中で折ってしまう。
 なにをやっても中途半端だ。
 不器用なのは手先だけではない。
 脳まで不器用でスムーズにモードの切り替えができない。
 友人と我が家で碁を打っているときワイフから出前になにを取るかと訊ねられるとすぐに応えられない。
 メニューを目の前に突きつけられむりやり食事モードにさせられると目を碁盤に戻しても脳は囲碁モードに戻れない。
 そのまま碁を続けると信じられない悪手を連発して相手に呆れられる。
 碁会の幹事は雑用をこなしながら碁が打てるから凄いと感嘆している。
 時間に追われたら最悪だ。
 吾輩は待ち合わせ時間の30分前には到着するようにしているのは時間ぎりぎりだと時間に追われる恐怖で脳がパニックになるからだ。
 だから秒を読まれたらパニックに陥り、自分のしていることがわからなくなる。
 対局相手の秒読みが始まっても脳は囲碁モードから時間対策モードに切り替わってしまい、碁盤に目を向けても囲碁モードに戻れない。
 吾輩の場合、囲碁モードで打つのと囲碁モードでない状態で打つのは5子以上の差があるからよほどの手合い違いでない限り勝てるわけがない。
 そろそろスキーシーズンだ。
 吾輩の脳はスキーモードになり、あちこちのスキー場やスキー宿のホームページを覗きまくっている。
 スキーシーズンが終わるまで囲碁モードに戻れそうもない。
 碁の連敗記録を更新しそうな悪寒に怯える今日この頃であった。

2005年11月22日

脳の性差

 碁を楽しむ女性が増えてきた。
 女性は男性より弱いという固定概念があるが、それは囲碁人口が女性が少なかったからで男女の囲碁人口が同じになったら女性の方が強くなるのではないかと思っている。
 女性の脳は、男性の脳より右脳と左脳を結ぶ脳梁が太く、右脳・左脳間での伝達が優れているという。
 男性は会話をしながらその内容とは全く関係のない別の作業をすることが苦手だが、女性は平気でこなしてしまう。
 これも脳梁が太く右脳と左脳の連絡が緊密な故だそうだ。
 この脳構造は囲碁のように右脳と左脳のバランスを必要とするゲームにぴったりなのではないだろうか。
 女性の囲碁愛好家が増えれば自動的に男性の囲碁愛好家も増える。
 女性の脳は囲碁にぴったりだということをPRして女性愛棋家を増やそうではありませんか。

2005年11月20日

厄日

 昨日は厄日だった。(過去形にしたい)
 ZEROがトラブルを起こしメールが使えない。
 誤操作をして記事コンテンツHTMLを壊し、修復に半日費やした。
 世界一受けたい授業が30分遅くなった。

 ZEROのトラブルはまだ続いている。
 今日も厄日を引きずらなければいいが、、、、、

 ただでさえ遅い世界一受けたい授業が30分遅く始まるのは堪えた。
 12CHテレビ東京の超激安バスツアーで8時半までつないだものの、この時点で眠気で頭が朦朧としている。
 世界一受けたい授業を頑張って最後まで見たものの頭の中を素通りしたらしい。
 布団に潜り込んだのが深夜9時半過ぎなので、いまも頭がボーッとしている。
 せっかく眠いのを我慢して見ていた番組の内容が思い出せない。
 無理をせずに寝るべきだったと後悔しきり。

2005年11月19日

マイブログ

 掲示板にどっぷりと浸かりブログの良さがわからない拙者は風゛呂愚だった。
 それでもHPの付゛録にブログを付けたが使いこなしに苦しむ浮゛浪苦゛であった。
 しかし、いまは、通りすがりさん、棋譜大好きさんのご尽力を得て改装し、楽しく使える舞録゛となった。(〜^^)〜

2005年11月12日

頭を良くする?番組花盛り

 学生の学力低下が脚光を浴びたせいだろうか、頭をよくする?番組が雨後の筍のようににょきにょき放映されるようになった。
 こんな番組大好き人間の拙者にとって嬉しいことだが、深夜放映が多いのでご馳走の匂いだけ嗅がされて食べることができない欠食児童の心境だ。
 ネプリーグ、クイズ!ヘキサゴン、クイズ!日本語王などは夜7時から始まるから翌日に響かないが、世界一受けたい授業や平成教育委員会を見ると布団に潜り込むのが深夜9時過ぎになってしまうので翌日がぼーっとなって半病人状態だ。
 たけしの日本教育白書や行列の出来る法律相談所に至っては深夜9時から始まるから見たくても見ることができない。
 これらの番組はNHKのように夕方に再放送して貰いたい。

2005年11月11日

電子辞書の漢字

 電子辞書の便利さを知ってしまうと普通の辞書は使えなくなってしまう。
 しかし、電子辞書を漢字辞典として使うと困ることがないだろうか。
 
 電子辞書の多くは、かもめを左側の字で表示する。
 英和辞典や和英辞典なら意味さえ通じればいいのだから左側の字で困らないのだが、漢字辞典として使うとき左側のうそ字が表示されたら困るのではないか。
 学校の国語の書き取りの試験では右側の漢字を書かなければ間違いにされてしまわないだろうか。
 もりおうがいのおうに右側の漢字を使わず左側の漢字を使ったら、学校の国語の試験ではどうなるだろう。
 
 つかむだってそうだ。
 多くの電子辞書は右側の漢字ではなく左側の漢字を表示してしまう。
 このような嘘字が使われるようになったのは1文字を16×16ドットでしか表示できない時代に文字がつぶれないで表記するように字画数を少なくした漢字をJISが規定してからだ。
 私は文字の字画数少なくすることは大賛成だ。
 しかし、JISだけ字画数を少なくした漢字を制定して、国語の方をそのままにするのは片手落ちだろう。
 いまはプリンタやディスプレイが進歩して高解像度で文字を表示できるから、国語の漢字がいまのままならJIS第1水準漢字を国語に合わせるべきだろう。
 また、電子辞書はJIS第1水準にこだわらず漢字辞典は国語の漢字に合わせてくれないと困る。

2005年11月10日

本田美奈子を偲ぶ

 テレビから本田美奈子が唄うAmazing Graceが流れる。
 心に染み入る素晴らしい歌声だ。
 やはり夭逝したキャスリン・フェリアが脳裏をよぎる。
 いまとなっては叶わぬことだが本田美奈子の歌声でマーラーの歌曲やブラームスのアルトラプソディなどを聞きたかった。
 本田美奈子の闘病生活の話を聞いて胸が熱くなる。
 本田美奈子は常に前向きに挑戦する人だったのだ。
 売れっ子のポップス歌手からクラシック歌手に転向するのだって並々ならない苦労があったに違いない。
 私は聞くに堪えないCDを持っている。
 聞くに堪えないと言っても美空ひばりや都はるみのように耳がくさるような歌声ではない。
 美しい歌声だがのめり込みすぎて押しつけがましい歌い方なので聞くに堪えなかったのだ。
 これはポップス歌手からクラシック歌手になる脱皮の苦しみだったのだろう。
 脱皮後の本田美奈子は素晴らしい数々の歌を披露してくれた。
 最後の歌になった題名のない音楽会ではやつれた姿にもかかわらず堂々たる声量で歌い上げている。
 感動でテレビが滲んでいく。
 本田美奈子は人生を凄い速度で駆け抜けてしまったんだなぁ。
 本田美奈子の歌声はいつまでも吾輩の心に残るだろう。

2005年11月08日

創意工夫

島谷です。
創意工夫はボケ防止になると言われました。
日ごと創意工夫に励んでいるとです。
創意の固まりだと言われました。
根が不器用なので失敗ばかりするとです。ふらふら
満身創痍です。もうやだ〜(悲しい顔)
島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)

2005年10月26日

老衰

島谷ですがく〜(落胆した顔)
老化すると新しいことは覚えられず、覚えているのは昔のことだけとですがく〜(落胆した顔)
私は昔のことすら覚えていないとですふらふら
島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)島谷です♪島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)

2005年10月24日

押忍

 拙者が子供の頃、友達同士で「オッス」と挨拶しているのを親に見られ「下品な言葉を使うのではないちっ(怒った顔)」とこっぴどく怒られたものだ。
 NHKの「はつらつ健康道場」で全員「オス!」と言わせるのにすごく違和感があった。
 オスは、押忍という言葉が当てはめられ武道精神を表す言葉として使われているようだ。
 拙者は、少年マガジンで極真会空手を扱った漫画で大山会長が弟子達にオスは押忍の意味だから「今日は」でなく「オス」と挨拶しろと語ったことがきっかけではないかと思う。
 上品な言葉が普及すると下品な言葉になるのが普通なのに下品だった言葉が下品な言葉でなくなるのは異例といえよう。

2005年10月20日

挨拶

島谷です♪
挨拶をしない人は嫌いです♪
自分の身内や後輩で挨拶をしない人には挨拶をするようにとうるさく言うとです♪
しかし、自分より格下でない人が挨拶を返さなくても文句を言わないとです♪
ただ、その人を嫌いになるだけです♪
挨拶をしたのに挨拶を返さないのはけしからんと息巻く人はもっと嫌いです♪
島谷です♪島谷です♪島谷です♪島谷です♪島谷です♪島谷です♪島谷です♪

2005年10月18日

Re:日記丼な生活

>ネタを得るために、あるいは書いてしまったことに引っ張られて日常の生活・仕事・行動そのものが変わってしまうこともある。それが日記丼なのです。
 禿同わーい(嬉しい顔)
 私は、落ち込んでいるときにはリアルタイム碁をしないことにしていました。
 しかし、島谷的囲碁日記をブログに移転したら、毎日更新しなければならないような強迫観念に襲われ、ブログに記録するために気乗りしないときでも碁を打つようになってしまいました。
 負けたときの虚脱感は一入です。ふらふら

短足

島谷です♪
前屈が10cmできるとです♪
からだが柔らかいのではないとです♪
足が短く手が長いだけとです♪
島谷です♪島谷です♪島谷です♪島谷です♪島谷です♪島谷です♪島谷です♪

2005年10月16日

島谷です♪

島谷です♪
島谷ひとみとは関係なかとです♪
島谷ひとみは娘にしては小さすぎ孫にしては大きすぎるとです♪
それに私には歌がうまい遺伝子がなかとです♪
島谷です♪島谷です♪島谷です♪島谷です♪島谷です♪島谷です♪島谷です♪

2005年10月01日

ブログ考

 最近ブログなるものが脚光を浴びている。
 ほりえもんがことある毎にブログ・ブログと報道陣に語るのは我田引水の言辞だと思っていたが、碁界でもブログを開く人が増えてきたところをみるとブログブームは本格的になってきたのだろう。
 ブログのなにが魅せるのだろうとブログにトライしてみたが、新しいものの良さがわからないのは老衰のゆえか欠点ばかり目立ってブログの魅力がわからない。
 新規記事を書けるのはホストだけでゲストは書くことができない。
 ゲストが書き込むことができるのはコメントかトラックバックだけだ。
 したがって、意見の交換をする掲示板の用途に適しているとは思えない。
 ブログは、日記や瓦版としての使い道なら適しているのかもしれないが、取材陣を抱えているわけでもない個人ではネタが続くのだろうか。

 ブログはHTMLの知識やホームページ作成ソフトがなくてもホームページを作れるIT弱者の味方だというが、ブログが流行する前からあったGAIAX系のレンタルHPはHTMLの知識やホームページ作成ソフトがなくても速攻ホームページを作れた。
 しかも日記だけではなく掲示板、スクラップなどもセットされていた。
 使いやすさはブログを上回るのではないかと思う。

 ブログは携帯電話から記入できるから便利というが、普通の掲示板でもそのような機能をもっているものが少なくない。

 ブログは新着記事の表示欄があるから使いやすいという。
 なるほど、これは便利だ。
 普通の掲示板は、書き込む人が増えると、新着記事であっても下の方に埋もれてしまって見落としてしまうことになりがちだ。
 GAIAX系のHPが思ったほど伸びなかったのは、ここに原因があったかもしれない。
 ブログは検索やWebサイトの更新情報を記述したRSS(Rich Site Summary)を設けるなど情報閲覧に重点を置いているようだ。
 たしかに、検索機能を備えた掲示板は少ないからブログの特長といってもいいだろう。
 しかし、RSSを開くとXMLテキストがずらずら表示され、私のIT知識ではどこに更新情報があるかわからない。
 ITに造詣が深い人でなければRSSを使いこなせないと思う。
 結局ブログのよさは新着記事が一目瞭然ということなのかなぁ。

 なにをおっしゃるウサギさん!ブログの良さはトラックバックだ!!!
 トラックバックは、記事単位の相互リンク自動生成システムで手間をかけずに訪問先のブログに自分のブログをリンクできる!!!

 さっそく実験してみた。
 トラックバックをするためには相手のブログを開いてトラックバック用URLをコピーしなければならない。
 これって結構メンドイ作業だと思うがブロガーはそう感じないのトラックバック先だろうか。
 自分のブログで記事を書いた後、コピーしたトラックバック用URLを貼り込んで送信し、トラックバック先のブログを見てみた。
 ひぇーーーーっ!!!
 書いた記事が改行されずにずらずら表示され、しかも尻切れトンボだ。
 投稿者表示もブログ名になっているから、しっかりしたブログ名にしないと得体の知れないところからトラックバックされたと不気味に感じるだろう。
 改行ごとに<br>や&#10;などを挿入しても改行されず、そのまま<br>、&#10と表示されてしまう。
 慌てて削除しようとしてもトラックバック先に送信してしまったものは削除できない。
 トラックバックするときはトラックバック先のURLを指定するだけではなく、別途トラックバック先に表示される記事を書いて送信しなければいけないようだ。
 それなら普通の掲示板に自分の記事の概要とURLを書いて、詳細はこのURLを参照と書くのと何が違うのだろう。
 トラックバック先に表示されたタイトルをクリックすればトラックバック元ブログを開くことができる機能は、普通の掲示板でも記入したURLにリンクを貼れば同じことができる。
 ブログが普通の掲示板よりリンクしやすいところはマルチポストできるところかもしれない。
 トラックバック先URLを羅列すれば、一気にそのURLにトラックバックを送信することができる。
 個人用途でマルチポストする必要がある人はどのくらいいるだろう。
 自分のブログにトラックバック先が記入されていないのでブログを見てもどこにトラックバックしたかわからない。
 マルチポストしたらトラックバック先の管理も大変だろう。
 トラックバックのマルチポストがありがたいのは宣伝業者くらいなものではなかろうか。

 ブログを開設したとたんにスパムトラックバックの嵐に驚いた。
 30分もしないうちに十指に余る出会い系トラックバックが配信された。
 削除しても後から後からトラックバックが配信される。
 アドレスを指定して配信拒否する機能があるというので嵐のURLを blog.livedoor.jp//hogehoge/ を配信拒否URLに指定した。
 やれ安心と思うまもなく blog.livedoor.jp//honyarara/ から嵐が襲来する。
 これも配信拒否URLに指定するとほどなくblog.livedoor.jp//nanjamonja/ から嵐が襲来する。
 まったくほりえもんサイトは嵐の発生源だ。
 面倒くさいから blog.live.jp をそっくり書き込み禁止にした。
 他のブログユーザーも同じようなことをしているに違いない。
 ということはblog.live.jpにブログを開設した人はトラックバックを使うことができず、ブログのメリットを享受できないだろう。
 blog.live.jpに限らずメジャーなサイトは会員が多いだけ刺客もも多かろう。
 となるとメジャーなサイトのトラックバックを受けないように設定するブログが増えるだろう。
 そうなるとブログの利点はトラックバックにありとはいえなくなりそうだ。

 やっぱりブログの良さは新着の一目瞭然というところに落ち着きそうだ。

 私にとって上記利点は、意見交換に隔靴掻痒の思いをしなければならない欠点を補うには至らない。
 日記を書くつもりがさらさらない私にとってブログは無用の長物だ。
 いらないものをいつまでも置いておくのは目障りなのでテスト運用のために作成したブログは速攻削除した。
続きを読む

2005年07月29日

棋風は骨粗鬆症

 吾輩は骨粗鬆症だ。
 からだの骨量も少なめだが、棋風に至っては重度骨粗相症だ。
 相手に組み付かれて力まれるとすぐに骨折する。
 相手から離れて歩いているときでも踏み違えると転倒して骨折する。
 骨粗鬆症を治すにはミネラルいっぱいな食事をとればいいのはわかっているが超偏食な吾輩にはそれを食べることができない。
 カルシウムいっぱいの詰碁の本を見れば頭が痛くなってそのまま寝込んでしまう。
 ビタミンDいっぱいのヨセの本を見れば吐き気を催して倒れてしまう。
 紫外線を浴びるのは大好きだが、もともとカルシウムが不足しているのだから骨が丈夫になるはずがない。
 だからがっぷり組んだ碁は勝負にならないから、もっぱら関節技を使って戦うことにしている。
 しかし、関節技って痺れや痛みを感じない人には通用しないんだなぁ、、、、
 キカサレを余儀なくされるようなことがあっても痺れを感じないから愚形で応じて平気の平左だ。
 痛みを感じないから逆手を取られてもどこ吹く風で踏ん張ってくる。
 相手が吾輩以上に骨が弱ければ、関節をへし折って倒してしまうのだが、丈夫な骨をもっている奴だと吾輩が腰砕けになって倒されてしまう。
 また骨が弱くても重量のある奴だとさっと身をかわせる態勢になってからでないと骨をへし折る訳にいかない。
 迂闊に骨をへし折って吾輩の上に倒れられてしまうと、下敷きになった吾輩は窒息してしまう。
 痛さを感じても我慢強い奴は、骨折覚悟で踏ん張ってくるからもっと始末が悪い。
 厚味にへばりついたカス石を平気で逃げ出す。
 そんな石は逃げ出されても痛くもかゆくもないからホットケーキで他を打つと平然と打ったところをお付き合いして頑張り、思い出したように手を抜いてカス石の逃げ出しに回る。
 だんだんカス石が肥えてきてたのでモタレて攻めると平気でモタレたところを受けて稼ぎまくる。
 カス石を逃げ出すのはモタレ攻めをさせてそこのところで儲けようという高等戦術だったのか。
 結局、逃げ出した石を取らなければ負けという形勢に追い込まれてしまう。
 さんざん手を抜いて眼形に乏しい孤立した石だから、基礎体力があればあっさりと始末してしまうのだろうが、骨粗相症の悲しさ、ひねりつぶそうとしたときに骨折し、こちらが地獄送りされてしまう。
 吾輩が勝てる相手は、痛みを知り、痛みを避けて動いてくれる人か、吾輩以上に骨がひ弱で軽量な人だけなのが情けない。

2005年02月04日

ゆとり教育

 文部科学省が大きな社会問題となっている子供の学力低下に歯止めをかけるためゆとり教育の見直しを本格的に検討を始めるというニュースが流れた。
 私は血迷うなと叫びたい。
 私は子供の学力低下の原因は
  • 無学であってもそこそこの生活ができそうな平和ボケ社会

  • 教員の資質低下
に尽きると信じている。
 今朝、フジテレビではゆとり教育を有効に活用して効果を上げている山形県の学校を放映していた。
 教員によい人材を得ればゆとり教育で効果的に学力をあげる好例だと思う。
 私は、いまの質の悪い教員のもとでゆとり教育を撤廃し、授業時間を大幅に増やせば、落ちこぼれ学童を増やし、学力低下に拍車をかけることになると思っている。
 悪貨は良貨を駆逐する。
 質の悪い教員がはびこれば、良い教員は、いびり出されるか、悪い教員の仲間入りせざるを得ないことになるだろう。
 私は、教員の質を高めるためには良い教員を優遇し、不良教員および無能教員をリストラするほかないと思っている。
 しかし、このようなことは日教組が許さないだろう。
 不良教員・無能教員は日教組によってしっかりと保護されているから、公立学校の教員の質を高めるのは諦めざるを得ないのが現状だと思う。

 教員の質が悪い状態で子供の学力を高めるにはどうしたらいいだろう。
 私は、子どもたちがいま学ばなければいけない内容を厳選してカリキュラムを組むべきだと思う。
 いまの学校では不急なことを教えすぎているのではないだろうか。

 今朝の放映で地理がわからない生徒が多いという教諭の嘆きを学力低下の一例としてあげていた。
 私は、そんなものはわからなくてもかまわないと思う。
 私は、地理や歴史にまったく疎い。
 50歳をすぎるまで天橋立が太平洋に面していると思っていた。
 NHKの大河ドラマを見るまでは武田信玄は織田信長に殺されたと思っていた。
 しかし、こんなことを知らなくて不便を感じたことは一度もない。

 私は、地理や歴史など教える時間は読み書きソロバンに割り当てるべきだと信じてやまない。
 また、この時代に学習しなければ手遅れになるマナー教育、情操教育、音感教育、リズム感教育、保健体育にもしっかりと時間をとるべきだと思っている。
 とくに国語(読み書き)は基礎的なことをみっちりと学習させるべきだと思う。
 また算数(ソロバン)は、四則演算に時間を費やすべきで、日常生活に不必要な数学まで教える必要はないと思う。
 たとえば、中学校で教わった三角関数が必要になった文系のサラリーマンはどれくらいいるだろう。
 また、中学校で教わった世界史が必要になったエンジニアはどのくらいいるだろう。
 少なくとも私は世界史や世界地図を知らなくて困ったことは一度もないし、覚える気もない。

 自分が必要を感じない難しいことの学習を強いられたら学習が嫌いになること必定だ。
 基礎的なことをみっちり学習させ、身につけさせれば、子供たちは自分の興味をもったものを自発的に追求するようになるはずだ。

 絶対に学ばせなければいけないもの以外は、子供たちが興味を持つようにしむけることが教育者の役目であり、真のゆとり教育であると信じてやまない。

2004年12月15日

平和ボケ

 文部科学省がゆとり教育を見直し、授業時間を増やすようにするというニュースが流れた。
 子供の学力低下が社会問題となり、その原因がゆとり教育にあるという世論に応える政策のようだ。
 私は、学力低下をゆとり教育になすりつけるのはとんでもない見当違いだと思う。
 私はゆとり教育を撤廃し、授業時間を大幅に増やしたとしても、落ちこぼれ学童を増やすことがあっても学力低下に歯止めをかけることができないと思っている。
 私は子供の学力低下の原因は、無学であってもそこそこの生活ができそうな社会環境にあると信じてやまない。
 つまらない勉強を我慢してしなくても生活できるのなら苦痛に耐えて勉強に励むだろうか。

 鳥が空を飛ぶのは好きこのんで飛んでいるのではなく、天敵から逃れるためにやむを得ず飛ぶのだそうだ。
 確かに引力に逆らって空を飛ぶのは重労働だろう。
 キューイという鳥は、天敵がいない環境で棲息していて空を飛ぶ必要がなくなったため飛べない鳥になったそうだ。

 いま社会問題になっているニート(NEET)も働かなくてもそこそこの生活ができることに原因があると思う。
    NEET(Not in Employment, Education or Training):「働こうとしていない」、「学校にも通っていない」、「仕事に就くための専門的な訓練も受けていない」ということ。
 ニートの若者があるテレビ局のインタビューに答えて曰く「俺が職に就かないのは、生き甲斐がある仕事が見つからないからだ。生き甲斐がある職場が見つかったらすぐに就職する」
 インタビュアー曰く「ニートが増えるのは若者に生き甲斐を感じさせる職場を提供しない社会に責任がある」
 この番組を見て開いた口がふさがらなかった。
 いまの社会人で生き甲斐がある仕事をしている人は恵まれた一部の人たちにすぎないと思う。
 多くの人は家族を守るためにしたくもない仕事をし、家族や趣味に生き甲斐を求めているはずだ。
 働かなければ生きることができない社会なら、生きるために不本意な仕事をするか、生きるのを放棄するかの選択を迫られることになろう。

 無学であっても、定職がなくてもそこそこに生活ができるのはどうしてだろう。
 私は、日本国内で大きな戦争が生じていないことにあると思う。
 国内で戦乱が生じれば、震災による被災者を上回るみじめな生活を強いられることになろう。
 半世紀以上も国内に戦乱が生じていなければ社会が平和ボケになってしまうのは天敵のいない鳥が飛ばなくなったのと同様な現象かもしれない。

 しかし、この平和がいつまでも続くという保証はない。
 手足を奪われたお仕着せ憲法のもとで平和が維持できているのはアメリカの保護のおかげだ。
 アメリカが日本を見放したら国内は戦乱の嵐に巻き込まれ、平和ボケから目覚める前にショック死することになりそうだ。

 領海侵犯に対する中国の態度や拉致問題に対する北朝鮮の態度は、いずれも平和ボケしている日本をなめきっていなければできるものではない。
 中国の領海侵犯に野党は「政府の対応は適切だったのか」と詰問し、総理は「政府の対応は適切だった」と答弁する。
 適切であるものか。
 自立した国家なら退去に応じなければ拿捕するか撃沈させるだろう。
 しかし、お仕着せ憲法のもとでは任務実行のためにそのような行動を取れないだろうし、正当防衛で撃沈させたとしても野党は政府を非難するだろう。
 北朝鮮も経済制裁されたら武力制裁すればいいと思っているに違いない。
 北朝鮮と中国が連合軍を組み、舞鶴を占拠したらどうなるだろう。
 自衛隊が出動せず、機動隊で応戦することになるのだろうか。
 北朝鮮・中国連合軍が本腰をいれたら自衛隊が出動することができても舞鶴を奪還することは出来ないと思う。
 国連の多国籍軍派遣は拒否権発動する国がでて望めまい。
 アメリカ軍に出動してもらうほかあるまい。

 自衛隊のイラク派遣反対論者は平和ボケの最たるものだと思う。
 この人たちはアメリカがボランティアで日本を守ってくれると思っているのだろう。
 アメリカ軍はアメリカ人の税金で賄われている。
 アメリカ軍はアメリカの国益にならない行動をするはずがない。
 アメリカが日本を守ってくれるのは日本のためではなくアメリカのためなのだ。
 日本がアメリカにとって価値のない国だったら守ってくれるはずがない。
 日本がアメリカにとって価値のある国であるためにはアメリカの政策に協力するしかないだろう。

 こんな情けない国が独立国家といえるだろうか。
 たしかに占領下にないから独立国家かもしれないが、自力では自分の国を守るとができないのでは自立しているとはいえまい。
 日本が自立するためにはお仕着せ憲法を改正するほかない。
 とはいえ、貧乏人が大金を手にするとろくな使い方をせず、すぐ無一文になる。
 格闘技を覚えてちょっと強くなった子供は、その技を使いたくて喧嘩を売りまくる。
 平和ボケした国に武力を与えると正しい使い方をするかどうかこわいものがある。
 正しい武力の使い方を身につけるまでお仕着せ憲法で我慢し、アメリカの庇護を受けることが出来るようにアメリカにとって都合のいい国でいるほかなさそうだ。
 こんな結論にたどり着く拙者は救いようのない平和ボケ患者だ。残念。

2004年09月25日

推理小説マニアの妄想

 吾輩は推理小説マニアだった。
 まだらの紐Yの悲劇など感激したトリックの推理小説は本がぼろぼろになるまで読み返したものだった。
 エラリークィーンという月刊誌も定期購読したなぁ。
 いまは読書から縁が切れてしまったが、推理小説の読み過ぎ後遺症で社会問題が起きるとトリッキーな妄想に浸ってしまう。

 プロ野球のオーナー側と選手会側の交渉が妥結し、ストライキは回避された。
 しかし、オーナー側は球団を増やすことはなんとしても避けたいと願っているに違いない。
 新規参入を阻むには、審査の際になんだかんだイチャモンをつけて不合格にするのが定石だが、今回の場合はマスコミの注目を受けているからミエミエの難癖はつけられまい。
 海千山千のオーナー側だから世論の避難なら無視するだろう。
 しかし、今回の場合は保守系政治家までオーナー側に批判の眼を向けている。
 保守系政治家がストライキに対して経営者側に批判的だったことはかつてない。
 今回のストライキは、自分の威厳を保つためにストライキをしたくてしようがない労働組合幹部が経営者に無理難題を吹きかけて交渉を決裂させる手口とは違い、理屈が通らないのはオーナー側だから保守系政治家といえども選手会側を非難できなかったに違いない。

 オーナー側が新規参入申請をもっともらしく不合格にするにはどうしたらいいだろう。
 それには参入申請者が審査不合格になるような行動をするように仕向ければいい。
 いまの参入申請者と同じ本拠地で別の会社を申請させたらどうだろう。
 最初の参入申請者と2番手の申請者とで競り合いが始まるはずだ。間違いない。
 オーナー側は、送り込んだ2番手の申請者に最初に申請した会社を挑発し、泥仕合に持ち込むよう指示しているだろう。
 最初の申請者は、経営手腕は優れているかもしれないが、ネット社会の常識しか知らない非娑婆人間のはずだから、ネット社会の常識で反撃するだろう。
 その結果オーナー側の思惑通り、世間様が眼を背ける泥仕合に展開し、日本人の大好きな喧嘩両成敗で両者の参入審査不合格チャンチャンとなるのではなかろうか。

 以上が元推理小説マニアの妄想である。
 これがあくまでも妄想であることを願ってやまない。

2004年08月17日

Hi-MD

 MDが誕生したのは何年前になるだろう。
 私はCDの扱いにくさに辟易していたのでMDがCDを駆逐するときが1日でも早いことを願っていた。
 また、MOの代わりにMDが使えたらどんなに便利だろうと期待に胸を膨らませていた。
 ところが、いつまで待ってもMDをデータディストして使えるシステムがMD-RAMはおろかMD-ROMさえ出現しない。
 待ちくたびれているうちにMP3、WMAなどを保存して再生するメモリーオーディオプレーヤーが脚光を浴びるようになった。
 さらにはハードディスクに音楽ファイルを保存して携帯できる携帯プレーヤーまで出現した。
 小型軽量のメモリーオーディオプレーヤーやジュークボックス以上の楽曲保存量をハードディスクプレーヤーは魅力溢れる機器ではあるが、私はMDへの期待を捨てきれないでいた。
 Net-MDが発表されたときは、やっと期待したMDシステムが現れたと喜んだが、PCとMDとの間で音楽データの受け渡しができるだけでMDをデータディスクとして使用できるシステムでないと知り、大いに落胆した。

 待てば海路の日和あり。
 待ちに待ったMDをデータディスクとして使えるシステムが出現した。
 それがHi-MDだ。
 Hi-MD用にフォーマットする必要があるが、60分ディスクを218KB、74分ディスクを270MB、80分ディスクを290MBのデータディスクとして使用できる。
 予想していたより記録サイズが小さかったが通常の用途ならじゅうぶんな容量だろう。
 Hi-MD専用に発売された1GBディスクを使えば963MBあるが、74分ディスク7枚分の価格なので買うのをやめた。
 Hi-MDフォーマットは音楽ディスクとしても優れものだ。
 74分ディスクでは、Hi-LPモードで約9時間録音できるし、Hi-MD専用の1GB・MDメディアならHi-LPモードで34時間も録音できる。
 ただし、Hi-MDフォーマットしたMDはいままでのMDプレーヤーでは再生できないし、安物MDメディアだとエラーになりやすい。
 安売り店で購入した5枚300円の74分ディスクでは5枚全部が半分ほど書き込んだ後は、書き込みエラーになりそれ以上書き込むことができなかった。
 また、再生のときは書き込んだ最後の曲は読み込みエラーになって再生できなかった。
 この安物MDを普通のMDフォーマットにして録音し直したらLP4モードでもエラーにならなかった。
 Hi-MDフォーマットして使うMDメディアは一流品でなければいけないと悟った。
 もっともMDの価格は、一流品でも1枚100円程度だから金欠病の私でも躊躇しないで買える。

 今回、購入したHi-MDウォークマン(SONY MZ-NH1)はかなり満足できるハードだったが、付属のHi-MD用ツールは使いにくさを感じた。
 MDに書き込みエラーの際に書き込みリトライを繰り返すのはいいが、その間ユーザーの操作をいっさい受け付けてくれないのが困る。
 延々とリトライを繰り返し、書き込みエラーメッセージが表示されるまではじっと我慢の子でいなければならない。
 せっかちにマウスをクリックするとフリーズしてしまう。
 また、バックアップ・リストアツールも非常に危険な代物だ。
 不用意にこのツールを使うとハードディスクに保存した音楽データのすべてがゴミと化してしまう。
 バックアップ・リストアツールはお義理でつけましたが使わない方がいいですという感じがするのは僻みだろうか。
 もっとも、ハードメーカー的見地からは、この仕様はやむを得ないのかもしれない。
 Hi-MDが普及して、Hi-MD用の便利なフリーソフトが出回ることを期待してやまない。

 ハードウエアについてもWAV、MP3、WMAファイルなどを再生する機能をもった携帯プレーヤーが欲しい。
 Hi-MDフォーマットにするといままでのMDプレーヤーでは使うことができないから、音楽データをATRAC形式で記録する必要はない。
 使いにくいATRAC形式でなく互換性の高いMP3やWMAで保存して再生できたらありがたい。
 もっともSONYの立場としてはATRACが蚊帳の外に追いやられそうなハードを作るわけにいかないだろうから後発メーカーに期待したい。
 できればMIDI音源を内蔵してMIDIファイルも再生できたらいいなぁ。
 さらに、オプションで下記仕様の充電スタンドがあったらいいなぁと夢見ている。
  • オーディオアンプ内蔵(出力10W)

  • リモコン機能

  • MIDI端子3個(MIDI-IN MID-OUT MIDI-THRUE)

  • スピーカー出力端子

  • オーディオ出力端子

  • ヘッドフォン出力端子

  • オーディオ入力端子

  • マイク入力端子

  • USB2/1端子3個(IN1個、OUT2個)
 ビクターさ〜〜〜ん。作ってみませんかぁ〜〜〜〜。

2004年06月30日

出生率1.29

 日本の出生率が1.29になったとことが大きな社会問題となっている。
 識者は、出生率を高めるために少子化防止対策を真剣に取り組まなければいけないと説いている。

 しかし、私は出生率が低下したことがなぜ悪いかわからない。
 私は、現在の日本人口では出生率が低下することは好ましいことだと思っている。
 確かに出生率が低下したら年金制度が破綻するだろう。
 出生率が2.0、3.0とばりばり増加したら年金制度は万々歳だろう。
 しかし、年金制度さえうまく運営できればいいものだろうか。
 私は、そもそも税金でまかなうべき社会保障制度を年金という別枠でまかなおうとすることが間違っていると思っている。
 年金制度が順調に運営できたが人口過剰になって日本社会がパンクしたらナンセンスの極みだろう。

 私は、いまの日本人口は国土の許容量を超過していると思う。
 私は、自給自足できる範囲がその国土の人口許容量だと思っている。
 いまの日本は生活必需品のほとんどを海外からの輸入に頼っている。
 日本がアメリカのいいなりになっていると批判する人が多いが、もしもアメリカと対立し、輸入が途絶えたらどうなるだろう。
 アメリカから輸入できなければ他の国から輸入すればいいと考えるのは甘い。
 アメリカの後ろ盾がなく、兵力のない弱小国日本にアメリカに逆らってまで輸出してくれる国があるだろうか。
 輸出してくれる国があったとしても足下を見て超高値で売りつけられるだろう。
 海外からの輸入が途絶えたり、輸入価格が暴騰したりしたら日本人は北朝鮮やイラクより惨めな生活を強いられることになろう。間違いない。

 しかし、人口がいまの1/3くらいまで減れば、贅沢な暮らしさえ望まなければ輸入が途絶えても自給自足で生活できるのではなかろうか。
 日本が自立するためには人口の減少が必須と思える。

 また、人口過剰になれば治安が悪化する。
 現在の物騒な社会現象は人口過剰が大いに原因していると思う。
 過疎地域でも凶悪犯罪が起きているから人口過剰が犯罪の原因ではないという人もいるが、情報伝達が発達した現在、日本全体の犯罪情報が過密地域にも伝わり犯罪を誘発したり、過密地域からはみ出した人間が過疎地域で犯罪を起こしたりするだろう。
 私は、人口がいまの1/3くらいまで減れば、治安も回復すると思う。

 私は少子化傾向が進むのは自然の摂理でないかと思っている。
 このまま少子化が進むと日本人口が激減し、日本が滅びると言う人がいるが、私は杞憂だと思う。
 私は、日本人口がいまの1/3くらいまで減ったら、ほうっておいても出生率は高くなり、人口が増え始めると思っている。

 私は、少子化を防ぐ対策ではなく、少子化すると困る制度を少子化しても困らない制度に変えることこそ少子化対策だと信じてやまない。

2004年05月28日

遊休公有地と家庭菜園

 私の散歩コースとなっている遊歩道の道沿いに家庭菜園らしきものが散在している。
 その家庭菜園のフェンスのところには立入り禁止の標識がある。
 家庭菜園の持ち主が掲げたものではない。
 よく見ると「ここは都有地。無断で使用を禁止」という旨が記載されている。
 しかし、家庭菜園を作っている人は都から土地の使用の許可を得ている様子がない。

 遊休公有地を無断で家庭菜園にしているのは私の散歩コースだけではないらしい。
 昨日のテレビで違法家庭菜園が困った問題として放映されていた。

 違法家庭菜園を作っている人は、テレビのインタビューに
    雑草が生い茂っている土地を耕してきれいにしているのだから感謝されてもいいくらいだ。
と答え、罪悪感がまるでない。

 しかし、雑草が生い茂っていても他人様の土地に勝手に入り込んで土地を耕したら確実に犯罪行為だ。
 私有地だと誰でも犯罪と理解するが、公有地だと犯罪意識が希薄になるのは公有地はみんなのものという意識があるためだと思う。
 公共ののものだから、ゴミを捨てたり、資材置き場にするのは悪いことだが、生い茂っている雑草を刈り取り、そこに花や野菜を植えるのは美化につながるから悪いはずはないという意識になるのだろう。

 私としても雑草が生い茂っている空き地は見栄えも悪いし、ゴミの不法投棄場所になりかねないから、きれいな花畑や菜園になっている方がいいと思う。
 しかし、無断立ち入り禁止の場所を勝手に入り込んで菜園にする行為を許すことは法治社会としてあるべき姿ではない。

 私は、遊休公有地の菜園利用を合法的にするために、遊休公有地を月額1000円程度で貸し出す制度を設ければいいと思う。
 このような制度を設ければ、利用者も喜ぶし、遊休公有地から収入が得られるから一挙両得ではなかろうか。
 有料で貸し出すと土地の整備などに費用がかかり、かえって赤字になるとお役所は思っているかも知れないが、役所サイドでは土地の整備はいっさいしないということを契約書に明記すればいいのではないか。
 スキー場でもこぶ斜面のように圧雪車で整備しないコースがあり、それが人気コースになっていたりもする。
 国または地方自治体では
  • いっさい土地の手入れはしない

  • 必要の際は即座に返済する

  • フェンスなどの構造物を損傷した場合は賠償する

  • 農薬その他の有害物質の散布を禁止する

  • 天災その他の菜園に生じた被害はいっさい保証しない
などを契約書に明記して貸し出すようにすれば遊休公有地が有効利用できると思う。

2004年05月05日

子どもと碁

 国際棋戦で日本勢の惨敗が続く。
 日本の弱さがいつまでも続いたら、日本の囲碁人口は激減し、日本から囲碁産業が消滅するという声が大きい。
 果たしてそうだろうか。
 たしかに、世界的に囲碁人口は増加しているが、日本に限っては囲碁人口が現象の一途をたどっていた。
 いっときは、ヒカルの碁のおかげで囲碁に興味をもつ子どもたちが増えたが、ヒカルの碁の連載が終了すると子どもたちの囲碁熱がしぼみつつあるのが悲しい。

 たしかに国際棋戦で日本が大活躍すれば囲碁が脚光を浴びるに違いない。
 しかし、囲碁が普及しない原因を国際棋戦で日本勢がよい結果を出せないことに結びつけるのは疑問を感じる。

 いまでこそ野茂、イチロー、松井などがアメリカの大リーグで大活躍しているが、私の子供の頃の日本のプロ野球は、アメリカとは比べものにならないほど弱かった。
 プロ野球のオフシーズンにアメリカチームと日本チームと親善試合が興行されるたが物見遊山気分で来日するアメリカの2流チームに日本選抜チームは歯が立たなかった。
 それでも、野球人気は衰えず、子どもたちにとって最も人気のある遊びは野球だった。
 その当時は、野茂、イチロー、松井などアメリカ大リーグで脚光を浴びる選手が出現することは夢のまた夢であった。
 このような強い選手が出現したいまと、日本が弱かった私の子供時代と比べ、いまの方が野球人気が高いだろうか。
 私は、私の子供の頃の方が野球熱は高かったと感じている。

 囲碁も同様だ。
 日本人棋士が国際棋戦に勝てないと囲碁の人気が衰えると結びつけるのは間違っていると思う。
 日本人棋士が活躍していた頃でも、ヒカルの碁が現れるまでは子どもたちに碁の人気はなかった。

 碁がなぜ子どもたちに浸透しないのだろう。

 まず、子どもたちはヒカルの碁を見るまでは碁を暗いゲームと思っていた。
 ヒカルの碁が終わり、これを見たことのない子供が増えれば再び碁は暗いゲーム、年寄り臭いゲームと思われるようになるだろう。
 無理もない。日本では子どもたちにそう思わせるような環境ができあがっている。
 武宮九段は、「私は、子供の頃やんちゃだったので碁をするようになったら少しは行儀がよくなるだろうと親爺から碁を教えられた」と碁を始めたきっかけを語っている。
 世間様が碁を修養の技芸として見ているのでは子どもたちが碁を敬遠するのは当然だ。
 外国では碁を単なるゲームとして見ているから、面白いゲームとして普及したのだろう。

 また、碁は、学習成果が現れにくいことも碁が普及しない要素だと思う。
 碁を覚えて2〜3ヶ月で初段になる子どもたちは、目を見張る学習成果があるので碁にのめり込み、プロになりたいとまで思うようになる。
 しかし、いつまでたっても強くならない子どもは、やがて碁から遠ざかるようだ。
 子どもたちが没頭するRPGは、試行錯誤を繰り返すたびにレベルアップし、ついにはゲームを制覇することができる。
 碁は、悪い手を打っても直ちにその報いが現れないのが普通だ。
 悪い結果が生じた場合、その原因となる着手は数十手前にさかのぼることが少なくない。
 これでは何が原因か教わるまでわからないし、教わっても半信半疑だ。
 しかも、悪手がわかり、正しい手を教わっても、その手が他の碁に通用するとは限らない。

 碁に限らず、学習してもその成果が上がらないと嫌気がさしてくるものだ。
 成果が上がらなくても実力は上がっているのだということがわかれば興味を殺がれることはないと思うが、負けてばかりいる子供に本当は強くなっているんだと言ってやっても虚しく感じるだけだろう。
 学習効果が上がったと実感させるためには碁盤上にその成果が出なければならない。

 そのためには学習した手筋が出現した場合、その手筋を外す手を打ってはならない。

 相手が碁を覚えたばかりの子供だったら
  • ゲタを履かされた石は取られるまでもがく。
  • 取られるシチョウは3本以上逃げてから両アタリするかシチョウアタリを打つ。
  • 1線で切られた石は3本以上逃げる。
  • 2線の石をカカエられたら1線にノビ出して逃げる。
  • ウッテガエシのホウリコミを打たれたらヌク。
  • オイオトシになるアタリにされた石はツグ。
などして、大きな成果を与えて喜ばすことが必要だろう。

 碁が上達するにつれ、高度な手筋を学習することになるが、そのときも相手がその手筋を決行するチャンスがあったら、手筋を避ける手を打たず、その手筋を打たなかったら相手が損をするような手を打ち、相手が手筋を打つように誘導するのが指導碁における上手の態度だと思っている。
 下手がその手筋に気が付かないと上手がボロ儲けすることになるが、局後にその手筋を示してこうやれば上手がひどい目にあっていたと教えれば、しっかりと習得してくれる。
 ただし、相手からここはどうしたらよかったかと訊かれるまでは教えない方がいいかもしれない。
 訊きもしないことを先回りして教えると囲碁に嫌気がさすようになってしまうだろう。
 局後の検討も下手から教えてくれと言われるまでのしない方がいいと思う。
     私は、自分の娘と息子が小学生のとき碁を教えたが、局後の検討を熱心にしたため二人とも碁を嫌いにさせてしまった苦い経験がある。
 碁にのめり込むようになれば、こちらから教えようとしないでも自分から質問するようになるはずだ。

 友達が碁をしているからお付き合いで碁を打つという人は、碁を打っている環境が楽しければいいのだから、ここはこう打った方がいいなどと教えるのはうざったく感じられるだけだ。
 碁をコミュニケーションのアイテムとして楽しんでいる人でも何かの拍子で強くなりたいと思うことがあるかもしれない。
 そのきっかけが来るまでは碁に嫌気がささないように気配りが必要だ。
 碁に飽きてきたらじゃんけんして勝ったときに着手できるじゃんけん碁、サイコロを振って出た目の数だけ着手できるサイコロ碁などお遊びを交えて碁に馴染ませるのも一案だ。
 継続は力なり。
 子どもたちの身の回りから碁が遠ざからないような環境作りこそ、子どもたちへ碁を普及させる第一歩だと思う。

2004年02月29日

オウム復活の危惧

 やっと第一審でオウム麻原に死刑の判決が下った。
 我が国のノロノロ裁判システムのことゆえ最終結審までこの後10年以上費やすのではなかろうか。
 私は、我が国のノロノロ裁判システムが犯罪を助長しているという見解をもっているが、オウム事件に関してはノロノロ裁判はプラスになっていると思う。
    喉元過ぎれば熱さを忘れる
 オウム裁判がてきぱき進んでさっさと結審されればオウム事件は風化され、被害者以外の人の心から忘れ去られてしまうおそれがある。
 これだけノロノロと進行していれば被害者以外の人でもオウム事件への関心は薄らがないですむだろう。
 私の危惧はオウム事件の風化だけではない。
 私が最も危惧しているのは麻原の神格化だ。

 どんな宗教でも黎明期は布教のため破壊活動も辞さない強引な布教をするものだ。
 1950年代の創価学会の布教活動は、盛り場の売人マッサオのひどさだった。
 私は、キリスト教の黎明期も布教のため破壊活動をし、施政者から処罰を受けたのだと思っている。
 キリストが処刑され、錦の御旗を失って窮地に立ったキリストの弟子と称する宗教屋達は、キリストの墓を掘り出してキリストが復活した称して、キリストの影武者を看板にして布教活動したと私は思っている。

 麻原といえどもあれだけの信者を集めたからにはかなりのカリスマ性をもっているに違いない。
 オウムの幹部達は麻原のカリスマ性を巧みに利用して利益を得ていたはずだ。
 オウム裁判がてきぱきと進み、オウム信者が多数残っているうちに麻原の死刑が決行されるとオウムの幹部達は信者達に麻原をキリストにたとえて讃えるだろう。
 そして麻原に似た人間を捜し出して、麻原の墓に埋め、それを掘り起こして麻原が復活したとして布教を再開するだろうと考えるのは杞憂だろうか。

 私は、麻原が処刑されたら、その墓は国家が厳重に管理し、許可なくその墓に近づいたものを処罰する法令を制定する必要があると思っている。

2004年02月20日

子供の序列

 未成年による凶悪犯罪が激増している。
 その原因は、未成年の犯罪に対して刑罰が軽すぎることと、子供の序列を親より上に置く家庭環境にあると思う。

女は三界に家なし。生じては父に従ひ、嫁しては夫に従ひ、老ひては子に従ふべし。
とされた女性蔑視の時代でも、子に従うのは老いてからで、養育中の子供が母親に逆らうことを父親は許さなかった。

 専制君主の父親の振る舞いに対して母親が子供に愚痴をこぼしたとしても、父親の序列1位が厳然としているから、子供が父親より序列が上だと勘違いすることはなかった。

 もし、専制君主の父親が子供に向かって母親のことをことあるごとに
    ごろごろしてろくに家事もしない怠け者だ。お母さんのようになってはいかんぞ。
    暇さえあれば井戸端会議をして陰口ばかり叩いている。お母さんのようにになってはいかんぞ。
    浪費家で節約の観念がない。お母さんのようになってはいかんぞ。
などと言い続けていたら子供は自分の序列は母親より上だと思いこむようになってしまうだろう。

 女性の地位が向上した現代、家長の座を得るために父親は母親の欠点、母親は父親の欠点をあげつらって子供を味方につけようとすることがないだろうか。
     家に帰ると風呂・めし・寝るで縦のものを横にもしない。お父さんみたいにならないでね。
     稼ぎが少ないのに飲んだくれてばかりいる。お父さんみたいにならないでね。
     お父さんは頼りにならない。私が頼りになるのはあなただけよ。
などと子供に言い続けていたら、子供は父親を自分より格下だと思いこむようになってしまうこと間違いない。

 こうなっては子供が親の言うことをきかなくなるから親は子供をしつけることができなくなる。
 無理にしつけようとすれば自分の方が格上だと思っている子供は、格下のものに指図されたくないと徹底的に反抗するだろう。
 子供の方の力が強ければ親に暴力を振るう家庭内暴力に発展し、親の方の力が強ければ反抗する子供を力ずくで従わせようと暴力を振るう児童虐待に発展するだろう。
 いずれにせよ家庭崩壊が待ち受けている。

 子供の人権を尊重することは大切だ。
 しかし、人権を尊重することと序列を上に置くこととは別物だ。
 格下のものが格上のものをしつけることはできない。
 子供を立派な社会人として巣立つようにしつけるためには、子供の序列は親より上であってはならない。

 子供が親より格上だと勘違いさせないようにするためには、子供のわがままを実現するために母親は父親、父親は母親を犠牲にすることがあってはならない。
 親が自分自身を犠牲にして子供の要望を満たそうとしたのなら子供は親に申し訳ないという気持ちが生じるかもしれないが、自分自身ではなくもう一方の親を犠牲にして子供の要望を満たしてやると子供は感謝ではなくもう一方の親が自分より格下だと思いこむようになってしまう。
 また、子供のいる前では父親は母親、母親は父親の立場を下げるような言動をしてはならない。
 親を尊敬できなくなった子供の行く先には非行の道が待ち受けていること間違いない。

2004年01月01日

OBの心得

 我輩は、幼い頃から目上の人が大嫌いだった。
  • 横柄な態度で話しかける
  • こうせい、ああせいと指図する
  • 意思表示をするとわがままだと怒る
  • 意思表示をしないとはっきりせいと怒る
  • 挨拶が遅れると態度が悪いと怒る
  • 反論すると生意気だと怒る
 大きくなったらあんな大人にはなるまいと心に誓ったものだった。

 大学を卒業してからOBとしてではなく現役の友達として接しているつもりで囲碁部に顔を出していた。
 現役もOBとしてではなく仲間としてつきあっているものと思っていた。
 しかし、それは重大な心得違いであった。

 冷静に考えてみれば1世代以上離れた人間が友達づらをして接してきたらウザイことこの上なしに違いない。
 現役にとってOBづらをして居丈高に振る舞うOBは、虫唾の走る嫌な奴に違いないが、ため口で接してくるOBも気持ちの悪かったに違いない。

 現役にとって親しまれるOBは、友達づらをするOBではなく、現役が必要としているものを与えるものをもって接してくるOBなのであった。
 ただし、現役は乞食ではない。
 必要としないものを無理やり与えようとするOBは、OBづらをするOBとして忌み嫌われる。
 現役が必要としたとき、それとなくアドバイスやすらぎなどを与えることができるのがOBとして最善な接し方だと思う。

 現役には友人は大勢いる。
 世代が離れたOBに友達になってもらう必要は毛頭ない。
 そんな当たり前のことがわからなかった我輩は大阿呆であった。

我輩「俺にため口で付き合ってくれた現役は何人かいた。それは俺にとって数少ない友人だったんだろうなぁ。」
ワイフ「それは変なおじさんだと思って話を合わせてくれたんです。」
 我輩の心のよりどころがまた一つ減った。
 時間とともに老化が進んで行く。

2003年11月22日

日本伝統文化の呪縛

 世界棋戦で日本の成績不振が嘆かれるようになって久しい。
 世界棋戦で日本の成績が不振なのは持ち時間が短いからだという声もあるが負け惜しみのそしりを免れまい。
 私は、日本が不振なのは日本伝統文化を意識することが足かせになっていると思っている。
 私は、囲碁に限らず日本伝統文化の競技が世界に普及して、その国際大会が開催されるようになったら、日本が成績不振にあえぐことになるの必然だと思っている。
 私は、日本伝統文化の競技で日本が負けないためには次の選択肢しかないと思っている。
  1. 日本伝統文化の足かせを引きずっても勝つことができるほどブッチギリで他国の選手より強いこと
  2. 日本伝統文化における暗黙の禁止事項を規則化する。
  3. 日本伝統文化の呪縛から抜け出すこと
 の選択肢で勝つことができればこんなに嬉しいことはない。
 その競技が世界諸国に普及しはじめたばかりで他国のレベルが低ければ可能だろう。
 しかし、他国がその競技に注目するようになり、研鑽を重ねて我が国と同じレベルに達したら、日本伝統文化の足かせをはめられたままなら勝つことが困難になるのは当然の成り行きだと思う。

 日本伝統文化がなぜ足かせになるのか検証してみよう。

 日本伝統文化は、結果より過程の形式美を重視する。
 凧とカイト(洋凧)や羽根突きの羽子板とバトミントンのラケットを比べて見れば前者の機能を追求しているのに対し、後者が日本の美を追求していることは明白だろう。
 命が関わるものでさえ剣道vsフェンシング、弓vsアーチェリー(洋弓)のように日本伝統文化は目的に対する追求より、精神鍛錬を追求している。
     壇ノ浦の戦いで源義経は自分の弓を舟から落とした際、代わりの弓があるにもかかわらず、敵味方の矢が飛び交う中を身を乗り出して水に浮いている自分の弓を必死になって拾ったとそうだ。
     命をかけて弓を拾ったのは、敵にその弓を拾われて「源義経はこんな腰の弱い弓しか引けないのか」と蔑まれることが嫌だったからだという。
     命より見てくれを大切にする日本文化の好例だろう。
 勝利を目的に邁進する相手に、戦う姿の美しさを気にかけながら戦わなければならないのでは相手より格段の強さがなければ勝つことは無理だろう。
 したがって、なりふり構わず勝つ選手は邪道の強さと疎まれ、美しく戦う選手は負けても賞賛される。
 姑息な手段を使って勝つとルールさえ犯さなければなにをやってもよいのかと罵倒される。
 甚だしきは、手拍子の大悪手を待ったされ、それを認めないと「そんなにまでして勝ちたいのか。」と罵倒する輩まで出現する。
 日本文化は、待ったと遅刻には寛容で、それを認めぬ人間の方が嫌な奴として扱われる。
 将棋の待ち駒を卑怯と罵られた時代もあり、将棋の入門書には「待ち駒は卑怯ではない」ということが必ず記載されていた。
 ルールの美しさを追求するあまり、ルールの不備を正そうとする意見には、それはマナーの問題でルールで規定すべき問題ではないと拒絶反応を示す。

 私は、このような文化をすべて否定するものではない。
 ストレス解消のために競技をするなら、なりふり構わぬ勝負にこだわった試合はストレスを増長するのでご免こうむりたい。
 私は、団体戦の選手としての対局や1局の勝敗ごとに自分の点数が変わる対局は精神衛生に悪いのでやめることにした。
 ストレス解消のためのお遊びには親しい仲間だけで日本式のなれ合いプレイがいちばんだと思っている。

 しかし、勝ってナンボの競技会に日本伝統文化を固執するのはあまりにもアジが悪すぎよう。
 マナーに対する定義が違う人たちが参加する競技会で勝敗を重視するなら、ルールに反しなければ手段を選ばないことに徹する必要があろう。
 しかし、日本伝統文化で育てられた人は、自分の倫理観に反した手段を使ってまで勝ちたくない気持ちがあって当然だろう。
 私は、日本伝統文化の囲碁観で対局する人の5目以上のコミに相当すると思っている。
 また、日本伝統文化の足かせを外した人でも日本伝統文化を汚すと罵倒されることがある現状ではその心理的負担は2目以上のコミに相当すると思う。

 日本伝統文化に育まれた棋士がルールに許されたことならなにをしてもいいという土壌に育った人と対等の条件で対局できるようにするためには、日本伝統文化をそっくりルールに取り入れるほかない。
 しかし、暗黙の了解事項をルール化することに拒絶反応を示す日本伝統文化をそっくりルールに取り込むのは不可能に近い。
 たとえば、相手の持ち時間が逼迫しているときは正しく打てば手にならないが手拍子で打って間違えれば手になるような着手をしてはならないなどとルールに盛り込めるはずはない。
 また、ヨセがなくなった局面になったら着手してはならないというルールは作れまい。

 そもそも日本伝統文化はシビアな競技には馴染まないと思う。
 たとえば相撲のかばい手などは相手をいたわる日本伝統文化の素晴らしい考え方ではあると思う。
 しかし、このルールのために相手より先に土俵に手をついた場合、それがかばい手なのかそうでないのか死に体なのか生き体なのかの不明朗な判定を必要とされる。
 不明朗な判定を避けようとするなら相手が死のうが怪我しようがお構いなしに投げ飛ばしてしまうことになるだろう。

 囲碁が世界に普及して世界レベルで競技会が開催されるようになったら、その競技会の規定に従って対局するほかない。
 その競技会のルールの他、日本の棋士だけ日本伝統文化のルールに縛られて対局したら実力が発揮できないのは火を見るよりも明らかだ。
 たとえば、棋力が同じだったら、棋譜を汚さないように心がけて打つ日本の棋士と、そんなことに頓着せず勝つことに邁進する棋士とが対局したら、後者の方が勝ちやすいに決まっている。
 日本伝統文化の呪縛から解き放される時代が来るまでは日本の棋士がもてる棋力を100%発揮できることを期待するのは無理難題と考える。

2003年11月01日

免責加害者の保護者に刑事罰を

 最近、少年犯罪や精神障害者の犯罪が激増している。
 これらの犯罪は、加害者を逮捕しても責任能力がないとして刑罰が与えられないことが、ますます犯罪を助長しているように思えてならない。

 責任能力のない人間なら保護者の管理下にあるはずだから、責任能力のない人間の行動は保護者に責任があるはずだ。
 責任能力のない愛玩動物でさえ人に危害を加えれば飼い主に刑事責任が生じる。
 それなのに責任能力のない人間の犯罪の報道があっても、それに対する保護者のコメントがないのはなぜだろう。
 保護者は民事賠償責任さえ果たせばこと足りると思っているのだろうか。

 私は、加害者の責任能力を配慮して犯罪に対する刑事罰を決定するのは不当だと思っている。
 私は、責任能力がない者が加害者になった場合は、責任能力がある者が受けるであろう刑事罰をその保護者と分担して受けるべきであると思う。
  • 罰金刑:罰金額=保護者負担額+加害者負担額
  • 懲役刑:判決懲役年数=保護者懲役年数+加害者懲役年数
  • 無期懲役刑:保護者懲役年数+加害者懲役年数=100
  • 死刑:保護者→無期懲役、加害者→無期懲役またはどちらかが死刑
 どう分担するかは加害者側で決めればよいことで被害者の関与するところではない。
 小学生の息子が死刑相当の犯罪者の場合、親がこんな息子に育てたのは私の責任で息子に罪がないと強弁するのなら、親が死刑を受刑すれば被害者も納得するだろう。
 我が子の犯罪で親が死刑になる可能性があれば、我が子に対する無責任な親が激減し、少年犯罪に歯止めがかかろう。

2003年09月01日

マイスポドリ

 吾輩の腎臓は働きもんだ。
 せっせと尿を製造し、吾輩を厠に通わせる。
 腎臓君、せっせと働いてくれるのはありがたいけど、君が働きすぎると身が持たない。
 夜1時間ごとに起こされたのでは安眠妨害だ。
 少しは大家のことも考えてくれたまえ。(`_')

 それに引き換え、吾輩の胃腸は怠けもんだ。
 喉が渇いたからと水をがぶ飲みするとそんなに働かせるのかとピーピー文句を言う。
 しかも生水を飲むと働くのをさぼって神楽囃子を踊り出す。
 だから喉が渇くとほんの一口だけお湯で喉を潤すほかない。
 吾輩の傍らにはいつも暖かいお茶をいれたステンレスボトルがある。

 吾輩は汗かきだ。
 ちょっと動くと身体中に汗がにじみ出し、喉がからからになる。
 こんなときはお茶を飲んでも喉の渇きが癒やされない。
 だからアウトドアにはスポーツドリンクの携帯を欠かすことができない。
 しかし、スポドリってどうして高いんだろう。
 500mlのペットボトルは自販なら150円、激安店でも90円近い値段だ。
 こんなものを毎日飲んでいたら家計がパンクする。
 破産寸前の家計を守るため、2000mlのスポドリを500mlのペットボトルに移し替えてコストダウンを図ることにした。
 しかし、2000mlで約200円だから500mlペットボトル1本当たり50円にもなる。
 かなり家計を圧迫するなぁ。

 スポドリを飲むのは汗で消失するミネラルを補うのが目的だから、この目的が達成できれば市販のスポドリにこだわることはないはずだ。
 適当なスポドリ代替品はないかと物色していたら生協でわかめスープの素が目に付いた。

    これだ!!!!
 わかめならカリウム、カルシウム、マグネシウムなどミネラルが豊富だ。
 わかめスープの素は、12袋で300円弱だから1袋25円弱、スポドリの約半値だ。

 早速、買って帰り、500mlのステンレスボトルに入れてお湯を注いで味見をした。
 うん、いい味だ。
 だけどちょっと塩味が薄いな。
 お椀1杯でちょうどいい濃さになっているのだから500mlのお湯で割ったのでは味が薄くなるのは当然だ。
 梅干しを加えてみよう。
 うん、ちょうどいい塩加減になった。
 10円近いコストアップだけど朝飯の梅干しを回せばコストゼロと見なせるか。
 ステンレスボトルを肩からつり下げ、意気揚々と境川の遊歩道へ滑りに出かけた。
 1kmほど滑るといつものように喉が渇いてくる。
 ステンレスボトルの飲み口からラッパ飲みでごくり

    アッヂーーーーッ o(><)(><)o
 息が詰まり、危うくコケそうになった。
 ラッパ飲みするには生ぬるい温度まで冷やさなければいけなかった(;^_^A
 わかめが飲み口をふさぐのも困る。
 わかめはあらかじめ食べておかなければいけないなぁ。
 熱湯を注いでからスープが冷めるには30分以上はかかるかなぁ。
 30分すればわかめがふやけて食べ頃になっているからちょうどいい。
 食べながらスープの温度を確認できるから一石二鳥だ。
 こんな段取りなら朝起きてからの時間を無駄にしないですむだろう。
  1. パソコンの電源と湯沸かしポットの電源を入れる。
  2. 厠に行き用を足す。
  3. パソコンに向かいメールの巡回チェックする。
  4. ボトルにわかめスープの素を入れポットからお湯をなみなみと注ぐ。
  5. パソコンに戻り、メールや掲示板のレスをする。
  6. 厠に行き用を足す。
  7. ボトルのお湯が冷めていることを確認しながらわかめを取り出し食べる。
  8. ボトルに梅干しを入れてほぐす。
  9. ボトルの蓋をしてボトルケースに収める。
 これでマイ スポーツドリンクのインストール完了だ。  ちょっと手間がかかるが市販のスポドリより遙かに美味しい。
 しかも栄養豊富だ。
 わかめにはミネラルのほかアルギン酸やフコイダンなど水溶性食物繊維も含まれている。
 ベータカロテンやナイアシンもあるぞ。
 これに梅干しのクエン酸が加わるから疲労回復にバッチシだ。わーい(嬉しい顔)
 難点は、梅干しをほぐした砕片が口にはいることだが、つぶつぶジュースだと思えばいいか。
 今年のスキーはこのマイ スポドリできまりだ。手(チョキ)現況

2003年08月22日

火星

 暑い!!
 布団からずり下がって足の裏を壁に押し当てたり、窓に足をかけたりしてもなかなか寝付けない。
 夏だから暑いのは当たり前だが前日まで寒い日が続いていたのだからこの暑さからだが順応しない。
 寝付けぬまま窓の外を眺めると空に1点の赤く輝く大きな星が目にとまる。
    火星だ!!!
 今年は火星が大接近する年だったなぁ。
 あれ?????
 今年の世界的な異常気候は火星の接近とは関係あるんじゃないだろうか?
 月の引力で潮の満ち引きが起きるんだから火星の引力だって潮流に影響を与えるんじゃないだろうか?
 世界的な異常気候は潮流の影響によるものだと気象予報士が解説していたことがあったっけ。
 月でさえ干潮と満潮で海面の高さをあれだけ変えるのだから、月よりはるかに大きな火星が地球に接近したら海面への影響はすごいんじゃなかろうか?
 しかし、火星の大接近が異常気候に関係あるとは誰も言及しないのだから、思い過ごしなんだろうなぁ。
 火星がだんだんにじんでいく。
 ふっと気が付くと火星が見えない
 いつのまにか窓が閉まっている。
 暑苦しいのでまた窓を開けると相変わらず火星が煌々と輝いている。
 窓からはなま暖かい風が流れ込んできてちっとも涼しくならない。
 明日も暑苦しい1日になりそうだ。

2002年09月07日

石の躾

 子供の心の声が聞こえないといい躾ができない。
 子供の要求をすべて無視していたら非行に走るだろう。
 しかし、子供の要求を唯々諾々とすべて満たしていたら我が儘な子供になり、ちょっとでも自分の気に入らないことが起きるとキレる子供になってしまうだろう。
 子供の非行化を防ぐには、子供の心の声が聞こえ、あるときは要求を叶え、あるときは却下し、あるときは叱責し、つねに適切な措置をとることが重要だと思う。

 碁盤の上に置かれた石は対局者になにか語りかけている。
 残念ながら私にはその声のほとんどが聞こえない。
 このため石の心を無視して局面はどんどん非勢に走って行く。

 碁の強い人は石の心に細心の配慮をして着手するようだ。
 私はふと思った。
 日本の多くのプロ棋士は、石の声に従いすぎるのではなかろうか。
 石の声に耳を傾けるのと、石の声に従うのとは違うのではなかろうか。
 石の声に従ってばかりいたら石の躾ができないのではなかろうか。
 必要に応じて石の声を叱責し、却下することが石の躾ではなかろうか。

 道策の碁には石の頭を叩かせるなどアマが打ったら怒られそうな手がいっぱい出てくる。
 しかも、その手が神の1手らしいから道策の碁は素晴らしい。
 鵜の真似をする烏は、ヨミの裏付けなしに道策の真似をして敗勢にしてしまう。

 日本の碁が世界をリードしてきたのは石の声を傾聴したことにあると思う。
 しかし、石の声を傾聴することと石の声のいいなりになるとは違うと思う。
 日本の碁が世界に遅れをとるようになったのは石の声を聞き過ぎるからではなかろうか。
 韓国や中国の碁は、石の声を満たしたり、却下したりすることによって正しい石の躾をしているのではなかろうか。
 石の声に振り回されないようにならなければ世界制覇は難しいのではないかと思うのは石の声が聞こえないへぼのひがみだろうか。

2002年03月31日

虎を煽る狐

 天は二物を与えず。
 どんな大天才でも人に知られたくない欠点があるものだ。
 反対に欠点ばかり目に付くひとでも余人の追随を許さぬ才能をもっている。
 知能障害とも思える野球の大天才、大画伯など枚挙に暇がない。

 その人にとって価値の高い分野と得意分野と一致した人は幸せだ。
 他にどんなに欠点があってもその人にとって価値の認められないものだったら他人からその欠点をせせら笑われても痛痒を感じない。

 しかし、その人にとって価値が高い分野が不得意な分野だったら最悪の人生を歩まなければならない。
 不得意なのにもかかわらず、その分野にむりやり割り込むと足手まといになり、仲間からは厄介者扱いされ、他の人からは能無しと罵倒される。
 あなたは余人の追随を許さないこれこれの才能があるからいいじゃありませんかと慰める親切な人が現れることもあるが、その才能を発揮する分野は自分にとって価値のない分野だから慰めになっていない。

 その分野の才能に恵まれない人がその分野で生き残るための方法がある。

    虎の威を借る狐
 才能のある人でも、もっと才能のある人を後ろ盾にしたら鬼に金棒だ。
 また、自己研鑽に励まないでもその分野で大きな顔ができる。
 まさに虎は、才能をグレードアップする強力なアイテムだ。

 上流社会に憧れている人は、自分を上品に見せるアイテムの収集に余念がない。
 絵画、日本古典芸能などなどこむずかしく見えるものは自分を高尚に見せる格好のアイテムだ。
 囲碁もなぜかそのアイテムの仲間入りしているようだ。
 高級乗用車が買えるような高価な碁盤・碁石が売れるのも高尚に見せるためのアイテムとして碁に接している人がいるからだろう。

 虎の威を借る狐は、おだてられて木に登った豚と違い、自分に適性のなさを認識している。
 したがって、威を借りている虎から威が落ちることが何よりの気がかりだ。
 ほかから見て虎の威が低下するような素振りが見えると虎を叱咤激励する。
 虎が狐の思惑通り動いてくれなければ虎に襲われない安全な場所から虎を罵倒する。
 虎が怒って吼えれば虎の威が高揚すると思っての狐知恵かもしれない。
 吼え方が足りないと虎に食事を与えすぎだと飼育係を非難する。
 狐は、虎を偉そうに見せるアイテムとして使っているだけで愛しているわけではないから虎が偉そうに見えれば虎がどんなに苦しんでも構わない。
 虎が苦しんでのたうち回れば、その恐ろしさに周りがすくむから狐にとってありがたいだろう。
 苦しんだ挙句、虎が死ぬと屍骸を買取り、皮を剥いで自分の衣装にするに違いない。
 しかし、虎の皮を着ても威厳を感じてくれる人がいないことに気がつかない狐は狡猾というよりは道化師といえるのかもしれない。

2002年02月27日

ルールと慣習

 制限速度40km/hの広い道を渋滞もなく車が60km/hで流れて行く。
 バックミラーを見るとカッコいい車が迫ってくる。
 自分より早い車が後に着いた場合は、すみやかに追い越させてやるのがマナーというものだ。
 できるだけ道路の左側によって追い越せるスペースを明けてから少し減速すると、後ろの車は颯爽と追い越して行き、追い越し終わるとハザードランプを点滅してお礼の挨拶をする。

 しばらく走っていると車の流れが遅くなり、間隔が詰まってきた。
 見通しのよいカーブで前方が見えると軽自動車がノロノロと走り、その後ろに車が数珠繋ぎになっている。
 後続車は、追い越し禁止の道路ではあるが、対向車が途切れると対向車線にはみだして軽自動車を追い抜いて行くが、軽自動車は左に寄ろうともしない。
 順番に車が追い越して行き、軽自動車の後ろにつく破目になった。
 追い越しにかかったところ、対向車線に猛スピードの車が現れたので、左側に避けたところ追越し中の軽自動車に接触した。

 この場合、どういうことになるだろう。

  •  この道路は制限速度40km/hだが60km/hで流れるのが慣習だから、流れに従って走るのがマナーだ。
     ルールよりマナーが優先するからノロノロと制限速度で走る軽自動車が悪い。
  •  追越されるときはできるだけ左側に寄って追越しやすくするのがマナーだ。
     少し左に寄ってくれさえしたら、接触するはずがないから、道を譲らない軽自動車が悪い。
と抗弁しても、警察は聞く耳をもたないだろう。
 仲間内では軽自動車の運転者を罵っても、軽自動車の運転者はルールを侵していないのだから処罰することはできない。
 広い道路を快適に走れるようにするためには、制限速度を60km/hに変更する、追い着かれたとき道を譲らない車を厳しく取り締まるなどルールを改正するほかないはずだ。

 ところで、この道路が制限速度50km/hでこの軽自動車が40km/hで走っていたとしよう。
 この車を50km/hの速度で追越をかけて接触したときはどうなるだろう。

     制限速度より遅い速度で走っているにも関わらず後続車に道を譲ろうとしなかったから追い着かれた車の義務違反という交通違反をしている軽自動車の方が罪が重い。
と主張しても罰せられるのは追越をかけて接触した車のはずだ。
     接触したこちらも悪いかもしれないが、その原因となったのは交通妨害をした軽自動車だ。
     むしろ、こちらが被害者だ。
     こちらだけ罰せられるのは不当だ。
     喧嘩両成敗で接触された車も処罰せよ。
 と抗議してもとりあわれないだろう。
 せいぜい、損害賠償の民事訴訟の際に、軽自動車の交通違反が過失相殺されて賠償金額が減額される程度だろう。

 マナーや慣習がルールに優先するのはあくまでも閉じた社会の中での日常生活に限られる。
 公式な場面では、マナーや慣習に従った行動がルール違反なら、それが発覚した場合はルールに従った処分を受けるのはやむを得まい。
 万人が納得するマナーや慣習がルール違反として咎められるのなら、ルールの改定運動を起こすべきだ。
 また、マナーや慣習に従ってルールを破る場合は、摘発された際には処罰を覚悟する必要があろう。

2002年02月08日

過剰な正義感は紛争の火種

 我々が社会生活を営む上で正義感が必要だ。
 オバタリアンが嫌われるのは人の迷惑お構いなしの自己虫で正義感が欠如していると感じられるからだろう。
 正義感を持ち合わせていれば自分の利益のために反社会的な行動をすることは慎むはずだ。

 正義感が強い人は、反社会的な行動をしないというだけではなく、反社会的な行動を目の当たりにした場合触らぬ神にたたりなしと見て見ぬふりをしない。

  • ファミレスの中で駆け回っている子供に静かにするように注意する。
  • 禁煙場所で喫煙している人を見かければ他の場所で吸うように注意する。
  • 混みあっている電車で足を広げて座席に座っている人には席を詰めるように注意する。
  • 混みあっている電車で荷物を椅子に置いている人には、荷物を網棚に上げて席を空けるように注意する。
  • 路上で殴り合いをしていれば警察に通報する。
 これらは立派な行為だ。
 これらの行為は、物騒ないまの社会では勇気がなければ実行できない。
 自分の不利益を省みず、正しいと信ずる行為をすることは、正義感が強くなければできない。
 しかし、注意だけでは飽き足らず実力行使したらどうなるだろう。
  • 駆け回らないで歩くように注意したが止めないので駆けて来る足を蹴り払って倒した。
  • 禁煙場所で喫煙している人に注意したが無視されたので煙草を取り上げてその人のポケットにねじ込んだ。
  • 席を詰めるように注意したが無視されたのでからだを押して無理やり隙間を作った。
  • 網棚に上げて席を空けるように注意したのに無視されたのでその荷物をとりあげて網棚に置いた。
  • 殴り合いの仲裁に入ったら大きなお世話だと殴られたので殴り飛ばした。
 このような行為はやーさんマッサオな暴力行為だろう。
 しかし、当人は悪を懲らしめる行為だと思っているから、反撃されればさらに暴力行為をエスカレートするに違いない。
 悪を正そうとする行為でも、その行為が社会的秩序を乱す行動であっては大迷惑だ。

 正義感が過剰な人間は、目的達成のためには犯罪も辞さない。
 グリーンピースの連中は、環境保護を錦の御旗にして漁業の妨害をする。
 彼らは漁民が生活苦に喘ぐことになっても意に介さない。
 正義の達成のためには犠牲者が出ることは止むを得ないと思っているようだ。

 正義感の強い人は、自分の信念が常に正しいとの錯覚に陥りやすい。
 彼の信念に異論を唱えると間違いだと一蹴され、彼の信念に同調しないと悪者扱いされる。
 彼の信念が社会に受け入れられない場合、社会を批判する。
 社会不信が昂じると批判だけではもの足らず、責任者を罵倒するようになる。
 ひいては自分の信念に基づく社会に変えようと、反社会活動をするようになる。

 ヒトラーやビンラディンも彼らの正義感に基づいて行動したに違いない。
 彼らに大勢の支持者がいるのは、彼らが自分の利益のために行動を起こしたのではなく、正義のための行動だと感じたからだろう。
 正義感が欠如した自己虫も目的達成のために人の迷惑を顧みないが、正義感過剰人間は利益を目的としていないから自己虫より始末が悪い
 自己虫は、自分の利益になることを目的として行動するから、その行動が損になるようにすれば行動を抑制できる。
 自分の信じる正義を守るために行動する人間は、利益のために行動しているのではないから、その行動が損になるようにしても行動を阻止することができない。
 信念を貫くために行動する人は死にいたる行動も辞さない。
 焼身自殺や自爆テロなど典型的な例だろう。

 正義感過剰人間が我々に危害を与える行動をしたとき、我々はどうしたらいいのだろう。
 我々が困るから止めて欲しいと頼んでも正義のためだから我慢するようにと拒絶されるだろう。

2002年01月08日

野次馬の生態

 私は、人一倍好奇心が強い。
 人だかりがしているとなんだろうと覗き込まないではいられない。
 背が低い私は、人の輪の後ろではよく見えないため、必死に掻き分けながら前に出る。
 そして香具師の弁舌に魅了されて要りもしないものを買って帰るのがお約束なのであった。(/o\)
 私は好奇心旺盛と思っているが、ワイフに言わせれば野次馬根性丸出しなのだそうだ。(-_-;)

 野次馬根性は、人間の本性なのだろうか。
 人間に野次馬根性が無かったらゴシップ誌など存在するはずが無い。
 否、新聞やテレビからニュース記事が激減するに違いない。

 野次馬は、乱を好む。
 対立を嗅ぎ付けると群がり、見ているだけでは飽き足らず口出しをはじめる。
 馬にもいろいろな品種があるように野次馬の品種も種種雑多だ。
 対立に群がる野次馬の品種を掲げてみよう。

  • ろ馬(ReadOnlyMember)
     興味津々と見ているだけで口は出さない馬。
     しかし、無責任に対立を楽しんでいるので煽られると尻馬に乗って暴走することもある。
     判官贔屓の特性があり、一方的に攻撃されている方を同情する傾向がある。

  • シン馬(sympathizer)
     ひたすら自分のご贔屓を応援する馬。
     善意の人が多いが、贔屓の引き倒しになって不利な立場に追い込むことが少なくない。
     根が単純なのでアジ馬(agitator)に煽られると舞い上がり、対立側のシン馬と乱闘になることもある。
     ストーカーの要素があるので応援に迷惑な素振りを見せると可愛さ剰って憎さ百倍になり、アンチ馬に豹変することもある。

  • アンチ馬(anti)
     とにかく一方が遮二無二憎く、罵詈雑言を喚きたて、中傷誹謗する馬。
     憎い奴が被害者になった場合でも、ダイナマイトが爆発するのはダイナマイトの導火線に火をつけたからだと加害者呼ばわりする。
     坊主憎くけりゃ袈裟まで憎いから、憎い奴のシン馬はもとより憎い奴を憎まぬ奴も憎い。
     憎い奴の敵は味方と憎い奴の対立者に声援を送るが、自分の感情を満足させることが優先し、その人の立場を配慮しないから、その人が不利になるような言動を弄してまでも憎い奴の罵倒に終始する。
     理不尽な罵倒により、憎い奴のシン馬を刺激し、騒ぎを大きくして野次馬の数を増殖させることが多い。

  • 便乗馬
     一方を助勢することで自分の利益をはかろうとする馬。
     おためごかしに入れ知恵をして要求をエスカレートさせる。
     まとまりかかった話も、もっと有利になるはずだとけしかけて話をこじらせるのがお家芸だ。
     助勢しても自分の利益になりそうもないと悟ると、相手側の助勢に鞍替えすることもある。

  • カジドロ馬
     漁夫の利を得ることを虎視眈々と狙っている馬。
     対立に皆が気を取られている隙に、言質をとって後で利用する。
     対立が解決すると利益が得られなくなるので対立が長引くように策動する。
     対立の当事者ばかりではなく、野次馬の発言に対しても虎視眈々と言質を狙っているからご用心。

  • アジ馬(agitator)
     火事見物を楽しみに小火(ぼや)を見つけると火事に発展するように煽りだす馬。
     野次馬にとって自分に火の粉が降りかからなければ火事は大きいほど楽しいから、尻馬に乗ってアジ馬の思う壺にはまりやすい。
     アジ馬が昂じると火の無いところでもマッチで火をつけて火事を起こさせる放火馬に育って行く。
     建設の情報を得ると、先回りして建設反対運動を起こさせるのもこの類の馬だ。
     反対運動の首謀者には関係者ではないものが少なくない。
     便乗馬やカジドロ馬と手を組んで利益を稼ぐのが常套手段だ。

  • 講釈馬
     対立の内容を他の野次馬に得意になって論評する馬。
     裁判官気取りで過失相殺の判定をする。
     自分は中立なつもりでいるが、不利な判定を言われた方に反対派のシン馬と思われ、不利な判定を言われた側のシン馬との対立に発展することがある。
     講釈馬が大勢いると、それぞれの論評内容の違いを巡って討論となり、講釈馬どうしで対立することも少なくない。

  • まあ馬
     対立の理由もわからないのに「まあまあ」と割って入り、「悪いようにしないから俺に任せろ」という馬。
     対立する両者のどちらも納得できない和解案を提示し、両者が不満なのは自分の案が中立なのだと自己満足に浸る。
     和解案を両者が却下すると「俺の顔をつぶした」とごて、両者のアンチ馬に変身することもある。

2001年12月24日

話せばわかる

 話せばわかる

 私は、これほどしらじらしい言葉はないと思う。

 私がこの言葉を耳にするのは次の場合が多い。

  • 聞く耳持たない人間が相手から実力行使をされて窮地に陥った場合。
     ちょっと待て!何をする!話せばわかることじゃないか!

  • 相手を脅しあげて自分の主張に従わさせた場合。
     そうだ!わかったな!話せばわかるんだ!脅したんじゃないぞ!

 話せばわかるのは両者がお互いに理解しようとしている場合で、自分の主張を一方的に押し通そうとする場合は、話してもわかることはありえない。

 中立な第三者がいれば、両者の議論を審議して妥当な提言をしてもらえるが、第三者の提言は両者とも不満のはずだ。
 この場合でも、自分の主張を相手にわからせようとするのは無駄な努力で、第三者にわかってもらうことに全力を傾倒するはずだ。

 第三者が提言を受け入れさせる力がなければ第三者の提言は無視され話し合いは物別れになること必定だ。

 ましてや第三者がいない状態で勝ち負けを争う議論をすれば、議論の内容に関わらず立場が強い方が勝つに決まっている。

 あなたが運悪くヤーサンに絡まれたとしよう。
 あなたがヤーサン顔負けの怖い人でない限り、ヤーサンの立場の方が圧倒的に強い。
 このような場合、あなたにどんなに理があってもそれを言い立てても頭ごなしに否定されるだろう
 抗弁を続けると屁理屈を言うなと凄まれて身の危険を感じるに違いない。
 結局、ヤーサンに言い負かされた形になるだろう。

 このようなことはヤーサンに限ったことではない。

 横暴な強者と普通の人では話し合いのときの用語の定義が横暴な人に都合よくできているから敵うはずがない。

用語 第三者の定義 横暴な強者の定義
悪態 憎まれ口 自分の欠点の指摘
中傷 根拠のない悪口を言い、他人の名誉を傷つけること 自分の失敗について指摘すること
誹謗 他人の悪口を言うこと 自分の誤りを指摘すること
批判 誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと 他人を罵倒すること
批評 事物の善悪・優劣・是非などについて考え、評価すること 自分の利権への貢献度ついて評価すること
協力 ある目的に向かって力を合わせること 自分に服従すること
正論 道理にかなった正しい議論・主張 自分の発言
屁理屈 筋道の立たない理屈。道理の通らぬ理屈 自分が損害を受ける可能性がある理屈

 第三者がいない話し合いの場で自分の意見を相手に受け入れさせるためには、その意見が正しいか間違っているかではなく、相手より強い立場にあるほかはない。

 日本が第2次世界大戦の戦争責任を一方的に負わされることは日本の立場が弱いからにすぎない。
 国際立場が弱いから教科書の編纂さえ外国の顔色を窺わなければならない。

 どんな正しい意見でも力がなければ絵に描いた餅で終わってしまう。
 第三者がいない場合、相手を説得するには力をつけることが必要だ。

 力とは腕力だけではない。
 権力、金力、美貌なども人間の世界では大きな力として威力を発揮するだろう。

 しかし、最も大きな力は、相手の意見を聞く必要がないという立場だろう。
 碁の場合もトラレてもいい石は強い石だ。

 宗教団体の布教者と議論してみればわかる。
 相手はこちらの意見を受け入れる気がはなからない。
 一方的に相手の主張をまくし立て、こちらの反論に窮すると「あなたは信じていないからわからない。ためしに信心してみればわかる」と言うのがお約束のパターンだ。

 酔っ払いも強い。
 アルコールの力で上位自我が取り外されてしまうから怖いものなしだ。
 過去に自分が話した内容は忘れてしまっているから同じ話を何回もするし、前に話した内容と矛盾したことを平気で話す。
 相手に反論されるとそれは違うと喚きたてる。
 どこが違うと問いただすとそんなこともわからないのかと開き直る。

 このような人たちとは話し合いをしても時間のむだだ。
 絡まれないように敬して遠ざかるのがいちばんだ。

 相手より力はないが理不尽な言動に泣き寝入りしたくない場合は、第三者を介して交渉に当たるのが最善だろう。

 と達観したようなことを言いつつ、実際には理不尽な言動で挑発されると頭に血がのぼって抗弁し、揚げ足を取られてドツボにはまってしまうのがお約束の吾輩であった。もうやだ〜(悲しい顔)

2001年12月23日

排他的宗教は諸悪の根源

 宗教には、他の宗教を認める宗教と他の宗教を邪宗として認めない宗教とに分けることができる。
 後者の宗教は、唯一絶対の神仏を崇め、その神仏をかたどった偶像を拝ませる。

 我々は自然の恵みで生きている。
 太陽や月を崇めるのは自然への感謝の気持ちにほかならないが、排他的宗教組織はこれらの行為を偶像崇拝といって禁止する。

 神仏は、宗教創始者が作成した偶像にすぎないのに、その信者は宗教組織幹部の発言を盲信し、その宗教の旗印とする偶像を拝み、他の宗教を邪宗と罵る。
 排他的宗教組織は、利益追求団体だから組織幹部は利益を得るためには広宣流布に励み、邪魔になる他宗教を誹謗するのは当然の成り行きかもしれない。
 我々が自分の健康を守るために、蚊やゴキブリを平気で殺すと同様に、彼らは自分の宗教を広宣流布するためには他宗派の人の命はどうでもいいと考えているに違いない。

 日本を震撼とさせたオウム真理教のサリン事件は記憶に新しい。
 教祖麻原は捕らえられたが、いまだにオウム真理教の宗教活動をしている信者がいる。
 彼らはサリン事件を彼らの宗派を守るための手段だと思い、悪とは思っていないのではないだろうか。
 彼らは、ダイナマイトに火をつけたのはオウムを迫害する日本社会で彼らは爆発させられたダイナマイトに過ぎないと思っているに違いない。

 暴走行為を注意して殺された人のことを暴走族は「キレるようなことを言ったに違いない」と犯人を同情する。
 貿易センタービルに飛行機で突っ込んだ自爆テロの犯人は、イスラム原理主義を弾圧するアメリカが悪いと信じてやまず、英雄行為達成の充実感を抱いて死んだに違いない。
 排他的宗教の反社会活動の一例としてオウム真理教を掲げたが、排他的宗教はどれも似たり寄ったりではないかと思う。
 創価学会の初期の広宣流布活動は、繁華街のポン引きより執念深く悪質であった。
 いまでは人数が多くなったので初期のようにがむしゃらに人を増やす必要がなくなったから、人の迷惑お構いなしの折伏は少なくなったが、選挙のシーズンになると信者を動員しての選挙活動は目にあまるものがある。
 創価学会信者は池田大作を盲信し、彼の悪行が報道されてもマスメディアは虚偽の報道をしていると聞く耳を持たない。
 池田大作がテロを指令したら、嬉々としてと実行するに違いない。

 勝てば官軍。
 大勢を占めれば、その宗教がテリトリー内の暗黙のルールを支配するようになり、暗黙のルールに従わないものを弾劾できるようになる。
 宗教組織は、暗黙のルールの支配者になりたいために広宣流布に手段を選ばない。
 キリスト教も初期の頃は、反社会的活動をしたに違いない。
 人々の注目を惹くためにできもしないことを神の力を借りればできるように言い、やってみて欲しいと言うと神を試してはならないとほざく。
 さらには組織の威力を誇示するためにオウム真理教マッサオな反社会的行動を行い、政権がキリストを処罰することになったと推察する。

 排他的宗教が同じ地域でバッティングしたらどうなるだろう。
 利権争いが発生するのは当然だが、お互いに妥協をしないから暴力団の抗争より始末がわるい。

 排他的宗教がこの世にある限り、戦争は消えてなくならないだろう。

2001年12月22日

碁は人生の縮図に非ず

 自称文化人の囲碁ファンは
碁は人生の縮図である
という科白が好きだ。

 しかし、私は

ダウト!
と叫びたい。

 確かに碁は、

  • 碁石の価値は、碁盤に置かれる前は平等だが、碁盤に置かれると大きな差が出てくる。
  • 悪手を咎めるには技術と力を要する。
  • 無理が通れば道理が引っ込む。
  • 大欲は無欲にしかず。
など、人生と相通ずるところが少なくない。
 しかし、似ているところが多いからといって縮図と考えるのは誤りだ。
 バナナの遺伝子と人間の遺伝子でさえ30%も同じところがあるという。
 碁が人生の縮図だったらプロ棋士が事業を起こしたら大企業になるはずだし、大企業の経営者は碁がプロ級に強くなるはずだ。

 私は、碁は人生の縮図と勘違いすることが上達の妨げになっていると信じて止まない。

 初級者の常として、石が競り合っているとき、強い石の方から石をもって行くことが多い。
 局後の検討で「弱い石の方から動かなければいけない。」と教えるとそのときはうなずくが、次ぎの碁で同じ誤りを繰り返す。

 無理もない。

 心の底から納得できないものは身につかないからすぐに忘れてしまう。
 人間社会でいさかいが生じたとき、弱い方から動くだろうか?
 そんなことをしたら袋叩きにあってしまうだろう。
 世慣れた大人は、立場が弱ければ動かずに様子を見、強ければ自分がさらに有利になるように立ち回るだろう。
 このような習性が身についていれば強い石の方から動き出したくなるのは当然といえよう。

 強い石と強い石が連絡すると石の働きにムダがあると指摘される。
 強い石は強い石に連絡させるように打つのが良いと教わる。
 実社会で強いもの同士が結託したらどうなるだろう。
 独占禁止法は、強者同士の結束を妨げるためにあるのではないか
 こんなことが頭をよぎると強い石の連絡を妨げたくなってしまうのは無理もなかろう。

厚味に近づくな
 これはなんとなく理解される。
 誰だって刺青をちらつかせたコワイお兄さんの傍には近寄りたくない。
 しかし、
厚味を囲おうとするな
 は、本能的に拒絶反応が生じるようだ。

 厚味は、小さくても地にするのは容易だ。
 だから早く囲って安心したいのが人情だ。
 相手も大きく囲われるのが心配なので妨害しようとする
 実社会では泥棒が頻繁に出没したら財産を奪われないように守りに専念するのが常識だ。
 まっとうな人なら泥棒が来くるからには泥棒の家は留守なはずだから、泥棒の家に入って財産を奪ってやろうなどと考えないだろう。
 その社会常識が災いして厚味を消しに来られると必死になって侵略を阻止することになるのだろう。

寿司は別腸、碁は別智
 碁はあくまでも碁であって人生の縮図ではない。
 碁の戦略を練るときは、頭の隅から処世訓を追い出した方がよいと思う。

オ−トマ車は怖い

 俺は新しもの好きだ。
 好きを通り越して新は真に通じるの信念に凝り固まっている。
 新しいものを追いかけ回して50年を越える歳月を過ごしてきた。
 信念というより信仰に近いだろう。

 しかし、何にだって例外はある。
 いくら新しいものでも厭で厭でたまらないものもある。

 いわゆるオートマ車はその最たるものだ。

 俺は、クラッチを踏んでシフトレバー操作をすることによって操縦感を味わうのが楽しみで車を運転しているんだ。
 操縦できるものが車しかない男の唯一の頼みをトルコン*なんかに奪われてたまるものか。
 また、クラッチがなくなってしまったために何の使い途もなくなってしまった左足の始未はどうしてくれる。
 人間は片方を遊ばせておくと、それにつられてもう一方の動作も鈍くなるものだ。
 両足を遊ばせて手だけで運転できるようにしなければ片手落ち(片足落ち??)というものだろう。

 そんな車に喜んで乗っている奴の顔が見たいと毒づいていた俺がオ−トマ車を運転する日がやってきた。

 もっとも、運転できるのは俺だけではないから運転しなければしないでも済む。
 しかし、運転しないで車に乗るのはもっと苦痛だ。
 しかも、その車は新発売ホヤホヤのセフィーロだ!!
 多少の犠牲を払ってもハンドルを握ってみたい。

 てな訳で、3月20〜22日にかけておろしたてのセフィーロに乗って能登半島巡りのドライブをすることになった。

*トルコン トルクコンバータ、自動的に変速を行うための装置
続きを読む

2001年11月22日

病人の揶揄はいじめ

 弱いものイジメは、人間の本能なのだろうか?
 上位自我が発達していない児童は、自分より弱そうな者を選んで横暴の限りを尽くす悪魔の化身だ。
 イジメによる自殺がニュースにとりあげられるたびに昔を懐かしむ人が多いが、イジメがあるのは今に限ったことではない。
 昔はイジメがなかったと言う人は、イジメられなかった人に違いない。
 今も昔も10人のうち9人はイジメにあっていないと思う。

 金を脅し取られ、さらに金を要求されたので自殺したというのはイジメにあって自殺したのではなく、恐喝に耐えられず自殺したのだ。
 イジメる人は、イジメることによって利益を得ようとしているのではなく、イジメラレている人のいじけた姿を見るのを楽しんでいるだけで、当人はイジメている意識は毛頭ないはずだ。
 相手から金品を脅し取るのはイジメではなく恐喝だ。
 恐喝のことをイジメと報道することに怒りを覚える。
 私が子供の頃は、身体の欠陥を揶揄することが平然と行われていた。
 足の不自由な子供がいれば、目の前でからだをゆすりながら足を引きずって歩いてからかったり、発声障害の子供の前ではわざと吃ってしゃべったりすることは悪がきのつねだった。
 私は、高校入学のとき小学生と間違えられたくらい背が低かったので、チビ、赤チャン、オムツ、、、とチビから連想されるあだ名がつきまとっていた。
 私は、身体的欠陥を揶揄しない今の方が昔よりマナーがよいと思えてならない。

 弱いものイジメは罪悪だと教育されることによってイジメの本能を深層心理に閉じ込め、上位自我で封印するようになるが

  • アルコールで脳が麻痺する。
  • 自分の素性を他人に知られないですむ。
  • 精神異常の発症。
の状態になって封印がキレると深層心理が噴き出してきて人の欠陥を探し出してはあげつらいはじめる。

 赤提灯をくぐると気に食わない上司や同僚の罵詈雑言を酒の肴にしているグループがいることは珍しい光景ではなかろう。
 また、会社の酒宴では酒の勢いで日ごろの鬱憤をはらそうとして喧嘩沙汰になったりすることもよくある話だ。

 インターネットの掲示板、ネットニュース、メーリングリスト、チャットなどで罵詈罵倒の発言が横行するのはインターネットの匿名性の副作用に違いない。

 名簿を購入すればコールサイン(無線局名)から住所、氏名、電話番号、生年月日などの個人情報を知ることができるアマ無線でさえ、実名ではなくコールサイン(無線局名)で呼び合うので実名で話し合うよりは過激な発言になりやすかった。

 自動車も匿名性が高いから、自動車の中だと車外に向かって過激な発言をすることが多くなる。
 恥ずかしながら私も車のハンドルを握ると交通妨害をする車が許せず、パッシングをしたり、追い越しざまに怒鳴ったりなどそれなりの仕打ちをしてしまう。
 しかし、自動車もナンバープレートから持ち主を特定できるから、悪辣なことをすれば応報があることを覚悟しなければならない。

 インターネットの掲示板の場合は、架空のメールアドレスでネットカフェなど公衆サイトから書き込みされた場合は発言者を特定することは困難を極める。
 なにを言っても自分の身に反動が及ぼされないとなると、上位自我の封印は破れ深層心理の赴くままに発言をする人が多くなるのは当然といえよう。

 このような発言者は掲示板管理者にとって頭痛の種で対処に苦労することになる。
 発言を削除すれば言論の自由の抑圧だと因縁をつけられることもある。
 アクセス禁止の措置を取れば、別のハンドル名で報復の書き込みをすることもある
 掲示板荒らし対策は掲示板管理人にとって悩みの種だ。

 掲示板の管理者が深層心理を発露する場合はどうだろう。
 私は、過激な書き込みをする掲示板のゲストよりは始末がよいと思う。

 自分の家でも公道から丸見えの場所で素っ裸で道路の方を向くのは猥褻物陳列罪になるが、特定の家の窓からしか見ることができない場合は罪に問われないそうだ。

 その掲示板がリンクが張り巡らされていたり、検索すれば上位にヒットしたりする場合は公道から丸見えの家と同じだから、過激な発言は取り締まる必要があろう。

 しかし、その掲示板をリンクしているところがほとんどなく、検索してもヒットしないような状態なら、特定の家の窓からしか見えない家と同じと考えられないだろうか。

 暴言を書き込みたいばかりにわざわざ自分の掲示板を作るのは、日ごろのストレスの発散する場所がないからに違いない。
 他所の掲示板で暴言を書き込むとやり込められ、かえってストレス増えてしまうと思うから自分で掲示板を作ったに違いない。
 私は、この掲示板に遭遇したとき、普通の掲示板だと思ったので反論を書き込んだこともあった。
 しかし、何回かこの掲示板で意見の応酬をすることにより、この掲示板の管理人は相手を説得することが目的ではなく、相手を罵倒してストレスを発散することが目的だとわかった。
 このような人を相手に議論をするのは意味がない。
 また、この掲示板が不愉快だとこの掲示板にイヤガラセの書き込みをするのは目くそが鼻くそを嗤う行為だろう。
 この掲示板の管理人は、被害妄想が強く統合失調症の疑いがある病人のように感じられた。
 しかし、病人とはいえ、悪し様に罵っているのを見るのはこちらのストレスがたまる。
 幸い、お付き合いしなくても困る立場ではないので、件の掲示板には寄り付かないようにした。

 精神障害者が他人の家に押し入って非道を働いた場合は、刑事責任能力がないということで非をとがめない現在の法令には反対だ。
 掲示責任能力がなく公共の場で非を働くことが見え透いている人間は隔離すべきだし、公共の場に出すことを認めた人間は刑事責任を負わすように法令を改めるべきだ。

 しかし、公共の場から隔離された病人に対して、その言動がおかしいからとわざわざそばまで行って揶揄するのはイジメだろう。
 また、被害妄想の強い病人は、他所で話している人を見ても自分の悪口を言っていると猛り狂うものだ。
 自分の家なのに便所で大便をすると、その音を聞いて近所の人が笑うと言い、大便ができずに内臓の病気になり救急車で病院に運び込まれた人もいる。
 病人が見える場所で病人の悪口を言うのは事実であればあるほど病状を悪化させるイジメであろう。
 たしかに、精神異常者の行動は第三者の立場から見れば滑稽だから格好の話題になるが、身体障害者の身体の欠陥をあざ笑うことに匹敵する行為ではなかろうか。

 病人の傍に行くのは、看病やお見舞いのために行くべきであって、言い争いをするために行くべきではない。
 人を言い負かすことを唯一の生甲斐にしている病人を訪ねるときは、毒にも薬にもならない話題で言い負かされてあげることが必要だ。
 ささいなことでも言い負かすことにより優越感を感じていれば、過激な暴言を吐くことが減るだろう。
 言い負かすことができる人の訪問がないと、相手欲しさに罵詈罵倒がエスカレートし、ついには他人に損害を与えるような中傷・誹謗の暴言にいたるだろう。

 その病人の言動により損害を蒙った場合は、その病人に抗議するのは筋違いで、病人を管理している人に抗議すべきだ。
 隣家の犬の吼える声がうるさいとその犬を殺すのは動物虐待で、犬の声が聞こえないように防音措置を講じた部屋で犬を飼うようにと隣家に抗議するのが筋だ。
 レンタル掲示板を使用する場合、不当な書き込みがある場合は契約を破棄するという約款があるはずだから、掲示板の管理人の発言で重大な損害を蒙った場合は、掲示板をレンタルした会社に抗議すべきではなかろうか。

2001年11月10日

無関係者は黒子

 「では、この部屋からお願いします」と言いながら寮の管理人(寮管)は部屋の鍵を開ける。
 私は、部屋に足を踏み込んでギョッとなり、立ちすくんだ。
 部屋の中には敷き放しの布団の上にネグリジェが脱ぎ捨てられ、暖房機の上には下着が干されている。
 相棒の若い作業員は、興奮して目を血走らせている。

 女子寮全室の暖房器具の保守整備に業者が入るから部屋を整理して置くようにと前もって寮管から通知があったはずなのにこの体たらくだ。
 寮管が通知し忘れたわけではない。
 寮の食堂の掲示板にもその旨がしっかりと記載されている。

 とにかく暖房機の上に干されている下着をどけなければ仕事ができない。
 寮管に下着をどけてもらって仕事にかかった。

 このような部屋は、この部屋だけではない。
 半数近い部屋は、このような状態だ。
 中にはウイスキーの空瓶が散乱し、身悶えしているヌード写真が壁に貼ってある部屋もあった。
 男子寮ではない!女子寮の部屋ですぞっ!!

 もちろん、きちんとしている部屋もある。
 きちんとしている部屋は、男子寮の部屋では考えられないほど整理整頓が行き届いてきれいだ。
 「この部屋では、仕事の後、とくに念入りに掃除してください。
 ちょっとでもゴミが落ちていると寮生は人事課長に告げ口し、人事課長から私が怒られます。」
と寮管は言う。

 業者にとってはきれいな部屋より、汚れた部屋の方が気が楽だが、女性の下着が散乱している部屋は勘弁して欲しい。
 友人や親兄弟が尋ねてくるのだったら、こんな部屋にはしないだろう。
 彼女たちは工事業者を人間と思っていないに違いない。

 「彼女たちは寮管も人間とは思っていません。」と寮管は言う。
 「まさか!そんなことはないでしょう。」
 「いえ、風呂場から床に水を垂らしながらスッ裸で自分の部屋に行くの寮生もいます。
 文句を言うと、床の水を拭くのがあなたの仕事でしょと口ごたえをするので始末に負えません。
 さらに文句を言うと泣き出すし、翌日は彼女の言い分しか耳を傾けない人事課長から女子行員をイビリをするなと怒られます。」

 文楽では黒い衣装を着た黒子が人形を扱い、観客は黒子の存在はないものとして鑑賞する。
 電車の中で化粧をはじめる人は周りの人間を黒子扱いしているのだろう。

 過日、WORLD PC EXPOを見学に幕張メッセに行ってきた。
 どのブースも美人コンパニオンを揃えているが、あるデジカメメーカーのブースに臍出し水着ルックでたたずんでいるお世辞にも美人とはいえないコンパニオンがいた。
 ところがカメラが向けられると間髪を入れず、カメラに向かってポーズをとり笑顔を作ると、それまでの彼女とは別人のごとく可愛く、魅力的な美人になる。
 写ったデジカメの画像を見るとすごい美人だ。
 しかし、ブースの前からカメラをもった人がいなくなるともとのブスに戻る。
 彼女にとってはカメラをもっていない人は黒子にすぎないのだろう。

 過密地帯で生活するとストレスに押しつぶされないように関係ない人間は黒子とみなすようになるのだろうか。

2001年08月28日

ヒカ碁の魅力

 ヒカルの碁ほど碁の普及に貢献した本はいままであっただろうか。
 私もヒカ碁効果についてずいぶん話題にした。
 しかし、便器に腰掛けて本を読む習性のある私にとって少年ジャンプは重過ぎるので敬遠していた。
 ヤンジャンかBジャン連載だったらは初回から欠かさず読んでいたはずだ。
 さりとてコミック本は文字が小さいので老眼の私には読みづらい。
 透明人間憩いの広場に次のような投稿がなかったらヒカ碁は読まずじまいになったに違いない。
ヒカ碁、買って読み、 01年07月27日 06時42分(Friday)
そのままそこいらへんに置いておくと6歳の子が勝手読み、
んで、この頃、碁を教えろと要求される。
小学生低学年向けの囲碁入門の本、あるいはインターネットサイトを
教えてくださいまし。

 この投稿を見てはたと膝を叩いた。

 私の娘に小学校1年生の子供がいる。
 ヒカ碁を買って、娘の家の床に転がして置いたら、これはなんだろうと読むに違いない。
 それを見て碁に興味をもち、娘に碁を教えろとせがむだろう。
 私の娘は、若気の至りで碁の打ち方を口うるさく教えたため、すぐに碁が嫌いになって全然打っていないから、小学校1年の子供だったら1週間もしないで追い越すことが目に見えている。
 しかも、私の娘は人一倍負けず嫌いだから息子に負けて悔しがること必定だ。
 碁を覚えてすぐに母親を負かすことができたら嬉しくて碁にのめりこむに違いない。

 こんな皮算用をしながらヒカ碁を1巻から4巻まで買った。

 そしてヒカ碁の1巻から目を通したら、1巻まるまる読み終わるまで本を手放せなくなってしまった。
 矢継ぎ早に4巻まで読み終わり、翌日本屋まで走り、5巻から12巻まで買い揃えた。

 なにがヒカ碁に惹かれたのだろう。

 ストーリーが面白いには違いないが、面白いストーリーの本はヒカ碁だけではない。
 しかし、面白いストーリーの本でもヒカ碁のように引き込まれるとは限らない。

 ヒカ碁の魅力はなんだろうかと考えてみたら重要なことに気が付いた。

 ヒカ碁は、碁がストーリーの重要な要素なのに、碁の打ち方をくどくどと説明していない。
 ストーリーにマッチした配石の碁盤は描かれているので碁の強い人が見ても違和感を覚えないが、その碁盤を見なくてもストーリーの理解を妨げないよう背景に徹している。
 したがって、ヒカ碁を読んでも碁の打てるようにならない。
 しかし、いかにも魅力あふれるゲームのようにストーリーが進んでいる。

 これなら碁ってどんなゲームだろうと興味を抱くのは当然だ。

 碁はルールが簡単なのにどうして碁を敬遠する人が多かっただろうか。

 どうやら碁を教える人に問題があったような気がする。
 人から碁はどうやって打つかと聞かれたとき、碁の打ち方を丁寧に説明しすぎているのではなかろうか。
 碁は、ルールが簡単だからルールの説明だけでは教えた側が不安になり、ついつい細かい説明を加えてしまうことになりがちだ。
 しかし、劫の説明を初めての人にしたら面倒くさくて嫌になるにきまっている。
 とにかく碁をはじめさせて、劫がでてきたらそのとき教えればいいだろう。

 野球を考えてみよう。
 野球のルールを全部知っていて野球をしているだろうか。
 知らないルールがいっぱいあるはずだ。
 それでも野球をするのに不自由はしていない。

 考えてみれば興味を持っていないことをくどくどと教えられたらうんざりする。
 学校の教科が嫌いになるのは、興味を持っていないことを教わるからだろう。
 碁に興味を持っていない人に碁の打ち方を丁寧に説明したらうんざりして碁が嫌いになるに違いない。
 その意味では碁を学校の教科に組み入れ、必修科目にするのは碁の普及にとって逆効果かもしれない。

 ヒカ碁は、教育はどうあるべきかということを示唆する本だと痛感した。

2001年06月04日

紫外線

 私が子供だった頃、紫外線は太陽の恵みとしてもてはやされていた。

 太陽から燦々と降りそそぐ紫外線を浴びて元気いっぱい飛び回るのが健康のもとと言われていた。

 夏になると海辺で甲羅干しをして日に焼けた肌の黒さを競い、日に焼きすぎて背中が水ぶくれになるのも元気の証として誇ったものだ。
 また、日に焼けた皮がはがれるのを丁寧にめくり取るのも楽しみの一つだった。

 ところが近頃は紫外線を諸悪の根源のように扱っているではないか。
  • 紫外線を浴びると皮膚癌になる。

  • 紫外線は老化を促進する。

  • 紫外線は体内で毒性物質を生成させる。
 テレビの健康番組で医学の権威は統計データをあげながら紫外線の害毒を力説する。

 聞き役になっているゲストは、皆感心してうなずいている。

 テレビの影響はおそろしい。
 暖かくなったというのに長袖のシャツを着、紫外線よけの帽子を被って散歩している人が多くなった。
 スキーや海水浴では紫外線を遮断するクリームを皮膚に塗りたくっている人が多い。

 私は、子供のころから日焼け止めクリームを使ったことがない。

 暑くなれば半袖または袖なしのシャツを着て太陽の光を存分に浴びて散歩する。

 スキーのときはゴーグルをするが、海水浴のときはサングラスをしたことがない。

 テレビの健康番組信者のワイフは、私の体調が優れないのは紫外線を浴びるからだという。
 私の体調がおかしくなったのは盲腸の手術以来で、病院で胆のう炎と誤診されて入院してから手術するまで4日以上も経たので腹膜炎を併発したことが原因だと思う。
 しかし、ワイフは、そもそも盲腸になったのは、続けさまに海水浴に行き、紫外線を浴びたのが原因だと言い出す。
 盲腸まで紫外線の原因にさせられたのでは紫外線が気の毒だ。

 確かに、テレビに出演して紫外線の害を説く医学者は多い。

 しかし、私は、医学の権威が数字をあげて紫外線の害を力説されても納得できない。

 紫外線の浴びすぎが悪いと言われるのなら理解できる。

 どんな健康的なものだって過ぎれば害になるのは当然だ。

 しかし、1時間そこそこの散歩に肌を露出しただけで害になるほど紫外線が害になるとは納得できない。

 沖縄は、長寿の国で有名だ。

 沖縄の人は、肌を露出しないようにして生活していたのだろうか。

 漁師は、日に焼けた赤銅色の肌をしているが、平均寿命が他の職業の人より短くはないだろう。

 日本人の平均寿命は、どんどん長くなっている。

 いま、生きている爺さん、婆さんが子供のころは、紫外線は害毒ではなく薬のように思っていたから、たっぷりと紫外線を浴びて育っているはずだ。

 紫外線が本当に害毒ならこれらの人たちはこんなに長生きしているはずはなかろう。

 私は、医学に関してまったくの素人だが、医学が発達しているとはいえ、まだまだ解明されていないことはいっぱいあるに違いない。

 紫外線が害だというのは仮説にすぎないのではなかろうか。

 紫外線は害であるという仮説をたててデータを集めたところ、現状ではその仮説を棄却できないので紫外線を諸悪の根源に仕立て上げているのではなかろうか。

 紫外線は害でないという仮設検定をしたらどうなるだろう。
 果たして、紫外線は害でないという仮設を棄却できるほど有意差が出るだろうか。

 私は、肌に水ぶくれをつくるのは避けたいから、海水浴では直射日光のもとで甲羅干しをするようなことはしない。
 しかし、海面や砂から反射される紫外線やパラソルを通過して来る程度の紫外線は、健康のもとでこそあれ害にはならないと信じているので日焼け止めクリームなどは絶対に塗るつもりはない。 私は、死ぬまで紫外線とお友達でありたいと願っている。

2001年06月02日

アンチCD-RW

 CD-RWドライブがブームになったのはいつからだろう。
 いまや、書き込みのできるCDドライブといえばCD-Rドライブではなく、CD-RW兼用のCD-R/RWドライブが普通だ。

 何を隠そう私もCD-R/RWドライブを持っている。
 しかし、CD-RWを使ったのは1回だけだ。
 おそらく2度と使うことはないだろう。

 私は、CD-RWが普及したのが不思議に感じてならない。

 CD-RWは、書き込みなおすことができないCD-Rと違って何回でも書き込みできるのが長所だという。

 何回でも書き込みができるということが自慢になるほどのことなのだろうか。

 何回でも書き込みできる大容量リムーバルメディアは、CD-RWに限ったことではない。

 MO、ZIP、PDなどいろいろあるではないか。
 しかも、これらのメディアはフロッピーディスクと同じように特別なソフトを使わないでも書き込むことができる。

 それに比べてCD-RWは、どうだろう。
 ハードディスクのウインドウからCD-RWのウインドウにファイルをドラッグ&ドロップしたってCD-RWにファイルを保存することができないではないか(`_')
 CD-RWにファイルを保存するためにはCD用書き込みソフトをCD-RW使わなければならない。
 ハードディスクのバックアップのように頻繁にファイルを保存する用途の場合、無精者の私にとってそのつど専用ソフトを起動する手間をかけなければならない面倒に耐えられない。
 CD-RWは、1回で懲りてしまい、ファイルのバックアップにはもっぱらMOを使っている。

 MOドライブは誰でも持っているとは限らない。
 CDドライブならほとんどの人が持っているから、CD-RWの方がMOよりもデータのやりとりに便利だと言う人が多い。

 しかし、他の人とCDドライブを使ってデータをやり取りするならCD-RWではなくCD-Rを使えばすむことだ。
 また、他の人とデータをやり取りするのが目的なら、データを書き換えることができないCD-Rこそ最適だと思う。

 私は、データの改竄ができないことがCD-Rの最大の利点だと思っている。
 この利点があるからこそCD-Rにファイルを保存するのに、わざわざ専用のソフトを使わなければならない面倒さを我慢できるのだ。
 書き込んだデータを編集できるメディアだったら、普通のファイル操作と同じ操作でなければ意味がなかろう。

 パソコンショップに行くとCD-RWメディアがCD-Rメディアと並んで山積みされて売られている。
 これだけ並んでいるということは、かなり売れているに違いない。
 世の中には我慢強い人が多いんだなぁと感嘆している今日この頃であった。

2001年05月20日

目には目を

 最近のニュースは、通り魔殺人、無差別殺人など目を覆いたくなる残虐な犯罪記事が多い。

 日本は、治安がよく安全な国というのは昔話になってしまった。

 昔を懐かしむ年寄りは小学校の教科から修身がなくなったからだと現在の学校教育を批判する。

 この人たちは学校で教わればなんでも身に付くと思っているのだろうか。

 道徳や倫理を教えれば犯罪がなくなるのなら警察はいらないだろう。

 私は、犯罪を防止するには、悪いことを犯すとそれ相応の報いを受けることを衆知徹底するほかないと思う。

 今の日本はどうだろう。

 犯罪者の人権が手厚く守られているではないか。!!!

 犯罪者でない普通の人は、いつも人権が守られているとは限らない。
 社会生活をしていれば人権を侵害されたと感じたことがない日なんかないだろう。
 人権を侵害されたと感じたつど抗議をしていたら嫌な奴と誰も相手にしてくれなくなるから我慢しているに過ぎない。

 ところが犯罪者・容疑者になると人権が守られるのはなぜだろう。
 善良な人の人権を踏みにじった人間の人権をなぜ保護しなければいけないのか
 罪を犯さないと人権を侵されることがあるのに、罪を犯すと人権が守られるのだったら罪を犯さなければ損だと思う人間が増えてもおかしくないだろう。

 私は、刑法をモーゼの十戒に戻せと叫びたい。

 目には目を

 故意または重大な過失で善良な人の人権を踏みにじった人間の人権は剥奪しなければ犯罪抑止力になるまい。

 精神障害者に刑事責任を負わせないというのも納得できない。

 精神異常者に殺された人の立場がないではないか。
 精神障害者に刑事責任を負わせないと優遇をするのなら、健常者とはしっかり差別待遇すべきだろう。
 差別待遇することが精神障害者の治癒の妨げになるというのなら刑事責任を負わせないという優遇措置を廃止すべきだ。

 くどいようだが私は声を大にして叫びたい。

 目には目を

 重大な罪を犯した者には、見せしめのための処罰をすることをためらってはならない。

2001年05月14日

目標

 私は目標は低くをモットーにしている。
 ところが目標は高くを強調する人が多い。
 目標が低いと大成できないと主張する。
 この人たちと議論するといつも平行線で話が噛み合わない。
 この人たちと私とは根本的に性格が違うようだ。
 私は、不器用なくせにせっかちな人間だ。
 このため目標になかなか近づけないと嫌気がさして挫折してしまう。
 高い目標を掲げて挫折しない人は、忍耐力があるのだろう。

 私が人並みのレベルに達することができたものは、目標の設定が低かったものに限られている。
 目標が短期間で達成できれば忍耐力が欠如している私でも挫折しないですむ。
 私は、後引きだから目標が達成すると次の目標を目指したくなる。
 その目標がいまの位置から見てさほど高くなければすぐに達成できそうだから、また次の目標に進もうとする。
 この繰り返しでいつのまにか出発点より、かなり高い位置に進むことができる。
 出発点の位置でいまの位置を目標として設定したら、途中で挫折するか、最初の第一歩さえ踏み出さなかったに違いない。

 私の憶測だが、高い目標を掲げる人は、目標が終点なのではなかろうか。
 だから目標が低いと大きな成果が得られないと主張するのだと思う。

 私にとって目標は終点ではなく、道しるべにしかすぎないのだ。
 高い目標を掲げて到達できる人は、道しるべがなくても道から外れない器用な人に違いない。

 私は、なまじ終点が見えてそれが遥か遠くだと初めから進む気にならない。
 しかし、その終点に向かう道に興味を引く中間点があり、そこまでは気軽に行けそうなら迷わず足を進める。

 無器用な上に忍耐力に乏しい人は、私だけではないと思う。
 私は、これらの人たちには遠い終点を見せないようにし、すぐに手が届く目標を与えるのが指導者の責務だと思っている

2001年04月30日

碁の救世主インターネット

 最近、囲碁関係のホームページの開設が目立つ。

 2チャンネル掲示板の囲碁・将棋@2ch掲示板も囲碁の話題で大賑わいだ。

 インターネット碁会所も増えつつある。

 インターネットだけを見ていると日本で囲碁が衰退の道を歩んでいたのが嘘のようだ。

 囲碁は衰退の道を歩まなければならないほどつまらない趣味なのだろうか?

 そんなことはない!

 日本以外の国では囲碁人口がどんどん増えている。

 日本で囲碁人口が減っていったのは囲碁は暗いものというイメージがあって若者が碁を慶して遠ざけていたためだ。

 囲碁ファンにとって嘆かわしい囲碁衰退に歯止めをかけ、囲碁に関心の目を向けさせてくれたのがヒカルの碁だ。

 少年ジャンプにヒカ碁が連載されるようになって碁に興味をもつ人が増え、碁を覚えたいと学校の囲碁部に入ってくる学生が大幅に増えた。

 しかし、喜んでばかりはいられない。

 ヒカルの碁は、いつか連載が終わる。

 また、いまの日本は楽しい遊びがいっぱいあるから、碁を覚えても別の遊びに移ってしまうことも考えなくてはならない。

 もちろん上達が目覚ましく、碁の魅力の虜になってしまえば、ほかの遊びに目移りしないかもしれないが、誰でもあっという間に上達できるほど碁はあまくない。

 碁を覚えた人をいつまでも碁の世界にとどめておくいい方法はないものだろうか。

 そんな悩みを解決してくれるのがインターネットだ。

 また、インターネットは、囲碁に関心をもってもらうきっかけになるメディアだと思う。

 インターネットを覚えると自分のホームページを持ちたくなるのが人情だ。

 ところが、いざ自分のホームページを作ってみるとコンテンツのネタ探しに一苦労するのではなかろうか。

 個人のホームページのコンテンツで最も多いのは日記、旅行記、食べ歩きなどエッセイの類だが、よほどの文才がないとネタがすぐにつきてしまう。

 恥ずかしながら私もqinのえっ声というページを設けたがネタがなくてなかなか更新できない。

 自分でネタを提供できないから人の褌で相撲をとろうと掲示板を設けてもインターネットには星の数ほど掲示板があるのですぐに閑古鳥が鳴いてしまう。

 このようなコンテンツ作りに悩む人にぴったりなのが囲碁だ(^-^)v

 囲碁を覚えればホームページのコンテンツにことかかない。

 日記のように自分の打った碁の棋譜をアップするだけでもホームページの更新を毎日できる。

 わからないことはほかのホームページの掲示板に書き込めば、よってたかって教えてくれるし、その人たちが自分のホームページの掲示板に書き込みしてくれるようになる。

 また、碁を覚えても打つ相手がいないと悩んでいる人も、インターネットなら相手をしてくれる人がいっぱい現れ、わざわざ碁会所に出かけなくても自宅で碁を打つことができる。

 インターネットは碁の衰退に歯止めをかけるばかりではなく、囲碁を普及させる救世主となるに違いない。

2001年03月03日

暗黙の約束はイジメの根源

 いまの能天気な私しか知らない人には信じられないことかもしれないが私はイジメラレッ子だった。

 おかげで年寄りの決まり文句「昔は良かった」というセリフを口にしたことがない。

 国民学校2年(今の小学校2年)のとき戦災で疎開し、疎開先でさんざんいじめられた。

 小学校6年に疎開先から都会に戻ると、そこでもいじめられた。

 なんでこんな理不尽な目に遭わなければならないのか悔しい思いを抱いたまま成長したのでかなり歪んだ性格になったようだ。

 しかし、最近になってその元凶に思い至った。

 それが暗黙の約束なのだexclamation×2

 都会育ちの私は、疎開先の慣わし(暗黙の約束)を知らない。
 このため、悪気がなくてした行為が疎開先の暗黙の約束を犯し、その報復としてイジメを受けたのかもしれない。

 長い間受け継がれた暗黙の約束は、幼児の頃から親、兄弟、近所の人などの行動を見ていて自然に身に付いたものだと当たり前のことになっているから、知っていて当然なものとして教えてくれない。
 知らなかったといえば「教えなければこんなこともわからないのか」と罵られ、だからよそ者はだめだと烙印を押される。

 子供は、大人より環境に順応性が高いから、イジメられながらも少しずつ疎開先の暗黙の約束が身についてきたときに疎開先から都会に戻った。
 都会に戻ってから疎開先の暗黙の約束に基づく行動をするから、引越し先の暗黙の約束を犯すことが少なくない。
 ここで暗黙の約束を犯した報復としてイジメを受けることになる。

 自分が身に付けたルールと違う暗黙の約束がある集団に紛れ込むと醜いアヒルの子になって苦しむのは子供だけではない。

 公園デビューに失敗してノイローゼになる母親は、暗黙の約束を犯して仲間はずれにされたことが大きな原因だろう。

 逆に、生活習慣の全く違う集団が大挙して移転してきたら、古くからいる人の暗黙の約束は踏みにじられ、移転してきた人の暗黙の約束に従わさせられるか、見世物にされてしまうだろう。
     アイヌ、アボリジニなどの原住民やアフリカや東南アジアの少数民族は、民族保護という美名のもとに民族習慣が観光客の見世物となっている。
 意気投合した仲間どうしだったら暗黙の約束を明示する必要はない。

 しかし、生活環境が異なる集団が交流する社会では、暗黙の約束はそれぞれの集団によって異なるから、どの約束を採用するか明示しないとトラブルが絶えず、流血の惨事を招くことになろう。
     アメリカでハロウィンに参加した日本人留学生が射殺された事件があった。
     射殺したアメリカ人は仮面を被った人間が自宅に向かって来るので銃を向け「フリーズ(動くな)」と叫んだ。
     留学生は、銃を向けたのはジョークで「プリーズ(どうぞ)」と言われたと思い、進んだ。
     「フリーズ」と言っても止まらず、自分の方に向かって進んでくる仮面の人間に恐怖を感じたアメリカ人は自分の家族を守るために引き金を引き、射殺した。
 それぞれの集団にとっての暗黙の約束は、明文化されたルールより優先して扱われるのでないかと思う。
 それゆえに明文化されたルールに基づいた行動により暗黙の約束を犯すと「ルールに違反しなければ何をしてもいいのか」とか「ルールの裏をかく卑劣な輩」とか罵られる。

 相容れない暗黙の約束をもつ集団が交わった場合は、お互いに罵りあい、ついには戦争に発展することになろう。

 私は、価値観、倫理観が異なる集団が混在し、交流する公共の場では、暗黙の約束はあってはならないと思っている。

 私は、公共の場にとって必要なルールは、明示しなければいけないと思っている。

 そして、ルールに則った行動は、非難されるべきではなく、その行動が不都合を及ぼすことがわかったらその行動ができないようにルールを改正すべきだと思っている。

 暗黙の約束はあくまでも仲良し倶楽部だけにとどめるべきであろう。

2001年02月22日

時間無視に寛大な国民性

 日本人は、決められた時間を守らないことに寛容な人が多いようだ。

 宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘で、約束の時間に遅れる(契約違反)により相手をイライラさせ勝利を得た宮本武蔵を卑劣漢と言う私は変人扱いされる。

 出かけようと支度をしているときに電話がかかる。
    「はい、島谷です。」
    「xxだ。いま忙しいか?」
    「ええ、これから出かけるのでその準備をしています。」
    「そうか。2〜3分ですむがその時間もないか?」
    「その程度なら大丈夫です。」
    「話というのは、・・・・・・・・・・・・」
 こういう電話が2〜3分で終わるためしがない。
 20分以上延々と話されてこちらの予定がメタメタに狂ってしまうのが常だ。
 2〜3分たったとき話をさえぎり
    「いま、急いでいるので申し訳ありませんが失礼します。」
と電話を切ったらどうなるだろう。
 島谷は失礼な奴だという烙印を押されること必定だ。

 バスツァーのときでも行く先々で出発時間に遅れる客が必ずいる。
 バスガイドは他のお客に謝ってから客のいそうな場所を駆けずり回って探さなければならないから大変だ。

 旅行契約書に時間に遅れたら待たないで出発し、それに異議を申し立てない旨が明記されているバスツァーの場合だったらどうだろう。
 日本人の習慣として契約書はろくに目を通さないから、バスガイドが出発時刻までに必ず戻るようにと話しても毎度のことと聞き流し、出発時刻まで戻ってこない客は後を断たないだろう。
 そして、そのお客を置いてきぼりにしてバスを出発させたらどうなるだろう。
 そのバスガイドおよびバス運転手は融通の利かない奴と非難轟々だろう。
 なかにはバス会社の運営だけを考慮に入れた一方的な契約書だとか契約に基づくことなら何をやってもいいのかとか言い出す輩が現れること必定だ。
     私がサラリーマン時代、5台連ねた社内バス旅行の際、そのうち1台のバスの責任者に割り当てられたことがある。
     そのバスの中に時間にルーズな男がいて、行く先々で必ず5分以上遅れてくる。
     他のメンバーはその男に文句を言わず、待たされている間中私に文句を言う。
     その男に何回注意しても改めないどころか、「しつっこい、生意気なことを言うな。」と逆ねじを食らう破目にいたった。
     次の休憩のときも相変わらず出発時刻から5分たっても戻ってこないのでキレた私は、バスの運転手とバスガイドに私が責任をとるから出発するように促しても出発させない。
     声を荒げて「責任者は私だ。すべての責任は私がとるから、出発してくれ。」と命じたら、私はバスのメンバー全員からけしからん奴だとの罵声を受けることにあいなった。
     結局、その男が戻るまでバスは出発せず30分ほど遅れて発車となったが、他のメンバーからは私に対する腹いせで遅刻してくるようになったのだろうから遅れた原因は私の態度にあるということにされてしまった。
 どうも日本人は、時間を守らない人より、時間を守らない人に厳しい態度をとる人の方が許せない人の方が多いようだ。

 自分が時間を遵守しない人を許せることはご立派だが、他人にまで寛容さを要求するのは困ったものだ。

ルールの遵守か悪用か

 日本文化は、契約文化ではなく馴れ合い文化のため、契約書を仔細に吟味する習慣がない。
     偉そうに書いている私も保険の契約書はろくに読んでいないし、ソフトを購入すると契約条項に目を通さずに開封している。\(_ _)
 この日本人の迂闊な習性を利用して自分に有利な契約書を作り、ろくに契約書を読まないで契約した人間から暴利をむさぼる不貞の輩が後を断たない。

 このような輩を卑劣な奴と罵るのは大いに理解できる。

 お互いに契約内容を熟知しているのに相手が杓子定規に契約通りことを運んで有利な立場にたとうとすると契約の裏をかく卑怯な行為だと罵る人が少なくないのが嘆かわしい。

 週刊碁2月26日号の17面に下記のような趣旨の記事が掲載されていた。
 下図の局面で黒1と打ち、ここで白aと打てば終局となり、盤面黒15目勝ちになる局勢である。
 ここで白aとは打たず、白2と打ち対局を継続し、白10と打った時点で黒の時計が切れて、黒が時間切れ負けになった。
 白の着手は、無意味で時間延ばし言語道断の着手である。

時間攻めの譜(週刊碁2月26日号17面の図)
 この記事に賛同する人が少なくなく、白番の対局者を卑劣漢とまで罵る人が現れた。

 この対局は、持ち時間が切れれば負けというルールを両者とも承知の上ではじめたものだから、終局までに時間が不足しないように配慮しながら打たなければいけないはずである。

 そのような配慮をしないで対局した愚かさには触れず、ルールに従って勝ちを得た人を卑劣と罵る方が私には卑劣に感じられる。

 ルールに従って勝った人を非難する人は
    ルールで禁止されていなければ何をしてもいいのか
とか
    ルールの裏をかく卑劣な行為
と言うのが口癖だ。

 ルールで禁止されていなければ何をしてもいいのかと開き直られるといいと答えざるを得ない。

 すると待ってましたとばかり倫理観のない人間には何を話しても無駄だと蔑みの眼差しを向けられてしまう。
 ルールに禁止されていないことをしてトラブルが生じたら、それはルールが悪いのだから改正する必要があるだろう。

 ルールを改正しないで運用に委ねようというのが日本的な考えかもしれないが、このような考えが施政者の権限をますます高めることになろう。
     私が某省の諮問委員会の一員になっていた時代、細かなことまで記載すると役人の委員に「それは運用に委ねよう」と言われたものだった。
 ルールの裏をかく行為は卑劣とまでは言わなくてもモラルに欠く行為だと思う。

 しかし、図の着手は、ルールに則った行為であって裏をかいた行為には思えない。

 かくいう私もIGSで時間攻めにあい、何回も時間切れ負けを経験している。
     IGSにログインしているとやがて対局条件を記載したマッチ窓が開く。
     オッチョコチョイの私は対局条件を見ないで試合に応じてしてしまう。
     対局が始まってから気がつくと1-1(持ち時間1分、秒読み25手1分)だ!
     25手1分は1手平均2秒強だから実際の碁盤ならなんとか打てる時間だが、ネットラグのためノータイムで打っても1秒弱は消耗してしまう。
     私は早打ちマックなので最初の25手はなんとか1分をこなしたが、3回り目になるとついに1分を切り時間切れと相成ってしまう。
 このような時間攻めを受けるのは、マッチ窓を確認しないで試合を受けた私が愚かなのだから相手を責めるのは筋違いだ。

 時間切れ負けを何回も喫してランクを落とすとさすがにオッチョコチョイの私もマッチ窓を確認してから試合を受けるようになり、時間攻めの憂き目を追わないですむようになった。

 ではルールの裏をかく行為とはどんな行為だろう。

 具体例としてIGSでの体験談をあげよう。
     1-3(持ち時間1分、秒読み25手3分)で対局をはじめた。
     相手の知らなさそうな定石をしかけたところ相手は時間を消耗し、残り3秒で10手打たなければならない羽目に陥った。
     これは時間切れ必定と思ったところ、なんと相手はundoコマンドを使って私の石を盤から取り除いたではないか。
     undoコマンドにより、私の着手前の状態に戻るのだから、相手の時間は消費しない。
     慌てて同じ着手を打つとまたundoで私の石をはぐ、
     これが繰り返されることにより私の消費時間はどんどん増えて行き、ついに時間切れ負けになった。
 このような行為がシステムの不備をついた裏をかく行為なのではなかろうか。
続きを読む

2001年01月31日

杞憂

 私は、運動不足にならないようインラインスケートを履いて我が家のそばに流れている境川の遊歩道を3km程度滑るのを日課としている。

 境川は、水はそれほどきれいではないが都が放流した鯉の魚影が濃く、鴨、鷺、鴎、鵜などの水鳥も戯れていて散歩には絶好の環境なのでこれを眺めながら川沿いの遊歩道をジョギングしたり、散歩したり、餌付けしたりしている人が多い。

 遊歩道にはところどころ公園があり、公園に設けられている。
 この公園に幼児を連れてきて遊ばせ、それを見守りながら母親がベンチで休んでいるという光景を毎日のように見かける。

 いたって平和的な風景だがちょっと気がかりなことがことがある。

 この公園のゴミ箱をあさったり、ベンチでごろ寝をする浮浪者が
出没するようになったことだ。

 その浮浪者の特徴をあげてみよう。
  • 60才をちょっと超えた年齢

  • むさくるしい服装

  • 中肉中背の身丈

  • 眼鏡をかけている

  • 白い顎鬚を生やしている

  • 帽子を被っている
 なんと文字で書いたら私と同じではないか。がく〜(落胆した顔)

 もしもこの浮浪者が新聞沙汰になることをしでかしたらどうなるだろう。
 写真入で報道されたのなら、似ても似つかぬ人だから私と間違えられる心配はないが、文字だけで報道されたら私と勘違いする人がいそうでこわい。
     似ても似つかないと思っているのは私の自惚れで、赤の他人から見れば似たり寄ったりかもしれない。
     私は、松島なな子と松たか子、フカキョンとアミーゴの区別がつかない。
 もし、この浮浪者が写真が載らない程度の新聞沙汰を起こしたらどうなるだろう。

犬「境川の遊歩道で○○高校の女子高生に悪戯をした変態男が検挙されたそうだ」
猫「最近ここも物騒になったね。どんな奴だい。」
犬「新聞によると風体が・・・・(上記箇条書き参照)・・・・・だそうだ」
猫「あっ、そいつなら俺知ってるっexclamation×2qin爺だぁっexclamation×2

犬「近頃この付近の家は空き巣狙いにやられているね。犬でも飼おうかなあ」
猫「その空き巣は昨日つかまったよ。」
犬「それはよかった。どんな奴だい。」
猫「新聞によると風体が・・・・(上記箇条書き参照)・・・・・だそうだ」
犬「あっ、そいつなら俺知ってるっexclamation×2qin爺だぁっexclamation×2
 そういえば、あいつは重度金欠病にあえいでいたなぁ」

 こんな濡れ衣を着せられないようにするにはどうしたらいいだろう。
  • その浮浪者の写真を撮って持ち歩き、濡れ衣を着せた人に見せる。

  • 克明に日誌をつけアリバイを証明できるようにする。

  • 濡れ衣を着せた人を名誉毀損で告訴し、裁判で潔白を証明する
 うーん、どれもメンドイなぁ

 件の浮浪者が不祥事を起こさないでくれることを願う今日この頃である。

2001年01月05日

ピアノの不思議

 私は、ピアノを弾けない。
 私は、ピアノは同じ鍵盤を叩けば同じ音が出るものとばかり思っていた。
 私は、ピアニストが奏でるピアノか、まるっきりの素人がお遊びで叩くピアノしかピアノを聞いたことがなかった。
 ピアニストが弾くピアノはど素人の弾くピアノより音色が優れているが、それは演奏技術ではなくピアノの違いだと思っていた。

 私は、弘法筆を選ばずという格言は真っ赤なウソだと思っている。
 弘法が筆を選ばなかったのなら、きっと上手な字を書こうと思っていなかったに違いない。
 腕のいい職人ほど良い道具を使う。
 道具の選び方もうまいし、手入れも怠らない。
 素人は道具に金をかけないし、ろくな手入れもしない。

 私の知っている範囲の家庭にあるピアノは、アップライトピアノでろくに調律もしていない。
 ろくな音が出ないのは当たり前だと思っていた。
 演奏会で使われるピアノは、音色の優れたピアノが使われ、しかも入念にに調律されているはずだ。
 演奏がうまいへたは別にして、私が叩いたって素晴らしい音がでるに違いないと思っていた。

 ピアノの音は誰が弾いても同じだという考えを根底から覆されたのが赤坂・虎ノ門のベルマンス・ポルカという酒場だった。

 酒場に足を踏み入れるとピアノの前で清楚な女性がアルトハイデルベルヒを唄っていた。
 なかなか、いい声だ。
 とても酔客がしゃしゃり出て唄っているようには思えない。
 また、伴奏のピアノがとてもいい音で響いている。

 私をその店に案内してくれた友人が、あの歌手は専門家でピアノは武蔵野音大のアルバイトだと教えてくれた。

 なるほどうまいわけだ

 30分ほど経つと歌手とピアニストが交代した。

 交代したピアニストが弾いたピアノの音を聞いて私は腰が抜けるほど驚いた。

   ピアノの音色が違う

 私は、瞬間ピアノを取り替えたのだと思った。
 しかし、あんな大きなグランドピアノを取り替えられる筈がない。
 同じ、ピアノを弾いているのに間違いがない。
 しかし、さっきはあんな澄んだ音で鳴り響いていたピアノが、どうしてこんなくすんだ音を出すのだろう。

 友人は、ピアノは指が直角に鍵盤に当たらないといい音が出ないのだと教えてくれた。
 交代したピアニストは、鍵盤に指を走らせるのが精一杯でタッチまで気を配る余裕がないレベルだと評論してくれた。

 半信半疑だったが、30分してピアニストが交代するとピアノが朗々と響き出した。
 なるほどタッチでこんなに音が変わるものかと感銘を覚えた。

 しかし、考えれば考えるほど不思議だ。

 ピアノは、鍵盤を押すとハンマーが弦を叩いて音を出す構造だから、鍵盤を押す強弱で音の強弱が生じるのはわかる。
 鍵盤のタッチの仕方で音色が変わるということは鍵盤を垂直に押さないとハンマーが微妙に横揺れするのだろうか。
 もし、ハンマーが絶対に横揺れしない構造だったらタッチで音色が変わることがないのだろうか。

 ピアノの好きな人によるとタッチによって音色が変わることもピアノの魅力の一つだそうだ。

 タッチの仕方で音程も微妙にずれるピアノがあったらもっと楽しいのではなかろうか。
 タッチの仕方で音程をずらすことができれば12平均率以外の音律で弾くことができるから和音も出せるだろう。

 考えて見ればピアノは和音が出せないはずなのに、それが気にならないのはピアノの音は打楽器と同様に減衰振動だからだろうか。
 ピアノの1オクターブは、振動数が2倍ではないという。
 それでも他の楽器と共演できるし、伴奏楽器としてはいちばん多く使われているのではなかろうか。

 ピアノはまったく不思議な楽器だ。

2000年12月16日

言葉考 言葉刈り

 非常勤講師控え室に入ると学科主任がしかつめらしい顔をして私の席の横に座って待っている。

 私が席に着くと渋い顔に愛想笑いを作りながら話し掛けてくる。
     お早うございます。
     いつも遠いところご苦労様です。
     ところで先生は同和問題をご存じですか
     お早うございます。
     はぁ????
     部落解放問題のことですね?
     それがどうかしたのですか?
     公共機関は、常に同和問題のことを配慮して行動しなければいけないのです。
     授業の準備でお忙しいことと思いますがこの本を読んでいただけないでしょうか。
     私は職員室に戻りますが後程また参ります。
 何があったのだ??????
 渡された本を見ると表紙に同和問題と書かれている。
 ぱらぱらとページをめくると同和問題についてごちゃごちゃ書かれている。
 私と関係ありそうなことは何も書かれていない。
 だいたい今時こんな都会で部落なんてあるはずないじゃないかちっ(怒った顔)
 本を閉じて授業の準備を始めたところに学科主任がやってきた。
     お読みになりましたか?
     はい、読みましたが私とどういう関係があるのでしょう?
     当校では同和差別廃止のため、職員には◇名以上、生徒には1クラスに☆名以上の同和の人を受け入れなければならないことになっています。
     それは差別廃止ではなくて優遇なんじゃないですか?
     先生は、授業中にバカチョンカメラと言われたでしょう
     ええ、あれはボイラーの炎センサーを説明するとき、誰でもわかるようにバカチョンカメラで使われているものと同じ材料だと話しましたよ。
     それがいけないのです。
     先生の授業の翌日、同和の生徒が
       東京都は、非常勤講師を使って同和を侮蔑した発言をさせた。
      この精神的損害をどう償ってくれるんだ
    と職員室にねじ込んできてその対策に苦慮しているところなのです。
     バカチョンカメラがどうして同和を侮蔑したことになるのですか????
     先程の本に書いてありますように同和は長い間に差別されていたので差別根絶を訴えています。
     バカチョンのチョンは朝鮮人を意味していてバカでもチョンでもということは朝鮮人を侮蔑していることになります。
     すなわちバカチョンは差別用語で同和の前で差別用語を使うことは同和を差別しているということになってしまうのです。
     そんなバカな!!!!
     私は、バカチョンカメラとはバカでもチョンと押せば写るカメラという意味だと思って使っていました。
     それを差別発言だなんて言いがかりもほどほどにして欲しいもんです!!!!ちっ(怒った顔)
     先生は、そのおつもりで言われたのでしょうが、聞く人の立場によっては許しがたい言葉になるのです。
     先生は、廊下に貼られている都労協の
      鬼の中曽根、原爆病を気のせいにする。
    というビラをご覧になりましたか。
     あー、あれですか(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)中曽根総理なら言いそうなセリフじゃないですか。
     いえ、あの件は、事務所で確かめたんですが、中曽根首相が原爆被災者が療養している病院へお見舞いに行かれたとき帰りがけに
      病は気からと言いますから、気持ちを明るくもって頑張ってください。
    と挨拶されたことを糾弾するビラなのです。
     それはヤーさんマッサオなアゲ足取りじゃないですか。
     私は、あのビラを見て当時広島県に住んでいた人が現在の身体の不調に対する保障を要求したの対して「その症状は原爆とは関係がない、気のせいの症状だ」と突っぱねたのかと思いましたよ。
     それが反体制運動家の狙いなんです。
     公的立場の人は、余計なことを言ってはいけないのです。
     帰りがけの挨拶は「お身体お大切に」にとどめるべきで「病は気から」など余計なことを言うのは危険なのです。
     先生が就任されたとき真っ先に同和問題のご説明をしなかった私どもにも落ち度があります。
     それを追求されるので苦境に陥っているのです。
     過ぎたことはしかたありませんが差別用語には充分に注意してください。
     そう言われても私には何が差別用語かわかりません。
     いちいち調べてから使わなければならないような面倒なことをしなければならないようなら、この仕事は私には勤まりません。
     生徒から苦情が出たのがちょうどいい潮時ですから非常勤講師を辞めさせていただきます。
     それは困ります。
     いま、先生に辞められると都は非常勤講師に詰め腹を切らせて責任逃れをしたと追求に拍車がかかります。
     お気持ちはわかりますが、私どもの苦境をお察しいただき、しばらく我慢してください。
 学科主任は、これで私の役目は終わったという顔にへつらい笑いを浮かべながら職員室に戻って行った。

 天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。

 いわれなく人を差別するのはよくないことは百も承知だ。

 しかし、差別意識と差別用語は別物だろう。

 百姓という言葉は、農業従事者を低くみる差別用語だというが、百姓を差別用語と思う人こそ農業従事者を低く見る差別意識があるのではないだろうか。

 差別用語を別の言葉に置き換えても差別意識が解消されない限り、置き換えられた言葉も差別を表す言葉として使われ、それも差別用語の烙印が押されることになろう。

 看護婦、婦人警官、スチュワーデスなどは性差別用語だということで別の用語に置き換えられた。

 江戸時代には敬語だった女中がいまでは差別用語となってしまったように、看護婦というとセクハラだと非難される時代になるかもしれない。

 差別意識の少ない人ほど差別用語に対する認識が薄いから、悪気なしに差別用語とされている言葉を口にしがちだ。
 すると待ってました口の端にのぼった差別用語をとりあげ発言者を糾弾する言葉刈りの餌食になってしまう。

 言葉刈りをする人は、差別をなくすのではなく、自分の立場を優遇して貰いたいために騒いでいるようにしか思えない。
 だから自分の立場を優位にするために平気で別の立場の人を差別する。

 私は、言葉刈りに専念する人こそ差別意識の権化ではないかと思っている。

2000年11月20日

格式は普及の妨げ

 伝統文化は格式を重んじる。

 伝統文化に携わる人が格式にそぐわない言動をすると伝統を汚す行為と非難される。

 一方、伝統文化の後継者が不足して、伝統のともし火が消えることを危惧する声も少なくない。

 私は、伝統文化が格式に拘泥するかぎり淘汰されて行くのは必然だと思っている。

 格式とは大衆と差別するためのものだから、格式を重んじているかぎり大衆化はありえない。

 エリートの趣味も大衆化したら格式が薄れて行くのは当然の成り行きだ。

 私が小学生の頃は、麻雀は漆塗りの箱に収められた象牙の麻雀牌に点棒を使う上流社会の娯楽だったが、今はプラスチックの牌を使う賭博性の強い大衆娯楽だ。
 紳士のスポーツと言われていたゴルフも接待用スポーツに成り下がっている。

 囲碁は、礼に始まり礼に終わる伝統文化の一つとされている。
 手談、烏鷺、爛柯などと別名をもつ囲碁の風格に魅力を感じて囲碁愛好家になった人は、礼を失する態度で碁を打つのは伝統文化の冒涜だと嘆く。
    爛柯(らんか)
    木こりの王質が四人の童子らの打つ碁をナツメを食べながら時が見ていて、我に返ると斧の柯(え)が爛(くさ)り、帰ってみると時が経ち当時の人は誰もいなかったという故事(述異記)
 囲碁は、エリートの娯楽だ!伝統文化を汚すような人にまで囲碁を広めたくない!とするのも一つの見識だ。
 その代わり、囲碁の虜になるのは囲碁のもつ風格に魅力を感じる人だけだから囲碁人口が減少するのは是としなければなるまい。

 文楽や能は、頑に格式を守っている。
 その格式に魅力を感じて文楽や能に傾倒する人はいるが、少数派だから大衆には普及していない。
 文楽や能の愛好家は、伝統の味を消して大衆化させようとは露ほども思っていないに違いない。

 伝統文化といわれている囲碁はどうだろう。
 ここ数年、囲碁は世界的には普及しているのに日本の囲碁人口は衰退の一途をたどっている。
 10年前には8部まであった関東大学囲碁リーグ戦が、いまでは3部までに減っている。
 大学のオリエンテーションで新入生を囲碁部に勧誘してもあんなネクラものは嫌だと敬遠される。
 これは、「碁を覚えるとお行儀が良くなる」、「碁を覚えると思考力が養われる」、「碁を覚えると慎重になる」など囲碁のもつ風格に期待する大人が多いからだろう。
     私は、「あなたは碁を打つのに軽はずみですね」と言われ続けてん十年ふらふら
 今年は、少年ジャンプ連載漫画「ヒカルの碁」のおかげで読者の若者が囲碁に興味をもち、囲碁部の入部者が増えた。
 これで囲碁人口の減少に歯止めがかかったと喜ぶのは早計だ。

 いまの日本は、娯楽の選択肢が沢山あるから飽きてしまえば別の娯楽に鞍替えすること必定だ。
 ヒカルの碁で囲碁に興味をもった人達を囲碁の世界に引き止めておくには囲碁を若者たちにとって魅力のあるものにしなければならない。
 少なくとも、囲碁はネクラなもの、煩わしいものという印象をもたれないようにすることが大切だ。

 そのためには伝統の格式ということを強調するのは止めたい。
 囲碁の風格に魅力を感じて囲碁愛好家になった人には不満かもしれないが、囲碁をたんなるゲームとして楽しむ人を蔑むのは鼻持ちならないエリート意識に思えてならない。

2000年11月04日

制服で地球環境を守ろう

 大学生の制服・制帽が姿を消したのは60年代の学生紛争時代からだろうか。

 いまでは大学生の制服・制帽姿は体育会の応援団くらいなものになってしまった。

 学生に限らず制服は個人の権利を侵害するということで毛嫌いする人が多い。

 しかし、私には世の中は制服だらけに見えてしかたがない。

 礼服を着なければ結婚式や葬儀に参列するのがはばかられるから祝儀・不祝儀の制服だろう。

 祝儀・不祝儀その他の式典は滅多にあることではないから制服があっても我慢できる。

 我慢できないのは頻繁に着用しなければならない社会人の制服ネクタイ・スーツだ。

 ネクタイで首を締めつけ血行を悪くし、スーツで身を固めて汗の蒸発を妨げる。
 こんな不健康な服装が社会人の制服になったのはいつからだろう。

 夏、銀行に入ると冷房の強さに驚かされる。
 無理もない。
 行内にいる男性行員は、ネクタイ・スーツ姿だ。
 この姿でてきぱき仕事をするためには20℃以下の室温にしなければならないのは当然だろう。
 このため薄着の女子行員は、ひざ掛けをしなければならなくなる。
 外との気温差が10〜20度もあるのだから健康に良いはずがない。
 しかも、電力をばりばり消費して地球環境を悪化させている。
 この元凶は、ネクタイとスーツだ。

 地球環境の悪化を憂う人達はノーネクタイ運動を提唱しているがなかなか実らない。

 石原都知事もノーネクタイで登庁しているが、法規制でもしない限り銀行員をノーネクタイにできないだろう。

 それはノーネクタイ姿を非礼だと非難する輩が多いからだ。
 接客をすることが職業でない棋士にでさえ、ノーネクタイで対局はけしからんと喚く輩がいる。
 銀行員がノーネクタイで接客したら世間様は何を言い出すかわからない。

 ネクタイ・スーツ姿が正装だと思っている人が多い以上、この非合理な服装を追放することはできない。

 ノーネクタイ運動が実らないのはネクタイを否定するだけで代わりになる正装を提示しないからだ。

 ネクタイ・スーツが社会人の制服である以上この服装を駆逐するには、その代わりになる服装を制服として定める必要がある。

 私は、作業環境に適した制服を定めれば、エアコンに消費される電力は激減し、地球環境の悪化に歯止めがかかると思う。

 制服というと学ラン、囚人服などを連想して反発する人が少なくないが、そのような人にかぎってスチュワーデス、看護婦などの制服に憧れる。

 作業環境に適し、かつ、憧れの的になるようなデザインの制服だったら不満に感じる人はあるまい。

 日本棋院もカッコイイ制服を作って、あの制服を着たいから碁を覚えたいという人が増えることを願って止まない。

2000年10月30日

言葉考 先生

 日本語は、「様」、「さん」、「ちゃん」、「君」、「先生」、「氏」など沢山の敬称があって状況に応じて使い分けなければならないので煩わしい。

 「様」と呼ぶにはよそよそしい、「さん」と呼ぶには馴れ馴れしい、こんなときに「先生」と呼ぶのが無難そうに見えるが、これがまた物議の元になる。

 先生と呼ばれる職業にない人を「先生」と呼ぶのはけしからんというのが論拠だ。

 「先生」に畏敬の念をもったうえでの発言とすれば職業差別だちっ(怒った顔)

 畏敬の念を込めた「先生」という敬称は、職業ではなく、立場に対して使うべきではなかろうか。

 人は道によって尊しとす。
 どんな職業の人でも指導する立場の場合は「先生」なはずだ。
 師事を仰ぐ人のことを「先生」と呼んで何故悪い。
 私は長嶋茂男が大嫌いだが、長嶋茂男に野球の指導を受けなければならない破目に陥った場合は、長嶋先生と呼ぶだろう。
 囲碁講座で囲碁の解説をする棋士は、教える立場なのだから聞き役が解説者を「先生」と呼んで悪いはずがなかろう。

 慶應では福沢諭吉以外を「先生」とは認めず、教授以下教員の敬称を「君」で統一している。
 これは福沢諭吉の神格化ではないか。
 権威に批判的だった福沢諭吉が自分の創始した学校で神格化されていることを草葉の陰で嘆いているに違いない。がく〜(落胆した顔)
     余談になるが早慶戦を慶早戦と呼ぶこと、エール交換のとき他校が校歌を唄うのに塾歌を唄わず「若き血」を唄う慶應の風習が気に入らない。
     慶早戦と呼ぶのはバカバカしいと笑い飛ばせばすむことだが、エール交換のとき塾歌を唄わないのは独善も甚だしく失礼の極みだ。
     こんな風習があるから慶應の塾生は、世間様から「慶應ボーイ」と軽んじられるのだろう。
 「先生」という敬称は、畏敬の念をもって使うとは限らない。

 世間に氾濫している「先生」という敬称は、揶揄が込められているときの方が多いのではなかろうか。

 私が棋譜の検討で間違いを言うと「qin先生、違うでしょ」とツッコミが入る。

 私も「先生」に畏敬の念を感じたことがないから、人が失敗すると「しっかりしてくださいよ。先生ッ」とツッコミを入れる。

 中国語の「先生」は、日本語の「さん」と同じだ。

 同感、どうかん、太田道灌わーい(嬉しい顔)

2000年10月14日

末世のノーベル平和賞

 今世紀末10月13日の金曜日、ノーベル平和賞に金大中大統領の受賞が発表された。

 韓国と朝鮮人民共和国(以下北朝鮮と略)の国交回復化に尽力したことが理由の一つらしいが、北朝鮮側の金正日総書記は候補にも登らなかったという。

 わが国の佐藤栄作元総理が受賞したときも不審に感じたが、ノーベル平和賞は何を基準に選定しているのだろう?

 ノーベル平和賞は、西側陣営にとって都合のいい人だけが対象なのだろうか?

 私は、政治家というもは人一倍名誉欲が強い人種だと思っている。
 とくに、金正日総書記は、名誉欲の権化ではなかろうか。

 その金正日総書記が敵対国と平和交渉したために敵対国の大統領だけがノーベル平和賞を受賞したのではキレない筈がない。

 北朝鮮の人民がノーベル平和賞は、評価に値しないローカルな賞だと感じているなら問題がない。
 しかし、共産圏諸国といえども人民はノーベル賞を権威ある賞だと感じているに違いない。

 そうなると金正日総書記は、北朝鮮人民に対して面目丸つぶれではないか。

 金正日総書記が面目回復するためには北朝鮮人民に対して自分の力を見せつけるほかあるまい。

 そのトバッチリは必ずやわが国に及ぼすだろう。

 金正日総書記にとって幸いなことにはわが国の施政者は外交オンチだ。

 金正日総書記は、いま以上の無理難題を吹き掛けてきてそれを力づくで押し通し、北朝鮮人民に吾が実力を誇示するに違いない。

 今後の韓国との交渉では金正日総書記の実力を北朝鮮の人民に誇示できるようにいままで以上に北朝鮮に都合の良い要求をすること必定だ。
 しかし、韓国の金大中大統領はわが国の腰抜け政治家とは違って唯々諾々と金大中総書記の要求を呑むはずがない。

 当然、双方の主張は噛み合わず、国交正常化に支障を来すことになろう。

 平和を願う平和賞が、平和を乱す起爆剤になりそうとは皮肉なものだ。

2000年10月12日

国歌

 スピーカーからがんがん軍歌を鳴らしながら右翼の広報車が駅前通りをのろのろと走る。

 ただでさえ渋滞している駅前通りをのろのろ走るのだから渋滞に拍車がかかる。

 駅前の交番のお巡りは知らんぷりをしている(`´)
 こんな迷惑な車は、交通妨害、騒音規制法違反などでビシバシ取り締まって貰いたい。

 突然、右翼の広報車のスピーカーから君が代が流れ出す。

 この右翼は、君が代を士気を鼓舞する軍歌だと思っていて、国歌だとは思っていないのだろうか。

 それとも人ごみで全員直立不動の姿勢をさせるつもりなのだろうか。
 そのつもりで君が代を鳴らしたのなら、右翼の広報車は停車して全員直立不動すべきだろう。

 私は、君が代大嫌い人間だが、国歌不要論者ではない。

 国歌は、国旗と同様に国の象徴で、わが国はもとより国交のある国の国歌が演奏された場合は威儀を正した姿勢をとるべきだと思っている。

 国歌は、士気を鼓舞するためのバックミュージックではないはずだ。
 天皇陛下万歳時代だったら君が代をバックミュージック扱いした右翼の広報車は、神の国讃歌を冒涜した不敬罪で逮捕されたに違いない。

 いまのわが国は外国の庇護の元に平和を謳歌しているが、国歌を環境音楽扱いしていいわけがない。
 自分の国の国歌をないがしろにする習慣がつくと、よその国の国歌が演奏されたときも威儀を正さず、世界から顰蹙をあびることになろう。

 とはいえ、私にとって、式典のときに君が代を聴くのは苦痛だし、唄うのは拷問に近い(~_~;)

 誰でも親しめ、誇りをもって唄える国歌が欲しい。

 左翼団体は、いたずらに君が代反対運動をするのではなく、君が代に代わる素晴らしい国歌を提示して欲しい。

2000年10月06日

オンブ礼賛

 オンブにダッコという言葉があるが、最近の乳児の連れ歩きパターンはベビーカーが大勢を占め、ベビーカーに乗せないときはダッコでオンブ姿をほとんど見かけなくなった。

 吾輩は、少年犯罪が多発するのはオンブが激減したことにも関係があるのではないかと思っている。

 オンブとダッコはどちらも親にしっかりとしがみついているからスキンシップの面から見れば甲乙つけがたく感じるかもしれない。

 しかし、ダッコの場合は乳児の視点はダッコをしている親の方で外界ではない。

 オンブの場合は、幼児の視点は常に親が向いている方向にあり、目の高さも親の位置とほぼ同じだから、親と同じ視点で外界を見ていることになる。

 私は、プロの碁を並べたり、プロの碁を見たりすることは、プロの視点で碁を見るということに価値があると思っている。
 ベビーカーに乗っている乳児の視点は、親の歩く方向に向いているが、高さが違う。

 目の高さが違えば外界から受け止める印象は大違いだ。

 また、ベビーカーを固定しておいて親は身体の向きを変えることができるから、ベビーカーの方向と親の身体の方向は一致しているとは限らない。

 しかも、ベビーカーは、スキンシップに乏しいから親の感動がなかなか伝わるまい。

 オンブの場合は、乳児の身体の向きと、親の身体の向きは常に一致しているし、頭を動かしたこともわかる

 このようにオンブは、親と乳児の視界が同期しているから、親と乳児のきずなを密接にするのに抜群の効果があるのではないかろうか。

 オンブがなくなってしまうと乳児は親と同じ視点で一緒に外界を見る経験を積まないまま、成長して行く。

 子供が成長し友達ができれば、親の影響より友達の影響の方が強くなるのは当然だ。

 このときになってから子供に親と同じ方を向かせようとするのは多大なエネルギーが要るはずだ。

 家庭内暴力は膨大なエネルギーに堪え切れずに生じた破壊現象だろう。

 私は、学ぶ対象が親しかいない乳児のとき、常に親と同じ視界で過ごすオンブが、大きな教育効果をもたらすのではないかと信じてやまない。

2000年10月04日

人道主義の落とし穴

 むかし、むかし、あるところに治安が悪く殺人事件で殺される人が年間1000人を超える国がありました。

 これではいけないと治安回復を公約に掲げて立候補した政治家が治安の悪さにおののく民衆の共感を得て政権を獲得しました。

 その政治家は、疑わしきものも取り締まる政策を実施し、民衆は
    李下に冠を正さず、瓜田に靴を穿かず
の戒めに従ったおかげで治安は回復し、殺人事件で殺される人は年間10人未満になりました。

 しかし、取り締まられた疑わしきものの中には、無実の罪のものが100人にも達したので、人道に反する政策だという声が沸き起こりました。

 特に冤罪で死刑の宣告を受けた親類縁者は、政策の横暴を声高に訴え、マスコミがその尻馬に乗り、弾劾運動に発展し、政府は崩壊しました。

 新たな政権は、人道主義を旗印に、少しでも証拠に不備があると容疑者を無罪にしたので冤罪は皆無になりましたが、治安は再び悪化して殺人事件が多発し、死者が年間1000人を超えるようになったとさ。。。

 私は、冤罪をおそれていたら犯罪者を減らすことができないと思っている。

 人道主義者は、「あなたが罪もないのに犯人に仕立てられて死刑になったらどう思いますか」と私に問う。

 「私は無実なのに有罪になるのは不条理だ」という答えを導き出そうとする卑劣な質問だ。

 人道主義者は、冤罪の者が有罪になる不条理だけをとりあげ、罪科のない民衆が犯罪者の餌食になる不条理には目をつぶるようだ。

 私は、世の中の不条理を最小限にするのが良い政治だと思っている。

 冤罪の不条理が少々増えても、民衆が蒙る不条理が激減すれば、不条理の総数が減ることになるから住みよい社会になるはずだ。

 冤罪は人道に反すると喚く自称人道主義者は、私には似非人道主義者に思えてならない。

2000年03月01日

変人の戯れ言

プロローグ
囲碁部は変人の溜まり場

 囲碁を打つ人は、なぜか個性豊かな人が多い。
 また、人から指図されることに対するストレスがことさら強い。
 人から指図されたことになかなか従わないから、世間様から変人扱いされるようになる。
 囲碁部は、他の部ほどは変人を爪弾きしない。
 変人が容認されるなら環境にへつらわないで済む変人の方が楽だ。
 楽へ楽へとなびくのが世の常だから、パンピーも囲碁部に入ると、やがて変人に化して行く。
 当然の結果として囲碁部は、変人の集まりになる。
 かくいう吾輩もどちらかと言えば変人に属するようだ。
 しかし、変人の常として何をもって変人と言われるのか自覚がない。
 変人から見ればパンピーの方が変人に見える。
 したがって、吾輩のことを囲碁部の人間から変人と言われても『はいそうですか』と引き下がるわけにいかない。
 しかし、日本の常識が世界の非常識であっても日本の非常識が世界の常識とは限らないように、変人から変人と見られる人が常識人とは限らない。
 吾輩は、世間様からも変人に見えるようだ。
 どんなところが世間様と違うか心当たりを自分なりに検証してみよう。
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。