2006年11月11日

恥の文化から悪を許さぬ文化へ

 日本は恥の文化だと誇らしげに語る人が少なくない。
 これらの人は不祥事が続くことに「恥を知らぬ人が増えた」と嘆く。
 私は恥の文化だからこそ不祥事が増えると思っている。
 私はかつて別の場所で日本が恥の文化から脱皮して欲しいと発言したら猛烈なバッシングを受けた上に島谷は恥知らず人間だ、破廉恥人間だと人格否定されてしまったことがある。がく〜(落胆した顔)
 まるで私は真っ裸で平気で道路を歩く人間みたいな目で見られてしまった。ちっ(怒った顔)
 私は真っ裸で道路を歩かない。
 それは恥ずかしいからではない。悪いことだからだ。
 恥の文化を誇らしげに語る人は恥=悪と定義しているのかもしれない。
 それなら「恥ずかしいことをするな」ではなく「悪いことをするな」と素直に表現すればよかろう。
 多くの人は恥=みっともないことと受け止めているのではなかろうか。
 恥の文化を誇らしく思っている人は恥=みっともないの定義は間違っていると言うかもしれない。
 しかし言葉は情報伝達の手段にすぎないのだから多くの人が恥=みっともないと受け止めるのならそれが恥の社会的定義になるのだ。
 私は行動の規範は恥(みっともない)か否かではなく悪いことか否かでなければならないと思っている。
 恥の文化はみっともなくなければ悪いことを平気で行い、みっともないと思うと正しいことをしない。
 公衆浴場の湯船にタオルを浸すのは悪いことだ。しかし恥を基準に行動をする人間はタオルで下半身を隠したまま平気で湯船の中に入る。ちっ(怒った顔)
 善悪を基準に行動をするならタオルを外してタオルが湯船に浸からないようにして入るはずだ。
 私は「悪いことだからやめなさい」ではなく「みっともないことだからやめなさい」と教育されてきた。
 おそらく日本人なら私と同じような教育をされた人が多いだろう。
 このことが行動の規範を善悪ではなく恥かしいか否かにする文化になってしまったのだと思う。
 恥を基準にするから周りの人に迎合することに専念し皆が誰かをイジメればいっしょになってイジメに荷担する。
 万引きが流行れば一緒になって万引きをする。
 私は恥の文化から悪を許さぬ文化に脱皮して欲しいと心から願っている。
 

2006年11月10日

ルールの不備はマルチスタンダードを招く

 吾輩はナァナァ社会が不公平の元凶だと思っていたが最近になって勘違いらしいと思うようになった。
 不公平が生じるのは相手によってルールの運用の仕方を変えて黒にしたり白にしたりするダブルスタンダードにあったのだ。
 Aに対しては黒、Bに対しては赤、Cに対しては緑などマルチスタンダードで対処することさえある。
 吾輩がことあるごとにルールの整備を主張するのはルールの運用で結果を変える余地を少なくせよということにあったのだ。
 よその国のことが知らないので我が国独自の現象と言うのははばかられるが吾輩にとってマルチスタンダードの横行が目に余るものに感じてならない。
 いまは少子化が進んで一人っ子の家庭が多くなったが吾輩がこどもの頃不公平の扱いを嘆いていた次男の同級生がいた。
 『長男と喧嘩すると親から「お兄ちゃんに逆らうのはけしからん。お兄ちゃんの言うことを聞きなさい」と叱られる。同じことで弟と喧嘩すると「お兄ちゃんだから弟をいたわりなさい。」と叱られる。いつも損ばかりしている。』と嘆く。
 吾輩はこの逆にいつも甘やかされて世の中を舐めきっている次男坊主も見てきた。
 家庭のようなミニ社会でもダブルスタンダードがまかり通る。
 組織が大きくなるに従いマルチスタンダードどが深刻になりルールが曖昧だと強い立場のものに都合のいいように運用されてしまう。
 労働組合がなければ経営者の都合のいいように就業規則が運用されるし労働組合が横暴だと労働者過保護の労働法に守られて経営者は振り回される。
 吾輩は不公平を少なくするにはマルチスタンダードの余地を少なくするようにルールを整備すべきだと信じて止まない。
 もっともルールを整備しようするとマルチスタンダードの恩恵を享受している人たちが既得権を守るために「そんなことはマナーを守ればいいことだ。ルールにする必要はない。」と大反対するんだろうなぁ。

2006年11月09日

ナァナァ社会はダブルスタンダードの温床

 価値観が同じで自分のことより他人のことを大切にする人たちだけのグループだったらルールは必要ない。
 すべてナァナァですむし居心地もいいはずだ。
 だからナァナァ社会に馴染むとルールが多い社会に嫌悪感をもつのは当然だろう。
 しかし善意の人でも価値観が違う人がグループに入ったらどうなるだろう。
 善意の行動がグループの秩序を乱すこともあろう。
 たとえば右側交通の社会で育った人が左側交通の社会に来た場合ルールを教えなければ善意であっても交通妨害をすることになってしまう。
 ナァナァグループではトラブルが生じたときはその中の権威者が裁定を下すのが普通だ。
 この裁定が常に公平なら問題がない。
 グループが小さいうちは比較的公平に裁定ができるだろう。
 しかしグループが大きくなるに従い公平に裁定することが困難になるはずだ。
 また裁定者が神のような心をもっていればいいが人間の悲しさ自分の贔屓に都合のよい判定を下ろしがちだ。
 同じことをしてもある人には黒の裁定を下し別の人には白の裁定を下すというダブルスタンダードを使い分けることが多くなる。
 黒の裁定を下された人が「前には同じことを白と裁定したではないか」と抗議すると「あのときといまとでは状況が違う」と却下される。
 ルールが曖昧なほど裁定者の裁量に委ねられる範囲が広がるから裁定者の権力が強くなりダブルスタンダードが横行することになる。
 どんなに細かくルールを作っても人間のすることだから必ず不備があり裁定者の裁定を仰ぐ必要がでてくるが裁定者の個人的見解が入る余地をできるだけ小さくすることが大切だろう。
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2006年11月05日

臆病者のこわいもの知らず

 吾輩は臆病者である。
 ひとたび怖い目に遭うとそのたぐいのことがらが起きそうになると恐怖でからだがすくんでしまう。
 しかし人は吾輩を臆病と見るよりこわいもの知らずの無鉄砲者と見る人が多い。
 無理もない。吾輩は未知のものに対しては恐怖感がまったくないから未知のものに対しての行動にあまり躊躇しない。
 だから心ある人は吾輩の行動が危なっかしくて見ていられないようだ。
 吾輩は知らないうちは平気で行動し、わかるに従い怖さが身にしみるようになるのがお約束のパターンだ。
 道が2本あって1本の道は行先に不愉快なことが待ち受けていることが見える。もう1本の道は行く先が全然見えない。
 慎重な人ならもう1本の道を調査してから進路を選択するだろう。
 調査してもわからない場合は先行き不透明な道より不愉快なことが待ち受けている道を選ぶ人が多いのではなかろうか。
 臆病で不精者な吾輩は不愉快なことが待ち受けている道を避けてろくな調査もせずに行く先が全然見えない道に進んでしまう。
 まさに臆病者のこわいもの知らずだ。
 逆に道が2本あって1本の道の行先に満足な結果が見えていてもう1本の道の行先が不透明だと迷わず行先の見えている道を選んでしまう。
 そして後でもう1本の道の方がもっと素晴らしい結果が得られることを教えられ臍を噛むのことが多い。
 人生どのくらい損をしたことだろう。

適度な恐怖は脳を癒す

 吾輩は恐怖はストレスの元で老化を促進させるものだと思っていた。
 ところが昨夜日本テレビ世界一受けたい授業で脳科学者茂木健一郎氏は自分が安全な場所にいる状態での適度な恐怖を味わうことは癒しの効果があると説かれたので驚いた。
 ジェットコースターに人気があるのは人が適度な恐怖感を求める証拠だそうだ。
 だからこどもはお母さんの膝の上で怖い話を聞くのが好きなんだとゲストが納得。
 怪談を聞いたり幽霊屋敷に入ったりするのは安全な恐怖感を味わい癒しを求めるんだなぁ。
 吾輩は幼児のころからお化けは存在しないと教育されていたので幽霊・お化けに恐怖を感じたことがない。
 だから怪談を聞いたりスリラー映画を見たりお化け屋敷に入ったりしてもまったく面白くない。
 ずいぶん人生を損している。
 吾輩の性格が歪んでいるのはお化けや幽霊に対する恐怖感が欠如しているせいかもしれない。
 こどもからお化けや幽霊の恐怖を取り去る教育はするものではないと痛感した。
 茂木健一郎氏は恐怖の感覚は爬虫類脳という部分で感じ人間の生きるという本能を掻き立ててくれるものだと説く。
 癒しというのは、自分の脳の足りない部分を補うことだという。
 太古の人類は猛獣のいる中で狩りをして恐怖を味わいながら生きてきたが現代ではそういった恐怖を味わうことはないから脳の普段使わない部位を使うことで脳を刺激し癒しになるのだそうだ。
 なるほど自分の身に危険が及ぼさない適度な恐怖は薬なんだ。
 薬は量が多いと毒になる。
 ジェットコースターに適度な恐怖を感じる人がこれに乗るのは癒しになるが怯える人を無理矢理乗せるのはイジメだろう。
 暴力の恐怖は劇毒だし北朝鮮の核実験は超劇毒だ。
 過度の恐怖がない社会になるのはいつの日だろう。

2006年10月25日

技は力の中にあり

 柔よく剛を制すという格言がある。
 力のない人が馬鹿力のある人を倒すのは見ていて気持ちがいい。
 これが昂じて技を力より過大評価する傾向がある。
 本当にそうだろうか。
 技が70点力が30点のA君と技が30点力が70点のB君が試合をしたらB君の方が勝率がいいと思う。
 勝率だけで見る人はB君の方が強いと見るが、強い人の評価はA君の方が高い場合が多いように感じる。
 技が90点力が90点のCさんはA君に向かって「B君は技がなっていない。力だけで処理している。あんな力は我々には通用しない。君の方が実力は上だよ。頑張ればすぐにB君に勝てるようなるよ」と励ます。
 確かにB君はCさんに勝てないだろう。しかしA君もCさんに勝てるはずがないのだからA君の方がB君より強いことにならない。
 A君がB君に勝つためには力をつけるほかないが力をつけるのはたやすいことではないから当分B君に勝つことはできないだろう。
 A君としてはCさんに綺麗な技を決められて負けたときよりB君に強引に力ずくで負かされたときの方がダメージが大きいはずだ。
 あんなお粗末な技に負かされたと自己嫌悪に陥るはずだ。
 力のない人が力のある人を技で倒すというのは相手の力を逆用しているのが普通だ。
 相手がこちらが力がないことを見抜き力を出さなければ相手の力を逆用しようがない。
 技を決めるには相手が力を出さざるを得ないだけの力を持つ必要がある。
 技は力の中にありだ。
 しかし力を5点アップさせることは技を10点アップさせるよりむずかしいと思う。
 そこでスピード上達を目指すときは力のアップより技のアップの方を重点を置くのでないかと思う。
 技を磨くのはもちろん大事だがそれ以上に力をつけるトレーニングをしなければ技量は向上しないと身にしみて感じる今日この頃であった。

2006年10月21日

回向はエコー

 ワイフの母親の3回忌でワイフの実家に赴いた。
 3回忌の供養が終わった後の坊さんの説教が面白かった。
 回向とは回るという字に向けるという字を書きます。
 つまり施主が功徳を参列者に回し向けるということです。
 回向というのは寺の立場でいうことばで皆様の立場では供養ということばになります。
 皆様が供養をすることにより功徳が回し向けられるのです。
 なるほどぉ、、、回向はエコーだったんだ。わーい(嬉しい顔)
 3回忌は恙なく終わり集まった6人兄弟の夫婦は全員で四万温泉に泊まり亡き母の思い出話で一夜を過ごした。
墓参りの写真

2006年10月17日

非核3原則の末路

 北朝鮮の核実験で韓国・台湾・日本が核武装をするようになるのでないかと危惧する声があがっている。
 吾輩は核アレルギー患者の日本が核武装することは絶対にあり得ないと思っている。
 核武装どころか憲法改正案が国会で2/3以上の票を得て可決されたとしても国民投票で否決されお仕着せ憲法のままになると危惧している。
 そして必ずや日本はどこぞの国のミサイルの餌食になるだろう。
 日本がミサイルの標的になり攻撃される日時をアメリカが察知したとしても日本に知らせないだろう。
 日本のどこかが壊滅的な被害を受けた方がアメリカにとって日本を攻撃した国に宣戦布告する口実ができるからだ。
 日本は壊滅的な被害を受けてもオロオロするだけで応戦は一切出来ないだろうし応戦しようとすれば応戦反対運動が生じるだろう。
 やがて日本列島はどこかの国(韓国?中国?ロシア?、、、?)に占拠され植民地になるにちがいない。
 日本列島は日本政府時代には非核3原則無防備だったが植民地になるとよその国の防波堤として徴兵制が施行され核武装することになるのだろう。
 そうなるまで生きていたくないなぁ。がく〜(落胆した顔)

2006年10月15日

うさうさ番組の威力

 朝ブログを開いて驚いた。
 なんとexclamation×2カウンタが2027を示しているではないかw(゜o゜)w
 なんだこれはexclamation&questionクラッカーが来襲したのかexclamation&question
 アクセス解析を開いてみると我輩はさう脳ホンマかいなの記事に来訪者が1450ページビュー3059となっている。w(゜o゜)w
 検索ワードを見ると、さう脳707、うう脳189、ささ脳27、うさ脳11、うさうさ脳8、脳8、さうとは7、さう6と脳関連で963件に及んでいる。
 昨晩のTBS人間!これでいいのだで放映された「”うさうさ脳”で本当の性格&相性がわかる」の影響だ。
 うさうさ番組恐るべし。exclamation×2
 この番組では利き脳で性格がきまるということをおもしろおかしく立証する。
 しかし利き脳と性格との関係は血液型と性格の関係と同様にコジツケだと思うなぁ。
 例えば"さう脳"は、ものに執着しない、口達者、世話好き、気が小さいそうだが"さう脳"の吾輩は人一倍ものに執着するぞ。わーい(嬉しい顔)
 執着しすぎて捨てることができず吾輩の部屋はゴミためみたいになっている。ふらふら
 ペットボトル飲料を買うのがもったいないからペットボトルの空き瓶に麦茶を入れて持ち歩く。番組では"ささ脳"のタレントがしていた行動だ。
 脳の働きから性格判断できるとはとても思えない。
 だからこの番組は科学的には????だと思うがバラエティとしては超オモロイ。わーい(嬉しい顔)
 うさ脳、さう脳、うう脳、ささ脳の性格を立証するサンプルをよく選んだものだと感心してしまう。
 性格心理学の大村教授までかつぎだしてもっともらしくしていることも番組の魅力だろう。
 緊急時にそれぞれの脳がどういう行動をとるかというのも大笑いだった。
 大村教授によると緊急時に人間の性格が最も現れるという。
 吾輩はさう脳だが緊急時には固まってしまう。
 電車火災のときはオロオロして動けず気が付いたときは車内には誰も人がいなかった。
 十勝沖地震のときは呆然と立ちすくんで揺れが止まるまで動けなかった。
 吾輩の性格は軽薄ではなく動かざること山の如しだったんだ。わーい(嬉しい顔)

2006年10月14日

意地悪な体感時計

 丸沼高原のシルバーが滑れるようになるまで後2ヶ月。
 この2ヶ月が長いんだなぁ、、、、がく〜(落胆した顔)
 そのくせスキーシーズンの5ヶ月はあっという間に過ぎ去ってしまう。もうやだ〜(悲しい顔)
 楽しいときや追われるときは時計が進みが速く、耐えるときや追いかけるときは時計が進みが遅い。
 まったく体感時計は意地が悪い。ちっ(怒った顔)

ぼやきの続き

2006年10月11日

一周年

 このブログをはじめて今日で一周年。
 カウンタは13万8千を超えた。わーい(嬉しい顔)
 qinの部屋は2001年11月から始めて24万9千強碁楽苑が2005年1月から始めて6万5千弱だからカウンタの回転の速さに吃驚している。
 もっとも碁楽苑はここで対局するか観戦しようとする人以外はアクセスしないからカウンタが回らないのは当然だから比較するのはおかしいか。(そんな人通りの少ないページにも荒らし書き込みがあるのだから嵐はまさに通り魔だ。がく〜(落胆した顔))
 またqinの部屋のカウンタはトップページにアクセスしないとカウントしないようになっているからqinの部屋のコンテンツをお気に入りに登録して直接そのコンテンツにアクセスするとカウンタは回らない。
 このためコンテンツのカウンタの方がqinの部屋のカウンタを上回る現象が生じたものだった。
 島谷的舞録゛はどのカテゴリにアクセスしてもカウンタが回るし記事を読み直すたびにもカウンタが回るから実際はqinの部屋の来客数と大差ないかもしれない。
06年度カウンター 因みに1日の延べ来客数は300人以上あるがこれは一人が3つの記事を読めば3人とカウントされるから実際は1日30人程度のようだ。
 このブログは私的にはかなり満足できる仕上がりになっているがブログ発足当時は思うにまかせず投げ出したくなる気分だった。
 というか実際に投げ出してしまい数日後に透明党さんから励まされて再開したのが去年の10月11日だったのだ。
 再開したものの思うに任せず愚痴をこぼしていたら見るに見かねて通りすがりさんがHTMLソースまで作ってくださりそれをコピペすることで必要とする機能を満たすことができた。
 通りすがりさんの助け船がなければこのブログはとっくに閉鎖していたと思う。
 この後、棋譜大好きさん、izuizuさんなどからも貴重なアドバイスをいただきここまでこぎつけることができた。
 通りすがりさん、棋譜大好きさん、izuizuさんをはじめこのブログの作成にご尽力をいただいた方々に心から感謝致します。
 また、このブログをご覧くださる皆様にも厚く御礼申し上げます。
 皆様、今後ともよろしくお願い致します。

2006年10月07日

学校はこどもの躾を強化せよ

 学校はこどもの躾を強化せよというと必ず
こどもの躾は家庭ですべきだ。学校に頼るのは甘えだ。
という意見が出てくる。
家庭はこどもの躾をせよ
 正論だ。反論の余地がない。
 しかし、だから学校でこどもの躾をしないでいい理屈にはならない。
 しかも荒廃が進んだ現在こどもにまともな躾をできる家庭はどのくらいあるだろう。
 こどもを正しく躾ることができるように保護者を教育するシステムがない以上は家庭で躾られなかったこどもも正しく躾る体制が大切ではなかろうか。
 マナーを守れないこどもが多数派を占めるとマナーに厳しい親に躾られてマナーを守るこどもは常に大損をすることになる。
 またマナーを守るこどもと仲間になったこどもはマナーを守るこどものために損をすることが多いからマナーを守るこどもを毛嫌いして仲間はずれにしたりイジメたりするようになるだろう。
 するとせっかく正しい道を歩んでいたこどもも親の言うとおりにすると大損をしたりイジメられたりするので親の言うことをきかないこどもに変身するようになってしまう。
 こどもの躾はそれぞれの家庭でするばかりでなく社会が一丸となってしなければ効果がない。
 多発するイジメを低減し明るい日本を育てるためには学校で躾の時間を増やして欲しいと願ってやまない。

常用漢字の呪縛

 Voice of Stone#1426 かな漢字混ぜ書き表記で「新聞に出てくる日本語くらいは多少難しくても(常用漢字でなくても)漢字で表記すべきである。」という意見が載せられた。
 まったく同感だ。
 公用文には常用漢字以外の漢字を使ってはならないという馬鹿げた規定がある。
 報道機関もこの規定に準じているようだ。
 このため「遮断」を「遮」が常用漢字にないため「しゃ断」と書かなければならない。
 なんか間が抜けている。
 「熔接」の「熔」が常用漢字にないから「溶接」と書かなければならない。
 熱で溶かしてつけるのではなく接着剤でつけているみたいだ。
 「絶縁碍子」の「碍」は常用漢字にないから「絶縁がい子」と書かなければならないし「障碍者」を「障害者」と書かなければならない。
 障碍者は障害者と書かれて不愉快ではないのだろうか。
 漢字をひらがなに直したり同音の似た漢字に置き換えたりするのはまだいい方だ。
 凹凸が常用漢字にないため「凹面」「凸面」を漢字で書けない。「とつ面」「おう面」では意味不明になるということで「中低面」「中高面」などという珍妙な用語を作り出して労働省の構造規格に記載された例もある。
 台湾から来た研修生に「中低面」「中高面」の意味を尋ねられ「凹面」「凸面」のことだと説明して大笑いしたことがある。
 安倍内閣が美しい日本を目指すなら常用漢字の呪縛を解きほどいて欲しい。

2006年09月28日

こどもと指導者にはマナーの強制が必要

 ある囲碁サイトで対局前と対局後に挨拶をしないのはけしからん。そのような人は対局できないようにすべきだと息巻く人がいた。
 私は挨拶をしない人間は大嫌いだが自分に対する挨拶を強制する人間はもっと嫌いだ。
 挨拶はマナーであってルールではない。
 ルールは強制されるがマナーは強制するものではない。
 ただし、それは一般の成人に対してであってこどもと指導者にはマナーの強制が必要だと思う。
 マナーを強制されないで育ったこどもはマナーを身に付けないまま成人になってしまう。
 マナー知らずの成人は我が子を持つようになっても我が子にマナーをしつけることができずマナー知らずを増殖させることになる。
 マナー知らずは社会にとって大迷惑だがマナー知らずと白い眼を向けられたら本人も辛かろう。
 こどもにマナーを身に付けさせるためには家庭、学校、サークルなどでマナーを強制する必要がある。
 また家庭の親、学校の教員などこどもを指導する人ががマナーを守らなかったらマナーを守るこどもを育てることができない。
 したがって指導者は少なくともこどもの前はマナーを守るように強制する必要がある。
 マナーを強制されるのは人権侵害だとうそぶきマナーを公然と犯す人間は指導者になってはならないと主張したい。

2006年09月26日

さんちゃん末尾HNの呼び方

 ハンドル名「○○さん」「○○ちゃん」「○○りん」など敬称や愛称で使われる末尾の人はなんと呼んだらいいだろう。
 たとえば「ちびまる子ちゃん」というハンドル名の場合、ちびまる子ちゃんと書いたら呼び捨てにしたことになる。
 さりとて、ちびまる子ちゃんさん、ちびまる子ちゃんちゃん、ちびまる子ちゃんくん、ちびまる子ちゃん様、、、どれもしっくりこない。がく〜(落胆した顔)
 どうしたものだろう。(・・?)

2006年09月23日

国歌をBGMにするな

 我が国は国歌を厳粛なものだと思っていない風潮が強いように思えてならない。
 国旗掲揚や国歌斉唱を反対する日教組の方が右翼団体よりも国歌の尊厳性を認識しているのかもしれない。
 日章旗を引きずり下ろし北朝鮮国旗を掲げて北朝鮮国歌を歌わせた反日教育をする日教組教諭は国歌の尊厳性を知っているからこその行動だろう。
 君が代の歌詞を問題にする人が少ないのは国歌に関心が薄いからではなかろうか。
 吾輩は国歌が流れているときは直立不動の姿勢を取れとはいわないまでも威儀を正して聞かなければいけないと思っている。
 したがって国歌は気軽に流すものではないと思う。
 ところがTPOをわきまえず国歌が流れることが少なくない。
 スポーツニュースの開会式、閉会式、表彰式など国歌が流れる場面を時間お構いなしに放送する。
 食事時間に国歌が流れて威儀を正す人がどれだけいるだろう。
 食事をしながら国歌をニュース報道のBGMのように聞き流すだろう。
 我々は国歌を威儀を正さず聞き流すように習慣づけられてしまっている。
 だから外国の国歌が流れても当然のように威儀を正さず聞き流す。
 外人に対して非常に失礼な行動をそうとは感じないでしてしまう。
 外人は日本人を無礼千万な国民だと思うだろう。
 国歌が流れるニュース報道のときは音を消す配慮をして欲しいものだ。

2006年09月21日

専門バカ

 吾輩は高校・大学の頃オーディオに凝りまくった。
 当時はアンプ、スピーカーなど発展途上の時代だった。
 いまではヘッドホンステレオでさえ50Hz〜12000Hzの再生ができるのに当時は10000Hzまで再生するのは至難の業だった。
 当然オーディオマニアは周波数帯域を広げるのに血眼になったものだ。
 凝り性の吾輩もご多分に漏れずいろいろな手段を講じて周波数帯域を広げたものだった。
 当時の技術では周波数帯域を広げるとその副作用として音のキレが悪くなるのがお約束だった。
 しかしフラットな周波数特性を誇らしげに自慢しオーディオに興味を持っていない人がその音を聞いて歯切れの悪い音だと批判すると素人は音の良さがわからないんだと心の底でバカにしたものだった。
 オーディオに限らず専門家は素人を蔑み素人の意見を間違っていると決めつけてしまう傾向がある。
 専門分野にのめり込むといつのまにか本能的な素朴な考えから乖離してしまうようだ。
 吾輩はあるとき扉の向側で練習しているオーケストラの音を聞いて目から鱗が落ちた。
 扉が閉じているから高音域がカットされ周波数帯域は狭いはずだ。
 それなのに素晴らしい音だ。
 いい音というのは周波数特性だけではないのだ。
 吾輩が作ったオーディオの音をキレの悪い音と批判した人は正しかったのだ。
 この時以来周波数特性にこだわりすぎるのはナンセンスだと思うようになった。

2006年09月20日

吾輩はMCI

 眠い眠い(睡眠)\(ΘoΘ)ノ頭が朦朧としている。( ̄○ ̄;)
 昨夜は無理をして深夜22時近くまで起きてしまった。
 テレビ朝日たけしの本当は怖い家庭の医学のせいだ。ちっ(怒った顔)
 この番組はいつもは深夜20時からなので見たり見なかったりだが昨夜は特集で19時からの3時間番組になっている。
 最初の方だけ見て途中で寝るつもりだったが病気の順番が糖尿病、橋本病、胃癌、アルツハイマー病で吾輩のいちばん見たいアルツハイマー病が番組の最後の方になっているのだ。ちっ(怒った顔)
 アルツハイマー病に怯えている吾輩は見ないわけにいかない。
 頑張って遅くまで起きてしまった。
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2006年09月17日

絵文字はボケ防止に役立つ

 昨晩のTBS「人間!これでいいのだ」で絵文字はボケ防止に役立つというテーマが放映された。
 えっexclamation&questionホントー(^_^;)?
 この番組は娯楽色を豊かにするために内容的に眉唾ものが多い。
 ま、面白いからいいかわーい(嬉しい顔)
 絵文字の例としてコギャル達の携帯メールが画面に映る。
 なんじゃこりゃーexclamation×2
 絵文字の羅列で文字はところどころ。
 なるほど脳をフル回転させなければ意味を汲み取ることができない。
 登場した専門家(名前を忘れた)は絵文字は脳を活性化させるという。
 Seesaaには絵文字が準備されている。
 吾輩は顔文字とか絵文字が好きなのでせっせと使っていたがコギャル達の足下にも及ばない。ふらふら
 これからは更に積極的に使って脳を活性化しよう。わーい(嬉しい顔)
 しかしSeesaaで用意している絵文字は意味不明なものがいっぱいある。ちっ(怒った顔)
 吾輩に使えそうな絵文字だけに限定すると絵文字だけで記事を書くことができないなぁ。がく〜(落胆した顔)
 絵文字に使えそうなアイコンをせっせと集めてSeesaaにアップロードしようかな。

2006年09月16日

一本締めと一丁締め

 よーーーーっとかけ声をかけてポンと手を打つ。
 吾輩はこれを一本締めと思っていたがこれは一丁締めだそうだ。
 一本締めはよーーーーっのかけ声の後にチャチャチャン・チャチャチャン・チャチャチャン・チャンッ!と手を打つことだそうだ。
 吾輩はこれを三本締めだと思っていた。(/o\)
 三本締めはよーーーーっチャチャチャン・チャチャチャン・チャチャチャン・チャンッ!それっ!チャチャチャン・チャチャチャン・チャチャチャン・チャンッ!それっ!チャチャチャン・チャチャチャン・チャチャチャン・チャと!一本締めを3回繰り返すのであった。
 一本締めのチャチャチャン・チャチャチャン・チャチャチャン・チャンッ!は9回打って1回打つ、に点(チャンッ)を加えてにする、丸く収めるという意味だそうだ。
 へぇーーーー。

ボケに効く薬はない

 TBSの金スペ!に脳年齢チェックがあったのでトライした。
 なんとexclamation×24点しかとれない。ふらふら
 出演者のなかで最低だ。がく〜(落胆した顔)元モームスの安倍麻美よりも点数が低い。もうやだ〜(悲しい顔)
 脳年齢を改善する食べ物はオメガ3脂肪酸(α-リノレン酸、DHA、EPA)を含むものがいいという。
 そのような食品を摂っていない人ならそれを食べるようにすれば改善されるかもしれないが吾輩はイワシ、サンマ、アジなどの刺身は毎日のように食べている象。
 これらの成分は摂りすぎても害になるから吾輩は改善の余地がない。もうやだ〜(悲しい顔)
 番組はまだまだ続くがガックリして見るのをやめ寝床に潜り込んでしまった。

2006年09月15日

ゆうこりん流択一問題の極意

 クイズ!日本語王の択一問題で小倉優子の正解率は驚くばかりだ。
 今回も他のゲストの点数が悪いのを尻目に殆ど全問正解に近く当てている。
 過去の解答を総合すると9割以上は当てているだろう。
 皆が不思議がっていると小倉優子曰く『コツがあるんですよ。わからないときは短い文を選ぶんですわーい(嬉しい顔)
 なるほどexclamation×2
 吾輩は択一問題を作ったことがあるが引っかけ問題を作るときは間違いの文章は長くなりがちだった。
 択一問題を作るときは正解と間違いの文の長さを揃えるようにしなければいけないのだなぁと目から鱗だった。

2006年09月14日

アブナイ女に狙われて

 雨が上がったので昼食後に滑りに出かけた。
 帰り道、家まで後500mのところで川沿いのフェンスのところに自転車を置いて初老の女が川面を眺めている。
 鴨に餌付けをしているのだろうと思いながら通り過ぎようとしたとたん女は振り向きざま殴りかかってきた。
 危うくよけて通り過ぎたが追いかけるように殴りつける拳が背中に当たった。
 アブナイ女のようだ。
 街中でもときどき喚きながら歩くアブナイ人が少なくない。
 この女もその類だろう。
 相手にしないに越したことはない。
 同じペースで滑り続けた。
 なんとその女が自転車で追いかけてくる。
 前に回り込んで自転車から降り「お前のおかげで13回忌ができなかった」と大声でわめく。
 ???????
 人違いしてるのかな。
 相手にしないで女をよけて通り過ぎる。
 また追いかけてくる「人でなしexclamation×2くそじじいexclamation×2
 わめきまくっては前に回り込み自転車を降りて殴りかかろうとする。
 人違いされているらしい。
 「どなたかとお間違いではありませんか?」
 「間違いじゃないexclamation×2お前だexclamation×2仇を取ってやるexclamation×2
 虚ろな目でわめく。
 やば がく〜(落胆した顔) 聞くんじゃなかった。
 ほんとにアブナイ女だ。
 しかもシツコイ。
 家の前まで追いかけてくる。
 門の中に入ったら通り過ぎて行ったが家を覚えられてしまった。
 放火でもされたらどうしよう。がく〜(落胆した顔)
 警察に通報しても相手にしてくれないだろうなぁ。

2006年09月11日

一つペケなら全部ペケ?

 なにか不具合なことが生じるとそれに関連するすべてのことを否定する人が少なくない。
 安全性を強化するために検査態勢の強化が必要と発言すると耐震偽装の例を挙げ検査をしても安全性が高まるとは限らない。検査機関を増やして役人を喜ばすだけだと反論する人が必ず出てくる。
 安全性を強化するために安全装置の設置が必要と発言すると安全装置が故障したり安全装置を働かないようにする人がでてくるから意味がない。安全装置を増やしただけ故障の可能性を増やすだけだと反論される。
 この人たちの論理からすれば家に鍵をかけるのは無駄だろう。
 家に鍵をかけても泥棒に入られる家があるし、鍵が故障して自分の家に入るのに苦労しなければならないこともある。
 アルセーヌルパンのような盗賊なら鍵が厳重な家に侵入することに喜びを感じるかもしれない。
 だから鍵をかけない方が鍵をかけるより盗賊が侵入しないという理屈はないだろう。
 鍵をかけても泥棒は入るかも知れないが鍵をかけない家の方がもっと泥棒が入りやすいだろう。
 検査機関があっても検査機関が見落として不良品がパスすることがあるかもしれないがだから検査機関は無駄だというのは暴論だ。
 検査機関がなければもっと不良品が横行するだろう。
 安全装置があっても事故が起きることがあるかもしれないが安全装置がなければもっと事故率が高くなるだろう。
 必要以上に検査機関や安全装置を増やすことは無駄だが経費節減で省略しすぎては危険きわまりない。

 多発する飲酒運転による事故を防ぐためにも外国で実施している車のキーにアルコールセンサーを組み込んだイグニッションロッカーが日本にも導入されることを期待して止まない。

魔の時間

 我輩はカップ麺を食べたことがないし食べようとも思わない。
 理由は3分間じっと待つことに耐えられないからだ。
 待てない症候群の我輩はなにもしないで待っていることに耐えられるのは1分が限度だ。
 待ち時間が長い場合は本を読むなどほかの事をして気を紛らせることができる。
 しかし不器用な我輩は3分ではほかのことをすることができない。
 うっかりほかのことをするとそちらに集中してあっという間に10分以上経ってしまう。
 3分後にアラームをセットするとそちらが気になりほかのことが上の空になってしまう。
 我輩が安心してほかのことができるのは30分以上余裕がある場合で時間制限が30分だと5分でできることでも焦って失敗してしまう。
 さりとてなにもしないで30分すごすのは3分待つことでさえ我慢できない我輩にとって拷問に等しい。
 3〜30分は我輩にとって魔の時間なのであった。

2006年09月10日

リレー習字

 昨夜のNTV世界一受けたい授業誰でも文字が上手くなる3つの極意でリレー習字が紹介された。
 吾輩はこどもの頃から習字が大嫌いだったし上手な字を書こうという気持ちがないから武田双雲講師の説明を聞き流していた。
 ところが13画の文字「愛」を13人のゲストが1画ずつ書いていくリレー習字で習字にこんな面白い一面があるのかと目から鱗だった。
 前の人の書いた状態を見ながら後の人が筆を加えやすいようにバランスをとるように1画を加える。
 いやでも頭をフル回転させることになる。
 武田双雲講師の適切なアドバイスで1画ずつ書いていってそれなりの字になった。
 スリリングで楽しいゲームだ。
 習字の時間にこのようなゲームが採り入れられたらきっと習字が好きになったに違いない。

2006年09月09日

携帯ゲーム機の弊害

 缶蹴り、鬼ごっこ、まりつき、ゴム跳びなど外で遊ぶこどもを見かけなくなって久しい。
 学校が終わってから日が暮れるまで外で遊びまくっていたら食べるなといっても夕食をばくばく食べ寝るなといってもバタンキューと寝て夜更かしなどできないだろう。
 なぜ外で遊ぶ子どもがいなくなってしまったのだろう。
 塾通いも大きな原因に違いない。
 しかし塾通いしないこどもも外で遊ばない。
 ゲーム機だ。
 ゲーム機を弄んで時の経つのを忘れている。
 テレビに接続するテレビゲームの時代は親がテレビのスイッチを切ればゲームができないから夜更かしの歯止めになった。
 しかし携帯ゲーム機の普及でテレビがなくてもゲームができる。
 外に遊びに出かけてもからだを動かすのではなく友達と携帯ゲーム機で遊ぶようになってしまう。
 これでは運動不足になるのは当然だ。
 携帯ゲーム機の弊害は運動不足だけではない。
 眼球を動かす範囲が狭くなってしまうことが大問題だ。
 人間の脳は眼球を大きく動かすことによって活性化されるという。
 狭い範囲しか見ないでいると脳の働きが鈍くなり学力低下につながるという。
 学習時間が短くなるのが学力低下の原因なら外で遊んで勉強しないのもゲームをして勉強しないのも同じことだが外で遊べば眼球を大きく動かすが携帯ゲーム機で遊ぶと殆ど動かさない。
 発達途上の脳が活性化しないというのは由々しき問題だ。
 こどもから携帯ゲーム機をとりあげれば問題解決かもしれないがこども同士のコミュニケーションが携帯ゲーム機によって行われている現状では一家庭だけで携帯ゲーム機をとりあげてしまうことはこどもを仲間はずれに追い込むことになる。
 しかし学校ぐるみ地域ぐるみで携帯ゲーム機で遊ぶ時間を制限することは不可能に近いだろう。
 なにかいい方法はないものだろうか。
 

2006年09月08日

びっくり

 昨夜のTBSクイズ!日本語王ビックリの語源が話題になった。
 第1次世界大戦で徳島の捕虜収容所に収容されていたドイツ兵捕虜がドイツの敗戦を報じられたとき口々にビュクリッヒと叫んだことから驚くことをビックリというようになったという。
 こりゃビックリ。
 正確にはどんな意味なんだろう。
 BÜKLICH、BÜKRICH、BUICKLICHなどなど独和辞典を調べても該当する単語が見あたらない。もうやだ〜(悲しい顔)
 ビュクリッヒってどんなスペルなんだろう。
 趣味のごがくで話題にならないかしらん。わーい(嬉しい顔)

2006年09月05日

ハートは5文字

 昨夜のフジTVのネプリーグにこんな問題が出た。
次の言葉を英語で書け:  黒ハート
 心はハートだ。
 HART、HIRT、HERTのどれだろう。
 あれexclamation&questionこれじゃ4文字だ。
 5文字ってことは、、、まさかローマ字かなぁ。
 HA-TO、HAATO、HAHTOどれだろう。
 うーーーーーん┗(-_-;)┛
 タイムアップどんっ(衝撃)
 ガーンふらふら できなかったぁもうやだ〜(悲しい顔)
 ネプチューンチームの答えは
HEARO
 5人目の回答者の発想はオイラと一緒やなぁわーい(嬉しい顔)

2006年09月03日

10唱ゲーム

 カモシカ・カモシカ・カモシカ・カモシカ・カモシカ・カモシカ・カモシカ・カモシカ・カモシカ・カモシカ
 サンタクロースが乗っているのは?
 騙されてカモシカなんて言わないぞ!!!
 トナカイ !
 どうだぁ手(チョキ)
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しょうがない・くやしい・なさけない

 失敗した、負けた、うまくいかない、、、
 こんなとき吾輩に生じる感情は次の3つのうちのどれかだ。
  • しょうがない

  • くやしい

  • なさけない
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2006年09月02日

わかってしまえば当たり前

 テレビ東京ロンブーの怪傑トリックスターはアハムービーやアハチェンジが出題される。
 吾輩はアハムービーやアハチェンジが大の苦手。
 じーーーーと目を凝らして見つめていてもどこが変化しているかわからない。
 何回も繰り返されヒントまで出されてもできない。
 ところが解答として開始画面と終了画面を見せられるとその大変化に驚き再び問題を見せられると変化の状況が明確にわかりこの問題が解けない方が不思議と思うようになる。
 人はわかってしまえば当たり前になりわからない方がおかしいと思うようになるのだろう。
 同じ環境に住んでいるグループにとっては当たり前のことでも違う環境に育った人には全然わからないことはいっぱいある。
 当たり前と思っている人は当たり前のことがわからない人に腹を立て、当たり前と思っていない人は当たり前と思っている人の不親切さに腹を立てる。
 異文化交流に摩擦が生ずるのは無理もないなぁ。

2006年08月31日

吾輩の前頭葉は欠陥品

 脳細胞はどんどん死滅し再生されることはないと言われているがレディス4で最近の研究では脳を使えば脳細胞が増えると久保田京都大学名誉教授が語った。
 人間の脳は快よさを感じると腹側被蓋野(ふくそくひがいや)が刺激を受け脳が活性化するそうだ。
 快感を得る方法として
  • 美味しい食事を摂る

  • 目的の先に報酬がある

  • 過去のことを思い出す

  • 仲間と唄う

  • 恋愛する心、化粧する心をもつ

  • 料理を作る
が効果的だという。
 吾輩はこどもの頃から化粧する心が皆無だ。
 学帽を靴墨でベタベタにしてかっこいいと競っていた時代そのような行為が阿呆くさく感じてなにも加工しなかった。
 ヘアスタイルなど気にしたことがないから自分で散髪してひよこ刈りのままで出歩くのだ。
 こんな調子だから脳の老化がはやいのかなぁ。がく〜(落胆した顔)
 過去のことを思い出すというのは年寄りが昔のことばかりいうような懐古的なことではなく思い出す習慣をつけることだという。
 散歩して家に戻ってから散歩中のできごとを思い出すのも脳の活性化に非常に効果的だそうだ。
 自伝を書いてみるのも老化防止に役立つという。
 ブログなんかぴったりだなぁ。
 脳の敵はストレスだという。
 ストレスは脳細胞とくに海馬を死滅させる。
 吾輩は碁をリアルタイムで対局するとストレスの塊になる。だから先月から碁のリアルタイム対局をしないことにした。しかし碁は脳にいいと言う人はいても脳に悪いと言う人はいない。何でだろるんるん何でだろるんるん
 番組の後半で簡単な脳チェックが行われた。
第1問 次のことばを復唱しなさい。
    こたつ ぞう めがね
 これは楽勝手(チョキ)
第2問 次の言葉を逆からいいなさい。
    ほうきぼし
 考え考え し ぼ き う ほ と言えた。┗(-_-;)┛
第3問 第1問のことばをいいなさい。
 ガーンexclamation×2できないふらふら
 久保田名誉教授によると第3問ができないことはワーキングメモリーの劣化だという。
 ワーキングメモリーは前頭葉にあるという。前頭葉で一時的な記憶をし、後頭葉で長く記憶にとどめることになるのだそうだ。
 吾輩はこどもの頃から一時的な記憶が苦手だった。
 番地を教えられてそこを訪ねるときも電柱の番地表示を見ると覚えていた番地がわからなくなりその都度メモを取り出して確認するていたらくだ。
 そのくせ覚えたことはどうでもいいことでもいつまでも覚えている。
 島谷は物覚えが悪いが記憶力はいいと冷やかされたものだ。
 吾輩の前頭葉はもともと欠陥品のようだ。もうやだ〜(悲しい顔)

2006年08月29日

見張られている?見守られている?

 建物(個人の住宅を含む)の各部屋すべておよび道路の一定間隔毎に防犯カメラを設置し異常を感知すると10秒前から録画するシステムが設置された場合、見張られていると感じる人と見守られていると感じる人とどちらが多いだろう。
 このシステムが実現すれば犯罪は激減すると思うから吾輩は見守られていると感じ大歓迎だ。
 悪事を企む人は当然見張られているからこのシステム反対だろう。
 しかし善良な人でもいつも見張られていてプライバシーを侵害されるようで嫌だという人も多いだろう。
 またこのシステムを悪用すれば独裁国家になるから反対だという人もいるだろう。
 吾輩は悪用されるから反対という意見を聞くとなぜ悪用を防ぐ方法を論じないのか腹立たしい。
 閑話休題
 行き届いた防犯システムを見守られていると感じ賛成する善良な人と見張られていると感じて反対する善良な人とどちらが多いだろう。

2006年08月24日

オランダ警察を見習え

 アムステルダム発インド・ムンバイ行きの米ノースウエスト機で挙動不審な乗客12人がオランダ警察に逮捕された。
 この機敏な行動のおかげでテロが未然に防げたといえよう。
 しかし逮捕された乗客はテロリストでない可能性も十分ある。
 日本の警察だったら権力乱用と批判されるのを恐れて確実な証拠があがるまでは逮捕しないのではなかろうか。
 吾輩は法律の素人なので罪を犯していない人が嫌疑を掛けられることを冤罪と表現していたがそれは間違いで無実の人が犯罪者として刑罰が科せられることを冤罪というのだと教えられた。
 それなら悪いことをしていないのに嫌疑をかけられることはなんというのだろう。
 また無実なのに容疑者として逮捕されることはなんというのだろう。
 吾輩が犯罪を抑止するにはある程度の冤罪はやむを得ないと言ったのは無実な人を逮捕することを指したのであった。
 吾輩は正しい用語を知らないので無実の人を逮捕することを冤罪と勝手に定義して以後の文章を記す。
 オランダ警察に逮捕された挙動不審な12人はテロリストとして扱うのは冤罪の可能性がある。
 しかしテロ活動をされてから逮捕ではときすでに遅しだ。
 冤罪を恐れず挙動不審な乗客を逮捕したオランダ警察に敬意を表したい。

変な採点法

 ボクシングの判定問題がいまだにくすぶっている。
 吾輩は亀田選手が大嫌いだが判定がおかしいと思われることまで彼のせいにされるのは気の毒だと思っている。
 なぜ判定に違和感が生じるのだろう。
 それはダウンを奪たラウンドは2点、優勢なラウンドは1点という採点ルールに尽きると思う。
 野球でたとえてみよう。
 Aチームは1回と7回に打線が炸裂して大量得点を奪ったがその他のインニングはランナーを出すことなく完封された。
 Bチームは毎回得点圏にランナーを進めAチームを脅かしたが封殺され得点に結びつかなかった。
 結果は15対0でAチームの勝ちとなった。
123456789
A80000070015
B0000000000
 Bチームファンは大いに悔しがるだろうがAチームが勝ちであることに疑惑を生じないだろう。
 野球の採点がボクシングのように相対的採点にしたらどうなるだろう。
 獲得点数の多いインニングを2点、優勢なインニングを1点としよう。
 するとAチームは1回に得点を奪ったから2点獲得、その他のインニングは優勢なBチームに1点が与えられる。
123456789
A2000002004
B0111110117
 この採点を合計すると4対7でBチームの勝ちということになる。
 こんな採点方法で勝ち負けが決まったら両チームのファンは納得するだろうか。
 ボクシングの判定に観客が納得しないのは当然だろう。
 採点制を廃止し2回ダウンを奪ったら勝ちとしたらすっきりするのではなかろうか。

2006年08月22日

手段を目的と間違えるな

 目的を達成するためにはそれに適した手段が必要だ。
 いろいろな手段があるうち特に効果的な手段は定番の手段となって大勢の人が使うようになる。
 その手段を使えば簡単に目的を達成できるのでいつのまにかその手段が目的と勘違いされるようになってしまうことが多い。

 学校は知識や人間関係を学ぶための非常に効果的な手段だ。
 しかしいつの間にか学校に通うことが目的になってしまっていることが多い。

 定石は局面が不利にならないようにするための有力な手段だ。
 しかし定石が目的になってしまうと局面の状況にお構いなしに定石通り打って非勢に陥り「定石はこうだと負けた方が言い」ということになってしまう。

 人間が豊かな生活をするためには自然との調和が必要だ。
 環境破壊は人類を滅亡に導くことになるから環境保護に努めなければならない。
 しかし環境保護が手段から目的に化けてしまうと生態系を壊さないようにと人間の生活に役に立つ外来生物を駆除しようとする。
 またグリーンピースのような自然保護を錦の御旗に掲げた圧力団体が現れ人間の生活を困窮に陥れても野生動物を守ろうとする。
 蚊や蠅を駆除することを環境破壊と非難されるようになったらどうしよう。

 吾輩は東京大空襲被災経験者だ。疎開先ではしっかり虐められた。疎開から戻れば行き倒れを目の当たりにしている。戦争の悲惨さは嫌と言うほど体験している。
 戦争を知らない世代でも戦闘地域の難民の惨状はテレビ報道で戦争の悲惨さを知っているだろう。
 戦いがあるから戦争が起こるのだ。戦いを避けよう。
 たしかに戦いを避けることができれば戦争は起きない。
 戦いを避けることは非常に素晴らしい手段だ。
 しかし相手が問答無用と戦いを挑んできたときはどうする。
 話し合いが通じない相手と戦いを避けるには逃げるか捨てるかしかない。
 逃げられない状態だと戦いを避けるには捨てるしかない。
 捨てるものが取るに足らないものだったら戦って大怪我をするより捨てた方が得策かもしれない。
 しかし命にかかわるものを捨てなければ戦いを避けることができない場合はどうする。
 戦いを避けるのは命を大切にするための手段であって目的ではない。
 身を守るために断固戦わなければならない。
 戦うためには身を守るために必要な力がなければ意味がない。
 それなのにいっさいの力を否定する自称平和主義者が多い。

 目的を達成するために有効な手段はいつのまにかその手段が目的になってしまう。
 なんとかならないものだろうか。

2006年08月20日

我輩はさう脳ホンマかいな

 TBSの新番組人間!これでいいのだで人の癖と脳の働きが取り上げられた。
 手を組み合わせるときは理解を司る後頭部が働き、左親指が下になれば左脳の後部、右親指が下になれば右脳の後部の働きが強いそうだ。
 腕を組み合わせるときは行動を司る前頭部が働き、左腕が下になれば左脳の前部、右腕が下になれば右脳の前部の働きが強いそうだ。
 吾輩は手を組むときは左親指が下になり腕を組むときは右腕が下になるからさう脳だそうだ。
 番組によると
  • ささ脳⇒まじめで几帳面

  • うう脳⇒楽天的なマイペース

  • さう脳⇒世話好きでおおらか

  • うさ脳⇒個性豊かな負けず嫌い
だそうだ。
 ということは我輩は世話好きでおおらかタイプということになる。
 当たってないぞう。
 我輩は自他共に許すこせこせタイプだ。ふらふら
 我輩はお節介は好きだが世話好きではない。
 幹事とか役員など責任をもって人の世話する役目はご免こうむりたい。
 上記4タイプに強いて当てはめればうさ脳だろう。
 しかし右親指が下になるように手を組んだり左腕が下になるように腕を組んだりすることは違和感がありまくりだぞう。がく〜(落胆した顔)
 番組の終わりで人の癖は変わることがあるから手組み腕組みの癖と脳のタイプとは一致しないこともあると付け加えられた。
 うーーーーん、我輩の癖はいつ変わったんだろう。
 一致しない人がいっぱいいたらこの性格判断は意味ないじゃん。わーい(嬉しい顔)
 血液型性格判断と似たようなものなのかなぁ。

2006年08月19日

削除の是非

 荒らしの書き込みには
  • アダルトサイトからの無差別書き込み

  • 罵詈雑言
の2種類がある。
 前者はうっかりクリックするとウイルスに感染したり暴利サイトへ自動入会して高額な請求書が送りつけられてきたりするおそれがある。
 これをこのまま放置しておくと自分も加害者になってしまうおそれがあるので早急に削除することにしている。
 しかし就寝しているとき旅行したときなどWebにアクセスできない環境にいるときは削除できないのが悩みの種だ。
 朝起きて10件以上もアダルトサイトからの書き込みがあるときはぎょっとする。
 この手の書き込みは特殊なツールを使うらしく書き込み禁止に設定しても書き込まれることがあるから恐れ入る。
 あまりにも荒らしの書き込みが多く削除に追われる掲示板の閉鎖を行い始めたらqinの部屋の掲示板は級位者ハッスル道場だけになってしまった。

 後者はホームページやブログのオーナーに怨恨をもっている者の書き込みであろう。
 吾輩は思ったことをズケズケと過激に発言するので憎まれることが多い。
 吾輩を憎んだりイジメてやろうと思っている人は星の数ほどいるはずだから特定のしようがない。
 罵詈雑言の書き込みに反応すると火に油を注ぐことになるから一切レスをしないようにしているがそれでもしつこく書き込まれることがある。
 面倒なのでその掲示板も閉鎖した。
 これで一件落着かと思っていたら今日ゲストブックに「閉鎖したなザマミロ」との書き込みがあったので驚いた。
 思わず削除してしまったが罵詈雑言の書き込みはアダルトサイトの書き込みと違って他の人に害を及ぼすものではない。
 削除することによって書き込んだ人に刺激を与えるおそれがあるから削除しない方がよかったかもしれない。
 荒らし書き込みの対策は頭が痛い。

2006年08月18日

財布の紐

 クイズ!日本語王財布の紐が○○い○○は「A:長い」「B:固い」どっちという問題が出された。
 財布の紐が○○いというところまで見た瞬間固いと叫ぶオイラ。
 出演者も梅沢富美男を除き全員
 梅沢富美男は舞台では財布の紐は長いという。
 また梅沢富美男のしょうもない能書きが始まったとせせら笑うオイラ。
 ほかの出演者も梅沢富美男の弁を嘲笑混じりで聞く。
 正解は、、、、、、、
 なんと
 梅沢富美男の得意満面な顔が大写し。
 財布(巾着)を紐で閉めてから巾着を余った紐でぐるぐる巻くから紐が長いと巾着を開けるのに手間取る。
 だから払いの悪い人を財布の紐が長いというのだそうだ。
 へぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2006年08月17日

副作用を恐れすぎるな

 薬に副作用はつきものだ。
 この副作用を嫌って薬の服用を拒む者も少なくない。
 統合失調症患者は薬を飲むとからだがだるく鬱症状を呈したりする副作用が生じる。
 そこで「この薬さえ飲まなければてきぱきと動ける。からだが思うように動かないのは薬のせいだ。」と薬を飲むのを拒む患者が多いという。
 家族の目を盗んで薬を捨て飲んだ振りする患者もいるという。
 その結果、病状が悪化し幻聴や幻覚症状を起こしたり凶暴になったりする。
 病気を治すためには副作用があっても薬の服用が絶対に必要なのだ。

 検査、取り締まり、刑罰なども社会秩序を保つための薬だろう。
 したがって副作用も当然あろう。
 薬効を高めるほど副作用も強くなるに違いない。
 北朝鮮などの独裁国家は強すぎた副作用の典型的な例だと思う。
 この副作用を恐れて厳しすぎる検査体制や重すぎる刑罰に反対する人が少なくない。
 たしかにからだを破滅するような強い副作用が生じる薬を服用するのは間違っている。
 しかし副作用を恐れるあまり治癒に必要な薬を服用しないのは本末転倒だ。
 検査、取り締まり、刑罰なども副作用を恐れるあまり形ばかりの規定では社会秩序を保てまい。
 副作用を恐れず社会秩序を維持するために必要な検査制度、迅速な取り締まり、厳しい刑罰などを制定すべきだと思う。
 もちろん副作用が生じたら副作用を和らげる薬を併用することは必要だろう。
 副作用を和らげるための薬の副作用を和らげるための薬・・・・・・と副作用を和らげる薬の連鎖で薬漬けになることを心配する意見は副作用をゼロにしようとしているからだと思う。
 薬を必要とするのに副作用をゼロにしようというのは間違っている。
 身の破滅を招く副作用は避けなければならないが我慢可能な副作用を覚悟すれば副作用を和らげる薬の連鎖を免れることができるはずだ。
 薬を必要とする場合は副作用があっても薬を使わなければならないと声を大に叫びたい。

2006年08月15日

終戦記念日に感慨なし

 私が終戦を迎えたのは国民学校3年生のときで疎開先の長野県小県郡神川村だった。
 どこで玉音放送を聞いたか覚えがない。
 周りの人たちの反応も記憶にない。
 疎開者の私の生活は翌日からもとくに変わりはなかった。
 日本が負けたと実感したのは夏休みが終わってからだった。
 習字の時間でもないのに硯と墨と筆を用意させられた。
 習字の準備が終わったら教科書を先生の指示に従って墨で塗りつぶされた。
 教科書を燃やした記憶はない。
 塗りつぶした教科書で勉強した以外はとくに生活の変化はなかった。
 このため終戦の想い出がなにもなく終戦記念日に感慨が湧かない。
 終戦を体験している私でさえこの有り様だから靖国問題がなければ今の若者は終戦記念日を意識しないのではなかろうか。

2006年08月13日

オキシトシン

 昨夜のぴーかんバディ!のテーマ「恋人・夫婦・親子の絆を深める幸せ体質を決めるホルモン」でオキシトシンというホルモンが紹介された。
 オキシトシンは人と人との信頼関係を深くするホルモンで学習能力を高めたりストレスを抑制する働きもあってこの生成が多い人が幸せ体質だそうだ。
 オキシトシンが少ない人は猜疑心が強く協調性に欠け人から嫌われる不幸体質だという。
 オキシトシンは出産や授乳のときに大量に出るそうだが化学合成でもできるようだ。
 癇癪が強くすぐに噛みつく犬の傍で合成されたオキシトシンを噴霧しところ犬が穏やかになりなついていない人にもおとなしく抱かれたのには驚いた。
 心と心の信頼関係が築かれていないから効果は一時的なものだそうだが、これを繰り返すと本当の信頼関係が得られるのではなかろうか。
 オキシトシンの威力に感心したが悪用されたら詐欺被害者が激増するのではなかろうか。
 オキシトシンが大量生産できるようになっても処方薬として一般に売り出さないようにして欲しいと思った。
 オキシトシンの生成が少ない不幸体質の人は薬としてオキシトシンを摂取しないでも手や指をオリーブオイルを塗た手で優しくマッサージするタクティールケアにより体内でオキシトシンを作ることができるそうだ。
 となればオキシトシンは一般に販売しないで欲しいなぁ。

2006年08月11日

いちゃもん対策

 AさんはBさんのことを大切な人だと思っている。
 Bさんは頭がいいし仕事ができる。
 しかしAさんがBさんのことを大切にしているのは頭がいいからでも仕事ができるからでもなくBさんの人柄に傾倒しているからだ。
 ある日AさんはC氏とD氏に「Bさんは頭がわるくても大切な人だ」と語った。
 その言葉を聞いたC氏はAさんにBさんは頭がわるいのかと問い詰めた。
 D氏は他の人に「AさんはBさんのことを頭が悪いと言った」と触れ回った。
 組合幹部やごろつきにはD氏のようなタイプが多い。
 言葉尻をとらえてAさんにいちゃもんをつけ、なにがしかをせしめようというつもりだろう。
 C氏はD氏ほど悪辣ではないが自己顕示欲の塊のような人間だ。
 このような人間はダブルスタンダードをもっているから議論が噛み合わない。
 相手の言葉尻を捉えていちゃもんを付け相手より自分の方が優れていることを顕示し優越感にひたるのだろう。
 C氏は気分いいだろうがC氏にお付き合いする人のストレスは並大抵のものではない。
 ビジネスの相手なら我慢して相手するのも業務の一つと我慢するしかないがビジネスを離れてお付き合いはしたくない。
 吾輩はおっちょこちょいなので言葉尻を捉えられるとつい弁明してしまい、その弁明の言葉尻を捉えられどんどん追い込まれてしまう。
 いちゃもんをつけられた場合は相手にしないのがいちばんだとは思うがホットケーキにすると他の善意の人にまで誤解されそうでこわい。
 いちゃもん常習犯はアクセス禁止にしてしまった方がいいのだろうか。

2006年08月10日

本省役人は仕事熱心

 私は数年ほど労働省の外郭団体でボイラーや圧力容器の検査業務の傍ら労働省の諮問委員会やJISの委員会に委員として出席していたことがある。
 これらの委員会は関係省庁の役人、学識経験者、メーカー側委員およびユーザー側委員から構成されている。
 これらの委員会に参加するようになってから役人は怠け者だという認識が大いに改められた。
 これらの委員会に出席する労働省の安全専門官は実に勉強家だ。
 専門家から難しい数式のレポートが提出されてその場で首をひねることがあっても次回には審議に必要な程度までは把握してくる。
 安全専門官の知識はへまな大学教授より優れていると感じた。
 安全専門官を訪ねて本省を訪れたときも狭い机に専門書がいっぱい積まれていて研鑽の跡が伺われる。
 夜遅くまで仕事をしている姿に頭が下がる思いをしたことが少なくない。
 日本の役人が本省の役人のように仕事をしたら役人の数は1/3以下になるのでないかと感じた。

責任逃れができない制度作りが肝要

 hidew語録:■役人に期待すべきでないものの筆頭は「責任」だ。
 hidewさんは官が官をチェックするという体制だけはなんとしても避けるべきだと主張される。
 hidewさんはなにごとも快刀乱麻ずばっと切り捨てるので小気味よい。
 しかし今回の意見は建設的でないように思う。
 役人は無責任だから役人に頼るのは止めよでは得られるものはなにもない。
 確かに役人=無責任といいたいほど無責任な役人が多いのは確かだ。
 だが無責任なのは役人だけだろうか。
 パロマをはじめマスコミで報道される多くの事件の登場人物はみな無責任の極みではないか。
 誰しも責任を負うのは嫌だ。
 なろうことなら責任を逃れたいと思うのは人間の常だろう。
 責任逃れが出来るシステムなら誰でも責任逃れをするだろう。
 人に責任を持たせるためには責任逃れができないシステムを作るべきだ。
 役人に責任を期待できないで切り捨てるのではなく責任を明確にするにはどのような制度が必要かを論じるべきでないかと思う。
続きを読む

2006年08月04日

警察の動きだしはなぜ遅い

 悲惨なニュースが続く日が多い。
 事件が報じられると必ずと言っていいほど「あの事件が起きる前に警察に相談したのに相手にされなかった。」「あの事件が起きる前に加害者が不審行動をするので警察に通報したのに警察は動かなかった。」という声が報道され警察がすぐに動けば事件は防げたはずだと警察を非難する声があがる。
 被害者の立場になれば当然の声だ。
 しかし治安は悪くなっても冤罪をゼロになるようにすべきだという風潮が強い我が国では通報程度ですぐに警察は動けないだろう。
 通報されたら即座に被疑者の調査に動きだしたら事件は未然に防げるかもしれないが事件が起きなければ起きないで悪いことをしていない人間に嫌疑をかけたのは権力の乱用だと警察は非難されよう。
 加害者にとって犯行が成功するのはヒットだが無実の人を検挙するのは警察のエラーだ。
 かつて巨人の川上一塁手は難しい球には手を出さずさっさと一塁に戻っていた。
 球に飛びついてアウトにすれば美技だが球を弾いてしまうとエラーになる。
 手を出さなければヒットになってもエラーにならないから自分の記録は汚れない。
 最善を尽くそうとするよりエラーをしないようにするのが保身術の極意なのだろう。
 神ならぬ身の人間のすることだから間違いをゼロにすることはできない。
 冤罪をゼロにするように努めていても冤罪事件があり警察が非難されている。
 通報にすぐに動かず犯罪が生じてしまい警察の怠慢を非難されるのと早とちりで摘発して冤罪を非難されるのとどちらが警察にとってダメージが大きいだろう。
 前者なら「すみません。今後すみやかに行動するようにします。」と謝れば済むが後者だと謝っただけでは済まないから後者のダメージの方が遙かに大きいと思う。
 治安が悪化してもいいから免罪がゼロになるようにしろという声が高い土壌では速やかな警察の動き出しを望めないと思う。

2006年08月03日

拙者は睡眠障害者

 昨夕(16:05〜16:48)NHK総合のためしてガッテンの再放送で紹介された爺様の生活は超ショックだった。
 この爺様は毎朝3時半に目が覚め朝食は7時、午後はテレビ鑑賞か家の中をプラプラ、外出はほとんどせず夕方5時には入浴をすませてパジャマ姿。夜7時すぎに就寝だという。
 拙者とほとんど同じでごじゃる がく〜(落胆した顔)
 違うのは外出をするということと夜中に5回もトイレに通うことくらいだ。
 専門家によるとこの爺様は睡眠障害の一種で睡眠時間はとれているが体内時計のバランスが乱れていて睡眠の質が悪いという。
 健康な人は昼間は体温が高く夜は低いという変化だが高齢者では体温の変化が小さくなって睡眠の質が低下することがあるという。
 体内時計の老化は活動量も低下し放置するとうつの危険が高まるのだそうだ。
 うーーーむ思い当たることばかりだ。がく〜(落胆した顔)
 拙者は睡眠障害者だったのか。(;>ω<)/
 拙者は夕方5時には食事をする習慣になっているから旅のとき困る。
 宿に夕食を早くしてくれと言っても5時半が精一杯だ。
 夕食は6時半過ぎというひどい宿もある。
 この場合は夕食なしで泊まることにしているが同行者が大勢のときは自分だけ夕食抜きで泊まるというわけにいかない。
 やむを得ず4時半頃に間食をして餓えを凌ぐが夕食のご馳走を残しまくることになってしまう。
 専門家によると体内時計の老化予防のポイント午後1時〜3時の間に30分ほどの短い昼寝をし夕方の5時から30分間ほど軽い運動をして体温を上げるのがいいという。
 無理だぁ ┓(´_`)┏
 夕方5時には食事だぞう。腹が空きすぎていて運動なんかできるか。ちっ(怒った顔)
 爺様はこの方法で起きるのが5時30分夕食が夜8時になり外出することもできるようになったそうだ。
 夜8時すぎまで起きられるようになるのはありがたいが起床時間が5時半ではスキーシーズンのとき困る。
 死神様が寿命10年差し出すなら夜11時に寝て朝4時起きでばりばり活動できるようにしてやると言ったら喜んでお願いするなぁ。
 もっとも寿命を差し出した途端にバタンキューになっちゃうのかな。わーい(嬉しい顔)

犯罪レポート放映にモザイクをかけるな

 フジTVのスーパーニュースでETCゲートの不正突破が取り上げられていた。
 なんと34秒に1台の割合でETCゲートを不正突破して被害総額は2億6千万円にものぼるという。
 当初ETCゲートの開閉バーには固い材料が使われていたがETC通過制限速度内の20km/hで通過してもETCゲートに衝突して自動車に傷を付けるという苦情が多かったため3年前からぶつかっても自動車に傷を付けない柔らかい材質に変えたそうだ。
 そこでETCを設置していない車が高速のままETCゲートに突入すればETC開閉バーを押し開いて通過することができるようになってしまったようだ。
 ETCゲートの不正突破は払うべき料金を払わないのだから万引き同様の犯罪だろう。
 なぜ検挙しないのだろう。
 TVカメラは高速でETCゲートを通過する車を何台も写している。
 この映像を警察に提供すれば犯罪の証拠になるのではなかろうか。
 しかし犯罪車両のナンバーにモザイクをかけているのはなぜだろう。
 このTV報道に限らず通行禁止の場所で通行禁止であると言うことを伝えてもそれを無視して強引に通過する車のナンバーにモザイクをかけるなど犯罪レポート放映にモザイクをかけることが多い。
 人の顔の場合はその人が未成年の場合いまの法制度では顔を晒してはいけないということになっているからモザイクをかけるのはやむを得ないかもしれない。
 しかし車の場合はナンバーを写すことで持ち主が特定できるが運転者は持ち主とは限らないから問題なかろう。
 犯罪レポートのとき車のナンバーが写るのが当たり前になれば犯罪が激減するのではなかろうか。
 そしてTVカメラの映像を証拠としてばりばりと犯罪者を検挙して欲しい。

甘すぎる取り締まり

2006年08月02日

川中島の戦い 引き分けの謎

 昨夕(16:05〜16:48)NHK総合でその時歴史が動いたの「川中島の戦い 引き分けの謎」の再放送を見た。
 歴史を知らない吾輩でも川中島の戦いというのは名前を知ってはいたが5回もあったというのは驚きだった。
 しかも全部引き分けとは exclamation×2
 この謎に対する2つの解釈があり、どちらの解釈に同意するか視聴者に投票させ投票数の多かった方でエンディングを放映するという趣向も面白い。
  • 両者の戦力が拮抗していた
  • 馴れ合いの戦い
 吾輩は後者の解釈に眼から鱗だった。
 たしかに敵ができればグループは一致団結するから自分が統率力を高めるには敵を作るのが手っ取り早い。
 金正日をはじめ多くの政権保持者が利用している手口だ。
 ブッシュ大統領もこの手口を多用しているだろう。
 川中島の戦いが馴れ合いだったとすれば上杉謙信が武田信玄に塩を送った理由が納得できる。
 吾輩は馴れ合い説に同感だったのだが5万票を超えた投票結果は約1500票の差で戦力互角説が多く互角説によるエンディングが放映された。
 うーーーーん残念。
 馴れ合い説によるエンディングを見たかったなぁ。
 しかし互角説のエンディングでも武田信玄が死ぬとき息子に上杉謙信を頼れと告げたり武田信玄の死を知った上杉謙信が慨嘆したり善光寺に武田信玄と上杉謙信の位牌が並べられたりしているところを見ると馴れ合い説を立証しているような気がしてならなかった。

2006年07月30日

長期脳と短期脳

 昨夜のTBSのぴーかんバディ!で放映された「お金が貯まりやすい脳」は吾輩にとって衝撃的であった。
三角13 左図に三角形はいくつあるか。
 吾輩は15個と即答。
 出演者の答えは10個と13個に分かれた。
 正解は13個。
 13個と答えた人の脳は広い視野で考えることができる長期脳でお金が貯まりやすい脳だそうだ。
 10個または9個と答えた人の脳は目先のことしか考えられない短期脳で衝動買いなどするお金が貯まりにくい人だそうだ。
 ゲッ exclamation×2 15個と答えた吾輩の脳はどうなってるんだ。がく〜(落胆した顔)
 冷静に勘定すると15個などという答えが出るはずがない。
 長期脳でも短期脳でもなくボケ脳ではないか。もうやだ〜(悲しい顔)
 オー exclamation ノー ┓(´_`)┏
 短期脳の人は脳の前頭眼窩野(ぜんとうがんかや)の働きが悪く衝動買いのときは瞳孔が開き放しになっていて脳の機能が停止しているそうだ。
 問題を出されるや否や答えてしまう吾輩の瞳孔は閉じたことがないのに違いない。ふらふら

2006年07月24日

犯罪者と受刑者を区別せよ

 現在の法制度では犯罪者=受刑者のようだ。
 裁判で刑罰が確定するまでは犯行が明白な場合でも犯罪者ではなく容疑者だ。
 そして刑罰が免除されれば無罪ということで犯罪者でなくなってしまう。
 目の前で人が殺され加害者が逮捕された。
 この場合、常識的に考えて加害者は犯罪者だろう。
 しかし裁判で有罪が確定されるまでは犯罪者ではなく容疑者ということに違和感を覚えるのは私だけだろうか。
 しかも精神鑑定で刑事責任能力がないと認められると無罪になり犯罪者ですらなくなってしまうことは違和感どころではなく憤りを感じる。
     私は私の目の前で私の家族が精神異常者に殺されたら警察に通報する前に加害者を殺してやる。
     警察に加害者を引き渡したら無罪になってしまう可能性があるからだ。
     もっとも私はその加害者に殺されてしまう確率が高いが警察に引き渡して不条理な裁きを見る苦しみよりも加害者と戦って殺された方が私にとって幸せだろう。
 現行犯や本人が犯行を認めた時点で犯罪者とし、裁判によりその犯罪に対する刑罰が確定したところで受刑者(現行法の犯罪者)としたらすっきりするのではなかろうか。
 ホリエモンのように犯行を否認し続ける容疑者の場合は判決で犯行が認められ刑罰が下されて犯罪者でかつ受刑者ということになるが、村上義昭容疑者のように起訴事実を認めた場合はその時点で犯罪者とすべきではないだろうか。
 私は明々白々な現行犯や容疑者が犯行を認めた時点で犯罪者とし憲法で保護する国民の権利の一部を剥奪するよう憲法および刑法を改正すべきだと思う。

2006年07月23日

温暖化シミュレーションの精度

 NTV世界一受けたい授業で示された地球温暖化シミュレーションの精度はどのくらいなんだろう。
 身近な天気予報でさえ外れることが少なくない。
 今日は1日中曇りだというのに雨が未だ降り続いている。雨
 ピンポイント天気を見ると曇りになっている。曇り
 大はずれじゃないか。ちっ(怒った顔)
 現在のままの生活を続けると2028年には気温が2℃上昇するというが海水面積が増えることによってCO2吸収量が変化するであろうということを計算に入れているのだろうか。
 私は海水温度が上がれば葉緑素が増えて光合成作用によりCO2がO2に分解される量が増えるのでないかと期待しているが逆なのかなぁ。
 シミュレーションが間違っていてCO2が多めに算出されているのならいいが、その逆で10年そこそこで2℃上昇だったらどうしよう。
 温度30℃以下なら冷房してはならない温度20℃以上なら暖房してはならないという法律が必要かもしれない。
 労働安全衛生法で指定されている労働環境条件も見直す必要があるだろう。

地球温暖化の脅威

 昨晩のNTV世界一受けたい授業は1時限目に気候変動+2℃の世界という地球温暖化についての授業があった。
 地球温暖化が重大問題だと認識をしていたがこれほど深刻だとは思わなかった。
 なんと2004年にはすでに0.8℃も上昇していて珊瑚が白くなり死滅の危機を迎えているというではないか。exclamation×2
 地球温暖化の原因はCO2が原因だが日本人は1人当たり年間10トンほど排出しているという。
 地球の生態系がCO2を吸収できる量は年間120億トンだから 世界の人口65億で割りますと、1人が年間に放出できる量は2トンになる。
 したがって日本の場合は炭酸ガス排出量を1/5に減らさなければならない。
 言うは易く行うは難しだなぁ。
 いまのままだと2016年には温度が1.5℃上昇し地面や海面から蒸発する水が増え大気はバランスを崩し、雨の降り方が変わってしまうという。
 大雨になる場所もあれば、極端に雨が降らず、干ばつになる場所も増え、水不足が深刻化し水不足で苦しむ人は数十億人に上ると予想されるそうだ。
 2016年って後たった8年ではないか。exclamation×2
 8年先どころではない。すでに記録的豪雨が続き土石流による大災害が各地で発生している。がく〜(落胆した顔)
 2028年には気温が2℃上昇を突破し、南極の氷も溶け出しすほか海面が温められて体積が増え約50cm海面が上昇するという。
 その結果世界中の沿岸部では高潮や洪水被害が急増し2600万人が被害を受け住む場所を失うという。
 穀物が不足し、食糧危機に陥りる。
 水不足の影響で作物が育たなくなり小麦や米、トウモロコシなどの穀物の生産量が激減、物価は高騰する。
 現在でも飢餓に苦しむ東南アジアの人たちが問題になっているが日本は食料を輸入に頼っているからそれを上回る食糧難に陥りそうだ。
 蚊の生息する地域が広がりマラリアなどの感染症患者が急増し免疫のない日本では多数の死者が出る恐れがあるという。
 CO2が成層圏に達するまで2年ほどかかるのでCO2をゼロにしても2年間は気温の上昇を続けるという。
 いまCO2削減に努力しないと間に合わないそうだ。
 意識して省CO2に努める必要があると痛感した授業であった。

2006年07月16日

疑問を感じる能力

 人が大勢いるところで囲碁、将棋などをしていると必ず口出しする人が出てくる。
 公式戦の場合は助言をすると助言した人のチームの人が反則負けになるので口出しする者はいないがそうでない対局の場合は必ずといっていいほど口を出す人が出てくる。
 甚だしい場合は対局者をそっちのけにして外野どうしで論戦が始まる。
 助言をされた人の対局相手は自分が不利になるから腹立たしいのは当然として助言をされた人も腹が立つことが少なくない。
 それは教えて貰う必要を感じていないときに口出しされるから大きなお世話と感じるからだ。
 自分が教えて貰いたいと思っているとき教えて貰えればありがたいことこの上ないはずだ。
 NHKのお好み対局で1局のうち5回作戦タイムをとりプロから指導を受けることができる企画があった。
 NHKのお好み対局ではタイムをかけるのは対局者・助言者のどちらでもいいことになっていて助言者の方からタイムをかけることが多かった。
 タイムをかけたいタイミングは対局者と助言者では違うようだ。
 試みにタイムをかけることができるのは対局者だけというルールの対局を設定してみた。
 なるほどタイムをかけるタイミングが我輩の感覚とまったく違う。
 ここは重要だからじっくりと考えたいところでタイムがかからない。
 ひとのことは言えない。
 自分の対局でもそうだ。
 局後に自分の碁を並べてみるとノータイムで打ってしまったところが大事なところで複数の選択肢を比較検討しなければいけなかったことが多すぎる。
 疑問を感じなければいけないときに疑問を感じるのが実力なのだと悟った。
 しかし当人が疑問を感じていないのに先回りして教えるのは不愉快だし身につかない。
 当人が疑問を感じれば教えなくても自分自身で解決することもある。
 教わる気もないのに無理やり教えれば田原本町母子殺人事件のような悲劇を招くことにもなる。
 効果的な教育とは「なぜだろう」「どうしたらいいだろう」と疑問を感じさせるように仕向けるだと痛感した。
PS

2006年07月09日

まねた

 嵐に吹き荒らされたため閉鎖したqinの部屋の透明人間憩いの広場ではqin太という架空の人物をおもしろおかしく揶揄する言葉遊びのまねたで盛り上がったものだった。
 透明人間憩いの広場を閉鎖した後もまねたを懐かしむ声が少なくなかった。
 はからずも本と巻物のコメントに筑紫がてんさんが秀逸なまねたをカキコされた。
    qin太 巻物 書き分ける
 これを契機にまねたスレッドを起こしたので秀逸なまねたがあったらこのスレッドにカキコしてください。
 透明人間憩いの広場は過去記事からすべて葬り去ってしまったので過去に書かれたまねたでも結構です。
 またハンドル名はこのスレッド専用の名前でかまいません。
 抱腹絶倒なまねたをお待ちしています。
 なお、まねた以外のコメントは削除します。
 また、ほかのスレッドにカキコされたまねたはこのスレッドに移動または削除します。

本と巻物

 7月6日から9日まで東京ビッグサイト東展示場で開催されている東京国際ブックフェア2006がテレビで放映された。
 世界30カ国より750社が一堂に出展する大規模な展示で大勢の人で賑わっている。
 電子ブックなどの電子書籍の展示に人気があるようだ。
 私は検索に関しては電子データに勝るものはないと思っている。
 あの記事はどこに書いてあるんだっけ?
 心当たりの本を片端からめくっても見つからない。ちっ(怒った顔)
 そのうち別の記事に興味をもってそれを読んでいるうちに何を探そうとしていたのかわからなくなってしまう。がく〜(落胆した顔)
 電子データなら検索1発で見つけ出すことができる。
 しかし長い文章を通して読もうとするときは電子書籍は馴染めないから我ながら身勝手だと思う。
 本ならペラペラとページをめくりながら斜め読みすることができるがディスプレイだとスクロールしながら読まなければならないので手早く読めない。
 考えてみればディスプレイで文章を読むのは巻物に書かれた文章を読むようなものだ。
 巻物で書を読んでいた人が本を見たらどう感じたろう。
 見やすくて便利と感じたのだろうか、それともこんなものは軽薄でありがたみがないと感じたのだろうか。
 若者は前者、年寄りは後者だったのかなぁ。
 参考書が巻物だったら参考書を読まない人が多いのではなかろうか。
 文化や文明の発達は本があってこそだと思うのであった。 

2006年07月05日

次世代型冷え性

 吾輩は血流が悪いために冷え性になるのだと思っていた。
 ところが昨日テレビ東京レディス4を見て吾輩の知っている冷え性は従来型冷え性で最近は次世代型冷え性に悩まされている人が多いと知って驚いた。 
 なんとexclamation×2次世代型冷え性は血流が良すぎるのだそうだ。
 したがって従来型冷え性と違って手足の温度は高いのに当人は冷えを感じるという。
 しかし冷房の効いた部屋に入ると手足の温度が一気に下がってしまう。
 自律神経失調症の一種なんだろう。
 この次世代型冷え性対策は自律神経を鍛えるのがよいという。
 この番組では乾いた布で首や背中をこする乾布摩擦を推奨していた。

2006年06月28日

半ボケは悲しからずや

 ポーカーをしてワンペア以上の手ができない。
 こんなにツキがなければ勝てるわけがないが大怪我はしない。
 怖いのは半ツキだ。
 高い役が頻繁にできる。
 ストレートフラッシュができた。だが他の人は全員ブタで下りられ手に入ったのは寺銭だけだ。
 フルハウスができた。上限までせりあげた。相手はフォアカードで負けた。
 半ツキが続くと身を滅ぼしてしまう。

 吾輩の薬の管理はワイフがしている。
 自分ですると飲んだのを忘れてダブって飲んでしまうからだ。
 食後テレビを見ながらワイフの方に掌を差し出す。
 ワイフに掌をピシャっと叩かれる。
吾輩:なんでぇ?がく〜(落胆した顔)
ワイフ:さっき飲んだでしょ。ちっ(怒った顔)
 じーーっと考える。うーーむ飲んだかもしれない。
 このときはボケが戻っている。
 ボケたままのときは薬の残量を調べることになる。
 完全にボケたらそれでも納得できないだろう。
 いまはボケているときとボケていないときが交互に訪れる。
 だんだんボケているときの方が長くなっているような気がする。
 ボケていないときにボケた言動を反芻すると虚しく悲しい。
 完全にボケてしまえば周囲は困るかもしれないが自分はボケていることがわからないから平気の平左だろう。
 半ボケはボケを自覚できるからストレスがたまることこの上ない。
 いつまで半ボケが続くのだろう。もうやだ〜(悲しい顔)

2006年06月24日

こどもは内弟子に非ず

 人を見て法を説けは言うは易く行うは難い。
 とくに自分のこどもには教えるときの禁句
こんなのも出来ないのか?
このぐらい、出来て当たり前
何考えてんだ?
何度言ったら分かるんだ?
を連発してしまいやすい。
 なぜだろう。
 自分のこどもは自分と寝食を共にしているから内弟子の感覚になってしまうのではなかろうか。
 内弟子はその道を極めようと覚悟を決めて入門してくるのだから普通の人に教えるときの禁句を発憤させる薬として使うことが少なくない。
 しかし自分のこどもは自分が教えようとする道を極めたいと思っていない方が普通だから内弟子に対するように教えると挫折してしまうことになるのだと思う。
 親はこどもが内弟子ではないことをしっかりと心にとどめることが必要だ。
 また、こどもが幸いにも内弟子となった場合は親子関係として接するときと師弟関係として接するときを明確に区別することが必要だと思う。
 歌舞伎や相撲の世界では修行中には父親を師匠とか親方と呼ばせている。
 私はこのことを不自然に感じていたが最近になって師弟関係であることをお互いに意識させる素晴らしい知恵だと思うようになった。

2006年06月21日

極悪人には死刑以上の刑罰を

 オウム麻原、山口県母子殺人の犯人などの極悪人には死刑以上の刑罰を処せられないだろうか。
 彼らを死刑にしても彼らに殺された人は戻ってこない。
 彼らを医学発展のための標本にすることはできないだろうか。
 たとえば彼らに発ガン剤を投与して癌にさせてからいろいろなガン治療のテストをする。
 これでガン治療が大きく進歩すれば彼らは人類の幸せに貢献したことになるから少しは罪滅ぼしになり被害者の気分も治まるのではなかろうか。
 自称人道主義者はこのような行為を人道に反する行為というであろうが被害者の人道を踏みにじった悪魔に人道なぞ無用だと主張したい。

2006年06月20日

場違い前頭前野

 吾輩の筋肉は前頭前野の指令がないと動かないようだ。
 無意識で筋肉を動かせるのは卓球をするときとキーボードを叩くときくらいのものだ。
 歩くときでさえスネの筋肉を伸ばすように前頭前野で意識しながら足を運ぶ。
 スキーのときも「あそこが光っているからアイスバーンに違いない。エッジを充分に利かせよう」「あそこは雪がやわらかそうだから踵荷重にしよう」など言い聞かせながら滑っている。
 吾輩がアレグロアレルギーなのは前頭前野をスキップして筋肉を動かせないから速い動きについていけないのだろう。
 スポーツのときでさえ前頭前野を使うのだからさぞや碁を打つときは前頭前野がフル回転しているだろうと思ったら大間違い。
 碁盤が見えると前頭前野がお休みモードになってしまうようだ。
 NHK杯トーナメントを見ているとすぐに寝入ってしまう。
 リアルタイム対局の際には相手が着手すると手の筋肉が勝手に動いて石を置いてしまう。
 吾輩の前頭前野は働かなければいけないときには休み反射神経に任せなければいけないときに出しゃばってくる。
 こんな場違い前頭前野をまともにする方法はないものだろうか。

2006年06月18日

利き眼はどっち

 両目をしっかりと開けて腕をまっすぐに伸ばし人差し指で離れた場所を指す。
 その状態で目を交互につぶって人差し指がどこを指しているか見る。
 両目を開けていたときと同じところを指している方の目が利き眼だ。
 この方法で確かめると吾輩の利き眼は左目だ。
 しかし吾輩は左側にあるものを見落とすことが多いし右側のものの方が見やすい。
 だから利き眼の判別法を教わるまでは吾輩の利き眼は右目だと思っていた。
 自動車を運転していても主として見るのはルームミラーと右側のサイドミラーで左側のサイドミラーは左折のときと左側に寄るときくらいのものだ。
 茶の間で吾輩の座る位置はテレビの左側だから右目の方を多く使っているのではないかと思う。
 たまにテレビを右側から見ると違和感がある。
 左目が利き眼の人は右脳型だそうだが吾輩は超方向音痴でパターン認識に疎い左脳人間だ。
 どう考えても左目が利き眼だとは信じられない。
 利き眼の判別方法は他にあるのだろうか。
 吾輩の利き眼はどっちなんだろう。

2006年06月16日

大学在学年数制限の撤廃を望む

 私は義務教育の教師は学究型ではなく普及型でなければならないと主張してきた。
 しかし大学や大学院の教師は学究型であるべきだと思っている。
 私は学究型教師の授業に嫌悪感を持ち落ちこぼれた劣等生だったがそもそも私みたいに親の見栄のために仕方なく大学に進学するのが間違っている。
 大学は義務教育ではないからその大学に進む目的がある人以外は入る必要はない。
 留学生のように特定の学科を学びたくて大学に来る人にとっては教え方の巧みな教師より盗んでも盗みきれない深さがある学者に師事したいだろう。
 大学入学の目的の中には学業ではなくその大学の特定のサークルに入って活躍したいという場合もあろう。
 その学生はサークル活動に専念するの目的だから学業などはアウトオブザ眼中なはずだ。
 大学で学ぶ知識は専門家になる人以外は知らなくても困るものではないのだからその学生でも理解できるように授業を進める必要はない。
 私が不思議なのは大学の在学年数に制限があることだ。
 授業料をきちんと支払っているなら無限に留年できるようにしないのはなぜだろう。
 少子化が進み学生数が減少することは目に見えているのだから学生数確保のため留年の制限を撤廃したらいいと思う。
 教室から受講生があふれ出るのではないかと心配する向きもあるがサークル活動に専念する学生は授業には出ないから教室が満杯になる心配はないと思う。
 大学の教師は自分のペースで心置きなく授業を進め、それについていけない学生は授業料を納めている限り在学できる制度にすればいいと思っている。

2006年06月15日

糞爺の夜課

 夜11時半頃便意をもよおし目が覚める。
 喉がからからに渇いている。
 枕元にあるボトルから麦茶を1杯飲んでから便所に向かう。
 便器に腰を下ろすと屁が1発出る。
 屁と一緒に米粒大の糞も飛び出る。
 だから布団の中で屁ができない。
 小便がたらたらと20ccくらい出る。
 残尿感と残便感があるがいつまでもトイレにいると寝る時間がなくなってしまう。がく〜(落胆した顔)
 途中で見切りをつけ尻を洗って寝床に潜り込む。眠い(睡眠)
 夜中12時半頃便意をもよおし目が覚める。
 以下同文。
 1時半頃便意をもよおし目が覚める。以下同文。
 2時半頃以下同文。
 3時半頃便意をもよおし目が覚める。
 便器に腰を下ろし水面から頭を出すくらい排便する。
 コップ1杯分くらい時間をかけて排尿する。
 尻を洗って便所から出、着替えをしてからPCに向かう。
 これが吾輩の日課(夜だから夜課かわーい(嬉しい顔))だから情けない。もうやだ〜(悲しい顔)

人を見て法を説け

 ものを習おうとする人には2通りあると思う。
  • その道を極め一流になりたい。

  • 人とつきあえる程度に知っておきたい。
 前者はそれなりの決意をもっているはずだから高い目標を掲げて叱咤激励するなど遠慮なくびしびし指導するべきだ。
 学習をサボっているようだったら「やる気がないならやめろ」と叱ってもいいだろう。
 しかし後者の場合は一流になるつもりはないのだから理解に苦しむようなことを教えたら挫折してやめてしまうこと必定だ。
 私は息子と娘をしっかりと囲碁嫌いにさせてしまった。
 継続は力なり。
 後者を少しでも上達させようと思うのなら挫折しないでいつまでも学習が続くように配慮する必要がある。
 うまくいったらほめる。これは絶対に必要だ。
 豚もおだてりゃ木に登る。
 ほめられて気分が高揚すれば上達意欲が湧こうというものだ。
 また自分が上達していることが意識できれば励みになって更に上達したくなる。
 反対に上達していることが自覚できないとだんだんと嫌気がさし学習から遠ざかってしまうことになりがちだ。
 だから長続きさせるためには上達していることを自覚させる必要がある。
 ちょっと背伸びすればできる程度の難しいテーマを与え、できたときに褒め称えることなど効果的だろう。
 失敗したらフォローして気分が落ち込まないようにする。
 繁盛している教室のインストラクターはこういうテクニックに長けている。
 これらの教室の生徒は飽きたらとっととやめてしまう浮動客だ。
 浮動客を固定客にするためにインストラクターは教え方に工夫を凝らしている。
 しかし義務教育の学校の生徒は特殊事情がない限りどんな教え方をされても学校をやめることがない。
 これに甘えて教え方の工夫をなおざりにしている教員はいないだろうか。
 与えられた教材を教える労働以外のことを要求されるのは労働強化だと考えている教員はいないだろうか。
 義務教育は専門家を育てる教育ではなく日本国民として身につけなければならないことを教える教育なはずだ。
 義務教育を行う学校は生徒が挫折しないよう指導して欲しいと願ってやまない。

2006年06月14日

選択科目制こそ学力向上への道

 私は日本国民として絶対に身につけていなければならないこと(必須科目)の教育以外は選択科目にすべきだと思っている。
 たとえば三角関数などの授業は選択科目にすべきだと思っている。
 この意見に対しそのようなことをすればトップレベルの層が薄くなるまたはトップレベルの水準が落ちる弊害が生じるとのご意見をいただいた。
 私は逆だと主張したい。
 専門知識を必修科目にしてしまうから落伍者を少なくするために学習進度を落とさなければならなくなってしまう。
 専門知識を選択科目にすればクラスの準トップレベルなら追いつける進度で学習を進めることができる。
 その進度についていけない人は適性がないのだからその学科の履修をやめればいい。
 ただし選択科目を取らなければその時間を遊び時間にしたのでは怠け者を育成することになってしまうから反対されるのは当然だ。
 私は選択科目を履修しない人はその時間を必須科目をマスターする授業や好奇心を生み出す授業に当てるのいいと思っている。
 日本語がどんどん乱れていったり、中学校で掛け算の九九ができない生徒がいたり、東大を卒業したのに日本国民として守るべき道を踏み外してしまう人が多くなったりするのは必須科目の学習をそこそこに終わらせ選択にすべき科目に学習を進めてしまう教育制度にあると思う。
 人は誰しも得手不得手がある。
 ある科目ができなかったからとその人が無能力者ということはない。
 日本国民として必要なことがらさえ身につけていればその人の進む道に必要のない知識が欠落してどのような不都合があるのだろう。
 勝ってもかぶっても尾を締めよと言ったりネバーギブアップしないで頑張ると言ったりしてもご愛敬ではないか。
 世界チャンピオンの学生時代にその競技の練習時間を割いて三角関数や物理の勉強をさせたらチャンピオンの座を得られなかったに違いない。
 専門知識や専門技術の学習は選択制にして適性がある人だけが履修するようにすることこそ日本の学力向上の道だと信じてやまない。

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2006年06月13日

(先回りして)教えないのが最大の教育

 知りたくもないことを教えられるとウザイものだ。
 ウザイうちはいいけれどそのものに嫌悪感をもつことになりかねない。
 もちろん絶対に必要なものであったら好むと好まざるとにかかわらず徹底して教え込まなければならない。
 しかし、それ以外のものを無理に教えようとすると絶対に教わらなくてはならないものにまで拒絶反応を示すようになってしまうだろう。
 私は先回りして教えないのが最大の教育だと思っている。
 私は誰でも好奇心をもっていると思う。
 ゴシップ本が売れるのは好奇心をくすぐるからだろう。
 その好奇心を学問に向けさせれば上がるなといっても学力は上がるものだと思う。
 鎌倉幕府が何年にできたか知ることが社会生活に必要なことだろうか。
 そんなことを教える時間があったら日本がなぜ世界大戦を起こしたか、日本はどんな罪を犯しどのような償いをしているか、日本は世界にどのような貢献をしているか、竹島や北方4島が日本の国土である理由などを教える方が大切だと思う。
 大化の改新とか鎌倉幕府の成立とかは歴史に興味を持った人に聞かれたとき教えればいい。
 先回りして教えられたことは身に付かないが盗んで覚えたものは身に付くものだ。
 必須知識以外は先回りして教えるのではなく興味を持たせ盗んでも知りたくなるようにし向けることが最大の教育であると信ずる。
続きを読む

2006年06月12日

学究型教師と普及教師

 数学アレルギー者生産授業について数多くのご意見をお寄せいだだき心から感謝しています。
 ここで意見を交換しながら教育方針には2通りあると痛感した。
  1.  理解可能な生徒が一部でもいたらむずかしいことでも教える。
     教えないマイナスのことを考えれば他の生徒が理解できなくてその科目が嫌いになってもやむを得ない。

  2.  大多数の生徒が理解できないような教えかたはしない。
     理解に苦しむ生徒がいたらわからなくても興味をもつようにしむける。
 ここでは前者を学究型教師、後者を普及講師と呼ぶことにする。
 私は英才教育の教師は学究型教師でなければならないと思う。
 また習う人があるレベル以上に達したら教えないのが最大の教育になり盗んで覚えるようにさせるのが最大の効果があると思っている。
 しかし一般の人に社会生活に必要な知識を覚えさせる場合の教師には学究型講師は不適切だと思う。
 興味を持っていない科目を学究型講師に教えられたらその科目に嫌悪感を持つようになると思う。
 私は義務教育の教師は普及教師でなければならないと思う。
 高校は義務教育ではないが高校をでなければ恥ずかしいという社会風潮があるので義務教育に近い状態にあると思う。
 したがって進学校その他の英才教育の看板を掲げた学校以外の高校の教師は普及教師であるべきだと思う。
 しかし生徒が理解するようになることに喜びを感じる教師以外は普及教師より学究型教師の方に憧れを感じるようだ。
 鵜の真似をする烏水に溺れる。
 学究型教師のように専門知識に長けていない普及教師が学究型教師の真似をすれば生徒を溺れさせることになろう。
 私は学力低下が叫ばれている日本の未来を救うのは使命感に満ちた普及教師であると信じている。

2006年06月11日

衰退の認識

 車で見晴らしのよい坂を下っている。
 遠くで見ている人は同じ速度で車が下っているように見える。
 しかし車の客席で外の景色を眺めている人はあるときは速くあるときはゆっくり下りているように感じる。
 また突如として景色が変わったり気候が変わったりする。
 遠くで見ている人に急に景色が変わったと電話しても殆ど同じ場所じゃないかと訝しがられるだろう。
 誰しも自分にとって急激な変化を感じることが何回もあるのではなかろうか。
 吾輩が急激な衰退を感じたのはこれで3回目だ。
 50半ばまでは1回として衰退を感じたことはなく現在よりよかったと思う過去はないと豪語していた。
 このころまでの吾輩は原稿を書く速度が速かった。
 300頁くらいの書籍を1ヶ月で書き上げたこともある。
 原稿の締め切りに追われたことはない。
 いつも1週間前以上には脱稿していた。
 自動車事故で鼻の骨を折り毎日のように通院していたときも2週間前には脱稿していた。
 ところがある日突然に原稿を書くのが苦痛になった。
 キーボードに向かうと胸焼けして吐き気がする。
 原稿を書いているより気分転換している時間の方が長くなった。
 締め切りはどんどん近づいてくる。
 目眩がするような気分でキーボードに向かいなんとか締め切り2日前に脱稿した。
 もはや次の原稿を引き受ける気にはなれない。
 ここで筆を折りニートな生活を送るようになった。
 棋力が急激に落ち始めたのはこのころからだ。
 この頃より前に囲碁部の合宿で降級したこともあったが、そのときは棋力が落ちたという認識はなかった。
 しかしボード碁でいままで互角の勝負をしていた友人に3子置いても勝てそうもないことを悟ると棋力の低下を痛感するようになった。
 最近は囲碁のみならずすべてのことに思考力の低下をひしひしと感じる。
 思考力の低下もさることながら考えることが非常に苦痛だ。
 吾輩は昔から試行錯誤派で熟考が苦手だったがそれに拍車がかかり考えようとしても頭がうわずって空回りし挙げ句の果てにエンストする。
 読解力が衰えているから人からものを教わっても正しく理解できない。
 碁を打つのも楽しいどころか苦痛になってきた。
 インターネット、スキーなどからも情熱を失ってしまったらどうしよう。
 80・90を過ぎても情熱を失わない人を尊敬するとともに羨ましく感じる今日この頃だ。

2006年06月08日

数学アレルギー者生産授業

 4半世紀前の話である。
 当時高校生の愚息が吾輩に質問する。
 愚息「自然数と整数はどちらが多い。」
 吾輩「自然数は正の整数で整数の一部だから整数の方が多いに決まっちょる。」
 愚息「俺もそう思う。しかし数学の授業でそれは間違いだと教えられた。」
 吾輩「えっ、・・・・・(絶句)」
 愚息「自然数の1と整数の1を対応させる。自然数の2と整数の-1を対応させる。自然数の3と整数の2を対応させる。自然数の4と整数の-2を対応させる。このようにしていけば整数に1対1対応する自然数は必ずあるから自然数の数と整数の数は同じだと教えられた。」
 吾輩「そんなバナナ。1対1対応は有限な数を比較するもので無限な数を比較するのは意味ないじゃん。そんな理屈を言い出したら3角形の2辺の長さの和と1辺の長さは等しいということになってしまうじゃないか。」
 愚息「俺もそれを言ったら2辺の点の数の和と1辺の点の数は同じということで長さは違うと言われた。」
 吾輩「それって詭弁じゃないか」
 愚息「詭弁だろうがなんだろうが自然数と整数の数は同じと解答しなければ間違いにされるから学校の試験ではそう答えるほかない。」
 吾輩「・・・・・絶句」

 納得が行かない吾輩は後日学生達に意見を訊いてみた。
 理系の学生は「島谷さんは計量と計数を混同しているんです。長さが違っても点の数は同じに決まってるでしょ」という。
 文系の学生は吾輩の説に同感する。
 さらに「机の上で数式をいじくりまわして人を煙に巻くのが数学なんだから驚くことはないでしょ。」という文系学生までいた。
 うーーーーん、数学が誤解されているぅ。がく〜(落胆した顔)
 無理もない。
 部分と全体を比べて部分の数と全体の数が同じだなどと教えられれば数学を信用しなくなるだろう。

 1対1対応を例をあげて教えるなら有限な数ですればいい。
 こんな詭弁的な例をあげるから数学は机上の空論だとか理論と実際は違うという人間が増えてしまうのだ。
 理系離れが進むのは当然だ。ちっ(怒った顔)

 いまでもこんなばかげた授業をしているのだろうか?

無限個数の対応はナンセンス

2006年06月07日

小学校の授業時間に何でも質問時間を

 むかしラジオで「子ども何でも相談室」(番組名はうろ覚え)という番組があって好評を博していた。
 いまでもこの種の番組はあるだろうか。
 この番組が好評だったのは子どもに対する教育効果が非常に高かったことにあると思う。
 小学校の授業時間に「何でも質問時間」を設けたらどうだろう。
 その答えがその学年の知識レベルでは理解ができないようなことを質問されることは多々あろう。
 そんな場合でも「その質問は未だ早い」などと言ってはいけない。
 質問者の知識レベルに合わせて答えてあげるようにしたい。
 たとえば小1の生徒に「赤ちゃんはどうして生まれるの」と訊かれたら雌しべ雄しべなど難しそうな話をする必要はない。
 「お父さんとお母さんが愛し合って君を生みたかったからだよ」と答えればよい。
 生意気盛りの生徒は卑猥な言葉や乱暴な言葉を使うこともあろう。
 また質問者に「バカじゃない、そんなこともわかないのか」などと罵詈雑言を浴びせることもあろう。
 こんなときこそ教育のチャンスだ。
 その言動がなぜいけないのかクラス全体で討議し、美しい日本語を話すようにし向けるようにしたい。
 生徒自ら疑問に感じたことを解決して得た知識はカリキュラムの沿って教わったことよりも身に付くはずだ。
 先生は生徒に質問されたこと以外は教えてはいけない。
 先回りして教えると普通の授業と変わりなくなってしまう。
 先生にもわからないような質問が飛び出てくることがあるかもしれない。
 その場合は「おっ!すごいところに目をつけたね。」とほめる。
 「先生もわからないから次までに調べてくる。こういうことに詳しいお父さんやお母さんがいたら聞いてくれないかな」と生徒に投げかける。
 その問題の詳しい親がいる子は得意になって調べてくるだろう。
 二人以上の生徒が違う答えを持ってきたら「そうか!この問題はいろんな考え方があるんだね」と両方の生徒の親をたてる。
 生徒は親を尊敬するようになるだろう。
 どうみても親の答えが間違っている場合は「あれぇ?先生にはよくわからないから、お父さん(お母さん)にもっと詳しく聞いてきてくれないかな」と 結論を保留し後でその生徒の親と電話で意見交換する。
 このよう授業は教師の負担は増えるが教育効果が上がると思う。
 ホームルームの時間を増やし何でも質問時間に当てることはできなだろうか。

2006年06月06日

小学校に選択科目の導入を

 小学校に留年制の導入をの記事にいろいろご意見をいただきコメントの数が40を超えた。
 コメントをお寄せ頂いた皆様に心から感謝します。
 このなかでmintさんからこの問題に参考になる年齢主義と課程主義の解説ページをご紹介いただき非常に勉強になった。
 またmintさんから現行の法制度でも小中学校の留年は可能だが校長があまり許可をしないためと留年要望があまりないために実際にはほとんど留年はなされていないことを教えて頂いた。
 留年は恥ずかしいという風潮があるかぎり小学生の留年は絵に描いた餅になるということを悟った。
 子どもには得意分野と不得意分野がある。
 不得意分野の科目を普通の子どもと同じペースで学ばされたら落ちこぼれてしまうし、その子に合わせたペースで学習を進めたら全体の教育レベルが下がってしまう。
 落ちこぼれを防ぎ留年を避けるためには小学校でも選択科目制を導入したらどうだろう。
 読み書きソロバン(四則演算)、保健体育、マナーを必修科目にし、それ以外の算数、理科、地理、歴史などは選択科目にする。
 選択科目の履修時間の裏時間に必修科目の復習の履修時間を当て選択科目を取らなかった子どもは必修科目のおさらいをする。
 このようなシステムにすれば落ちこぼれの子どもを減らすことができるのではなかろうか。

2006年06月05日

心の豊かさ・ものの豊かさ

 昨夕4:45〜6:00にNHK総合テレビで放映された江戸の頭脳に挑戦〜粋な遊びのテーマパーク〜は非常に感銘を受けた。
 特に蝶の一生を演出した手妻には感動に震えた。
 また折り紙で作られた5段鶴や大きな象などにも感激した。
 まさに世界に誇れる江戸文化だ。
 江戸時代はいまの時代より心が豊かだったのではなかろうか。
 時代を旅することができるのなら江戸時代に赴いてみたい。
 しかし、江戸時代には生きる気はしないなぁ。
 確かに優れた文化豊かな心の時代かもしれないが現代文明に慣れた吾輩は江戸時代の文明ではストレスの塊になるだろう。
 心の豊かさは非常に大事だがものの豊かさも大切だ。
 ものよりも心が大切だという人は心を貧しくしないですむだけのものを持っているからいえる台詞だと思う。
 衣食足りて礼節を知る。
 人のものを盗まなければ生きていけないほど貧しければ心の豊かさを求めるのは拷問に等しいと思う。
 確かに今はものが豊かで心が貧しい人が多いと思うが、だからと言ってものの豊かさを否定するのはいかがなものか。
 心が貧しいのはものが豊かだからではなく心を豊かにする教育がなおざりにされているからだと思う。
 子どもは天使だというが吾輩は生まれたばかりのこどもはけだものだと思う。
 このけだものを家庭教育や学校教育などにより天使に変身させるのだと思っている。
 ものが豊かな今こそものの豊かさを資源にして心の豊かさに結びつける教育をする家庭環境や社会環境になって欲しいと願ってやまない。

2006年06月04日

体内時計と肥満

 昨晩7時から放映されたNHK教育テレビのあなたを動かす時計遺伝子は非常に興味深かった。
 吾輩は体内時計は一つだけだと思っていたが全身に沢山の時計があるという。ビックリ。
 ただし全身にある時計は狂いやすいので視交叉上核(しこうさじょうかく)の時計遺伝子が親時計となって時間合わせをしているそうだ。
 視交叉上核は目の奥にあるので光の影響を受ける。
 朝起きたときは明るい光を浴びる必要があるのはこの視交叉上核の時間をリセットするためなのだ。
 初耳だったのは時計遺伝子が肥満に関係あるということだ。
 時計遺伝子のうちのビーマル遺伝子が体脂肪の蓄積を促進することが日大の榛葉助教授によって発見された。
 ビーマル遺伝子は夜作られるので夜食はビーマル遺伝子の生産を促進させ肥満になるそうだ。
 マルマル太りそうな名前の遺伝子だなぁ。わーい(嬉しい顔)
 近頃の子どもに肥満児が多いのは夜更かして夜食を摂るためではなかろうか。
 幸い吾輩は若い頃から夜食を摂る習慣がない。
 それでも一時は下腹ぽっこりに悩まされたのだから夜食を摂っていたらぶくぶくになっていたに違いない。

 ラン藻の時計遺伝子が作ったタンパク質を試験管内でリン酸化合物と混ぜることで24時間周期で繰り返す化学反応を名古屋大の近藤教授が発見し時計遺伝子の時を刻むシステムが解明されつつあるという。
 夜間に副作用が小さくなる抗癌剤や、日中に効果的な薬があることがわかり癌や骨粗鬆症の治療に体内時計を活用する可能性があるという。

 ちょっとムズかったけれど中身が濃い番組だった。
 この番組はTBSのぴーかんバディと重なるのでどちらにしようか迷ったがこちらにして良かったと思った。
 このような地味な番組はスポンサーがつきにくいからNHKでなければできないんだろうなぁ。

2006年06月03日

美的オンチ

 おかずにダボダボとソースや醤油をかけなければ味がわからない。
 そんな味覚オンチの増加が社会問題になっている。
 幸い吾輩は味覚と嗅覚だけは人並み以上に敏感なようだ。
 しかし美的感覚が欠如している。
 小学校、中学校の図画の成績は最悪だった。
 高校以上になると図画は選択だから敬遠した。
 ホームページやアプレット碁盤などのレイアウトも実用本位で美観とはほど遠い。
 深キョンとアミーゴ、松たか子と松嶋菜々子、中山エミリとベッキーさんの区別がつかないことがあった。
 逆に同じ人間でも髪型や服装が変わると別の人と思ってしまうことがある。
 このため失礼をしたことが少なくない。

 10年以上前になるがゴッホのひまわり展が東京の美術館(どこだったか忘れた)を見に行った。
 吾輩はゴッホといえば炎の人=強烈な色彩という先入観をもっていた。
 ところが美術館でゴッホのひまわりを見て驚いた。
 暗いexclamation×2
 もしも、この絵の傍に色鮮やかなゴッホの贋作が並べられていたら贋作の方を指して「やっぱりゴッホは迫力ある」本物の方を指して「偽物は色が違う」などと能書きを垂れただろう。
 しかしワイフはゴッホのひまわりを暗いとは感じなかった。
 暗いと感じる吾輩はガチャ目らしい。

 和田義彦氏の母子像とスーギ画伯のオリジナルの絵を並べて見せられたときもそれぞれ個性豊かな絵だと感じた。
 似ていると思わないかと尋ねられたらラファエロの聖母なんとかかなぁとトンチンカンの答えをするだろう。
 昨夕のテレビで盗作という証明に両方の絵をスーーーーっと重ね合わせて見せられた。
 ぴったりと重なる。
 盗作だ。間違いない。
 その絵をまたスーーーーっとずらして並べて表示する。
 それぞれ個性的な別の絵に見える。がく〜(落胆した顔)
 救いようのないガチャ目だ。ふらふら
 てゆうかぁパターンを認識する前頭葉の脳細胞が壊れているのかもしれない。
 吾輩が方向オンチや斜度オンチなのはそのせいかもしれない。
 となると死ぬまで美的オンチに悩まされることになりそうだ。もうやだ〜(悲しい顔)

2006年06月01日

ディズニー嫌い

 盗作という言葉を聞くとディズニーが吾輩の脳裏をよぎる。
 吾輩はディズニー映画の大ファンであった。
 吾輩は映画館が嫌いなので今まで映画館に行った回数は100回を超えないと思う。
 だから吾輩にとって映画の中でディズニー映画が占める比率は非常に高い。
 しかし今ではディズニーという名前を聞くだけで虫唾が走るほどディズニーが嫌いだ。

 千葉県の浦安に東京ディズニーランドができて何年後だったろう。
 千葉県の小学校で生徒達が協力してプールの底にディズニーのキャラクタを描いたことが心温まるニュースとして放映された。
 ところがこの放映があだになった。
 このニュースを見てディズニーサイドから著作権侵害と抗議されプールの底に描かれたキャラクタを消さされたのだ。
 プールの底にディズニーのキャラクタが描かれていたからといってディズニーの宣伝にこそなれマイナスになることはないのではないか。
 こどもの心を踏みにじる行為だとディズニーに憤りを感じたものだった。
 しかし、これを許したらキャラクタの無断使用に歯止めが利かないということから一罰百戒として心を鬼にしてのことだったろうと思うことにした。
 この事件があってからどのくらい経ったろう。
 手塚治虫のジャングル大帝を盗作したとしか思えないライオンキングが製作された。
 著作権を振り回して小学生の労作を踏みにじり自分は平然と盗作をするのか。
 それ以来ディズニーは許し難い会社だと大嫌いになった。

2006年05月27日

出来ない人の気持ちは出来る人にはわからない

 恥ずかしながら吾輩は大学で超劣等生だった。
 授業がさっぱりわからないし面白くない。
 全然わからないから予習や復習などする気にもならない。
 試験勉強もしないから1年の前期の試験では必修科目はすべてD(落第点)だった。
 吾輩は留年するつもりでいたが家の事情で留年を許して貰えない。
 やむを得ず後期の試験の時は毎日3時間も試験勉強をした。
 つらかったなぁ、思い出すだけでもぞっとする。
 友人の協力もあって辛うじてオールCで般教から専門課程の2年に進級することができた。
 しかし実力がないのに2年に進んだのだからついて行けるわけがない。
 授業を聞くのが苦痛で堪らず出欠が取り終わったらそーーーっと教室を抜け出したことも少なくなかった。
 試験は友人の協力でなんとか切り抜けたが全科目Cだった。
 3年生のときのボイラーの科目に至っては友人の協力も虚しく落ち、追試で落ち、4年になってから3年生と一緒に試験を受けてそれも落ち、追試でやっとお情けで点を貰った惨状だ。
 大学4年間を通してAは1年のときの選択科目で得た4つだけだった。
 吾輩が大学から得た知識は皆無だったと思う。
 試験で落ちまくったボイラーと選択科目なので履修しなかった自動制御が後の専門になったのだから皮肉なものだ。
 こんな吾輩だから出来ない人の気持ちはよくわかる。
 吾輩の講演は会社の命令で仕方なく来ている受講生の気持ちになって講義したから受講生の評判が良かった。
 梅沢由香利5段の囲碁指導の評判が良いのは彼女が美人であることばかりではなく碁が好きでない人の気持ちをよーくわかっているからだと思っている。
 出来ない人であっても知りたいと思った知らないことを教わって知ることは大いなる喜びだが、それでも新しく知ることは3つが限度でそれ以上になると疲れ果てて嫌気がさしてしまう。
 まして、知ろうとも思わないものを教わるのは苦痛そのものなのだ。
 出来る人にはこの苦痛がわからないようだ。
 出来る人に勉強がつらいと言うと異口同音に「私だって勉強は楽じゃない。それを乗り越えて知識を得れば達成感が得られる」と言う。
 辛さの程度が違うことがわかっていない。
 ゴムは引っ張れば引っ張るほど反発力が強くなる。
 しかし引っ張りすぎると切れてしまう。
 出来ない人はゴムの強度が小さいのだから強度の大きいゴムと同じ力で引っ張られたら切れてしまうのだ。
 出来ない人は脳の疲労度が速いから集中力の持続時間が極めて短い。
 出来ない人は普通の人と同じペースで教えられたら落ちこぼれてしまうことを出来る人にわかって欲しいと願っている。

2006年05月23日

短腸

 吾輩の足は短足だが腸も超短いようだ。
 普通の人は食べたものが排泄されるまで1日以上かかるはずだが吾輩の場合数時間で排泄される。
 がつがつ食べると30分もしないうちに下痢をする。
 これは神経性のものだから食べたものが排泄されたのではなくすでに腸にあるものが排泄されるのだろう。
 しかし消化されないものを含んだ食べ物を食べたとき半日もすると便に未消化物が現れるのは腸が短い証拠ではないかと思っている。
 極めつけは一昨年の経験だ。
 前橋に住んでいるワイフの妹の家に泊まりに行くとき行きがけに昼食代わりにしようと四万温泉の近くにある薬王園のりんご園に寄った。
 りんごの木にソフトボールより大きな見事なりんごがたわわに実っている。
 さっそく木からもぎとりかぶりつく。
 しゃきしゃきした歯ごたえで甘み酸味とも最高だ。
 新鮮なりんごに優るりんごはない。
 鉛筆の太さ程度に芯が残るまで食べ尽くした。
 すぐに別のりんごをもぎ取り食らいつく。
 がつがつと4個ほど食べ、ワイフが食べ残したりんごも食べてりんご園を後にした。
 車を運転して20分ほど走ったろうか腹がごとごと尻がむずむずとなる。
 がつがつ食べた報いがきたのだ。
 道の駅によってトイレに駆け込み小便のような下痢をする。
 それからが大変だ。
 ちょっと走ってはトイレを探して駆け込んでは下痢をする。
 ワイフの妹の家にたどり着くまで5回以上はトイレに寄ったろう。
 りんごを食べてから3時間ほど経った頃だろうかトイレに駆け込んで用を済ませてから便器を眺めると噛み砕かれたりんごの皮で水面が覆い尽くされている。
 りんごの皮が約3時間で吾輩の口から肛門まで駆け抜けたのだ。
 吾輩の腸が超短いのを実感したとともにりんごの皮は消化に悪いのだということを悟った。

2006年05月22日

短足

 島谷でするんるん
 前屈して両手をべったり床につけることができるとでするんるん
 からだが柔らかいのではないとですがく〜(落胆した顔)
 手が長くて足が短いとですふらふら
 島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)島谷です(;ヘ;)
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2006年05月21日

ライン人間・スタッフ人間

 吾輩はかつてスタッフとしてろくなことをしない人間がその組織の責任者になったら別人になったのかと思われるほど精力的に活動して組織をリードするのに目を見張ったことがある。
 その反対にスタッフとして優れた働きをしていたのに組織の責任者になったら組織の統率が取れないばかりか無責任極まりないのでリコールされることになった人間も見ている。
 どうやら人間はライン人間とスタッフ人間に分けることができそうだ。
 かくいう吾輩は典型的なスタッフ人間だ。
 スタッフとしてなら吾輩の非常識さが幸いして突拍子もないアイデアが湯水のごとく湧く。
 そのアイデアが使いものになるかどうか頭を悩ませる必要がないからだ。
 提示したアイデアのうち使えそうなものをラインが採用する。
 最初の会社では吾輩のアイデアの採用率はかなり高く人事考課も悪くはなかった。
 しかし、ひとたびラインに入るとドジで間抜けでオッチョコチョイな足手まとい人間になってしまう。
 吾輩のような一言居士は上からの指示に黙々と従うことが苦痛でたまらないからミスを犯すのだろう。
 そんな吾輩がひょんなきっかけから脱サラして自営業をすることになった。
 最初は一匹狼で下請けを使いながら仕事をしていたが軌道に乗り忙しくなってきたので従業員を雇った。
 これが躓きのはじめだった。
 スタッフ人間の吾輩がラインのトップになってうまくいくはずがない。
 従業員にべろべろに舐められ「島谷さんは従業員を雇ったの?社長を雇ったの?」と下請けから揶揄されるほどだった。
 この従業員は1年で辞めて貰ったがそれをきっかけに吾輩の不甲斐なさが白日の下にさらされ業績は悪化の一途を辿った。
 幸い吾輩には印税収入があったのでそれを会社につぎ込んだり会社から自分への給料を2万円に設定するなどして10年ほど持ちこたえたが累積赤字に押しつぶされ会社を畳むことを余儀なくされた。
 スタッフ人間は会社を作ってはいけないということを悟ったが高い授業料だった。
 なんで吾輩がラインに入るとだめなんだろう。
 どうやら吾輩の視点が消費者にあるからのようだ。
 消費者の立場でものを考えるから生産者の立場では二の足を踏むようなアイデアが湧いてくるのだろう。
 また管理者としての立場でものを考えることができないからラインの統率ができないのだと思う。
 鵜の真似をする烏水に溺れる。
 吾輩が管理者ぶって統率をとろうとすると大反発を招き収拾がつかなくなる。
 吾輩はスタッフ人間として全うするほかないようだ。
補遺 (9時30分)

2006年05月20日

吾輩はたたき台

 吾輩の脳内のテーブルは極めて狭く沢山の情報を広げて比較するスペースがないから頭の中で考えを推敲することが超苦手だ。
 だから思いついたことはすぐに発言してそれをたたき台として推敲するのが常だ。
 このため吾輩の発言はだんだん変わっていくから節操がないとか少しは考えてから発言したらどうかとの非難が絶えない。
 あまりのバッシングにいたたまれず退散したMLや掲示板は数知れない。
 しかし思いつき発言せず頭の中だけで推敲していると考えが堂々巡りして先に進まないし、検討し尽くしたつもりで発言してみるとやはり検討漏れのところがあって訂正を余儀なくされる。
 だからぐだぐだと頭の中で思い悩むよりは発言して訂正した方が能率的だと思っている。
 頭の中で推敲するのが苦手なのならメモ帳に書き留め推敲すればよいではないかとの意見もあるが根が粗相な吾輩は自分用のメモはいくら見直しても誤りを見落としてしまう。
 いったん公表してしまうとその発言を他人の目で見ることができるから誤りに気がつくのだ。
 メモを寝かせておいて頭をリセットしてから見直せば間違いに気がつくが、思いつきというのは生鮮食品と同じで時間がたつと鮮度が落ちてしまうからいつまでも寝かす気にはならない。
 思いついたら吉日とすぐに発表しボケに気がつくというのがお約束パターンだ。
 下手な鉄砲も数打ちゃ当たる
 恥のかき放題だが懲りずにたたき台を提示し続けていると慎重居士には思いもつかないようなアイディアが浮かぶこともある。
 吾輩はたたき台の提示こそ前進の最短コースだと信じて止まない。
続きを読む

2006年05月18日

勝負オンチ

 勝負強さとは持って生まれたものに違いない。
 勝負強い人間は何をやっても強い。
 うまいとは思えないものでもいざ勝負となると負けない。
 勝負の女神に愛されるように生まれてきたに違いない。
 一方持って生まれて勝負に弱い人も少なくない。
 特にへぼとは思えないのに勝負になると必ず負ける人がいる。
 前世で勝負の女神にセクハラをしたのかなぁ。
 かくいう拙者も折り紙付きの勝負オンチだ。
 麻雀はコンスタントに負けるので30過ぎには足を洗った。
 ポーカーなどすると拙者の顔にトランプが写っていると笑われるほど拙者の手が見え見えで必ずすってんてんになる。
 バックギャモンをすればイカサマサイコロでないかと思われるほど拙者にとって都合の悪い目が出て負ける。
 卓球にも没頭した時代があるが試合で勝ったためしがない。
 ラリーはコントロールがよく続くので選手クラスから拙者とラリーを引くと調子があがると喜ばれた。
 ところが試合になると勝てない。
 昼休みのお遊び卓球のときでさえ拙者より遙かに下手と思われている人にころころと負かされるので島谷は根性がたるんでいると言われた。
 拙者はバッティングピッチャーのようなものだ。
 拙者と試合をした人は調子が上がって次の試合に実力以上の戦いができるそうだ。
 囲碁もご多分に漏れない。
 勝たなければいけないと意識した試合は必ず負ける。
 拙者が最も強かった時代に苦い想い出がある(遠い目)。
 囲碁部の合宿で5連勝して昇級リーチになった。
 当時の囲碁部では拙者クラスの級位では6連勝または7勝3敗で昇級、5連敗または3勝6敗で降級だった。
 昇級を賭けた試合は拙者の優勢のまま終盤を迎え拙者お約束の見損じで頓死負けで昇級お預け。
 しかし、次の局は勝ち6勝1敗で昇級リーチ。
 昇級のかかった試合(立直対局)を負け6勝2敗だがまだ昇級リーチが続いている。
 立直対局も負けて6勝3敗となったがまだ昇級リーチ。
 その次の立直対局も負けて6勝4敗となり昇級リーチが消えた。
 気落ちしたまま次の試合を迎えいいとこなしに負かされたらなんと4連敗で降級リーチだ。
 降級リーチの試合は、、、、、、拙者は降級した。
 なんと立直対局は全部負けたのであった。
 あまりの不甲斐なさに床屋に駆け込んで頭を丸めた。
 合宿から帰った拙者の坊主頭を見てワイフは腰を抜かしたものだった。
 勝負弱さは未だに治っていない。
 玄々碁経のおかげで詰碁は最盛期のときよりできるようになった気がする。
 しかし碁は相変わらず勝てない。
 勝負オンチは墓に入るまで治りそうもない。

2006年05月13日

エゴグラム

 Takkunさんのコメントにエゴグラムという言葉がでてきた。
 初耳の言葉なのでさっそくグー検してみた。
 エゴグラムは、アメリカの心理学者J.M.デュセイが開発した人の心を厳父度(CP)・慈母度(NP)・おとな度(A)・わんぱく度(FC)・よい子度(AC)の5つの領域に分類してグラフにした性格分析法で、今では世界中で広範囲な分野に用いられ高い評価を得ているそうだ。
 エゴグラムによる性格診断というページがあったのでさっそく試してみた。
貴方のタイプはabbab です

性格
仕事熱心な事と、好奇心の旺盛なのが、大きな特徴です。社会の仕組や伝統は無視しないが、常に何か新しい物を探し求める性格です。斜めに構えた常識家タイプと云えるかも知れません。貴方のようなタイプの場合は、意気込みばかりが先行して、整合性の有る行動力が伴って行かないと云う場合が少なく有りません。地味な努力を忘れないようにすると共に、興味本位で出しゃばり過ぎないように、注意する事も必要です。

恋愛・結婚
貴方は恋人や配偶者に対して、何時も賑やかに振舞い、相手がそれに従って呉れる事を望んで居ます。それかと云って、相手が貴方に輪を掛けた馬鹿騒ぎをする人では、又旨く行かないでしょう。貴方の批判眼は鋭いので、はしゃぎ過ぎの襤褸を見逃さないからです。貴方はかなり我儘なタイプなので、相手に対して何時も自分の意に叶うような動きを求め過ぎる嫌いが有ります。心すべきでしょう。

職業適性
職業の選択には困らないタイプです。大概の仕事は一応こなすのですが、性格的に最も適性の有る仕事は、独創性と表現力プラス探求心が要求される仕事です。カメラマン、デザイナー、芸能、芸術全般、企画宣伝業、美容師、モデルその他です。堅くて地味な仕事では、貴方の本当の良さを、十分に活かし切れない恐れも多分に有ります。

対人関係
自分のペースで動き過ぎる嫌いこそ有りますが、一寸行き過ぎ位が、貴方の持味なのですから、それはそれで良いのだと思わなくてはいけません。但し、失敗を他人の責任に転嫁したり、真剣に反省しなかったり、と云うような生き方は宜しく有りません。絶えず自省を繰り返しながら、尚かつ前向きに、どんどん突っ込んで行くと云う生き方が、貴方のようなタイプには、最も似つかわしいのです。
 だそうだ。
 なんとなく当たってるような気がするなぁ、、、、
 こころの翼式エゴグラムというページがあったのでこちらでも試してみた。
 51・37・42・51・39・33
 微妙に違うなぁ、、、、
 当たるも八卦当たらぬも八卦なのかなぁ、、

2006年05月09日

排他的宗教アレルギー

 別のスレッドで吾輩は宗教アレルギーと書いたが正確ではないので誤解が生じないように書き直すことにした。
 吾輩は自分ではしないがお地蔵さんを拝んだりお稲荷さんを拝んだりする人を見て微笑ましく感じることはあっても嫌悪感を覚えない。
 ギリシャ神話も大好きだ。
 これらの信仰は自然を畏れ、自然を敬い、自然を愛する心から生まれたものだと思う。
 吾輩は神話にでてくる神々こそが宗教のあるべき姿だと思っている。
 ところが排他的宗教は人を支配することを目的としているとしか考えられない。
 信じる者は救われる。
 私を信じなさい。
 私以外のものを信じてはならない。
 私は常に正しい。
 私を疑ってはならない。
 私と違う考えは邪な考えだ。
 手前勝手な言い草だ。
 議論のアンチパターンの極値ではないか。
 吾輩はこのような言葉を聞くとはらわたが煮えくりかえって反吐が出そうになる。
 妥協の余地はまったくないから異なる排他的宗教が接触したら戦争になるのは当然だろう。
 排他的宗教の神はそれを祭り上げて利益を得ようとするために作られたものとしか考えられない。
 排他的宗教団体の上層部は莫大な利権が絡むから内部闘争があったり分裂したりするのだろう。
 世界平和を乱す元凶は排他的宗教にあると信じて止まない。

2006年05月02日

当て馬ご免

 団体戦の試合は、勝ち抜き戦方式や大将VS大将、副将VS副将、3将VS3将、4将VS4将、5将VS5将、、、のように選手毎に1対1対決をする方式が多い。
 前者は見ていて迫力があって面白いが一方のチームが桁違いに強いと両チームのエース同士の対戦を見ないで試合が終わってしまうことになる。
 後者は各選手の試合を平行して行うことができるが一方のチームのエースがダントツに強い場合には対戦チームは大将に当て馬を置くのでエース同士の対決を見ることができない欠点がある。
 例えば甲チームの選手の能力が100・90・80・70・60とし、乙チームの選手の能力が95・85・75・65・55だったとしよう。
 両チームとも強い順に大将から5将まで配置すれば甲チームは乙チームに5-0で勝利することになる。
 しかし、乙チームが当て馬として能力55の選手を大将にし、95の選手を副将、以下順送りに選手を配置すると甲チームは乙チームに1-4で敗れることになる。
 関東大学囲碁リーグ戦の女子部では選手が不足しているチームはルールをやっと覚えたばかりの人を選手に狩り出し当て馬として大将にすることも少なくない。
 また、ダントツに強い選手には当て馬がぶつけられるのは予想されることだからエースをどこに配置するかも駆け引きのひとつだがエースを大将にしないのはみっともない感じがしないし、観戦する人にとってはエース対決が見られないのが物足りない。

 世界卓球2006の試合方式はよく考えられていると感心した。
 つまり、一方のチームの選手をA、B、C、もう一方のチームの選手をX、Y、Zとすると
A vs X、B vs Y、C vs Z、A vs Y、B vs X
の順で試合を行い3試合先取したチームの勝ちとする方式だ。
 この方式だと5試合までもつれこんだとしてもC選手およびZ選手は1試合しかしないからエースをここに配置することはまずないだろう。
 それぞれのエースがAとYまたはBとXの場合は3-0で勝負がきまってしまうとエース対決が見られないがどちらかが1試合でも取れば必ずエース対決が実現する。
 非常に優れた試合方式だと感心した。 

2006年04月30日

風呂場で雪崩

 朦朧とした頭には境川遊歩道に降り注ぐ陽射しが眩しく景色が黄色っぽく見える。
 滑り慣れている道なのにたびたび躓きニーガードに傷を付ける。
 平衡感覚もおかしくなっているようだ。
 左右のバランスが悪いから腰に負担がかかるらしくだんだん腰が痛くなる。
 約10kmの道のりが20kmくらいに感じてよろよろと家に戻った。
 腰痛体操をしてから風呂に入り湯船の中で腰を指圧する。
 指圧のおかげで腰が軽くなってきたので指回しを始める。
 血行が良くなるとともに欠伸を連発し浴室がだんだん霞んでゆく。

 いつの間にか新雪のこぶ斜面で雪に脛まで潜りながらスキーをしている。
 気分良く滑っていると上から雪崩が襲いかかり雪の中に潜ってしまった。
 慌てて立ち上がって雪の上に顔を出す。

 我に返ると湯船の中で呆然と佇んでいる自分がいる。
 うとうとしているうちに腰が滑って湯の中に潜ってしまったらしい。
 反射的に立ち上がれたから入浴剤を賞味しただけですんだが、足を滑らしていたらそのまま潜りっ放しになっていたに違いない。
 夜更かしをした翌日の入浴は危険だ。

PS

2006年04月28日

盲腸の後遺症?

 夜中に吐き気を催して目が覚めた。
 数年来、吾輩は気持ち悪くなるまでアルコール飲料を飲んだことがない。
 昨夜も日本酒を熱燗でたぬき徳利1本(約350ml)飲んだだけだ。
 吐き気だけではない。腹が刺しこむように痛い。
 便所に駆け込み嘔吐し下痢をした。
 酒の肴にあたったのかなぁ。
 正露丸を3粒飲んで横になった。
 正露丸が利いたのか腹痛は治まり、翌朝はけろりとしていた。

 それから1週間後、再び吐き気と腹痛が襲う。
 今回は正露丸を飲んでも腹痛がおさまらない。
 指のつぼを指圧して痛みをこらえながら夜を明かした。

 翌朝かかりつけの内科小児科医院に駆け込んだ。
 いまは亡き老医師はひとめ診るなり「盲腸です。ここでは手術できませんから病院に行ってください。」と最寄りのTR病院に紹介状を書いてくれた。
 その足で紹介状をもってTR病院に行く。

 TR病院でCTや血液検査などを受け「盲腸ではありません。胆嚢炎です。このまま入院してください。」ということで即内科病棟に入院となった。
 それからは点滴生活で2〜3日は検査漬けだ。
 抗生物質が投与されているのに日増しに体温が高くなり、血尿まで出るようになった。
 別の医師が盲腸の可能性も捨てきれないからと超音波検査をする。
 しかし、超音波検査では中葉突起に異常は認められないし、レントゲン検査でも異常が認められないという。
 そうこうしているうちに入院してから4日ほどすぎた。
 容態はますます重くなり、看護師の応対がものすごく親切になる。
 5日目くらいになってから別の医師が診断して「これは盲腸です」と断言する。
 他の医師と議論になったが「手術した結果が盲腸でなくても異議を申し立てない」と念書を書き、その日のうちに手術となった。

 手術室のベッドに横たわるとマスクをした医師が4〜5人、看護師がいっぱいベッドを取り囲んでいる。
 盲腸の手術ってこんな大げさなのか?
 麻酔を打たれ意識がだんだんと遠のく。

 手術室の外で待っていたワイフは手術室を出るまで3時間以上かかったそうだ。
 主治医から手術の報告を聴く。
 やはり盲腸だったそうだ。
 中葉突起が内臓の陰に隠れて超音波検査やレントゲン検査ではわからなかったらしい。
 大勢の医師が吾輩を取り囲んだのは原因不明の難病で格好な研究材料になると思ったからではなかろうか。
 たんなる盲腸だとわかって医師達はさぞやがっかりしたことだろう。
 医療機器は長足な進歩を遂げたかもしれないが、それに頼りすぎて医療技術が退化した医師が増えたのではなかろうか。
 摘出した中葉突起の周りに黄色い膿がいっぱいあった。
 盲腸をいつまでも摘出しなかったので腹膜炎を併発していたらしい。
 手術を決断しなかったら命を落としていたのではなかろうか。
 惜しいことをした。

 吾輩は若いときから夜に弱かったが、それでも夜中の2時や3時頃まで遊んでいたことがある。
 ところがこの入院を契機に夜がますます弱くなり、遅くまで起きていると翌日に支障を来すようになってしまった。
 いまでは夜9時過ぎまで起きていると翌日はからだがだるく、頭が二日酔い状態だ。
 しかも、頻繁に便意を催し1日に10回ほど大便をするくそジジイになってしまった。
 これって盲腸の後遺症だろうか?

2006年04月15日

エレキ工作との訣別

 吾輩はこう見えても中学校から高校にかけてはエレキ少年だった。
 中学校の同級生が楽しそうにラジオを組んでいることがきっかけだった。
 当時は1台分の部品が揃っていてそれを解説書通りに組めば完成するという製作キットがなかったから神田須田町から神保町にかけて連なっている露店を1軒ずつ物色しながら部品を買い集めたものだった。
 この露店が撤去され現在の秋葉原ラジオストアやラジオセンターになったのは中学3年の頃だったと思う。
 買い集めた部品は規格が統一されていないから組んでもすぐ正常に動作せず、あーでもないこーでもないと調整したものだった。
 おかげで複素ベクトルは机の上の数字ではなく実感するようになったし、電子の速度は遅いものだということも身にしみて感じることできたので非常にプラスになったと思う。

 当時のラジオやオーディオの部品は故障しやすかったが頑丈ではあった。
 実行する前に熟慮することができない吾輩はラジオやオーディオアンプを組み上げると回路点検もそこそこに電源を入れる。
 何も鳴らない。
 そのうち、プーンと臭ってくる。
 いけねぇ、トランスが発熱している。
 ここで電源を切ってトランスの回路をチェックする。
 これで間に合うのだ。
 直してから再度電源を入れる。
 真空管が蒼い顔をして怒っている。(グローを発している)
 いけねぇ、真空管の回路が誤配線だ。
 慌てて電源を切り真空管の回路を直す。
 こんな試行錯誤を繰り返しながら回路を組んでいた。
 いま吾輩が取り組んでいる玄々碁経の解き方と同じだなぁ、、、がく〜(落胆した顔)

 高校2年の頃だったろうか。
 東通工(ソニーの前身)からトランジスタが発売された。
 当時のトランジスタは超高かったが1ヶ月間の昼飯代をあててトランジスタを購入した。
 そういえば高校に入ってから大学を卒業するまで昼飯は食べなかったなぁ。
 親から貰った昼食代はみんなエレキ部品代やLPレコード代にあてていた。
 だから大学を卒業したときの体重は38kgだった。

 さっそく一番簡単なトランジスタの増幅回路を組んだ。
 いつもはすぐに電源を入れる吾輩だが、超高いトランジスタなので回路図に赤線を入れながら念には念を入れて回路チェックした。
 これなら大丈夫と電源を入れたが何も動作しない。
 電源を切って再チェックしても配線に誤りがない。
 トランジスタにテスターを当ててチェックする。
 どの端子も同じようにテスターの針が振れる。
 トランジスタを回路から外してチェックしても同様だ。
 死んだ。
 トランジスタは声も出さずに死んだのだ。
 原因はトランジスタの足を回路に接続するためにハンダ付けをしたとき溶けたハンダの熱がトランジスタに伝わってトランジスタが許容温度を超えたのだった。
 当時のトランジスタは溶けたハンダの熱がトランジスタに伝わらない措置を講じてハンダ付けをしなければいけないのだった。
 不器用な吾輩にとっては専用工具なしにトランジスタに熱が伝わらないようにハンダ付けすることは不可能だ。
 キッパリとトランジスタ工作を諦めた。
 これからは半導体の時代だ。
 俺みたいな不器用者はエレキ工作には向いていない。
 そう悟った吾輩はエレキ工作から訣別し、エレキに向けていた情熱を囲碁に向けることになったのであった。

マジックアイ

 NHKのドラマ「夢みる葡萄〜本を読む女」の次回予告を見て目が点になった。
 村の人たちが集まってオリンピックの前畑ガンバレに耳を傾けているラジオにマジックアイがついているではないか。exclamation×2
 あの時代にマジックアイ〜〜exclamation&question

 吾輩がラジオ工作に熱中した中学校時代(1950年頃)一般家庭のラジオは並四*1が普通だった。
 ちょっと高級なラジオで高一*2だった。
 これらのラジオはグリッド検波で豆コンを回しながら感度調節をし、ピーという音を頼りに周波数を合わせたものだった。
 この周波数合わせ(同調)を目で見て行えるマジックアイのあるスーパー*3に出会ったときはカルチャーショックだった。
 なんせ、スーパーはブルジョア家庭しか持っていなかった高級ラジオだ。
 部品を買い集めて自作しても高価で中学生の小遣いでは作りたくても作ることができなかった。
 吾輩がスーパーを組んだのは高校進学してからでないかと思う。

 スーパーは感度が高く外国放送まで聞くことができるので報道統制をしていた戦時中は一般家庭ではスーパーを持つことが許されなかった。
 前畑ガンバレの時代は戦前だからスーパーは使用禁止されていないと思うが、マジックアイ付きスーパーのような超高級ラジオが夢みる葡萄〜本を読む女の舞台となった貧村にあったとは考えにくい。
 そもそもマジックアイはあの当時あったのかなぁ、、、(^_^;)?
備考

2006年04月08日

時間切迫恐怖症

 吾輩は小学校の頃1時間に1本しか出ないバスに乗って通学していた。
 うっかりバスに乗り遅れると1時間バス停で待っていなければならない。
 そんな環境で育ったせいか時間に遅れることに対してトラウマになっている。
 待ち合わせ時間の10分前には指定場所に辿り着いていないと遅れたらどうしようと頭の中が真っ白になって尋常一様ではない行動をしてしまう。
 無我夢中で電車に駆け込み動き出してから行き先が違うことに気づくことが少なくない。
 このようなことを避けるために待ち合わせの時間に間に合う電車の1本以上前の電車に乗るようにしている。
 また、乗り換えがあるときは乗り換えの時間に10分以上余裕をもたせて時間を組んでいる。
 だから何回も乗り換えをするときは余裕を見た時間が積算され目的地に1時間以上前に着いてしまうことはざらだ。
 土浦で結婚式を挙げた後輩の披露宴に招かれたときは3時間前に着いてしまい控え室で待っていたら他の招待客に新郎新婦の身内の者と間違えられた。

 大学時代は1時限目の遅刻が多かった。
 これは1時限目をサボって2時限目から出席するつもりなのだが、2時限目の始まる時間より30分以上も早く着き、部室に誰もいないときは暇をもてあまし1時限目の授業に顔を出し遅刻となっていたのだ。

 原稿も締め切り間際になると頭が混乱して考えがまとまらないから書籍は1ヶ月、雑誌は1週間前には脱稿するようにしていた。
 雑誌のコラム記事は依頼されたら翌日にはFAXしていた。

 碁の秒読みは恐怖の最たるものだ。
 合宿で10秒早碁を打つと吾輩は相手が打つとすぐに打って時計を叩くことを繰り返すので見かねた相手が「10秒は余裕がありますからそんなに急いで打たないでいいですよ。時計がピーっと鳴り出してから石を持って充分に間に合います。」とアドバイスしてくれるがとてもそんな余裕は生まれない。
 30秒の秒読みでも10秒の声(音)がするといままで考えていたことが全部消えてしまう。
 気を取り直して最初から考え始めると20秒の声がかかり、それまでの考えはご破算になる。
 30秒の秒読みは吾輩にとっては普通の人の10秒の秒読みと同じことだ。
 秒読みなしの場合でも残り時間が10分を切るとパニックになり考えをまとめることができない。
 したがって、吾輩は必ず10分以上時間を余すようにしている。

 重度時間切迫恐怖症の吾輩は自分の時間だけではなくひとさまの時間が切迫してもオロオロしてしまう。
 我が家に帰りの電車の時間が決まっている人が訪れた場合、その時間が近くなると時計ばかり気になって話が上の空になる。
 お客様に早く帰れと言っているように受け止められるから時計を気にするのはやめろと後でワイフが怒るが、その時点では頭がパニクっているのでどうしてもなおらない。
 碁を打っているとき相手が秒を読まれると頭がぼーっとなって碁を考える気力が失せてしまう。
 だから吾輩は秒読みが大嫌いだ。

2006年04月07日

嗚呼勘違い

 吾輩は幼いときから勘定が苦手だった。
 こどもの頃「お風呂の中に入って30数え終わるまで出てはだめ。」としつけられていた。
 吾輩は、早く出たいのでいち・にぃ・さん・しぃと早口に数えると口がこんがらがりどこまで数えていたかわからなくなる。
 しかたないから前に戻って数え直す。
 こんなことを繰り返すから、たっぷり100まで数えたくらい湯につかりゆで卵を2つ作ってしまったものだった。
 いまに至っても目算すると数えるたびに10以上変わってしまう。
 暗算も苦手だ。
 特に繰り上がり繰り下がりがあったらパニックだ。
 人間欠点ばかりではない。
 吾輩にも人より優れていると思っているものある。
 嗅覚と味覚だ。
 嗅覚は犬と勝負して勝つジミー大西には及ばないが普通の人が感じない僅かな香りでも嗅ぎ分けることが少なくない。
 味覚も外で美味しく食べたものの味を自宅で似たような味まで作ることができるし、調味料を組み合わせて独自の味を作り出すこともできる。
 ワイフも調理師になったら成功したかもしれないと言っている。

 俗に計算を司る脳は左脳、感覚を司る脳は右脳と言われているから吾輩は右脳人間だと思っていた。
 また、吾輩を知る人達もみーーーんな吾輩を右脳人間だと思っているようだ。

 ある日、テレビで右前頭葉、右後頭葉、左前頭葉、左後頭葉のどこを使っているかというのをチェックする番組があった。
 チェックシートで各質問をチェックして驚いた。
 吾輩は左脳人間だったのだ。exclamation×2

 吾輩は方向オンチだ。地図を見ながら進むときは自分が曲がると地図も一緒に回さないと進む方向がわからなくなる。
 吾輩は探し物が苦手だ。いくら探しても見つからないものを同じ場所からワイフはさっと見つけ出す。
 最近はやりのアハチェンジの画面は最後までわからない。
 これらは右脳の働きが鈍い何よりの証拠だそうだ。

 左脳が弱いからといって右脳が強いわけではない。がく〜(落胆した顔)
 左脳よりもっと右脳が弱かったのだ。もうやだ〜(悲しい顔)
 嗚呼exclamation悲しき勘違い。・゜゜・(×_×)・゜゜・。

近眼・遠視の勘違い

2006年03月25日

傲慢無礼な投稿者

 拙者のHPqinの部屋のマジカルバナナで「電車男といったらエルメス」の次に「エルメスと言ったらキモイ! 」という連鎖があった。
 これに対して「「キモイ」という言葉は、見ている人に不快を与えてしまうことがあるので、記事の削除をお願いします。」という投稿があった。
 拙者は、キモイという言葉に不快を感じないし、使うことさえある。
 そこでなぜ不快なのかを尋ねたところ次のような回答があった。
掲示板のように、数多くの人が見ている公の場でのこういった発言は、喧嘩を引き起こす可能性が0とは言えないのと、
(もちろん個人に対してではなくても、)その「キモイ」というカタカナ3文字で関係の無い閲覧者にも見ていて不快感を覚える。

※このスレに対するレスについてですが、島谷様以外の方のレスには一切応じません。
 これって拙者の質問の答えになっているだろうか。
 カタカナ3文字が不快感を覚えるのならガラス、マウス、テレビなども不快感を覚えるのだろうか。
 なにが喧嘩を引き起こす可能性があるのだろうか。
 しかも最後の横柄な1行はなんだ。exclamation×2
 喧嘩を売っているのは自分ではなかろうか。ちっ(怒った顔)
 さらにマジカルバナナに下記のような書き込みまでしている。
「キモイ」という発言は、個人への発言ではなくても他の閲覧者から見れば不快感を与えてしまう可能性がありますので、今後このような発言はおやめ下さい。
 自分が不快に感じたのなら素直に「この言葉は自分にとってはこれこれこういうわけで不快で耐え難い。」と言うのが筋だろう。
 個人的な理由であっても皆が納得すればその人が不快に感じる言葉を使わないようした例は過去にある。
 自分をわがままでないように見せたいため他の閲覧者に不快感を与えると決めつけるのは意固地老人の常套手段だ。
 しかも管理人でもないのに発言をやめろとは横柄この上ない。
 どこぞの掲示板のオーナーを思い出してしまった。

2006年03月19日

夢は大きく目標は低く

 昨夜のNTV世界一受けたい授業で星野仙一氏の語る「人を動かす組織論」はさすがチームを何回も優勝に導いた監督だっただけに説得力絶大だった。
 しかし、氏が強調する目標を高く設定ということについては賛成しかねる。
 たしかに我慢強く粘り強い人には高い目標の設定は有効かもしれない。
 しかし、拙者のように緊張の持続時間が短く、諦めが早い人間に対しては高い目標の設定は逆効果で夢までしぼませてしまうと思っている。
 現に拙者は目標を高く設定するとなかなか目標に近づけないので途中で嫌気がさして夢そのものも投げ出してしまっていた。
 拙者は夢を目指すときは、ちょっと励めば達成できそうなところに目標を置くことにしている。
 豚もおだてりゃ木に登る。
 目標に到達できると非常にいい気分になり、すぐにその地点に達したから見えるようになった手近な新しい目標に向かって歩み出す。
 このようなことを繰り返すことによりいつのまにか高いところまで進んでいる。
 最初からいまいる位置を目標にしていたら絶対に挫折していただろう。
 エリートだけ集めた組織を指導するには高い目標の設定はあり得るのかもしれないが烏合の衆を指導するにはすぐに手が届く目標にしなければいけないのではなかろうか。

2006年03月16日

役職名を様付けするな

 常日頃メディアの報道で気になるのは皇太子とか○○宮の呼び方だ。
 皇太子や○○宮は役職名ではないだろうか。
 チャールズ皇太子とは言わんだろう。
 さすがに天皇とは言わんなぁ。
 皇太子とか○○宮と言いにくいのなら天皇陛下とか先生侍史と言うように皇太子殿下と言えばよかろう。
 それにしても皇室報道が多すぎる。
 皇室報道は、視聴率が高いのだろうか。

2006年03月12日

実験音楽

 昨夜の世界一受けたい授業青島広志講師「脳にビンビン響く世界名曲アルバム!」で紹介されたジョン・ケージなどの音楽は斬新的で音楽の進歩には大いに貢献するかもしれないが音楽の可能性を模索する課程のサンプルデータにすぎないような印象を受けた。
 紹介された音楽の中には効果音として実用になりそうなものや自分で演奏したら楽しいだろうなぁと感じたものもあったが音楽として鑑賞する気にはならないなぁと思った。
 私が高校生の頃に話題になったアトナール音楽やミュージックコンクレートが脳裏に浮かんだ。
 シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」にはカルチャーショックを受けたが、その後の12音音楽やさらに発展させたアトナール(無階調)音楽は聴いていて退屈の極みだった。
 それでも作曲するのは楽しいのかウエーベルンなどこの技法を駆使する作曲家が少なくなかった。
 また、のこぎりその他の音が出るものを楽器として使うミュージックコンクレートと称するものが作曲されていたが私にとっては鑑賞に値するものとはとても思えなかった。
 時が過ぎ私が40代になった頃ピンクフロイドの原始心母を聴いたときはっと思った。
 これはアトナール技法やミュージックコンクレートの技法を使っているのではないだろうかと。
 実際はどうか楽譜を見ていないのでわからないが高校の頃に聴いた12音音楽やミュージックコンクレートに似ている音の響きだ。
 これらの音の響きが実に効果的に使われている。
 アトナール技法が実験段階から実用段階になったのだなぁと感激したものだった。
 「脳にビンビン響く世界名曲アルバム!」で紹介された音楽技法もやがて実験音楽から脱皮してこれらの技法を使った名曲が生まれのだろうなぁと思った。

2006年02月24日

23日のクイズ!日本語王

 第1ブロックは、A:上げる・B:挙げる・C:揚げるの3択問題。
 全力をあげるをA、犯人をあげるをCにして2問×ふらふら
 ATOK16で変換すると全力を挙げる、犯人を挙げると正しく変換される。
 ATOK16エライ拙者はアホもうやだ〜(悲しい顔)

 第2ブロックで「一抹の不安」の抹を沫と書いてしまった。ふらふら

 第3ブロックの「もうこりた」【 】己【 】他の【 】内に入れる文字。
 生まれて初めて聞く言葉ダメモトで望己離他と書いたが勿論×ふらふら
 忘己利他だそうだ。へぇーーーーー

 第4ブロックは温泉名の書き取り。
 これなら楽勝かと思いきや飛騨を飛弾と書いて×ふらふら

 総合点は70点であった(;>ω<)/

2006年02月19日

ラフマニノフ嫌い

 拙者はクラシック音楽に興味を持った中学校の頃からラフマニノフが大嫌いだ。
 あんな美しいメロディーのどこが嫌なのだと言われるが拙者にはとても美しく感じられない。
 そもそも音が鳴り出すとイヤーーナ気分になるのだから演歌と同じく体質に合わないのだろう。
 蛇が嫌いな人は美しい蛇がテレビ画面に写し出されても横を向いてしまうのと同じ心境だ。

 テレビで男子フィギュアのフリーで高橋大輔選手の演技を見て驚いた。
 音楽がラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ではないかexclamation×2
 だからコケるんだぁーーーーーっふらふら
 俺が高橋大輔選手のコーチだったらラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を使うのに大反対した象。ちっ(怒った顔)
 高橋大輔選手が実力を発揮できず8位になってしまったのはラフマニノフが悪いんだぁーーーーっexclamation×2とラフマニノフに八つ当たりしているアンチ・ラフマニノフの拙者であった。

無事これ名馬なり

 勝負の世界にレバタラ話は意味がないが、ボードクロスの放映を見てつくづく身につまされる思いを感じた。
 もしも準決勝でゆっちが転倒している選手に巻き込まれないですり抜けていレバ、決勝に進出できたろう。
 決勝に進出しタラ転倒している選手をすり抜けて先頭のアメリカ選手を追い、土壇場で転倒したアメリカ選手を追い越して金メダルを取れたかもしれない。
 まさに無事これ名馬なりだ。

 考えてみると拙者の碁は、勝手に転倒して負けてしまうことが8割以上だ。
 ゴール目前で転倒してギブアップということも少なくない。
 転倒しないようにすること。
 これが拙者に科せられた課題だが血液型を変えるほかなさそうだなぁ。もうやだ〜(悲しい顔)

2006年02月17日

16日のクイズ!日本語王

 昨日は最悪の日だった。ちっ(怒った顔)
 1日中雨で滑りに出かけられない。
 seesaaがトラブルでブログを更新できない。
 ダメ詰まりが見えない。
 ・・・・・・・・
 クイズ!日本語王も最低だった。
 第1ブロックの『Aどうぞ・Bどうか』の二者択一問題は前門正解で出だしはよかったのだが、、、
 第2ブロックで二束三文を二足三文と書いてしまった。
 また、物事のし始め⇒【 】切りの【 】に入れる言葉がわからない。
 皮切りと答えを示されてからもしばし?状態。
 よく使う言葉なのに老衰のきわみだ。もうやだ〜(悲しい顔)
 第3ブロックの『人は違う個性を持ち他人は自分と同じようになれない』の「【 】は【 】ならず」は全然わからない。ふらふら
 『他は己ならず』 へぇーーーーがく〜(落胆した顔)
 第4ブロックの小学校の国語テストでも沿岸漁業を遠岸漁業と書いてしまった。
 総合点は平均点以下の65点であった。。・゜゜・(×_×)・゜゜・。
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