2006年01月16日

紛らわしい言葉

 「人間は動物だ」と言うと「人間を犬や猫と一緒にするとはけしからん」と腹を立てる人がいる。
 「人間はほ乳類だ」と言っても「人間を犬や猫と一緒にするのはけしからん」と腹を立てる人にお目にかかったことはない。
 「人間は動物だ」と言うと腹を立てる人は動物=獣と定義しているのだろう。
 この人にとって魚や鳥は動物でないに違いない。
 そういえば動物を食べないと言う人でも魚は食べる。
 同じ言葉が同じ分野で違う定義がされていると紛らわしくて困る。
 なんとかならないものだろうか。
この記事へのコメント
動物=獣と定義する人の勘違いだけの事で、悩む事は無いのでは??

Posted by 棋譜大好き at 2006年01月17日 01:02

そう定義する人が多いと悩んでしまうのでした。

Posted by 島谷 at 2006年01月17日 04:16

そうでしたか。私の周りにはそう定義する人は見当たりませんが、面白そうな人たちでしょうね。

Posted by 棋譜大好き at 2006年01月17日 07:07

 動物性脂肪というとラードやヘッドを思い浮かべる人が多いと思います。

 私は定義の違うと話がかみ合わなくなるというつもりの発言でしたが、定義の例が悪すぎたようですみませんでした。

 私は「ゆとり教育」「詰め込み教育」の定義がCammliaさんの定義と違うばかりに、ほとんど同じ意見なのに大激論したことがあります。

Posted by 島谷 at 2006年01月17日 10:35

> 私は「ゆとり教育」「詰め込み教育」の定義がCammliaさんの定義と違うばかりに、ほとんど同じ意見なのに大激論したことがあります。

そうでしたか。面白そうな議論と想像します。
ところで「ゆとり教育」の定義はゆとりの教育、
「詰め込み教育」の定義は詰め込みの教育と思いますが、何がどう違ったでしょうか?



Posted by 棋譜大好き at 2006年01月17日 15:51

 碁の定石で例をあげてみます。
 私は、碁の定石の手順を丸暗記させてたくさん定石を覚えさせるのが詰め込み教育、定石手順以外の手を打ったらどうなるかということを学ぶのがゆとり教育だとイメージしていました。
 だから私は詰め込み教育反対主義者で実力をつけるのはゆとり教育という意見をもっていたのです。
 Cammeliaさんは、いろいろな知識をどんどん教えるのが詰め込み教育、授業時間を減らすのがゆとり教育という定義だったらしく私の詰め込み教育反対、ゆとり教育賛成に反論されたわけです。
 しかし、私はCammeliaさんがボランティアでなさっている教育はゆとり教育そのもの、Cammliaさんの言われる詰め込み教育なら大賛成なので最終的には意見の一致をみたのでした。

Posted by 島谷 at 2006年01月17日 16:08

なるほど、そうでしたか。(実は全然分かっていません^^) という事は、
Cammeliaさんの詰め込み教育=島谷さんのゆとり教育
なのですね。私は島谷さんが言葉の定義について何か考え過ぎのような印象を受けます。最初から「ゆとり」や「詰め込み」の言葉を省略して、普通に話せば悩みも無くなるのではないでしょうか。

Posted by 棋譜大好き at 2006年01月17日 16:45

 学力低下対策として政府がゆとり教育見直しという記事を見て、ゆとり教育を廃止したらますます学力低下するという私の発言がことの発端でした。http://otd10.jbbs.livedoor.jp/1072628/bbs_plain?base=96
 ですからゆとりというのが重要なキーワードだたのです。
 世間もゆとり教育反対派と賛成派に分かれて論争していますが、ゆとり教育の定義が反対派と賛成派とでは違うのだろうと悟った次第です。

Posted by 島谷 at 2006年01月17日 16:53

なるほど、かなり大きいテーマの議論だったんですね。そしてかなりユニークな主張ですね。(^^)

世界史や世界地図を知らなくても生活には困らないが、しかし国際化の時代、簡略な世界史や世界地図でもいいから「教養」として子供たちは知った方がいいのではないでしょうか。イギリスはどこ?と地図で北海道を指されたらシャレになりませんね。

政府の「ゆとり教育」は知っていますが、しかしヤツは「教職員にゆとり」を与える制度で、賛成/反対の意見に関係なく、廃止されるのは必然でしょう。島谷さんのご趣旨は多分「知識は学ぶだけでなく、実用・応用が大切」と推測しますが、それならば、その理念を繰り返し強調するのが分かり易いと思います。政府のワケワカメの「ゆとり教育」が消えた後にそのような方向の教育が実行されるといいですね。

Posted by 棋譜大好き at 2006年01月17日 18:56

世界史や世界地図を知らなくても生活には困らないが、しかし国際化の時代、簡略な世界史や世界地図でもいいから「教養」として子供たちは知った方がいいのではないでしょうか。イギリスはどこ?と地図で北海道を指されたらシャレになりませんね。

 私がしそうです。がく〜(落胆した顔)
 私はクイズ番組を見るまでトリノがイタリアにあることをしりませんでした。ふらふら
 このような知識は私の歳になってからでも覚えることができます。
 三つ子の魂百まで人としてしなければいけないこと、してはならないことなどこどものころに覚えなければ間に合わないことを徹底的に詰込み教育すべきだと思っています。
島谷さんのご趣旨は多分「知識は学ぶだけでなく、実用・応用が大切」と推測しますが、
 それもありますが答えを詰め込むのではなく、なぜその答えになるのか、まちがった方法を選ぶとどうなるのかということを学ばせたいと思っています。
 私は、学問というのはわからないこと(疑問)を増やすことだと思っています。
 初心者はどこがわからないかわからないので教えてくんになったり傲慢な初心者になってしまうのだと思っています。
 受験教育はわからないことを増やすのではなくわからないことを減らす教育をしているのではないかと思うので嫌いなのです。
 私は碁の初心者よりは碁で知らないことが多いと思っています。
 また、秀策や道策は私より碁で知らないことが想像を絶するほど多いのではないでしょうか。

Posted by 島谷 at 2006年01月18日 04:30

> 私はクイズ番組を見るまでトリノがイタリアにあることをしりませんでした。このような知識は私の歳になってからでも覚えることができます。

トリノがイタリアにある事は比較的細かい事で知らずも良しと思います。しかしローマがイタリアの首都である事ぐらいは知った方が良いと思います。さもないと日本の国が「阿呆草広場」と思われても仕方ないではないでしょうか。どんな知識でも年をとってから覚える事ができます。しかし5才児には5才児の、青年には青年の知識範囲(教養)というものがあると思います。さもないと日常の会話さえも危ないでしょう。

> 三つ子の魂百まで人としてしなければいけないこと、してはならないことなどこどものころに覚えなければ間に合わないことを徹底的に詰込み教育すべきだと思っています。

賛成です。という事は詰込み教育に賛成されているのではありませんか? (^^)

> 答えを詰め込むのではなく、なぜその答えになるのか、まちがった方法を選ぶとどうなるのかということを学ばせたいと思っています。

なるほど。理解力の事ですね。すると簡単に言えば「知識は学ぶだけでなく、理解・応用が大切」という理念ですね。

> 私は、学問というのはわからないこと(疑問)を増やすことだと思っています。

これはハイレベルで難しいそうな命題ですね。島谷さんの奥深さを垣間見た気がします。(^^)

> 私は碁の初心者よりは碁で知らないことが多いと思っています。また、秀策や道策は私より碁で知らないことが想像を絶するほど多いのではないでしょうか。

これは多分主観的、感覚的な見方ではないでしょうか。客観的、物理的に見れば、秀策や道策は島谷さんより碁で知らないことが想像を絶するほど少ないです。

Posted by 棋譜大好き at 2006年01月18日 09:25

しかし5才児には5才児の、青年には青年の知識範囲(教養)というものがあると思います。さもないと日常の会話さえも危ないでしょう。
 同感です。
 その範囲を超えたすぐには必要としない知識を教える時間を絶対に必要な知識の習得に費やすべきだというのが私の主張なのでした。
という事は詰込み教育に賛成されているのではありませんか? (^^)
 はい、この定義における詰め込み教育なら賛成です。
 しかし、理解なんかしている暇があったら覚える個数が減るから、理解せずにこうだったらああ、ああだったらこうと覚える数を増やせという詰め込み教育(私の定義)は大反対なのです。
これは多分主観的、感覚的な見方ではないでしょうか。客観的、物理的に見れば、秀策や道策は島谷さんより碁で知らないことが想像を絶するほど少ないです。
 秀策や道策は私より碁で知らないことは想像を絶するほど少ないと思います。
 しかし、碁に対する疑問は私が想像を絶するほど多いと思います。
 私は知らないこと=疑問という定義で使うときもあります。紛らわしい表現ですみません。
 山の麓にいると見える景色はわずかですが、山に登るほど見える景色が増え、あそこではなにをしているんだろうと疑問が湧くと思います。
 景色を見ずにひたすら山を登れば景色を見ながら山に登る人より早く高いところに到達すると思いますが、景色を見ながら山に登った人より得たものが少ないのではないかと思います。
 私は景色を見ながら登るのがゆとり教育、景色を見る暇があったらとっと歩けと先を急ぐのが詰め込み教育だというイメージをもっていたのでした。

Posted by 島谷 at 2006年01月18日 09:59

> その範囲を超えたすぐには必要としない知識を教える時間を絶対に必要な知識の習得に費やすべきだというのが私の主張なのでした。

なるほど。同感です。ところでその「絶対に必要な知識」の範囲というのは一般には文部科学省の決めた指導要領が基準になると思いますが、島谷さんは別な考えがあるようですね。

> この定義における詰め込み教育なら賛成です。
しかし、理解なんかしている暇があったら覚える個数が減るから、理解せずにこうだったらああ、ああだったらこうと覚える数を増やせという詰め込み教育(私の定義)は大反対なのです。

なるほど。色んな定義の「詰め込み教育」があるわけですね。(^^)
しかしこれは多分言葉の「定義」の問題ではなく、ただ言葉に「形容詞を付加する」だけで解決される問題ではないでしょうか。
「この定義における詰め込み教育」→ 基本知識の詰め込み教育
「詰め込み教育(私の定義)」→ 理解力軽視の詰め込み教育

そういえば、本題の「ゆとり教育」の定義は下記のようですが、
↓
ゆとり教育(ゆとりきょういく)とは、学習者に焦燥感を感じさせずに、学習者自身の多様な能力を伸張させることをめざす教育のことである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2

私が読んでも、読む前より分からなくなりました。「ゆとり教育」とはゆとりある教育です、と簡単明瞭で良いと思います。

> 秀策や道策は私より碁で知らないことは想像を絶するほど少ないと思います。しかし、碁に対する疑問は私が想像を絶するほど多いと思います。

そうでしょうか。これは当人でなければ知り得ない事で置いときまして^^、仰りたい事は多分 秀策や道策は碁に対する「考えていた事」は私より想像を絶するほど多い という事ではないでしょうか。これならば万人の同感するところです。(失礼!^^)

> 私は景色を見ながら登るのがゆとり教育、景色を見る暇があったらとっと歩けと先を急ぐのが詰め込み教育だというイメージをもっていたのでした。

なるほど。山を登る人の目的や価値観はそれぞれですが、景色を見ながら登るのが楽しみ多く、一つの理想像ですね。

ところで政府の「ゆとり教育」はなんなんだろ。高校入試制度をそのままにして、子供たちの授業/学習時間をやたら減らすなんて理解不能です。「12時まで頂上まで登らないと蹴り落とすぞ」としながら、「ではゆっくり景色でも見ながら登りましょうね」とです。

Posted by 棋譜大好き at 2006年01月18日 11:41

ところでその「絶対に必要な知識」の範囲というのは一般には文部科学省の決めた指導要領が基準になると思いますが、島谷さんは別な考えがあるようですね。
 はい、いまの教科に欠落しているマナー教育を強化したいと思います。
 マナー教育は学校ではなく家庭の責任だという人がいますが、一家庭だけマナーを厳しくしつけ他の人達のマナーが悪いと、マナーを厳しくしつけられたこどもだけが大損をするようになり、やがては親の言うとおりにすると損をすると思いこむようになり家庭破壊につながるおそれがあります。
しかしこれは多分言葉の「定義」の問題ではなく、ただ言葉に「形容詞を付加する」だけで解決される問題ではないでしょうか。
「この定義における詰め込み教育」→ 基本知識の詰め込み教育
「詰め込み教育(私の定義)」→ 理解力軽視の詰め込み教育
 目から鱗です。
 今後できるだけ言葉の前に形容詞を付けるように努めます。
 どうもありがとうございました。
仰りたい事は多分 秀策や道策は碁に対する「考えていた事」は私より想像を絶するほど多い という事ではないでしょうか。
 そうです。そうです。そうなんです。
 私の表現は最悪ですねがく〜(落胆した顔)
ところで政府の「ゆとり教育」はなんなんだろ。高校入試制度をそのままにして、子供たちの授業/学習時間をやたら減らすなんて理解不能です。
 禿同
 私はゆとり教育の目玉の総合学習を廃止するのではなく高校入試制度を改革すべきだと思っています。
 また、教員の資格にメスを入れるべきだと思っています。
 しかし、後者は日教組の反撃があるでしょうから不可能でしょうね。

Posted by 島谷 at 2006年01月18日 12:09

> いまの教科に欠落しているマナー教育を強化したいと思います。

賛成です。マナーは教師と接する時や部活、運動会、学園祭などで自然に身について来るものと思いますが、教科書付きの一つの教科にはなりにくいですね。
「今日学校で何勉強したの?」
「マナーの時間で[こんにち]の挨拶を習ったの。」
なんていう会話には世のお母さんたちは激高するでしょうね。(^^)

> 教員の資格にメスを入れるべきだと思っています。しかし、後者は日教組の反撃があるでしょうから不可能でしょうね。

難しいでしょうね。「資格」はそれ自体の重みがあり、疑うべきではないように思います。その代わりボウリョク、ハレンチ等の違反教師は厳厳罰すべきです。そう言えば教師を生徒が点数付けしてランキング発表する、という逆通信簿みたいな提案があるようですが、こうなったらもう「教育」とはかけ離れた状態になりますね。

Posted by 棋譜大好き at 2006年01月18日 15:13

マナーの時間で[こんにち]の挨拶を習ったの。
 小学校1年のときに徹底して教育すべきだと思います。
 ミッションスクールではしっかり教育しているようですね。
 私の住んでいる相模原市はまるっきりだめです。
 まともに挨拶する小学生や中学生を見かける方がまれです。
 ワイフの実家で私だけ一人で散歩しているとき私とすれ違う小学生や中学生が必ず「こんにちは」と挨拶するのに感激しました。
 その地区の学校では挨拶するよう教育しているそうです。
 社会生活に必要なマナーやルールは学年に応じた教科書(マニュアル)ができたらいいなぁと思っています。
その代わりボウリョク、ハレンチ等の違反教師は厳厳罰すべきです。
 禿同
 また、生徒のいじめ、暴力その他の非行を見て見ぬふりをする教師も処罰すべきだと思っています。


Posted by 島谷 at 2006年01月18日 15:29

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