NASPAは小ぢんまりしたスキー場だがコースレイアウトがよくてリフトの乗り継ぎが楽なので滑りでがある。またスキー入門者でも滑れるコースから斜度38度のコブ斜面まであって好みのコースが選べる。その上スキーヤーオンリーでボーダーがいないので安心して滑れる。
吾輩が大好きなスキー場の一つだ。
Cコースが滑れないとなると楽しみはDコースしかない。第3リフトを乗りながらDコースを眺めるとコブが浅い。2月だからまだコブが深くならないのかと一人合点しながらDコースに入って驚いた。腰の深さまでコブが深い。リフトから見ると曇天で影がないのでコブが目立たなかったのだ。コブが深いだけでなく雪が柔らかいからコントロールがしにくい。しかもストックが邪魔で思うように身体がさばけない。雪にまみれて壁を降りたら足ががくがくになった。Cコースなら第2リフトを使って何回でもリピートできるがこのハードさではとても続けてリピートすることはできない。ほかのコースを20分ほど滑って足馴らしをしてからDコースを滑る。それでも3回目になったら膝が笑い出した。足が完全に疲れたのだろう。初級者コースを滑っても右足で踏ん張ると右足がズキーンと痛む。初日は14時前に上がってチェックインの時間までインターネットルームで時間を潰した。
チェックインしてから温泉に入り身体をほぐしたが階段を歩くとき右足のスネがズキンと痛む。少し無理したらしい。翌日の滑りが心配になった。
夜が明けると前日とは打って変わった好天気。絶好のスキー日和だ。
Dコースを滑る前に足馴らしに緩斜面を滑ったが右足が谷足になると雪面から衝撃を受けるつど右足のスネがズキーンと痛む。足に入っているチタンプレートが響くのだろうか。これではとてもコブを滑れそうもない。Dコースを滑るのを諦めることにした。
しかし右足が谷足になったとき右足のカカトを谷の方に踏ん張るように押し込むとスネへの衝撃が少ないことを発見し2時間ほど他のコースを滑っているとDコースが滑りたくなってきた。
えいっ!ままよっ!とDコースに滑り込んだ。ターンして右足が谷足になったときズキーンと右足のスネに響いた。イテテ!思わず力を抜くと板が暴走して身体のバランスが崩れる。いつもなら手を振り回してバランスを取るのだが歩くときに足が痛くないように持っているストックが邪魔をする。ストックを放り捨てたくなった。休み休み下までたどり着いたときは息も絶え絶えだった。この調子では第2リフトが動いていてもCコースを何回もリピートすることは無理だったろう。ストックなしでもスキーで歩けるようになるまではコブ斜面は避けた方がよさそうだ。
右足の手術をした病院の理学療法士から『左足はベテランでも右足は初心者ですよ。』と言われたことが脳裏をよぎった。

卓球のジャパン・トップ12大会は11日、男女各12選手によるシングルスを行い、女子は大阪・四天王寺高2年で16歳の石川佳純(ミキハウスJSC)が、男子は全日本選手権で4連覇した20歳の水谷隼(明大)がともに初優勝し、賞金100万円を獲得した。石川の国内大会の一般シングルス優勝は初めて。石川は1次リーグで全日本選手権覇者の王輝(日立化成)に勝ち、決勝では福原愛(ANA)を4―1で破った。




からプレゼント
が来て、


イチローはプレーボール後の2球目をたたいた。強烈な当たりが右翼線へ伸びる。「試合数が多いですから、日本で打つよりずっと楽。日本で2千打つのはけっこうすごいんじゃないか、と思います」。軽やかな足どりで二塁へ向かった。振り返る言葉にも重々しさはなかった。
男子ゴルフの第37回フジサンケイクラシックは6日、山梨県富士河口湖町の富士桜カントリー倶楽部(7397ヤード、パー71)で最終ラウンドを行い、17歳の石川遼が通算12アンダーの 272で2位の丸山大輔(38)に5打差をつけて圧勝、今季3勝目を挙げた。優勝賞金2200万円で今季の獲得賞金を約9300万円としてランキングでトップを奪い、2年連続の1億円突破と初の賞金王を視界に入れた。
2009年4月3日 17時00分
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)後にチームに合流したものの、めまいなどを訴えてオープン戦を欠場しているマリナーズのイチロー外野手(35)が2日、球団の指示で病院で精密検査を受けることになった。イチローは極度の疲労を訴えているが、過去に同様の症状を訴えて欠場を続けたことはなく、6日(日本時間7日)の開幕を完全な体調で迎えられるかどうか不安視される。日本最多安打記録更新も控える中、WBC連覇の代償は、侍ジャパンのチームリーダーのレギュラーシーズンに大きくのしかかっている。

雪質のよさはシルバー入り口まで続く。
さすが休日
しらねコースからシルバーコースに入る。
石川佳純選手が5月にザグレブで開催される卓球世界選手権の日本代表選手の一員として選出された。\(^o^)/
14歳2ヶ月の日本代表は2003年パリ大会に14歳6ヶ月で出場した福原愛選手の最年少記録を書き換えるものだ。
ジャパントップ12大会は平野早矢香選手が優勝した。\(^o^)/