私は、切れ負け制の有用を論じ、欠陥ルールではないことを力説してきた。
しかし、切れ負け制反対論者は、時間攻めという囲碁技術以外の戦術で勝ちを得ることができるから欠陥ルールだと切れ負け制を糾弾する。
上の意見は私には言いがかりにしか過ぎないように感じる。
切れ負け制の時間攻め対策は別に難しいことではなく常識的な終局の時点で5分以上残り時間があるようにしておけばすむことだ。
それを検証してみよう。
終盤になる前から時間攻めということは考えにいれなくていいだろう。
終盤になる前から相手は時間攻めで打っくるから時間が切れて負けたというのは敗者の負け惜しみにしか聞こえない。
中盤の手どころでお互いの大石が食うか食われるかの戦いになった。
どうみても相手が有利そうなので楽観している相手はぽんぽん打ってくる。
長考を重ね相手のミスを誘い大石を葬って圧倒的優勢になった。
しかし、長考を連続したので残り時間2分になってしまった。
相手は投了しないで打ち続けるので時間切れ負けになってしまった。
あそこで投了しないとは卑怯な奴だ。
これはないだろう。
時間制限がなくても投了しないで粘る人はいっぱいる。
時間攻めというのは普通なら終局するのに相手の地の中に石を打ったり、自分の地の中に石を打ったり、とにかく石の置けるところに石を置いて終局を引き延ばして相手の時間切れを狙うことなはずだ。
ということは盤面中石だらけになるまで粘っても200手以上は粘れないだろう。
つまり自分は100手お相手をすればいいのだ。
死活や攻合いに関わる着手なら応手に時間を要するが囲碁技術的には無意味な石を置いてくるのだから応手に2秒もかからないだろう。
応手に熟慮を要する手は囲碁技術的には無意味な時間攻めの手ではなく囲碁技術的に有力な手のはずだ。
こちらがパッパと応手出来ないようにフェイントをかけるなどリズムを乱して着手する戦術をとったとしても3秒あれば応手して時計を叩けるだろう。
すると100手お付き合いしても300秒、つまり5分だ。
したがって常識的な終局時に残り5分あれば時間攻めにあっても時間切れにならないことになる。
持ち時間45分なら40分で1局打つつもりなら時間切れになるはずないだろう。
こんな簡単な対策も立てずに時間攻めをする人を責めるのは自分の非を相手に転嫁する行為だと思う。
泥棒に入られたのは戸締まりが不用心だからいけないので泥棒を攻めるのは間違っていると言うのと同じだと反論しないで欲しい。
泥棒は社会ルール違反の犯罪だ。
時間攻めはルールに則っている行為だ。
ルールに則っている行為に対して非難するのは逆ギレというものだ。
いまでこそ常識的なプレーになったが、内野ゴロで2塁封殺されるランナーが足を上げながらスライディングして併殺を防ぐプレーを危険で卑怯なプレーだと罵られたこともあった。
また将棋で待ち駒を卑怯という人がいた時代もあった。
運営ルールに則り時間攻めという囲碁技術以外の手段を使えるから切れ負け制は欠陥ルールだというのもおかしいと思う。
運営ルールに則った囲碁技術以外の手段は切れ負け制以外のルールでもいっぱいある。
盤外作戦はみんな囲碁技術以外の戦術ではないか。
時間攻め戦術だけ取り上げて切れ負け制が他の持ち時間システムより劣ると結論づけるのは一方的すぎると思う。
私的結論