2007年12月06日

学力向上は正しいゆとり教育で

 国際学習到達度調査でまたまた日本は前回より各教科の順位が後退した。
 学力低下の原因をゆとり教育のせいにして教科の時間を増やせという声が高い。
 吾輩はふざけるなexclamation×2と叫びたい。ちっ(怒った顔)
 吾輩も間違ったゆとり教育は学力低下を招くことに異論はない。
 しかし学力低下は間違った教育をしたことにあってゆとり教育が悪いわけではないはずだ。
 学力の高いフィンランドは日本より教科時間が少ない。それなのに高い学力を得られたのは教育の質が高いからだ。
 本来ゆとり教育は教員の負担が重くなるはずなのに教科の時間が減ったことをいいことに教員がゆとりをもってしまえば学力低下を招くのは当然だ。
 総合学習で生徒を正しく指導するための準備に要する時間は減らした教科の時間を凌駕するはずだ。
 正しいゆとり教育教員のゆとりではなく教員にとっては労働強化になるだろう。
 日教組はそれを察知して教員の労働強化を避けるためにゆとり教育反対を叫び文科省や世論はその罠にはまってしまったとしか思えない。
 考える力は一方的に知識を詰め込むだけでは得られるものではない。
 なぜだろうと考える時間を惜しんで知識を詰め込めば疑問を一つずつ解明しながら得る知識量より多いには違いない。
 しかし、それで得た知識は血となり肉とならないし考える力も生まれない。
 疑問を生じさせその疑問に取り組んでこそ考える力が生まれるものだ。
 知識のなさをいじられて笑いのネタにされているキー局の女子アナがいる。彼女は一流大学を出ているから学力は相当高いだろう。それなのになぜあれだけ知識がないのだろう。彼女は一流大学に合格するために必要な知識をどんどん詰め込むために咀嚼するゆとりを持たず鵜呑みにしたのだと思う。だから自から疑問を持って知識を得ようとする姿勢が育たなかったのではなかろうか。
 知識の鵜呑みに追われるだけではなく当たり前だと思っていることに疑問を生じさせるゆとりを持たせる教育こそが真のゆとり教育で考える力を養成するはずだ。
 ただし生徒に疑問を生じさせ疑問解明に取り組む意欲を持たせるように仕向けるには教員の質を高めなければならない。
 ヘキサゴンIIで島田紳助の天然タレントに算数の教え方を見て感歎した。木下優樹菜は勉強して知識を得ることがこんなに楽しく充実感があるもだということを知ったと語った。これこそ教育のあるべき姿ではなかろうか。
 学力向上をはかるには教科時間を増やすのではなく教員の質を高めることに全力を注ぐべきだ。
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