新聞の社説を読んでその偏向さに憤慨する人が少なくない。
確かに朝日新聞の社説を見ればアサヒるという言葉が産まれることが納得できる。
しかし吾輩は中立報道はあり得ないと思っているから朝日・毎日が反日、産経・読売が反左翼になっても驚かない。
吾輩は社説のおかげでその新聞の偏向度が推し量れると思っている。
反自民の社説を掲げている新聞なら自民のゴシップは割引して読み、社説で自民を支援している新聞なら自民のゴシップは氷山の一角として読む。
だから怖いのは陥れようとするものを社説で弁護しいかにもそのものの味方のように感じさせ記事でゴシップを大々的に扱うことだ。
この手を使われたら記事で書かれたゴシップは増幅して受け止められてしまうだろう。
色眼鏡で社説を記載することは我が社はこれだけの色眼鏡をかけて取材し報道していますということを明らかにした新聞の良心ではないかと思っている。
2007年11月18日
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新聞を読む人が減り、社説を読む人が激減したのにつれて次第に社説の暴走が大きくなったような希ガス。しかも、どんなに社説が暴走しても誰も気がつかなかったりして・・・ 情報過多社会の悲哀を感じます。
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