2007年10月31日

キリとキリチガイは違う

 級位者はキリとキリチガイの区別がつかないようだ。
 たしかに両方とも相手の石を切断していることには変わりない。だからキリチガイはキリに含まれると考える。分類学的に考えればそうかもしれない。しかし、そう考えてしまうと両者の性格を見失ってしまう。
 キリとキリチガイは性格が正反対なのだ。
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 左図◆はキリだ。
 キリチガイとは言わない。
 ◆によって分断された白は◆を取らなければ別々に世帯を持たなければならない。
 ◆は攻撃を目的とした手なのだ。
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 左図△・▽はキリチガイだ。
 キリチガイは敵の縄張り内での戦いで犠打を放って戦果を上げようと目論むサバキの手だ。
 野球にたとえれば犠牲バントのようなものだ。犠牲バントはセーフティバントとは異なり自分がセーフになることよりランナーを進塁させることが目的だ。犠牲バントを命じられたのに自分もセーフになろうと内野安打を狙うと空振り、ファウル、内野フライなどバントの目的を達せないことになる。
 キリチガイも同様だ。キリチガイは敵の石を攻めるのが目的ではなく自分の石をサバクのが目的だ。
 ▽と△の両方を助けようと思ってはいけない。石の流れに応じてどちらか一方の石は捨てるつもりでなければいけない。
 級位者はキリチガイを攻めと勘違いするらしく両方の石を助けようとしサバキで打ったはずなのに弱い石を2つ作ったことになり両方とも討ち死にすることになってしまう。
 キリチガイ一方をノビよという格言があるがキリチガイで一方をノビられたらキリチガイ一方を捨てよという格言を作りたい。
 ただし相手がアタリ・アタリで来た場合は捨てるにしてもいったんはノビてポンヌキを避けるのが原則だ。しかし、この場合でも流れによってはどちらかの石を捨てるつもりでなければいけない。
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