社会に害毒を流した人間を死刑にしても社会に対する償いになっていない。
そのような理由で死刑に反対するのなら納得できないこともない。
それだったら死刑の代わりに人体実験に供したらどうだろう。
たとえばガン細胞を移植して末期ガンの状態にしていろいろなガン治療を試みる。
医療の進歩に貢献し社会のためになろう。
社会のためになることによって少しは社会に流した害毒の償いになるのではなかろうか。
2007年07月26日
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タイトル: [社会][提言][言葉]なぜ私は死刑を軽い刑だと考えるのか
概要: これから先何十年も「自由の恩恵を受けられたはずの人間」が死刑になるのなら確かに大変きびしいものです そして死刑になるような人物は そういう「自由を謳歌できるはずの人間」を殺してしまった 憎むべき人た..
ブログ名: えるきら保育園 のラジカル自省録
日時: 2007-07-26 18:24
タイトル: [社会][提言][言葉]なぜ私は死刑を軽い刑だと考えるのか
概要: これから先何十年も「自由の恩恵を受けられたはずの人間」が死刑になるのなら確かに大変きびしいものです そして死刑になるような人物は そういう「自由を謳歌できるはずの人間」を殺してしまった 憎むべき人た..
ブログ名: えるきら保育園 のラジカル自省録
日時: 2007-07-26 18:24
味方を拉致して敵に送り込んだり味方を殺して楽しんだりしそうです。
臓器提供には最適です。
ただ、そうすると、供給量を確保する目的のみで、死刑判決が増える危険性も考えなければいけません。
私が提案したいのは懲役X年というような人に新薬の治療検査に協力させるかわりに刑期を短縮する。とか骨髄バンクに登録させて、それで移植が成功して他の人の命を助けたら、釈放って制度を作れば刑務所のコスト削減になるんじゃないでしょうか。
あるいは、臓器移植用に幹細胞を体に埋め込み囚人の命を多少危険にさらすけれど、移植用臓器を供給させるシステムを作れないでしょうか。
たとえ犯罪者といえど人命は資源なのであり、使い捨てにしていいはずがありません。より効率的に繰り返し臓器提供できるシステムを開発し、その犯罪者に社会に貢献させる、というのは如何でしょうか。
ナチスの人体実験によって、医学・薬学は大きく進歩したって話はホントなんでしょうかねぇ。
ま、なんにせよアメリカや中国・東南アジアに臓器を買いに行かせている現状を打開する方策として一考に値するかもね。
これが成功すれば、死刑廃止も可能ですね。
最も実験の犠牲になられる方もおられるでしょうが・・
また被害者遺族も被害者の死がむだにならなかったと慰めになると思います。
みんみんさんの貢献度に応じて懲役期間を低減する案にも賛成1票(^o^)/
犯罪者の人体を即物的に役立てようという発想は恐いと思います。「犯罪者を社会の役に立てる」というつまらないことのために、生命倫理がメチャクチャになります。
碁でいえば「序盤から二線を這って、二眼生きするような打ち方」ですね。
アポロの布石じゃないかなぁ。
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