2007年06月06日

教科新設は前進であって退歩ではない

 徳育科目の新設に対して『学校生活のすべてが徳育教育を施すべきでわざわざ徳育科目を作るのは徳育教育の矮小化である』という意見がある。
 なるほど尤もな意見に聞こえる。
 それなら国語の教科はどうなのだろう。
 吾輩は学校生活のすべてが読み書き教育を施すべきだと思う。
 算数、理科、社会、保健体育などあらゆる教科は読み書きができなければ理解することができない。
 学校生活のすべてで読み書き教育を施すべきだから国語教科を作るのは読み書き教育を矮小化することになるだろうか。
 徳育教育も同様だ。
 吾輩は学校生活のすべてで徳育教育を施さなければいけないのは当然だがそれを整理して身につけるために徳育科目があってしかるべきだと力説したい。
この記事へのコメント
ああ、ようやく『徳育』について、私が探して
いた素晴らしい考え方に出会う事が叶いました。私も貴方のスタンスに賛同致します。

徳育で何かを洗脳したり押し付けるといった危険性があるという、極めて短絡的な考え方が横行している現状において、本来の徳育教育の意味すら、まだまだ国民全般の認識が低いように感じております。その理解や普及はこれからでしょうけれども。

徳育とは何かの思想の押し付けではなく、個の持つ
『社会生活において必要な【他者】の立場に立って物事を考え、言行する事ができる能力』を養う為の【タネ撒き】であるのだと思っているのです。それによって育まれるのが人徳というものであり、では人徳とは何かと言うと、相手の立場に立った言行ができる人物になる事によって働く求心力の事であり、その力は社会で必要とされる人間になっていく為に大切なものなのだと考えております。

人徳が低ければ低いほど、相手の立場に立たずに言行する事で周囲からの信頼を失い、他人は遠心力を持ってどんどん離れていき、社会からも必要とされない場合が出てきたりする事で、ついには引きこもったり最悪犯罪者や自殺などに至る人物になってしまう可能性がある。

『体育』が個の体を育む事であり、身体運動を何かの型にあてはめる為の洗脳教育ではない事は多くの方が共通認識として持っていると思うのに、どうして『徳育』が個の徳を育むものだという自然な捉え方ができない方が多いのか、不思議に思っているのです。

【徳育】教育が始まった、では【徳とは何か、徳を育むとは何か?】というタネがそこに撒かれるのだと思いますから、教科に組み込まれた時点においては素晴らしい事だと考えております。

きっかけとしては良かったと思いますので、これから徳育というものについて現場指導者のみならず、日本国民みんなでこれを考え、育てて行くべき大切な事のように思っている次第であります。

それは徳育が教科に組み込まれたという時点においては仰るように、一歩『前進』したという事なのだと思いますから、これからが重要でしょうね。

しかし先ずは我々大人からして、相手の立場に立って物事を考え、言行しているのか?という事を、もう一度姿勢を正していかねばならないものなのでしょうかね。

ではいきなりの長文で大変失礼致しました。

Posted by はじめまして。 at 2007年06月06日 22:18

↑間違えてダブル投稿してしまったようです。
お手間とらせますが、いずれか削除して頂ければ
ありがたく存じます。

 大変申し訳ございませんでした。

Posted by はじめまして。 at 2007年06月06日 22:23

 はじめましてさん。コメントありがとうございます。
 ダブル投稿コメントは削除しました。
 Seesaaは反応が鈍いので【コメントする】ボタンをクリックし直してダブル投稿してしまいがちです。
 ご不便をおかけして申し訳ありません。
 これに懲りずにこれからもよろしくお願いいたします。
 なおハンドル名は名詞にしていただけると嬉しいです。

Posted by 島谷 at 2007年06月07日 03:55

国語と道徳は普遍的に重要だという点は同じでも、質が異なります。

碁の勉強で言えば

国語 - 定石・手筋
道徳 - 大局観・感覚

という感じになると思います。

碁の上級者が、初級者に「感覚」を教えようとしてもうまくいかないように、道徳も伝えようとして伝わるものではありません。匿名の人も書いているように道徳というのは煎じ詰めると「他者への共感」になるからです。

ただ、道徳は教えることが難しいかわりに、社会生活の中で自然に身に付くものでもあります。

この種の議論をすると、よく「効果はゼロ/マイナスではない」という反論が出るのですが、例えば序盤に一線のハネツギを打って「2目得した。損はしていない。」と言ったら大間違いでしょう。費用対効果や優先順位を一切無視して「徳育は前進した」と言われても困ってしまいます。

【余談】

自殺予告事件の時、文部大臣か東京都教育委員長が「(どうか死なないで)素晴らしい人生を生きてください」というメッセージを出しました。教育関係者のトップはこれぐらいおめでたい人です。「他者への共感」など絶無です。

徳育は苦労も挫折も知らないエリートが主導するのではなく、現場の先生方の人間力で実践して欲しいものです。

Posted by hidew at 2007年06月08日 00:48

 好手を打っても後の打ち方が悪いと大悪手になります。
 だからその好手を大悪手と批判するのは間違いです。
 徳育教科も活用を誤ったら大悪手になるかもしれません。
 だから徳育教科が悪いと拒否するのでは1歩も前進しません。
 現状打破するためには歩幅が小さくても正しい道に踏み出すことが重要だと思います。

Posted by 島谷 at 2007年06月08日 03:51

>徳育とは何かの思想の押し付けではなく、個の持つ
『社会生活において必要な【他者】の立場に立って物事を考え、言行する事ができる能力』を養う為の【タネ撒き】であるのだと思っているのです。

全く反論の余地がありませんし、徳育教育をやることも大賛成です。

ただ、「他人を思いやる心」というのは、「自分を好きになり、自分に自信を持たない限り」むずかしいですね。小生が学校の先生ならば、生徒には「自分を好きになりなさい。」「自分に自信を持ちなさい。」と言い続けると思います。そして、その手助けをしようとするでしょう。

イジメをする人は全員が「自分を好きでないし、自分に自信がない」でしょうし、逆に「自分を好きで自信もある人」は絶対にイジメをしないと思います。

Posted by Takkun at 2007年06月09日 00:29

今日、発売された「週刊ポスト」には、

安倍肝煎りで設置された教育再生会議・・・、学校での「徳育の充実」と、家庭での「親の自覚」で乗り切ろうとしている。・・・

それは本文ですが、その見出しは「何と!」次のとおりでした。

「安倍首相秘書宅で13歳の娘が監禁暴行された」

あたりまえのこととは言え、子供社会の乱れというのは、大人社会を映し出す鏡です。
こういうことは、週刊誌ネタにはなっても、新聞やネットのニュースにはならないのでしょうね。

Posted by Takkun at 2007年06月11日 22:58

 週刊ポストの見出しが事実だとすれば由々しきことですね。
 これがニュースにならないと言うことはニュースにする価値がないほどありふれた出来事ということになんですねぇ。
 これでも日本の治安はいいといえるんでしょうか。

Posted by 島谷 at 2007年06月12日 03:52

>週刊ポストの見出しが事実だとすれば由々しきことですね。

マスコミの報道に対して疑い深い小生でも、記事を読むかぎり、疑いをはさむ余地のない話です。警察にも被害届を出し、ポストが安倍事務所に確認したところ、回答は次のとおりと書いています。
「貴誌は、警察がご指摘の人物の身柄を拘束したとのことですが、仮にそれが事実であれば家裁送致の事件であり、本件を記事にされる際には少年法に記載されることのないよう十分注意して下さい。」

ええええっっっっ!
小泉前首相ならば、
「慙愧に堪えません。即刻、更迭しました。」と応えるのでしょうね。

>これがニュースにならないと言うことはニュースにする価値がないほどありふれた出来事ということになんですねぇ。

小生は、マスコミが自主規制をしたのだと思います。もしも自民党に「安倍首相を更迭しよう」という流れが出来ていたならば、テレビで報道されていたと思います。

Posted by Takkun at 2007年06月12日 07:49

「安倍首相・政策秘書宅で13歳の娘が監禁暴行された」
政権側近の父とバカ息子の呆れた関係
――これで「徳育」強化とは笑止千万だ――

息子は父親の部屋の隣で、中学1年生の少女と“同棲”していた。そして、別れ話を契機に少女を監禁、激しい暴力を振るうようになった。だが、父親は息子の行動を見て見ぬふり。ついには、警察も動き出した――。少女と母親が意を決し、安倍首相政策秘書宅での「苦痛と暴力の日々」を明かした。
 絶句がく〜(落胆した顔)ちっ(怒った顔)
 しかし、だから徳育教育は無意味というのは論理のすり替えですね。手(グー)

Posted by 島谷 at 2007年06月12日 09:27

 このブログはコメントの編集や削除をすることができません。コメントの編集や削除が必要な場合は私宛にメールをお願いします。
 半角文字の http:// が記載、お名前欄が空白または日本文字が全然ないコメントは投稿できません。ボタンをクリックしても投稿フォームが閉じないときはこれらに該当していないか確認してください。
 私は自説に固執しません。意見交換を重ねるに従いトップページの意見に修正が加えられますから議論される場合はコメントの流れに目を通していただけると幸いです。

棋譜投稿 ←をクリックすると碁盤付きのコメントが書けます。
        詳細はをご参照ください。

↓普通のコメントを書く

お名前:  [必須]

メールアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック