2007年06月02日

徳育教育の教科が新設

 教育再生会議の第2次報告に徳育教育の教科が新設されることが盛り込まれた。
 遅きに失した感が無きにしも非ずだがやっと乱れた社会を正常な方向に戻す道に歩みだしたといえよう。
 学校で徳育教育というと必ずしたり顔で徳育教育は家庭で行うべきものだ。マナーの乱れを学校教育の責任にするのはおかしい。と反論する人が出てくる。
 たしかにマナーの悪いこどもの親を見るとこの親にしてこの子ありという親が多い。
 徳育教育は家庭で行わなければならないことは論を待たない。
 しかし、徳育教育は家庭で行うもので学校で行う必要はないというのは暴論の極みだ。
 親が悪く徳育教育が行われなかったこどもが誰にも迷惑を及ぼさずそのこどもだけが損をするのなら悪い親を持って気の毒だですむだろう。
 しかし徳育教育が全然行われていないこどもが社会に野放しになると社会に多大な損害を与えることになる。
 一般に○○してはならないというマナーは○○すれば儲かるものだ。
 マナーを守らない人間はぬくぬくと○○して儲けマナーを守る善良な人間は損をすることになる。
 このようなことが続くとマナーを守って損をしたくないので善良だった人たちもマナーを守らなくなり社会が乱れて行く。
 マナーをルールにして○○すると罰せられるようにすれば秩序の乱れを防ぐとができるがマナー教育は家庭ですべきで学校でする必要がないという人にかぎってこれはマナーの問題だ。ルールにすべきでない。と反論する。
 マナーをルール化しないですむようにするためには社会の全員がマナーを守るようにしなければならない。
 それには徳育教育を義務教育の教科にしすべてのこどもが徳育教育を受けることが必要だ。
 徳育教育をすると『俺がすることを悪いことだとこどもに学校が教えた。学校は親をばかにすることを教えるところか』と怒鳴り込んでくる無法者の親も出てこよう。
 そのような場合は『こどもに正しいことを教えるのが学校の務めです。この内容に不満があるなら教育委員会に提訴するなり訴訟を起こすなりしてください。』と毅然としてはねつけて欲しい。
 いまの学校にそこまで望めるか疑問ではあるがローマは1日にしてならずだ。
 理想を夢見て1歩も進まないよりは正しい道に向かって1歩踏み出そうとしていることに拍手を送りたい。
この記事へのコメント
>教育再生会議の第2次報告に徳育教育の教科が新設されることが盛り込まれた。
 遅きに失した感が無きにしも非ずだがやっと乱れた社会を正常な方向に戻す道に歩みだしたといえよう。

全く同感です。一歩進んでよかったと思います。
本当は、進んだというよりも、後退していた位置からもとの位置に戻っただけと言えますが。日本の将来も暗くはない。

>マナーをルールにして○○すると罰せられるようにすれば秩序の乱れを防ぐとができるが・・

その通りではありますが・・・確かに他のことを犠牲にしても「秩序を守ること」が最大の目的ならば、何事に対しても「反すれば罰則を与える」のが最善の方法と思います。でも小生には、秩序よりも守りたいものもありますので、この意見には賛成できません。

Posted by Takkun at 2007年06月02日 13:45

確かに他のことを犠牲にしても「秩序を守ること」が最大の目的ならば、何事に対しても「反すれば罰則を与える」のが最善の方法と思います。でも小生には、秩序よりも守りたいものもありますので、この意見には賛成できません。
 だから徳育教育が重要だと思っています。
 全員がマナーを守る人だけならルールは不要です。
 クラーク博士が北大の学長になったときそれまでの規則を全廃して紳士たれの一言にしたという伝説がありますが学生の質が高いからそれですんだのでしょうね。
 高校でもレベルの高い学校は校則が緩やかで茶髪にしようが単車を乗り回そうがお構いなしのようです。
 しかしマナー無視の人が大勢いる社会ではルールでがんじがらめにしないとひっちゃかめっちゃかになると思います。
 私が二言目にはルールを整備せよと叫ぶのは今の日本はルールがなければ収拾がつかない社会だと思っているからです。

Posted by 島谷 at 2007年06月02日 13:57

>しかしマナー無視の人が大勢いる社会ではルールでがんじがらめにしないとひっちゃかめっちゃかになると思います。

小生は、がんじがらめにしたらマイナスの方が大きいと思いますが、これは考え方の違いなので平行線ですね。
以前に「エゴグラム」の話をしましたが、ルールでがんじがらめにするのが良いという考え方は「父性」、がんじがらめにしない方が良いという考え方は「母性」で、どちらが優れているというのでないと思います。

Posted by Takkun at 2007年06月02日 22:24

 ルールでがんじがらめは確かに息苦しいですが明文化されているだけ救いがあります。
 しきたりでがんじがらめの社会はオイドンのように空気が読めない人間だと窒息してしまいます。
 しきたりでがんじがらめの社会からルールでがんじがらめの国に脱出した後輩が「この国はルールにさえ従っていれば後ろ指を指されることがないから気が楽だ」と語っていました。
 さもありなんと思いました。
 しきたりでがんじがらめの社会では気にくわない人間がすることを「ルールにさえ従っていれば何をしてもいいのか」と非難するのが常ですから。

 ルールでがんじがらめにしないですむ社会にするためには徳育教育は必須ですね。
 これに反対する輩がいるから困ったものです。北朝鮮の工作員かしらん。

Posted by 島谷 at 2007年06月03日 04:54

徳育というのは、学校における社会生活を通じて日常的に行うもので、わざわざ教科にするものではないと思います。

学校生活の全てが徳育なのであって、徳育科目の新設はむしろ、問題の矮小化と言ってもいいくらいでしょう。

例えば「時間を守る」「あいさつをする」ということを教えるのに、徳育の時間で「時間を守りましょう」「あいさつをしましょう」という教科書を読むのは馬鹿馬鹿しくありませんか。重要なのは実践です。

「美しい国」や「愛国心」にも同じことが言えます。誰も反対しないような看板をわざわざ掲げるのは意味がありません。具体的な内容とその実践こそが問われるのですから。


Posted by hidew at 2007年06月05日 00:26

学校生活の全てが徳育なのであって、徳育科目の新設はむしろ、問題の矮小化と言ってもいいくらいでしょう。
 建前論はその通りだと思います。
 しかし建前だけでは前進はありません。
 hidewさんのおっしゃる通り実践が大切です。
 それには徳育科目を設けてひとつひとつ具体的に教え実践させることが大切だと思います。

Posted by 島谷 at 2007年06月05日 04:01

>しかし建前だけでは前進はありません。

改まって道徳の授業をしても、建前論に終始すると思います。

>徳育科目を設けてひとつひとつ具体的に教え実践させることが大切

理念としては一見すばらしいが、漠然としていてつかみ所のない計画は、かけ声倒れに終わります。ゆとり教育の失敗を繰り返すだけでしょう。

体罰禁止、先生の権威失墜、馬鹿親の増加など、徳育をやりにくくしている要因があるはずで、それらを具体的にひとつずつ改善していくしかないと思います。

ひとつ例を挙げるなら「授業中は静かに話を聞く」 この当たり前のことを徹底するだけでも状況はかなり変わると思います。公(教室)と私(自宅)の区別がつかなくなっているのが諸悪の根元です。


Posted by hidew at 2007年06月05日 23:30

ひとつ例を挙げるなら「授業中は静かに話を聞く」 この当たり前のことを徹底するだけでも状況はかなり変わると思います。
 これこそ徳育教育じゃありませんか。

Posted by 島谷 at 2007年06月06日 04:06

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