今日は1ページ目の最初の家が標的だ。
死刑反対運動家が出かけたことを確認してから家の中に侵入した。
驚く家族を拳銃で皆殺しした。
中学3年くらいの女の子がいたので死後硬直しないうちに交尾した。
風呂に入って血まみれになったからだを洗いこの家にある新しい服に着替えてからこの家を去った。
こんな調子で毎日1軒ずつ順番に12軒の反対運動家の家族を皆殺しにし若い女がいたら交尾した。
13軒目に侵入したとき張り込んでいた警官に組み付かれ逮捕されてしまった。
格闘の際に拳銃で警官1人を射殺してしまったようだ。
拘置所にいる俺のところに死刑反対運動家が面会に来た。
死刑反対運動しているのは私だ。家族は関係ない。なぜ私を殺さないで罪のない家族を殺したのだ。
俺は言ってやった。
罪もない家族を殺された気持ちをあんた達に知って貰いたかったんだ。俺は死刑にならずに出所できたら順番に残りの死刑反対運動家の家族を殺してやる。こんな俺でも死刑にするのを反対するかい。
○※□△○▽※○□※□▽○※□
目が覚めた。からだ中が汗でぐっしょりだ。
夢だったのか。
死刑反対運動家はなんと言っていたんだろう。
こんな殺人鬼でも現行法では弁護士をつけなければ裁判ができない。
弁護を引き受けた以上は『こんな奴は死刑が相当』と言うわけにはいくまい。
死刑を回避するように努力しなければならないだろう。
拳銃を持って殺すつもりで侵入しているのだから殺意がないとは主張できまい。
『被告の言動は正常な人間のすることではない。被告は精神障害者で刑事責任能力がない。』と刑事責任能力で争うのだろうか。
こんな殺人鬼の弁護を命じられた国選弁護人は気の毒としかいいようがない。
ヒトのカタチをしたオニを裁くのはムズイことだと思います。
文化国家では鬼でも人の形をしていると人権を尊重しなければいけないんですねぇ。
凄いの夢見しますね、
「独り言」
今 「桜田門外の変」を読んでいますが、
長年の夢だった 日本革命?の中身に
少し触れた気がします。(少しオーバーかな)
>死刑反対運動家はなんと言っていたんだろう。
実際なんと言うんでしょうかねえ。
だから心の奥底では死刑にしたいと思っても安心して↓のようなことを言うんじゃないでしょうか。
『あなたがそのような考えをもつようになったのは社会の責任です。だから社会はあなたを死刑にする資格はありません。』
『あなたは本当は被害者の心の痛みがわかる優しい人なのです。そのような人を死刑にすることはできません。』
『あなたを死刑にしても死んだ私の家族がよみがえるわけではありません。私に虚しさが残るだけです。』
日本にヘンな影響を与えているのだと!!
アメリカのクリーニング店の服紛失で億の賠償を
求めた事件が有った 場合私ならやはりその賠償を
求めた弁護士は殺されても当然かと考えます。
アメリカならあって不思議がなさそうな感じがします。(私の偏見かな)
民事裁判でも陪審員制度なんでしょうかねぇ。
おかげで判決予想ができず、とりあえず裁判所に訴えるという需要が出てきます。
日本は同じ教育を受けた裁判官が判例にばっちり従うので、訴える前から判決がなんとなく読めるのですが。
殺人鬼(?)には基本的(存在的)矛盾があるので、この小説はピンときません。そのような人格はこの世に存在しないし今後もありえないので、エンターテインメントとしても、もう一つかなあ。
どんな性格の人でも作り出せる全知全能の神様をもってしても、作り出せない人格だと思います。
>死刑反対運動家はなんと言っていたんだろう。
「設問に矛盾があるので答えられない」と言ったのだと思います。
刑罰とは何のためにあるのか/効果とは何か?ということについて、違和感があります。
@他者が同じような犯罪を犯さないようにするためのみせしめ効果
A本人が再犯しないように、罰を与えている。
B犯罪者の再犯可能性に対して、他者を保護するため(つまり死刑によって、犯罪者をこの世から抹殺する。)
小生は、この三つだと理解しています。そして死刑是非論はBについて議論されるべきと思っているのですが、島谷さんは
C被害者の家族の納得性のため
と論じられているので、議論そのものが噛み合わないのだと思います。
風の精霊さん、どうなのでしょうか?
民事でも陪審があるのですか。弁護士の腕次第で判決が変わりそうですね。
また懲罰的損害賠償というのに違和感を覚えます。
損害賠償に加金される懲罰金は被害者ではなく国家に収めるべきだと思うのですが、、、
私は被害者家族の心情を語ったつもりです。
刑事裁判に被害者家族の納得を求めるのは無理だということは刑事裁判と民事裁判で書いたように諦めています。
したがって私が家族皆殺しの目にあったら全財産を抛って法を犯し加害者に復讐を図るでしょう。(99.9%返り討ちになりますが)
PS.
○囲み文字は機種依存文字でWindowsPC以外の機種では別の文字になってしまいます。
○囲みを書きたい場合はご面倒でも<span class="maru">と< /span>で文字を囲んでください。
このタグを使えば殺というように数字以外の文字も○囲みできます。
それならば、理解いたしました。
以前から「自分の手で犯人を殺した後に、自分も自殺する」と書かれていたので、その心境は理解していたつもりでした。小生は、やらないですが、自分自身も同じような気持ちは生じると思います。
ただ今回は「弁護士の娘を殺して陵辱もする」と書かれていました。小生には、>罪もない家族を殺された気持ちをあんた達に知って貰いたかったんだ
という気持ちが想像すらできかったので、誤解しました。申し訳ありませんでした。
>○囲みを書きたい場合はご面倒でも<span class="maru">と< /span>で文字を囲んでください。
このタグを使えば殺というように数字以外の文字も○囲みできます。
はい。ありがとうございます。
今後は、気をつけます。
死刑廃止論者と書いたので弁護士とは書いていません。
死刑制度賛成の弁護士でも殺人犯の弁護人に任命されれば死刑回避の弁護をするのは仕事ですから当然なことで私は気の毒だと思っています。
「善人なおもて往生す。いわんや悪人においておや」という言葉が私の心情的「死刑廃止論」の原点のような氣がします
小学校に乱入児童を殺傷した犯人が死刑判決を受け。本人の希望通り「早期に処刑」実施されたときには良かったな!と思いました
残虐な刑として死刑廃止」時代の趨勢であろうかと思います。再犯防止が刑の趣旨だと思いますので、極悪人には終身刑で十分と思います。
小生もこの言葉には、非常に大きな感銘を受けました。小生も死刑廃止論者の一人ですが、理由は
・そもそも、何が悪で何が善なのか?それはわからないではないか。事実としてあるのは、「私は好き/嫌い。」「私はこうする/しない。」だけで、仏教でいうところの空だと思う。
・だから、基本的には人が人を裁くことはできない。
・しかし、社会秩序維持のためには裁くことが不可欠(なので罰は最小限にとどめたい)。
・死刑には、どうしても(死刑を与える側の)傲慢さを感じるので反対である。(最小限の罰になっていない。)
>小学校に乱入児童を殺傷した犯人が死刑判決を受け。本人の希望通り「早期に処刑」実施されたときには良かったな!と思いました
小生も、良かったなと思いました。
私のいちばん嫌いな言葉です。
キリストも同じようなセリフを吐いていますね。
したり顔で悪人礼賛をするから宗教家が大嫌いなのです。
>「善人なおもて往生す。いわんや悪人においておや」
この文章の、どこが悪人礼賛をしているのかわかりません。小生には、「善人に越したことはない。善人の方がいい。」としか読めないのですが。(勝手読みさんも、そう読み取られたのだと想像します。)
私は悪人は大往生できるという意味だと思ってました。(/o\)
善人でさえも極楽浄土にゆけるのに、悪人が行けないないなんてあろうか。
宗教でいう悪人とは、私たちが言う悪人とは違うのでしょうか。
敵を愛せよ。
私は今現に闘っている相手を愛せません。そりゃ無理です。
これは自分の敵に対して自分を愛せよと言う虫のいいセリフに感じるオイドンはつむじ曲がりなのでしょうか。
>宗教でいう悪人とは、私たちが言う悪人とは違うのでしょうか。
宗教でいう悪人も、私たちが言う悪人も同じ意味だと思います。
>善人でさえも極楽浄土にゆけるのに、悪人が行けないないなんてあろうか。
真意として、そんなことは言っていないと思います。ただ、文字通り現代語訳(直訳)すると、そうなるので、誤解をしやすいですね。(「他力本願」が、本来の意味とは違う使い方がされているのが原因だと思います。)
そもそも善人は阿弥陀仏が慈悲を示さなくても、天国に行けます。しかし、仏の慈悲というのは深いはず?悪人だからといって切り捨てるような、底が浅いものではないだろう。悪人を救済する手立てはないものか?そして出てきたのが、他力本願の唱名念仏でした。
阿弥陀仏の慈悲というのは深いものであって、悪人ですら救いたいと願うようです。というよりも、善人は慈悲をかけなくても救われるから、悪人を救いたいと考えている(=阿弥陀仏の本願)。
これを表現したのが、「善人なおもて往生す。いわんや悪人においておや」と理解しています。
>敵を愛せよ。
>私は今現に闘っている相手を愛せません。そりゃ無理です。
そりゃあ、それが普通と思います。
そんなことをする人は、バカでしょう。
「身にかかる火の粉は払う」必要があると思います。
私は悪人は大往生できるという意味だと思ってました。(/o\)
↑に書きましたが、我々は
善人・・・みんな天国に行ける。
悪人・・・みんな地獄に行く。
と思っているけれども、(阿弥陀)仏の慈悲(=本願)によって
悪人・・・地獄に行くしかないとは限らない。
という意味だと思います。
もっとも私は前世や後生を信じません。(受け狙いで自分の前世は○○だろうとはいいますが。)
後生がないから罰ゲームだと思いつつも一生懸命生きているので後生があるのならさっさと投了して後生に生まれ変わります。
あるいは「お前自信は悪人ではないというのか。お前に悪人を責める資格があるのか」という言葉として受け止めています
親鸞はこの言葉を言うとき自分自身を悪人と見ていたのだと思います。
記憶が定かではありませんが「我は知る テロリストの哀しき心を 言葉と行いとを分かちがたき その哀しき哀しき心を」というような石川啄木の歌があったような気がします。それと一脈通じるものと思ってます
もちろん悪をなにもしないのがベストですが人間である以上それは不可能でしょう。
自分が悪をするから人の悪に目をつぶるのはもってのほかだと思います。
自分では悪手を打っても検討のときは悪手を批判することが大切なはずです。
とすると
麻原でも絶海の孤島で1人で暮らしていたなら極悪人ではなかった。極悪人にはなれなかった。
つまり絶対的悪人は存在しない。
こんな理屈は変ですかね。
生まれて乳離れしたらすぐに両親が死んで独力で生きながらえたってことでしょうかねぇ。
自分で罪を犯しそうだと森に隠遁した人は善良な人でしょうが鬱病などの病気かもしれませんね。
毎日人殺しをしてきたわけですから、
帰還しても反射的に人を殺そうとする自分に危険を感じて、森に入って暮らす人がいるらしいですね。
喜寿を超えた高齢者でしょうから心のケアが難しいんでしょうね。
アメリカの森には若者帰還兵の1人暮らしが多いのではないでしょうか。
不意を襲われると反射的に銃撃する習慣が身に染み込んでしまうんでしょうねぇ。
もちろん悪をなにもしないのがベストですが人間である以上それは不可能でしょう。
自分が悪をするから人の悪に目をつぶるのはもってのほかだと思います。
自分では悪手を打っても検討のときは悪手を批判することが大切なはずです。
島谷さんのもっとも嫌いそうな言葉の一つですが「罪を憎んで人を憎まず」です。悪は悪として指摘しなければなりませんし、悪人にも再犯しないよう罰を与えるのは当然です。ただ死刑は罪だけでなく人をも憎むことになりますので刑として好ましくありません。矯正不可能な悪人は終身刑でいいと思います。
豊かな心を育むことができた環境でお過ごしだったのでしょう。羨ましいの一言につきます。
私メのようにいじめ抜かれて育つと受けた恩は倍にして返せ受けた恨みは3倍にして返せという貧しい心の持ち主になります。
冒頭の極悪夢に出てくる犯人も行動において極悪非道ですが、動機は社会正義の推進のため(死刑廃止などという社会に害となる運動する人を目覚めさせる)にしている訳ですから、高い立場から見たら悪人とはいえないと思います。
死刑反対派が絶滅し、死刑ドンドン派が絶対多数を占め、死刑判決・処刑がドンドン増えれば悪のない社会が建設されるからです。被害者となった
何人かは(あるいは何十人)そのための必要費用と考えればやむをえないところです。と犯人は主張したいのでしょう
私はそのようになろうとも思わない心の貧しい人間です。
だから刑罰も社会のためというより被害者の満足度に焦点を当ててしまいます。
以前にどこかに書きましたが、「人生は苦」だと思います。人生というのは魂の修行だから、苦労をするのが普通のようですね。そういう意味では、人生は罰ゲームかもしれません。
さっさと人生を投了すると、必ずもう一度人間界に放り出されて、もっと厳しい修行をさせられるとのことです。
小生も、勝手読みさんと同じです。
ある人の本に書いてあったことですが、「ああ、この人も、そうだったのか」と・・・紹介します。
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人はみな 持ってうまれし 罪がある
罪あらずして 転生はなし
この言葉は、私が苦しみのどん底まで落ちたときに、ある人間を恨みました。恨みながら苦しむ自分にも疲れてしまいました。
「許したい 何とか許して自分の心も楽になりたい」・・・
「人を許すことは何と幸せな事か」・・・
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「罪を憎んで人を憎まず」とか「相手を赦す」というのは、小生の場合には、自分の心が高尚なのではなく、自分を救いたいからなのです。12年かかって、最近やっとそういう考えにたどりついた感じです。
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