2007年05月12日

主観をベースにした議論の展開は無意味

 年寄りはなぜうざったがれれるのか。
 他人にとっては興味のない主観をぐだぐだと繰り返し喋るからだ。
 しかも聞き手に相づちを求める。
 相手をする方はうんざりだ。
 吾輩はずいぶん人をうんざりさせているのだろう。間違いない。
 世の中の邪魔にならないためには他人迷惑なお喋りを控える必要がある。
 しかし王様の耳はロバの耳と知っていることを喋りたいのは人情だ。
 また喋らないでいると前頭葉が働かないのでボケがどんどん進行する。
 このため老人ホームを巡回する傾聴ボランティアというボランティアがあるそうだ。
 傾聴ボランティアに恵まれない人はどうしたらいいだろう。
 ブログを利用しよう。
 見たくない人は見なければいいので誰にも迷惑をかけない。
 公序良俗に反しない限り言いたい放題のことを書ける。
 ブログの内容は主観に満ちたものになるから当然えーっ違うだろと思う人がいっぱい出てくる。
 そこでツッコミをいれるとブログが盛り上がり非常に楽しくなる。
 また書いた方も違う主観を知りためになる。
 しかし主観をもとに議論を進めるのはイスラム教信者とキリスト教信者がどちらの宗教が正しいか議論をするようなもので結論が出るはずがないしお互いに不愉快な思いをするだけだ。
 主観の違いは楽しいツッコミに止め議論を展開すべきではないと思う。
この記事へのコメント
 おいどんの「傾聴ボランティア」は家内です。家内の「傾聴ボランティア」は息子です。息子の「傾聴ボランティア」は息子の友人です。
 だからおいどんの愚痴は次第に減衰しながら遠く息子の友人に達して地上から消滅しているような希ガス。(ーー;)

Posted by あど at 2007年05月12日 14:09

 オイドンはサラリーマン時代飲み屋に行くときは若い女の子のいる飲み屋より婆様がいる飲み屋を愛用しました。
 その方が格安な上に同じ話を何回しても初めて聞くような顔をして相づちを打ってくれます。
 ストレス解消に最適なので週に2回くらい通いました。
 若い女の子のいる飲み屋はこちらが金を払っているのに何故こちらがご機嫌をとらなければいけないのか不愉快なので好きではありませでした。

 老人介護の傾聴ボランティアは大変なようですね。
  • 老人が変なことを言っても絶対に反論してはいけない。
  • 同じことを言っても初めて聞くような態度で聞かなければいけない。
  • タイミングよく相づちを打たなければいけない
 この放送を聞いたとき飲み屋の婆様を思い出してしまいました。
 私には絶対にできそうもありません。
 めろんさんやバクさんならできるんだろうなぁ。

Posted by 島谷 at 2007年05月12日 14:29

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