2007年01月14日

桃太郎の珍解釈にムッ

 NTV世界一受けたい授業は楽しみにしていた番組だったがネタ切れになってきたせいか蒸し返しのテーマがあったりナンダカナァという感じのテーマがあったりする。
 とくに昨夜の武田鉄矢に語らせた日本昔話のテーマは苦しいなぁと感じた。
 ネッカーキューブの枕から始まり笠地蔵、桃太郎、一寸法師および浦島太郎のこじつけ解釈はバラエティとしてはおもしろいがイジメ対策的な話に結びつけるとそれは違うだろうと腹立たしくなった。
 桃太郎は親なし子として学校でイジメられ人にできないことをしようというところから道を切り開いて宝を得たとこじつけられたのではイジメラレっ子の立つ瀬がない。
 イジメラレ続けているこどもは自分で道を切り開こうとする努力に欠けていると言わんばかりではないか。
 イジメラレ子は自分は、なぜ自分がイジメられるんだろう、どこが人と変わっているんだろう、なぜ自分はみなができることができないのだろうと考えるという台詞はイジメラレ側にも非があるように聞こえる。
 台本の作者はそのつもりがないのかもしれないがイジメ側に口実を与えるようなことをもっともらしく語ることに腹立たしさを感じた。
 このような台本を書いたのならせめて生徒側からのツッコミとそのフォローを書き加えて欲しかった。
この記事へのコメント
そもそも、世界一受けたい授業に「良いこと。正しいこと。」を言ってほしいと考えるのは、不可能な願望ではないでしょうか?

NHK教育テレビ以外はエンターテインメントです。特に民放はニュースを除いては、「視聴者が興味をひくこと、視聴率を上げること」という思想以外には何もありません。そして誤報などにより「訴えられないようにすること」ということだけが、その縛りであり、良心には程遠いと思っています。

以前、別のブログに書きましたが、イジメは「いじめる側の心の問題」です。イジメラレル人は、イジメル人の心の問題を解決する手段のハケ口にされているにすぎません(不毛の解決手段ですが)。そして、ターゲットにされやすいというだけなのです。

例えば、視聴者のうちの
@90%はイジメナイ人、
A9%がイジメル人、
B1%がイジメラレル人とします。

桃太郎の番組を見たとき
@の人は、「私はAの人のようにイジメたりはしない。いい人間だ。」と自己満足します。
Aの人は、「私だけが悪いのではない。イジメラレル側も悪いのだ」とホッとします。
Bの人は、やりきれないでしょうね。

でも、100%イジメル側の問題だとテレビで言ったらどうなるでしょうか?
@は同じです。
Aの人は、イライラするでしょう。
Bの人は、満足します。

AもBも普通の人ですが、Aの人が圧倒的に多いので、テレビではAの人を重視すると思います。テレビ番組は、良いこと・正しいことを言うのではなく、より多くの人が笑って、悲しむ人が少ない方がいいのですから・・・他人の不幸というのは楽しいものです。しかも、そういう人に同情しているように振舞うのがテレビ番組だと思っています。

Posted by Takkun at 2007年01月15日 23:13

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