しかし吾が老衰脳は別の悩みが生じてしまった。
下手はアタリにすることができる石があると前後の見境なくアテる修正がある。
我輩は口をすっぱく「むやみにアテるな」と下手に言ってきた。
しかし10石アテる手が10石取る手と同じ価値があるならアテる手は価値のある手を打ったことになってしまう。
価値のある手をなぜ打ってはいけないと訊かれたらなんと説明したらいいのだろう。┗(-_-;)┛
我輩の頭は混乱するばかりだ。
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29 | 30 | 31 |
10目と見て他のヨセと大きさを比較するべきでは無いと思います。
これは、あくまでコウ立てという特殊な条件下で打った場合に等価と考えられるだけで、コウ立てでもないのに打って相手に受けられると、先手0目かつコウ立てをなくす味消しに他なりません。
「むやみに当てるな」は正しい教えで、実は悩む必要はないのですが・・・
そのコンピューターに期待値が大きい順に着手するようにプログラムしたらアタリにできるところは片端からアタリにするのでしょうね。
私はこの記事を書いてからいろいろと愚考した結果 と説明したらどうかなと考えたのですがいかがでしょう。
正しく判断するためには、別途考慮する必要があるわけです。
(2)例えば、今黒が白の10子を当たりにする手を白が先に防いで、白に2目の地が出来たとします。これを白の逆ヨセ2目と棋書には書いてありますが、この逆ヨセ2目の手は、もし他に10目の(例えば白が黒の5目を打ち上げる)手が残って居る局面で打つならば悪手となります。
(3)しかし、黒が同じ局面でこの当たりを打つのは、悪手とは限りません。黒の当てる手が悪手になるのは、他に11目より大きい手が残っている場合だけです。(この意味で、黒の当たりがそもそもこの時期に先手で打てるかというのは、黒の当たりに対して白が受ける手が何目の手に相当するか、に依存しています。)
(4)またもし(1)で白の出来る地が1目しかなければ、白はこの当たりを防ぐ手の時期をさらに遅らせなければ悪手になる可能性が高くなります。もし白が(タケフを継ぐ場合のように)0目しか出来なければ終局直前までその手は悪手となるわけです。
(5)要は、同じ局面でも黒から打つ手とそれを防ぐ手の善悪が必ずしも一致していない(つまり価値が違う)、という点を無視して、(あるいは混同して)、ヨセの大きさを論じているのが、混乱の基ではないか、というのが私の意見です。
>コンピューターに期待値が大きい順に着手するようにプログラムしたらアタリにできるところは片端からアタリにするのでしょうね。<
上の私の議論からすれば(今コウは無いとしていることに御注意)、コンピュータがそうしても、下手なヨセとは言えないと思います。(美しくないとは言えますが)。
ただ、期待値というのは確率を掛けた値で、碁の見合い計算の場合は、白、黒半々と仮定していますが、実際は違います(早い話、10目のアタリが1箇所しかなければ、それを抜くか継ぐかのチャンスは白黒どちらの手番であるかによって変動するし、碁の全局的な状況を両者がどう判断しているかにも依存しているから、厳密に半分ずつであるはずがない)。人間が期待値を計算する場合は大雑把にしますが、コンピュータにさせるのなら、もっと細かく場合の数を数えて計算するのではないでしょうか。
今黒が白の10目をアタリにしている所が2箇所ある局面で、新たに白の10目をアタリにしたとします。白の立場からすると「黒が2箇所のうち1箇所を抜くから、自分が10目継ぐべきところが1箇所になるだろう」と予想していたのに、逆に3箇所に増えてしまったことになります。どれを継ごうともまた継がないのも自由ですが、期待値の仮定と整合するように予想すれば、3箇所の内、白が1箇所継ぎ黒が1箇所抜いて白の手番になる、と考えられます。これは最初に黒が10目抜いて白の手番になった状況と同じです。その間黒の地が20目増えているのも変わりません。つまり黒のアタリは単に寄り道しただけで、ヨセの損得には影響していません。
島谷さんの違和感は、恐らく、
(A)黒10目抜く、白ソッポを打つ、黒また10目抜く、
(B)黒10目を新たにアタリにする、白ソッポ、黒10目抜く
を考えておられるのだと、推察します。(A)と(B)の「それぞれ黒2手の合計が同じ価値である」はずはないと主張されているのでしょうか。
だんだんとわかってきたような気がします。
期待値マップを描くことができたと仮定しましょう。 ということではないでしょうか。
これなら損劫も説明ができます。
期待値30目の手を打ったら盤面に忽然と期待値50目の手が出現した。
期待値30目の手が悪手ということの説明がつきます。
いかがでしょう。
期待値30目の手が悪手ということの説明がつきます。<
どういう状況を考えておられるのでしょうか。私には理解できないので、具体例を出して頂けませんか。
今期待値30目より大きい手がない局面で黒が1手打ち期待値50目の手が出現したならば、次は白の手番ですから、白は黒が50目の手を打つのを防ぎます。これを俗に黒の先手と呼ぶだけではないでしょうか。
これはアタリをかける前と比べて期待値が30目プラスになりますね。
ところが30石にアタリをかけた石はダメヅマリで自分がアタリになっていてそれを取られると全体が死んでしまうので相手の期待値が50目プラスになる。
つまり30石にアタリをかけた手は大悪手なわけです。
しかし期待値の差だけを見れば全局最大ということはあり得ると思います。
2.この場合は、黒が3目取る手がそれだけで他に影響がないと仮定していますが、そうでなく例えば3目取った手が白の10目を当たりにするような場合ですと、白を3目取る手の期待値は3目よりずっと大きくなります。
3.つまり、期待値というのは先の先の手までどちらが打つかの確率を考えた推定値です。
4.島谷さんの挙げられた手の期待値は30目でなく、マイナス20目だと思います。一般的にはマイナスの期待値は悪手でしょう。
5.ついでに言えば、左の図の例で、図のような局面とは少し違い、例えば、白がコウを取る手が黒の100目をアタリにする手だった場合、黒が白を3目アタリにする手の期待値はマイナスとなるでしょう。その手が悪手にならない場合があるか、と問われると答はイエスだと思います。それはこの3目の目を取って黒が継ぐ以外に黒が勝つケースが無い場合です。
5.ほとんど全ての場合、期待値が大きい順に打つのが最善手だと、私は考えています。5.のケースはそもそも読み切って最善手を決めているので、いわば決定論的な論理です。期待値というのは確率論的な推定ですから、これが囲碁という打つ手の数が有限であるゲームに当てはまらない場合があるのは、当然ではないでしょうか。
計算は昔から苦手だったのですが最近はそれに輪を掛けてひどくなっています。
計算ばかりではなく国語能力もボロボロです。
一昨日の平成教育委員会を見ていて愕然としました。
どうやら左脳がかなりやられているようです。
私は当てはまらない方が多いと思っているので見合い計算を信用していなかったのです。
信用できないのは見合い計算ではなく私の計算でした。
確かに見合い計算で、例えば
10目1箇所、7目1箇所、5目1箇所、2目4箇所、1目6箇所、が残っている場合、最後までこの値の大きい順にヨセを打っても、合計の地の差は、見合い計算で予測した数と一致はしないし、この例に限らず実戦ではむしろ一致するケースは稀でしょう。
ただ、見合い計算で大きい手から順に打てば、ほとんどの場合それが正しいヨセ方である(つまり他のの打ち方をすれば負けが勝ちに変わるという例はあまりない)、とは言えるのではないでしょうか。そういう意味の簡便法としては便利なのかな、と私は思っています。
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