愛する人は好きな人であるのが普通だ。
だから「愛=好き」と思いがちだ。
話の食い違いはここから生まれる。
愛国心というと国を好きになれと受け止めて反発する人が多い。
国を好きになれと強制されたら吾輩だって反発する。
吾輩は日本社会が大嫌いだ。
吾輩がいま生きていられるのは英語ができないからだ。
吾輩がカタコトでも英語を喋れたら日本を飛び出て英語圏の国で野垂れ死にしただろう。
吾輩はいまの日本が嫌いだが常に日本が良い国になって欲しいと思っている。
吾輩はこれが愛国心だと思っている。
日本を良い国になって欲しいと思う心を教育してなにが悪いのだろう。
日本を悪くするようなことはしないように心がけようと教育してなにが悪いのだろう。
政府は愛国心教育を論議する前に愛国心という言葉に反発を買われないような定義をするのが先決だろう。
ま、ここで吾輩がほざいても犬の遠吠えにもならないか、、、

私を含め 回りの人は どのように 改正、改悪するのか 全くわかりません。
野党も反対だけして 愛国心どころか
国民に知らさずして 大反対です、そして 沖縄県知事戦の勝利目指しています。
愛は好きに非ずのタイトル???
なぜか 変な話になっています。ま いいか。
福島県知事汚職、和歌山県知事汚職 親が子供を
殺す、こんなの 一般化しています。
でも 私は 意識するしないにかかわらず
この国を好きなのでしょうね。(情けないですが、よろしくおねがいします)
いつもながらの このような お国柄です、
「じゃあ〜 お前がやれ!」と 言われても
やれない 情けない男です。
「欧米からみた世界史」を高校必修として、「自国の歴史」を選択科目にするような国は、世界広しといえども日本しかないでしょうね。
>吾輩はこれが愛国心だと思っている。
こういうのは牽強付会のロジックで「愛国心」から連想される概念とはほど遠いと思います。
「愛」という内面的に湧き上がる感情を、外部から注入しますって言っているような「愛国教育」は言葉の遣い方が本質的におかしいのです。そういうのは「洗脳」と言うのではありませんか。
>だから「愛国心」の定義を決めるところからスタートすべきだと思っているのです。
スタートするのは結構ですが、おそらく一歩も前に進みません。
日本を粗末にしない教育と言葉を改めるべきかもしれません。
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