2006年11月03日

履修漏れ学校への制裁措置

 理不尽なルールであってもルールである以上違反した学校を処罰しなければ秩序は保てない。
 ルール違反したうえにルールに従っているという虚偽報告をした学校は悪質の極みだ。
 このような学校は学校教育法の高等学校の資格を剥奪して各種学校にすべきだと思う。
 ただし在校生が学校教育法の高等学校卒業の資格を失うのでは困るから各種学校にするのは新規入学の生徒からにすればいいだろう。
 それまでの期間が執行猶予ということにして学校側の対応如何によっては処罰を取り消す余地を残したらいいと思う。
 
この記事へのコメント
>ルール違反したうえにルールに従っているという虚偽報告をした学校は悪質の極みだ。

これは、悪質の極みでも何でもありません。むしろ、校長になった人に「運が悪いですね。同情申し上げます。」というだけです。

ルールに従っていないという報告を県(の教育委員会)にあげたら、県は100%認めないからです。高校のいうことを理解して、県が国に事実を報告する可能性は0%でしょう。そんな報告をすれば、「県は高校に対して導しなさい!」と国はいうだけです。つまり、国に怒られるだけで、県にとって何もいいことありません。

そんなことは高校もわかっているから、県に事実を報告しないのです。報告したら、県が困るだけで、また校長は教育委員会からにらまれるだけで何もいいことはないのです。

生徒のことを考える校長は、黙ってやる以外に方法がなかったと思います。小生が校長だったら同じことを「間違いなく」やります。

マスコミがキャンペーンをやるしか改善の可能性はないと思いますが、それでも国が既得権を手放すわけがありませんね。(それを認めると、今までが間違いであったことを認めることになります。また、自分達の権限範囲が小さくなることをも意味します。)

非常に難しいと思います。

Posted by Takkun at 2006年11月05日 10:39

 ルールが悪い場合はルール違反をした場合バレないようにすることが正しい行動だとおっしゃるわけですね。

Posted by 島谷 at 2006年11月05日 10:52

>ルールが悪い場合はルール違反をした場合バレないようにすることが正しい行動だとおっしゃるわけですね。

そんなことは、一言も書いたつもりはないです。
小生にとっての判断基準は、何のために何をするのか、誰が得をして誰が損をするのか、ということです。

ルールを破ってそれがバレたら、お縄を受けるのは当たり前と思います。それが社会秩序です。

@自分を守って、生徒を犠牲にするのか?
A生徒を守って、自分が罪をかぶるのか?

小生の考え方からすれば、校長の選択する道は@かAしかありません。方法@は、国の方針→県の方針→学校の方針になりますから、良心が痛まない校長も多いでしょう。

小生が校長の立場になったら、自分の良心に鑑みて@は選択できないので、Aを選択するしかないというだけです。それでばれたら、お縄を受ける「確信犯」です。

そしてテレビに出て「自分を減給にしてもらっても構わない。校長を首にしてもらっても構わない。他の高校の校長先生!賛同して下さい!」と訴えるでしょうね。

(減給、校長クビ以上の)不当な処分の場合は、訴訟を起こす可能性もあります。

Posted by Takkun at 2006年11月05日 11:50

>正しい行動だとおっしゃるわけですね

小生の辞書に「正しい行動」という言葉はありません。「正しい」という言葉は、「数学」と「自然科学」の世界の中だけであって、「人間社会」の中では「それが良さそう」あるいは「自分はこうする」というだけと思います。


Posted by Takkun at 2006年11月05日 11:56

そんなことは高校もわかっているから、県に事実を報告しないのです。報告したら、県が困るだけで、また校長は教育委員会からにらまれるだけで何もいいことはないのです。
 ルール違反を届けたらお互いに困るので隠蔽する。
 これを言語道断ではないと言われたのでルール違反をしたらバレないようにするのは当然と言われたように受け止めました。

Posted by 島谷 at 2006年11月05日 12:18

>ルール違反を届けたらお互いに困るので隠蔽する。
 これを言語道断ではないと言われたので

お互いというのは「校長」のことではなく、「国と「県」のことですね。
隠蔽するというよりは具体的には、自分達にとった困るような報告は受理しないということです。困らないような報告を出すまで、再提出を求めるでしょう。

こんなことを書いていて気がついたのですが、県には正直に報告をした学校があるかもしれませんね。その場合は、県は受理せずに説得して再提出を求めたのでしょう。それで学校は、虚偽の報告をしたと思います。

こういうのが日本社会の通例だとしても、学校が言語道断だと言われますか?

Posted by Takkun at 2006年11月05日 19:17

議論の横道にそれますが、国会で教育基本法が審議入りした時に合わせてこの問題が突然表面化したのは、偶然とは思えないのですが、かんぐり過ぎでしょうか。

Posted by moto at 2006年11月05日 20:45

>国会で教育基本法が審議入りした時に合わせてこの問題が突然表面化したのは、偶然とは思えないのですが、かんぐり過ぎでしょうか。

一つ前の意見を書いていて気がついたのですが、このような事実は、文部科学省も県の教育委員会も知っていたと思います。そして、そっとしておいてほしかったはず。ただ、それを新聞記事にされると、「指導要領は守らなくてもいいんだ」とは言えないので、こんなことになっているのですね。

姉歯事件や和歌山談合事件と大きく違うのは、今回の事件は、そもそも被害者がいるのですか?指導要領を決めた国の面子がつぶれるので、国が被害者といえますが・・・

Posted by Takkun at 2006年11月05日 21:07

こういうのが日本社会の通例だとしても、学校が言語道断だと言われますか?
 言語道断でしょう。
 赤信号みんなで渡れば怖くない。
 これって言語道断じゃないんですか。
 因みに私もルールが言語道断だと思ったときはルール破りをする言語道断なことをします。
 しかし警察に捕まったときは「他がしているのになぜ私だけを捕まえる」とはいいません。
 ルールを破っているのですから処罰を甘んじて受けていました。
国会で教育基本法が審議入りした時に合わせてこの問題が突然表面化したのは、偶然とは思えないのですが、
 そうかもしれませんね。
 官僚のチクリから問題化した可能性大ですね。
今回の事件は、そもそも被害者がいるのですか?
 いるじゃないですか。
 罪もないのに50コマ以上の補修という制裁を受けることになった生徒は最大の被害者じゃないですか。ちっ(怒った顔)

Posted by 島谷 at 2006年11月06日 03:32

>こういうのが日本社会の通例だとしても、学校が言語道断だと言われますか?
 言語道断でしょう。

???

> 赤信号みんなで渡れば怖くない。
 これって言語道断じゃないんですか。

もちろん、言語道断と言えるでしょう。
「赤信号で渡ってはいけない」というルールはみんなが守るべきものですから。(言語道断のルールではなく、社会みんなのためにあるルールです!)

> 因みに私もルールが言語道断だと思ったときはルール破りをする言語道断なことをします。
 しかし警察に捕まったときは「他がしているのになぜ私だけを捕まえる」とはいいません。
 ルールを破っているのですから処罰を甘んじて受けていました。

当然のことで、小生も全く同じです。
今回のルールも、言語道断のルールではないかと言っているのです。そのルールがなくて困るのは誰ですか?そのルールで利益を得るのは誰ですか?

ルールを守ったからといって学校も生徒も利益を得ないでしょう。守らなかったとき、学校も生徒も不利益を蒙らないでしょう。むしろ逆だからねルール破りがたくさん出たのでしょう。「お上」が高校のカリキュラムまで「口出=統制」して権力を示したいというだけではないですか?

>今回の事件は、そもそも被害者がいるのですか?
 いるじゃないですか。
 罪もないのに50コマ以上の補修という制裁を受けることになった生徒は最大の被害者じゃないですか。

小生の質問は、「ルールを破ったことによる被害者は誰か?」ということです。
被害者はもともとないのに、国のメンツのために、「50コマの授業」を追加して「被害者を作った]のです!学校と国の間で解決すべき問題を、生徒に被害を押し付ける解決方法をとったのです。
AさんとBさんの責任で問題が起こったのに、AさんとBさんが協議して、Cさんに責任を押し付けて、手打ちをしているのと同じなのです。
くりかえしますがルールを破ったことで、被害者が出たのではなく、被害者を作り出すデタラメな解決策、しかも解決すべき当事者は被害を受けない解決策がとられているのです。

別のブログで書いていますが、これを機に「高校カリキュラムへの口出しを全廃すべき」ではないでしょうか?なのにすべてのマスコミが、50コマを救済措置だと宣伝しています。



Posted by Takkun at 2006年11月06日 07:27

他の人が見て被害者が居るかどうかは別として、自分が被害を受けたと思っている学生はかなり居ると思います。
「もし、自分の高校でも必修科目を課さないでくれたら、受験科目に専念できただろう。そうすれば大学に落ちなかっただろう。不公平だ」という論理です。
「自分は余分な科目も習うことが出来て儲けた!」と考える方が健全だと思いますが、補習を課すのを罰則と見る大人の論調が蔓延すると、上のような被害者意識を持つ高校卒業生が多くなるのは、避けられないのではないでしょうか。

Posted by moto at 2006年11月06日 08:28

ルールを守ったからといって学校も生徒も利益を得ないでしょう。守らなかったとき、学校も生徒も不利益を蒙らないでしょう。むしろ逆だからねルール破りがたくさん出たのでしょう。
 言語同断のルールを破ることは言語道断ではないという意見に聞こえるのは私の読解力不足のせいでしょうか。
 私は言語同断のルールであってもルールである以上は従わないのは言語同断だと思っています。
 私は片道2車線の道路が制限速度30km/hとは知らずに走って青切符を切られたことがあります。(翌週からこの道路の制限速度は50km/hに変更されました)
 捕まえたお巡りは気の毒そうな顔をしていましたが交通違反には違いないのですから抗弁せずに青切符を受け取りました。
 言語同断な速度制限だと思いますがルールはルールですから違反すれば処罰は当然だと思っています。
「高校カリキュラムへの口出しを全廃すべき」
 カリキュラムに問題があると思いますが全廃したら各種学校と高等学校の区別がつかなくなるでしょう。
 学校教育法の高等学校を全廃してすべて各種学校にせよという意見なら別ですが、、、
「自分は余分な科目も習うことが出来て儲けた!」と考える方が健全だと思いますが、
 健全なのではなく余裕のある人なのでしょう。
 自分が必要としないことを拘束状態で学ばされるのは苦役だと思います。
 明日大事な碁の試合がある、今日は早く寝て英気を養おうと思っている人に「これからチェスの講義を5時間行う。これを受けなければ明日の碁の試合の参加を認めない」といわれてチェスの講義を受けさせられた場合「教養が増えてよかった」と思う人は何人いるでしょう。

Posted by 島谷 at 2006年11月06日 09:32

>補習を課すのを罰則と見る大人の論調が蔓延すると、

そうですね。「罰則」という考え方は良くないように思います。

小生は、ルール内容の是非とか、それを破ったから罰則をどうするとかの話をしているつもりはありません。内容以前の、もっと基本的な約束事に関する話です。

@国・県間の約束事(上位の契約)
A県・学校間の約束事(中位の契約)
B学校・生徒間の約束事(下位の契約)

Bの学校・生徒間の約束事として、「このカリキュラムで卒業させてあげますよ」と春に学校は生徒に約束した(契約書はないが、紙でカリキュラムを配布している)のに、途中でそれを反故にしているのです。
@やAに反するから、Bの契約が無効になるのは、売買において盗難品を売ったとかの場合に限られます(すなわち、盗難自体が犯罪行為だから)。以前、株でオペレーターの入力ミスで数十分で何百億も損害を出した証券会社がありましたが、違法行為ではなかったので無効になりませんでした。(被害の大小では判断されないという例です)

指導要領違反というのは、違法行為なのですか?
違法行為でなったら、今年のカリキュラムを変更するのはおかしいですよ。
「指導要領」には法的拘束力はなく、国と県、県と学校の間の約束事ではありませんか。犯罪でないもの(うちわの約束事に)反するからといって、学校と生徒間の約束事(外部との契約)を変えるというのは、おかしくないですか?

こんなことは、自由主義経済の基本でしょう。島谷さんは、学校が教育委員会にウソをつくのは、教育者として失格だとおっしゃいましたが、こんな解決策を出す文部科学省は、自分達のメンツ・正当化のために、自由主義経済の基本を破っているのですよ。

だから、文部科学省にマスコミが加担して、生徒を犠牲にしていると力説しています。

(今日は、有給休暇をとっているので、この時間に投稿しています)


Posted by Takkun at 2006年11月06日 09:34

>私は言語同断のルールであってもルールである以上は従わないのは言語同断だと思っています。

単に、用語に対する感覚の違いだけで、島谷さんと小生の行動は同じだと思うのですか。

ちなみに茨木市内や高槻市内では、制限速度は40キロのところでも、殆どの車は55〜60キロで走っています。阪神高速守口線は制限速度60キロですが、右側車線は100キロ、左側車線の一番遅い車でも70キロ以上です。
これらは、すべて言語道断だとおっしゃるのですね。たぶんイエスでしょうから、用語の感覚の違いだけだと思います。


Posted by Takkun at 2006年11月06日 09:45

>「高校カリキュラムへの口出しを全廃すべき」
 カリキュラムに問題があると思いますが全廃したら各種学校と高等学校の区別がつかなくなるでしょう。

それは、論理が飛躍しているのではないでしょうか? 普通科学校として資格を与えるのに、何が何時間必修とまでの細かい規定は必要ないという意見です。

普通科目以外に、機械・電気・製図などを教えるのが工業高校、簿記などを教えるのが商業高校で、高等学校は三年間であることが条件。また、高専は五年間。各種学校というのは、ある種の技能または技術を教えるところで、一年のところもあります。

Posted by Takkun at 2006年11月06日 10:15

 学校教育法の高等学校という認可を与えるなら履修科目のガイドラインが必要なのは当然でしょう。
 極端な話ですが数学10コマ国語10コマ物理10コマ英語10コマ残り自習時間で3年間を高等学校というわけにもいかないでしょう。
 ガイドラインをどう設定するかが大事だと思います。
 私は数学、物理、化学、国語、保健体育、倫理(道徳、マナー)以外はすべて選択にし、選択科目は3年間で○単位以上取得しなければならないということでいいと思っています。

Posted by 島谷 at 2006年11月06日 10:42

>学校教育法の高等学校という認可を与えるなら履修科目のガイドラインが必要なのは当然でしょう。
 極端な話ですが数学10コマ国語10コマ物理10コマ英語10コマ残り自習時間で3年間を高等学校というわけにもいかないでしょう。

また、極端な例ですね。
そんなことを決める必要はないと思います。
そんな学校には、生徒が集まらないでしょう。

ルールで細かく決めなければらないのは、それを守らない輩がいるからです。一人でもそういうのがいる場合には社会秩序が犯されるので、こと細かく定める必要があります。

学校にとっては、生徒と保護者の目があるのですから定めなくても心配いりません。今回、問題になっているのも、保護者や生徒が被害を蒙ったのではなく、国のメンツを失われたくないというだけではありませんか?

ガイドライン例ですが
・義務教育を終えて、より高度なレペルを教える
・内容は、○○などの学科。
・体育をやる。
・三年間
・集団生活を学ぶため、クラブ活動・文化祭・体育祭などを含む

細かい規定をしなくても、インターネットの時代ですから、望ましくない学校は生徒が集まりませんし、学校はつねに改善努力をします。
今回の不履修の件は、学校が実態を考えて努力しているのに、文部科学省のメンツを優先しようという話だと思っています。


Posted by Takkun at 2006年11月06日 11:08

細かい規定をしなくても、インターネットの時代ですから、望ましくない学校は生徒が集まりませんし、学校はつねに改善努力をします。
 お説ごもっともですがそれなら高等学校を学校教育法で定義しなくてもいいですね。
 すべて各種学校にしてしまえばいいと思います。
 ほとんど高校と同じ内容を教えているのに教科が不足しているために高校として認可されず各種学校にさせられている学校も少なくありません。
 カリキュラムの指定が撤廃されればこれらの学校は高校となりますね。ハートたち(複数ハート)

 1級ボイラー技士試験の受験資格の一つに学校教育法の高校卒というのがありますが各種学校のために高校卒としての受験資格がなく2級ボイラー技士から受験しなければならに学校があります。

Posted by 島谷 at 2006年11月06日 11:19

>すべて各種学校にしてしまえばいいと思います。

小生も詳しくは知らないのですが、いくつかの面で学校ということで、差があるのではありませんか?

税制上有利とか、助成金があるとか。少なくとも、高等学校ならば私学には助成金があり、各種学校にはないでしょう。公立ならば、もっと税金が使われています。

Posted by Takkun at 2006年11月06日 11:37

 そうです。
 高等学校は各種学校に比べていろいろと特権があると思います。
 高等学校として認可される条件から外れれば各種学校として扱われなければ不公平だと思います。
 今回の履修不足問題は高等学校として認可されている条件に外れているのに高等学校としての特権を受けたいために虚偽報告しているから言語同断だと思うのです。
 独自のカリキュラムに自信をもっているのなら各種学校として生徒を集めるべきだと思います。

Posted by 島谷 at 2006年11月06日 12:02

これまた、極端なご意見ではないでしょうか。
しかも、話がどんどん脱線しています。
何度もくりかえし書いているつもりですが、理解していただけないようです。

最初から今に至るまで、50コマを受けさせて卒業させるという解決案が「言語道断」だと主張しているのです。その考え方の正当性を説明したくて、理由をあれこれと書いているにすぎません。

現在の高校三年生に対しては補習はせずに、不履修でも卒業させるべきと言っているのです。大学入試で、誤って本人に合格という通知をしたことがありましたが、合格させましたね。それと似たようなものではないですか?

各種学校と高等学校を区別するなとか、うそを報告するなとか、は全く別問題です。

Posted by Takkun at 2006年11月06日 13:06

最初から今に至るまで、50コマを受けさせて卒業させるという解決案が「言語道断」だと主張しているのです。
 それに関しては全く同意見です。
 しかし高校のカリキュラムを指定すべきではないと言われるからそれに反対したのです。
 またルールが言語道断だからルールに反したことをしても言語道断ではないということにも反対したのです。
 罪科のない生徒に苦役を科すことで解決を図る弱いものいじめは許し難いものと思っています。ちっ(怒った顔)

Posted by 島谷 at 2006年11月06日 13:14

意見を長々と主張し続けましたが、「そういう学校を処罰すべき」と島谷さんが書かれたことが理由です。父は、中学校長でしたから、その苦労も知っています。「学校が悪い。言語道断だ。」と書かれたので、反論したくなりました。

>このような学校は学校教育法の高等学校の資格を剥奪して各種学校にすべきだと思う。

島谷さんの主張はこれでしたね。
この意見には反対ですが、議論はしないことにします。

Posted by Takkun at 2006年11月06日 13:34

>私は数学、物理、化学、国語、保健体育、倫理
>(道徳、マナー)以外はすべて選択にし、...

この案は、歴史や地理の先生だけなく、生物や地学の先生にも受け入れられないと思います。

私は必修は国語と保健体育だけで良いと思っています。
ただ、選択科目を多くすると、学生は選択の基準として、興味の対象でなく、単位の取得に厳しいか易しいかを優先する恐れがある、というのが必修科目が多い本当の理由ではないでしょうか。



Posted by moto at 2006年11月07日 01:01

学生は選択の基準として、興味の対象でなく、単位の取得に厳しいか易しいかを優先する恐れがある
 たしかにその可能性が大きいですね。がく〜(落胆した顔)
 うーーーーーむ。┗(-_-;)┛

Posted by 島谷 at 2006年11月07日 03:38

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