ところが想定外の手を白に打たれてしまった。
ストーリーを貫くために黒Bを打つと大損を招く危険性が高い。
ストーリーを無視して黒Cを打つと無難だし着手の価値もBより高そうだが黒Aが悪手となってしまう。
このような場合、吾輩は絶対にリスク覚悟で黒Bと打つ。
黒Cと打ってストーリーがメチャクチャになることは耐えられないし、黒Aが悪手になることも耐えられない。
そんな精神衛生に悪い手まで打って勝ちたくない。
黒Cと価値の高い手を選びリスクを避ける人は勝負強い人なのだろう。
しかし勝負を離れて上達を目指すならばどちらがいいだろう。
黒Bと打って潰れればストーリーが間違っていたことがはっきりわかる。
黒Cと妥協するとストーリーが悪かったのか着手点がわるかったのかわからない。
だから吾輩は負けを覚悟でストーリーに沿った手を打つべきだと思っている。
強いと意表を衝かれる。
意表の一手に動揺して悪手を打つ。
それが碁は生き物で面白い所だ。
ストーリーが変わった時に柔軟に対処出来るのが
碁が強いと言う事だと思う。
或いは師匠が強すぎるかです。^^
(ストーリーから外れるのは間違ってるからの意)
誰だって、価値が一番大きいと思う着手をしていめはずですから。ただ、その価値判断の基準が個人個人によって異なるだけだと思います。武士は食わねど高楊枝なのか、生きていればいいこともあると思うのか、損して得取れなのか・・・
自分のストーリーを通すということが、島谷さんにとっては大切だということをおっしゃりたいのだと思います。
├┼13○┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼●┼┼○○┼○┼┼┼
├┼┼●┼●●○10・┼┼
├┼┼┼┼┼1414911┼
├┼┼●●●12578┼┼
├┼┼○○○○62┼┼┼
├┼┼○┼●┼┼┼┼┼┼
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├┼3●┼┼┼●┼・┼┼
├┼○●┼○○●┼┼┼┼
├┼┼●┼○●┼┼┼○● 具体例を挙げます。
79デギリから11ノビは白を分断して攻めようというストーリーだったはずですね。
しかし12アテを打たれてツグと全滅になるリスクに気が付き13オサエを打ち14と黒3子をヌカレ911が悪手となってしまいました。
これに対してChrさん、Takkunさんはなんと言われたでしょう。
めろん>3子取られた〜〜〜〜〜しゃあないか
Takkun>えええええええっっっっっっ!!!!!!
Takkun>ボンヌキ30目、亀の甲60目、この三子ヌキは90目で〜す。
Takkun>K15に切った石、L16に伸びた石が廃石になったじゃないですか。中央の石を攻めていたのだから、ツグ一手でした。
めろん>そうしたら、切られて、右上の黒一帯があぶなくなかったですか?
Chr>確かに切られておそらく取られるでしょう。ですが今取られた形は思わず目を覆いたくなる。
Chr>そう言う事を言っているのでした。
私はツグ1手はストーリーを重視した手、ツグのを止めた手が価値を重視した手と言いたいのでした。
私は継がずに勝負を長引かせて勝つチャンスをうかがうよりストーリーを重視してツギを打って玉砕します。
「打った石の顔を立てる」とか言う人もいるけど、打った石自体、悪手だらけなんだろうし・・・
>「私は継がずに勝負を長引かせて勝つチャンスをうかがう」
なんてこと考えているわけもなし。
あ、ダメだ、じゃあこっち助けようくらいなもの。
でも、ツヨツヨの「ケイマのツキヌキ」がいやなのや「ストーリーを完結しようとする」気持ちはよくわかりました。まあ、また繰り返すでしょうが^^;
「ストーリー重視」に対する言葉として「価値重視」という言葉が不適切だと感じたので書いたのですが、そのときは適切な言葉が浮かびませんでした。
単なる言葉の問題で二者択一のような感じで書かれたので小生は違和感を覚えました。次のような三者択一だったらどうでしょうか?
あなたは、次の着手を何で決めますか?
@相手と自分の「心理状態は考慮に入れない」。・・・その時点の盤面だけで考える。いわゆるミニマックス理論。島谷さんのおっしゃる価値重視。
A「自分の」意地を重視する。・・・島谷さんのおっしゃるストーリー重視
B「相手の」心理状態も考慮する。・・・例えば相手が気づいていないようだったら、後回しにする。(勝負師の坂田翁など)
おっしゃりたいことは、ぼんやりとはわかっていました。議論を続けるほどのことはないような気がします。
C形勢判断を重視して、着手が決まる。・・・形成不利だとかなり無理でも戦いを拡大し、有利な形勢だと戦いを避ける。
めろんさんがおっしゃることは、読みの話ですから@〜Cの以前にいる段階と思われます。
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├┼┼●┼○●┼┼┼○● 私の説明が下手なため私の言わんとすることを誤解されているようなのでもう1回同じ例で説明します。
7デ9キリ11ノビは白を分断して攻めようと言うストーリーなはずです。
それなのに12アタリに黒14ツギを打たず14と3子抜かれるのはストーリーのぶちこわしですね。
勝負から見れば黒14ツギでなく13オサエが正解だったかもしれません。
ストーリーを継承して黒14ツギだと黒が全滅してストーリーもへちまもなくなっていたに違いありません。
しかし13と打って14ヌキになると157911はすべて悪手になってしまいます。
13を打つなら7デ以降の手を打ってはいけないのです。
私は黒3子をポン抜かれるのは耐えられませんしTakkunさんもそうだったと思います。
しかし全滅すればその時点で投了だ、すぎたことはしょうがない、過ちは改めること憚ることなかれと13オサエと打つのもひとつの見識かもしれません。
おそらく勝率はその方が高いと思います。
現実にめろんさんはこの碁に勝ちました。もしストーリーを継承していたら投了することになったでしょう。
しかし私は置碁は勝敗ではなく棋力向上を目指すぶつかり稽古だからストーリーを継承して3子をツギ全滅して負けた方が上達が早いと思っているのです。
島谷さんがおっしゃりたかったのは、もっと単純なことではないのですか?
小生もchrさんも島谷さんも、みんな同じ意見だと思います。つまり
「三子ポンぬかれてはいけません。ケイマのツキヌキとかいうレベルをはるかに超えていて、お話しになりません。万が一勝ったら、反省が少なくなって決して良くありません。三子を助けて隅が死んだら、それまでのどこが悪かったか反省できるので、上達のためにはその方がよっぽどマシでしょう。」
「ストーリーとかどうかではなく、三子をポンぬかれることがどれほど大きいかという感性を身につけることが上達には重要であり、他の手との比較をしてはいけないのです。」
小生ならば「ストーリー重視か価値重視か」という表題ではなく、「(ポンヌキ30目、亀の甲60目、)三子ヌキは90目」という表題にしていると思います。
-上手はストーリーの誤りに早く気づく。
-下手はストーリーの誤りに手遅れになってから気づく。
というだけの話です。ストーリーは常に誤っています(笑)
手遅れになってから気づいた場合、「ストーリー重視か価値重視か」なんて問いは意味がないですよ。
「一貫性か : 損切りか」「前進か : 撤退か」が 49:51 の時に、どうするかということを考えるのが面白いと思います。私も島谷さんと同じく突進型でいつも破滅しているので「引き返す勇気」の重要性は痛感しています。
そういえば「琵琶湖の新幹線新駅建設」はまさにこのお題ですね。推進すれば破滅の可能性大、廃止すれば大損確定。でどうするのか。
要は今打った手、下手とはいえ何らかの考えに基づいた手でしょう、そのときはそれが最善と思ったはず、その手を継続して打つか、引き戻すかの違いだと思いますがいかが?。
そのとき最善と思ったからには他のことを考えるのはナンセンスでしょう、例えその結果がひどいことになったとしても今打った手を継続することによって得られる成果もあるはずです。
自分の考えをそうくるくると変えていたのではその碁(後)に対する考え方に一貫性がなく何をやっているのか訳わかめ
そういう変化を覚えてくのが碁ではないでしょうか?棄て石にして絞るとか、劫にするのか、劫材に使うとか
それでも、駄目だったらそれは反省材料です、次のステップになりましょう。
ただただ自信の安泰を願うのは戦いという精神に反してはいませぬか?
tomさんの表現と私の表現とでは月とすっぽんの差ですね。
ただそれはアマ有段クラスどころか、高段クラスが考えるような話ではないでしょうか?
>そのとき最善と思ったからには他のことを考えるのはナンセンスでしょう、例えその結果がひどいことになったとしても今打った手を継続することによって得られる成果もあるはずです。
まだ4級にもなっていない人にとっては、上手と打てば、不正解であったことを痛感させられるばかり。そして、何を反省したらいいのか、わからないことばかりです。
>そういう変化を覚えてくのが碁ではないでしょうか?棄て石にして絞るとか、劫にするのか、劫材に使うとか
こう考えることができるのは、級位者レベルではないと思います。中学校の二次関数をやっと覚えた人に、高校の三角関数の積分を求めるようなものだと思います。
島谷さんは、小学生には「もっとしつけを!」とおっしゃっています。初級・中級クラスでは、なぜかというよりも「とくかく、これはダメ。なぜだめかは、もう少し上達すればわかります。」という方がより親切だと思っています。
「有段者向けの碁の本質」を話題にしているのか「級位者向けの心得」を話題にしているのかで、異なると思っているのです。
形だけ教えたのでは定石を覚えて弱くなりならぬ筋・形を覚えて弱くなりということになってしまいます。
自己流で吐き気を催すような手を連発するのに強い人は自分なりの構想(ストーリー)をもって打つので理由もわからず教わった形にこだわって打つ人を叩き潰せるのだと思います。
>私は相手が入門者であっても「なぜだめか」を説明すべきだと思っています。
もちろん同意していますから、小生も常にその方針でやっているつもりです。そのときには理解できなくても、将来「あれは、こういうことだったのか」ということにもなるでしょう。
三子ヌキの例は、ストーリーがどうのこうのというレベルでなく、「とにかくダメ!」ということを言いたかったのです。
めろんさんは、最近やっと、つき抜かれるとイヤに気分になるとのこと。以前は、イヤな気分にもならなかったから、ストーリー以前だったのかなと思っています。
最新の棋譜では左下星から下辺の星に対して三線につめた気持ちは「もうくるな!」というものであって、島谷さんが書かれたように「相手の石を攻めよう」「模様を広げよう」というのではないようです。
「絶対にダメ!」と言い切る方が良いと思ったので、「えええええっっっっっ!!!!!」と書きました。めろんさんは、めちゃくちゃ上達されて思うし、まだまだ上達すると思うからですが。
その発想には気が付きませんでした。
なるほど、相手の石音がしたところに打つのはその発想なんですね。
もう来るな!なら損を重ねても大損をするわけではないので悪い手ということに気が付かないのですね。
納得しました。
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