どこの社会にもイジメが絶えない。
社会を管理する人にとってイジメをなくすことは重要な責務だがこれが難物だ。
イジメは加害者が快感を覚えることを目的としているので加害者が物質的利益を受けないことと加害者がイジメの自覚がないことともイジメが発覚しにくい原因の一つとなっている。
金品を要求するというのはイジメではなくユスリだ。
これをイジメと報道するのは間違っていると声を大にして主張したい。
イジメにはいろいろな形態がある。これをイジメと報道するのは間違っていると声を大にして主張したい。
- ものを投げつける、髪の毛を引っ張る、泥水を飲ませるなどの肉体的暴力行為。
- 衣服や履き物を汚損する、本やノートを破るなどの器物破損行為。
- 行く先を遮る、鞄を隠すなどの妨害行為。
- 罵詈雑言を浴びせる。
- 仲間はずれにする。
これらのイジメ行為を見て見ぬふりする管理者には憤りを感じる。
4.になると微妙だ。イジメられている本人にとっては深刻な問題であっても第三者にとっては些細な問題としか目にうつらない場合が少なくない。
ちびまる子チャンは当人が背が低いことに劣等感を持っていればこう呼ぶのはイジメだろうし当人が気に入っていればイジメではない。
当人が嫌がっているのに大勢がわざとそう呼ぶのはイジメだが当人が管理者に訴えなければイジメを摘発しにくいだろう。
私は高校生になったとき同級生の小学生の弟が紛れ込んだと勘違いされるほど小柄で貧弱だったので小中学校時代はチビ、赤ん坊、オムツ、オシメなど身長の低さから連想される言葉で呼ばれ続けた。
いつもうつむきで歩いている態度から中学校時代にはモクヒロイ(タバコの吸い殻を拾って商売していた浮浪者)とまで呼ばれた。
当時はみな生きるのに精一杯で自ら命を絶とうという選択肢は思い至らなかったから罰ゲームを続けて現在に至っているが今のように豊かな時代だったら私は自殺していたろう。
5.にいたっては管理に困難を極めるのではなかろうか。
だれでも人の好き嫌いはあり嫌いな人とは付き合おうとしない。
友達になりたいのに友達になってくれないと管理者に訴えても管理者が友達になれと強制することはできないだろう。
あれを仲間はずれにしろという談合があったことを立証できなければイジメとみなすことができまい。
しかし仲間はずれにされた当人にとってはこの上なくつらいことだろう。
子どもばかりではなく井戸端会議に加われず自殺した主婦もいる。
シカトというイジメを防ぐにはどのようなシステムが構築されたらいいのだろう。
それは非常にむずかしい話です。イジメは、いじめる側の「弱さ」ゆえに生じる現象だからです。どんなシステムでも不可能だと思います。
イスラエルとパレスチナ、米国とイラクの仲を解決するのが難しいのと同様です。
しかし、少しでもイジメを減らす方策はないものでしょうか。
イジメた側にイジメをしているという意識があるのならマナー教育を徹底すればイジメが減ると思いますがイジメをしている意識がない場合が多いから始末が悪いです。
当人は善意でしているつもりがイジメだったりすることもあります。
困ったものです。
飲酒運転を減らすとか分煙を進めるとかのように、大人を対象とする場合には、法律や規制を厳しくしたりすることによって可能だと思います。「改善する気」があればできるのですが、近年までは、その気がなかっただけです。
島谷さんがおっしゃっているように、今ならば自殺していたであろという事柄は、昔からあったと思います。子供社会だけではなく、大人社会でも朝ドラの「おしん」のようなことはザラだったでしょう。
ただ、イジメは子供社会の中でおきることがらです。だから特にむずかしい。
子供の自殺ということでマスコミはイジメをクローズアップしています(氷山の海面上の部分)が、大人の自殺者が増え続けています(氷山の水中の部分)。小生が学生の頃の五倍くらいはいるのではないでしょうか? そうするといつかは、小学生の自殺が0人→1人になるのはなりますよね。
子供のイジメを低減させようと思えば、まず大人社会でのイジメを低減させることが必要不可欠と思います。「いつの世も、子供社会は大人社会の鏡でしかない」と思っています。
しかし、複雑怪奇な大人の社会のイジメを低減させることはもっと難しいかもしれませんね。
イジメかイジメでないかの線引きも超ムズですねぇ。
綾小路きみまろや毒蝮三太夫の言葉を普通の人が弱い人に向かって言ったらイジメになってしまうでしょうし、善意の叱責をイジメと受け取る人がいっぱいいるでしょう。
校長や教頭が有害教員の言動を注意するとイジメだと日教組が校長や教頭を弾劾しそうですね。
一方イジメマニアはイジメでないという逃げ口上を用意した上でイジメに励みます。
イジメを低減させなければいけないと叫ぶのにその対策のたたき台すら思い浮かばない自分が情けないです。
確かにそうかもしれません。子供の場合には、「弱い者いじめ」をしてしいけないと、躾ければいいのです。子供は、そのように躾けられれば、弱い者いじめをしなくなるでしょう。でも大人の社会での弱い者いじめを知ると、効果が薄いですね。
弱い者いじめというのは、心理学的にみれば「自分の質を高めることをしないで、相手の価値を低くすることによって、自分の相対的価値を高めて、『安心する手段』」です。
ですから、善悪を知る前の子供にとっては、非常に自然で当たり前のこととも言えます。そういう意味では「絶対に躾けないとダメ」ですし、躾ければいいので簡単です。
大人の社会がそうでないので、学校や親もむずかしいのでしょうね。「弱い者いじめは見て見ぬフリをする」のが普通だからこそ、「電車男」が共感を呼んだのでしょう。
江戸時代には、士農工商の下に、エタ、さらにその下にヒニンという階級を作って、農民を支配しましたように、イジメというのは、人の心の奥底に住み着いている悪魔によるものではないでしょうか。
半角文字の http:// が記載、お名前欄が空白または日本文字が全然ないコメントは投稿できません。ボタンをクリックしても投稿フォームが閉じないときはこれらに該当していないか確認してください。
私は自説に固執しません。意見交換を重ねるに従いトップページの意見に修正が加えられますから議論される場合はコメントの流れに目を通していただけると幸いです。
棋譜投稿 ←をクリックすると碁盤付きのコメントが書けます。
詳細はをご参照ください。
↓普通のコメントを書く