2006年09月29日

法曹資格は超狭き門

 毎日新聞に司法試験合格者の司法修習落第者が3倍に増えたという記事が掲載された。
 私は司法試験に合格すれば法曹資格を得るものとばかり思っていた。
 司法試験に合格することすら大変だろうから法曹資格者はエリート中のエリートだと思っていた。
 その大変な司法試験に合格した上で司法修習の卒業試験に合格しなければならないとは超ビックリexclamation×2
 司法試験合格者には年配の人がかなりいると思うが法曹資格が得られなかったら今後どうするのだろう。
 最高裁判所の裁判官の資格ならともかくそこまで難しくする必要があるのだろうか。
 これらの試験に合格するために非日常的なことがらの勉強に励み日常的な感覚から乖離した人を量産しそうで心配だ。
 また法曹資格を取得するまでに費やした労力の元を手っ取り早く取るために法の盲点を教唆する悪徳弁護士が生む原因になっているのではなかろうか。
 司法資格取得をこんなに狭き門にすることは法知識に乏しい一般人を裁判に加える裁判員制度と矛盾しないのだろうか。
毎日新聞の記事

司法修習:落第者が3倍以上増加 最高裁も「原因は不明」

 司法試験の合格者が専門知識を学ぶ「司法修習」の卒業試験の落第者が今年は107人に上り、前年の31人から3倍以上増加したことが28日、分かった。落第率も前年の2.6%から7.2%に急増し、いずれも最高裁に記録が残る過去10年で最悪の数字となった。最高裁は「原因は分からない」としているが、法曹関係者からは「司法試験の合格者数を増やしたことで、質が下がっているのでは」との懸念が出ている。

 司法修習は、司法試験合格者が裁判官、検事、弁護士になるための専門知識や実務などを学ぶ。今年は昨年4月から1年半の研修を受けた1493人が卒業試験を受験し、不合格者が10人、合否の判定が留保された人が97人に上った。6科目の論文と面接試験が行われ、「刑事弁護」の論文で合格水準に達していないと判断された修習生が46人と最も多かった。

 卒業試験の落第者は、以前は毎年ゼロから数人だったが、修習期間が2年から1年半に短縮された00年秋には19人に。司法改革の一環で合格者数が増えたのに伴い、700人前後だった修習生数も同年ごろから年々増加し、卒業試験受験者が約1200人になった04年には落第者が46人になり、落第率も急増していた。

 卒業試験の不合格者は、法曹資格を得られないまま修習生を辞めなければならない。合否が留保された修習生は追試を受けて合格となるケースが多い。【木戸哲】
毎日新聞 2006年9月28日 21時05分
この記事へのコメント
 囲碁と法律の雑記帳司法試験に関する誤解に次のようなことが記されていた。
しかし、司法試験はそんなところは聞いていない。起訴状が書けなくても、証人尋問がろくすっぽできなくても受かってしまう試験である。また、司法試験ははっきり言って社会に存在する生の事実から問題点を抜き出す作業は要求されない。 こうした能力は、研修によって身につけるものである。もっと言えば、その研修に耐えるだけの法律の知識と思考回路があるかどうか判断するための試験が、司法試験なのである。たぶんではあるが、研修で身につける能力を司法試験の段階で求めると、それこそ途方もない激難試験になってしまうのだろう。
 なるほど司法試験は司法資格を得る試験ではなくて司法修習を受けるための入学試験のようなものなのですね。
 大学の入学試験に合格しても大学卒業資格は得られず入学してから所定の単位を修得しなければ大学卒業資格を得られないのと同じですね。
 医者は超エリートだと思っていたが法曹資格者はもっとエリートなんだ。
 担当した案件はその分野の専門知識も学ばなければならないから大変だ。
 絶対に凡人ではできない。
 プロ棋士で弁護士の人がいるがどんな頭脳なんだろう。

Posted by 島谷 at 2006年10月01日 07:02

 タイトルの超狭き門の超と狭き門の間に改行が入っていた。
 削除してテスト。

Posted by 島谷 at 2006年10月01日 12:31

親しかった知人に、「やり手弁護士」がいます。
彼は幼い時からず〜っと優等生、いつでも何でも一等賞&オール5、地域トップ高校からすんなり志望大学へ進み、20代中盤でめでたく弁護士になりました。
当然、本人の努力は相当あったと思います。何よりも勉強優先でした。そして周囲の知る限り、常に挫折知らずのエリートでした。彼の、自信に裏打ちされた我の強さや、自分の価値観の軌道から逸脱したものを排斥するところ・・・などは、か弱き友人たちをしばしば傷付けることがありましたが、本人は少しも気付かなかったでしょう。なぜなら、我々友人はその痛みを彼に訴えても到底理解してもらえないと知っていましたから。
立派なバッヂを胸に付けたあとも、彼は相変わらず転ぶことなく、次々と立派な仕事をこなし続けているようです。名声を得るごとに、どんどん高慢になっていく態度。高名な文化人に囲まれているという自慢話を耳にするたび、なんともやりきれない虚しい気持ちになります。
弁護士さんは人格的にも優れた方が多いとは思いますが、一般人の哀しみや傷みに向き合う仕事なればこそ、ぜひ自ら失敗や挫折をたくさん経験された人になってもらいたいと思います。
もしかしたらそういう意味で、多くの傷を持つ一般人を加える「裁判員制度」は、バランスを取る良い方法なのかも知れません。

Posted by 和リン at 2006年10月02日 16:57

 和リンさん、おはようございます。
 全く同感です。
 出来る人には出来ない人の気持ちがわからない。
 出来ない人の気持ちもわかってくれというと逆ギレするなと言われまする。
 出来ない人の気持ちをわかろうとしてくれる出来る人はごく少数なのが残念です。

Posted by 島谷 at 2006年10月03日 03:37

 「囲碁と法律の雑記帳」改め「碁法の谷の庵にて」の管理人として一言。

 私はここにトラックバックをしたことは一度たりとてありません。
 公開記事ですから記事を紹介・論評するのはかまいませんが、やってもいないトラックバックをやったように見えるようなことはやめてください。

Posted by 風の精ルーラ at 2006年10月06日 00:07

 了解しました。
 風の精ルーラさんのTBではないのですね。
 削除します。

 hidewさんから「TBありがとうございました」とTB先にコメントする必要はないと教えていただいたので私はTB先に対してコメントしないことの方が多かったのですが、やはりTBがあったときはTB先にコメントを入れた方がいいですね。

 ほかの記事でも荒らしでないTBは削除しないでいたのですがついでですから記事とは関係ないTBは削除します。

Posted by 島谷 at 2006年10月06日 04:07

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