吾輩もアメリカの陪審員制度をばかばかしい制度だと思っていたのでそれを真似しているように感じた裁判員制度には大反対だった。
しかし最近は裁判員制度は必要なのではないかと考えが変わってきた。
その理由は法律の専門家の理念は一般人と乖離しすぎているのではないかと思うようになったからだ。
法律は非日常的なことにも対応できるように制定されているのだと思う。
したがって法律に日常的なことと乖離した内容が記述されることになるのは当然だと思う。
法曹関係の人は非日常的なことの対応を一所懸命勉強しているに違いない。
その結果、非日常的なことに関して凡人には想像も付かないほど詳しくなっていると思うが、日常的な感覚に疎くなっているのでないかと思われてならない。
非日常的なことには疎いが日常的な感覚をもっている凡人を裁判員に加えることは凡人の常識とは乖離した判決が出ることの抑制になるのではなかろうか。
また裁判員制度の導入に備えて裁判のスピードアップを図りホリエモン裁判がいままでの1/4ほどの期間で終結するらしいということも裁判員制度のメリットだろう。
10年の長きにわたったオウム裁判も裁判員制度が導入されていれば3年くらいですんだのでないかと思うのは素人考えにすぎないのだろうか。
(Yahooならば4番目、gooならば5番目です。)
反対意見はいろいろあると思いますが・・・、小生も反対です。理由は単純で、自分が選任されたらイヤだからです。(賛成する限りは、自分が指名されたら引き受けるつもりがないとね。)報酬が貰えてもイヤです。欧米では罰金を払っても辞退するサラリーマンもかなりいるとウィキペディアには書いてありますが、罰金額と時期によっては、小生もその可能性があります。
是非ともなりたい。
学校で先生から指名される生徒と同じで指名されたい人は指名されないでされたくない人が指名されたりしてしまうんでしょうね。
是非ともなりたい。
学校で先生から指名される生徒と同じで指名されたい人は指名されないでされたくない人が指名されたりしてしまうんでしょうね。
裁判員に指名されることを、「大当たりした」とみるか「ババを引いた(国家権力によって押し付けられた)」とみるかの違いですね。
ババを引くと感じる人の方が多いと思います。
(小生は、退職して以降ならば歓迎します)
私が一人親方の自営業をしている時代で私が行かなければいけない大きな仕事の日と裁判員として勤めなければならない日がバッティングしたら困ってしまいますねぇ。
裁判員をしてもいいという人だけを登録してその中から選ぶようになるといいですね。
そうすると裁判員のプロパティが偏ってしまってよくありませんかね。
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