長男は「就寝中に放火して両親が死んでも仕方ないと思った。二男は死ぬと思わず、かわいそうなことをした」と供述したという。
長男は父親から常日頃きびしく育てられていて両親への恨みが募っていたようだ。
この事件に限らず最近こどもが親を殺傷する事件が増えている。
むかしは厳しすぎる躾をする親やこどもを虐待する親がいま以上にいたと思うが親を殺傷する事件は寡聞である。
むかしは親を殺したいと思っても親がいなくなると自分も生きていけなくなるから恨みを抱いても我慢していたのだと思う。
現在は親がいなくても生きていける豊かな時代になったから親を殺す決断ができてしまうのではなかろうか。
ものが豊かで心が貧しい時代の断面の一つのような気がしてならない。
現在は親がいなくても生きていける豊かな時代になったから親を殺す決断ができてしまうのではなかろうか。
昔は今以上に、親がいなくても生きていけたと思います。今は学校を卒業するまでは、経済的に親に頼っていますから。
昔は、相手の顔を知らずに結婚するのもあたり前でしたが、離婚なんてのはなかったですね。しかし今は離婚だらけ。それは、「離婚という概念」がなかったからと思います。
それと同様に、親というのはどんなに理不尽でも従うのは当たり前でしたから、「親殺しという概念」がなかったと思います。
昔といっても大昔ではなく、敗戦後に「(個人の)基本的人権」という概念が導入されたことがきっかけと思います。基本的人権という概念がなければ、「離婚」も「親殺し」もないでしょう。
http://www.npa.go.jp/toukei/keiji22/satujin.pdf
なるほど殺人の比率は横這いで昭和50・51年に比べれば半減していますね。
しかし親殺しはどうなってるんでしょう。
マスメディアがオーバーに取り上げるから目立つだけなのでしょうか。
尊属殺人という刑は、こどもは親の従属物で従属物が所有者を殺すのはけしからんという思想の産物なんでしょうね。
親の教育または遺伝子がこどもを親殺しをするような性格にしたと思うので殺された親は身から出たさびという気がしてなりません。
まさしく子は親を映す鏡だと思います。
そうですね。親はどんなに理不尽であっても、自分にとってかけがえのない人だから・・というのは後付けの理屈で、社会維持のために必要なしくみと考えられていたのでしょう。それが削除されたということは、親子といえども社会を構成する一人一人の人間であり、全く権利が平等と考えられているということですね。
>親の教育または遺伝子がこどもを親殺しをするような性格にしたと思うので殺された親は身から出たさびという気がしてなりません。
同感で、憎まれた親は自業自得だと思います。しかし、そこまでに至った(心の闇の歴史をもつ)加害者、巻き添えを食った人、重荷を背負って生きていかなければならない人達のことを考えると悲しいですね。
統計によれば、殺されたのは年間千数百人になりますが、放火や尊属殺人はごく一部です。これらの実数には交通事故で殺された人は含まれていません。昔は交通事故による死者が年間三万人を超えたこともありますが、今は一万人を割りました。
昨日、福岡で泥酔運転した乗用車が、家族連れのRV車に追突して海に落とし、幼い三人の子供の命を奪いました。こんな人こそ、みせしめのために極刑ですよ。(江戸時代と違うから無理ですが)
子供の放火はセンセーショナルなことは確かですが、加害者も不幸な心の歴史がありますし、年間の実数は少しです。それに比べて、車によって「殺される」人はあまりにも多くて、この数を減らすことこそ、手を打たなければならないことだと思います。最近は、飲酒運転の取り締まりが厳しくなりましたが、非常にいいことだと思います。
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