この副作用を嫌って薬の服用を拒む者も少なくない。
統合失調症患者は薬を飲むとからだがだるく鬱症状を呈したりする副作用が生じる。
そこで「この薬さえ飲まなければてきぱきと動ける。からだが思うように動かないのは薬のせいだ。」と薬を飲むのを拒む患者が多いという。
家族の目を盗んで薬を捨て飲んだ振りする患者もいるという。
その結果、病状が悪化し幻聴や幻覚症状を起こしたり凶暴になったりする。
病気を治すためには副作用があっても薬の服用が絶対に必要なのだ。
検査、取り締まり、刑罰なども社会秩序を保つための薬だろう。
したがって副作用も当然あろう。
薬効を高めるほど副作用も強くなるに違いない。
北朝鮮などの独裁国家は強すぎた副作用の典型的な例だと思う。
この副作用を恐れて厳しすぎる検査体制や重すぎる刑罰に反対する人が少なくない。
たしかにからだを破滅するような強い副作用が生じる薬を服用するのは間違っている。
しかし副作用を恐れるあまり治癒に必要な薬を服用しないのは本末転倒だ。
検査、取り締まり、刑罰なども副作用を恐れるあまり形ばかりの規定では社会秩序を保てまい。
副作用を恐れず社会秩序を維持するために必要な検査制度、迅速な取り締まり、厳しい刑罰などを制定すべきだと思う。
もちろん副作用が生じたら副作用を和らげる薬を併用することは必要だろう。
副作用を和らげるための薬の副作用を和らげるための薬・・・・・・と副作用を和らげる薬の連鎖で薬漬けになることを心配する意見は副作用をゼロにしようとしているからだと思う。
薬を必要とするのに副作用をゼロにしようというのは間違っている。
身の破滅を招く副作用は避けなければならないが我慢可能な副作用を覚悟すれば副作用を和らげる薬の連鎖を免れることができるはずだ。
薬を必要とする場合は副作用があっても薬を使わなければならないと声を大に叫びたい。
病原菌・ウィルスをやっつける薬、肉体的症状を抑える薬などに関して副作用どうのこうのという話はわかりますが、心の病に対する薬については、そういう話ではないと思いますので例としては不適切です。
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