2006年08月15日

終戦記念日に感慨なし

 私が終戦を迎えたのは国民学校3年生のときで疎開先の長野県小県郡神川村だった。
 どこで玉音放送を聞いたか覚えがない。
 周りの人たちの反応も記憶にない。
 疎開者の私の生活は翌日からもとくに変わりはなかった。
 日本が負けたと実感したのは夏休みが終わってからだった。
 習字の時間でもないのに硯と墨と筆を用意させられた。
 習字の準備が終わったら教科書を先生の指示に従って墨で塗りつぶされた。
 教科書を燃やした記憶はない。
 塗りつぶした教科書で勉強した以外はとくに生活の変化はなかった。
 このため終戦の想い出がなにもなく終戦記念日に感慨が湧かない。
 終戦を体験している私でさえこの有り様だから靖国問題がなければ今の若者は終戦記念日を意識しないのではなかろうか。
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