文部科学省は1999年以降は給排水口のふたをボルトで固定し内側にも吸い込み防止金具を設置する二重防止対策を指示し水泳シーズン前に毎年注意を促す通知を出しているそうだ。
それなのにこれだけ多数のプールに吸い込み防止対策に不備があるのは何故だろう。
検査システムの不備のひとことに尽きるのではないだろうか。
どんなに立派な規格でも検査システムが不備なら絵に描いた餅だ。
危険を伴うものは専門の検査機関を設け定期的に検査する制度が必要だろう。
例えばボイラーは1年に1回ボイラー性能検査を受け合格しなければ使用できないことになっている。
産業用ボイラーに対する検査機関は労働省だが民間の(社)日本ボイラ協会、(社)ボイラ・クレーン安全協会および安田火災海上保険(株)も代行検査ができるようになっている。
プールは人命を預かる施設だから毎年検査機関により安全を確認する義務を課す必要があるのではないだろうか。
さすが、日本政府!
何か事故があったときには、「○○省は、ちゃんとやっておりました。」と言えることが、お役所の最大の判断基準です。それを実行するには、「どういう対策を打たなければならないか?」などとは考える必要は全くないのです。
・ちゃんと通達を出すこと。
・しかも、毎年。
すぱらしい。パチパチパチ。
最近、「県庁の星」という本をある人から薦められて読みました。お役人の考え方を理解するのに非常にわかりやすい本でした。
>それなのにこれだけ多数のプールに吸い込み防止対策に不備があるのは何故だろう。
それは、対策を考えていなかったからではないですか?(理由は上述しました)
>検査システムの不備のひとことに尽きるのではないだろうか。
自治体は、検査を業者にまかせていると思いますが、検査の結果を示す提出書類がどうなっているかですね。全体の結果が異常なしという報告ではなく、ちゃんとチェックリスト形式になっていて、それを提出させていたかどうか?またチェックリストの中に、そういう記述があったかどうかです。
ボイラーの場合は民間検査機関であってもボイラー性能検査に関しては労働基準監督署に準じる権限があり不備のあるボイラーのボイラー検査症には検査合格印を捺しません。
修理する場所を指示し、その場でできなければ検査症に捺印せずに帰り後日再検査に赴きます。
また合格の有効期限は1年ですがボイラーの状況によっては有効期限を短縮して捺印する権限も与えられています。
プールも検査機関が合格を認めるまで使用できないようにすることが大切だと思います。
という名言がありますが、これを少し変えて
■役人に期待すべきでないものの筆頭は「責任」だ。
と言うこともできます。
今回の埼玉県ふじみ野市の「市営」プールの事故はふじみ野市から管理を委託された会社が下請けに丸投げ(いわゆる「偽装請負」)していました。ふじみ野市は「市営」プールの管理責任など最初から放棄しているわけです。
プールの検査態勢を強化すると言っても、無責任な検査機関が税金を無駄遣いするだけで、なんの改善にもなりません。役人というのは、税金を使うだけ使っておいて、いざとなったら責任転嫁して逃げますから。
最近の島谷さんの主張に共通する傾向ですが「役所や警察権力を信用しすぎ」だと思います。
例えばボイラーの検査はしっかりと機能しています。
たいした検査をするわけではありませんが検査があるというだけで合格するように整備が行われます。
検査がなければボイラーマンが危険だから直してくれと言ってもオーナーは直さないで使わせるでしょう。
また車検がなければ欠陥自動車や違法改造自動車が氾濫するのではないでしょうか。
私は検査が義務づけられていることに意義があると思っています。
いまの役所や警察権力が信用できないからこそ信用できる役所や警察権力になるようにすればどうしたらいいかと素人考えを披露しているのです。
近年は検査機関そのものが役人の天下りによって腐敗しています。会計検査院などもひどいものです。
腐りきった「お上」の検査に頼るよりも、市民同士の情報交換で自衛する道を探るべきではないでしょうか。例えば島谷さんが冬にスキー場情報を書くような感じで、市営プールの情報を交換すれば、どこのプールが危ないかは分かります。
官が官をチェックするという体制だけはなんとしても避けるべきです。市民オンブズマンが「管理の偽装請負」など、不明瞭な金の流れをチェックするだけでもプールの安全性は高くなると思います。
しかし、あの事件があったから建築確認制度は無意味だと決めつけることはできません。
建築確認制度がなかったら欠陥住宅でない住宅の方が少なくなってしまうと思います。
警察が頼りにならないから警察を廃止すれば犯罪は激増するでしょう。
怠慢であっても警察があることでないよりは犯罪抑止力になっているはずです。
ボイラーや圧力容器の構造規格は設計者の自由度が奪われるのではないかと思われるほどガンジガラメに規定しています。
たとえば溶接ひとつとっても完全な溶接の強度を100%とするとボイラー溶接士による溶接は8掛け、余盛りを削らないと8掛け、放射線検査を受けないと8掛けなどとどんどん強度を低めにして計算しなければならないようになっています。
耐震偽装された計算書のように補強材を減らすことなど規格上できません。
私は設計士の思惑で強度を偽装できる規格は欠陥規格だと思っています。
怠慢であっても警察があることでないよりは犯罪抑止力になっているはずです。
半分賛成です。
警察を廃止すれば犯罪は激増するでしょう。→賛成
警察があることでないよりは犯罪抑止力になっているはずです。→賛成
警察が頼りにならないから→???
怠慢であっても→???
建築確認も警察も専門的な内容を含みますから、存在意義というのはあります。要はバランスの問題です。
中国、ロシア、北朝鮮を見れば分かるとおり、「お上」の権限が強くなりすぎると、最悪の事態を招きます。下手すると「警察を見たら泥棒と思え」という状況になりかねません。現に日本でも「役人を見たら税金泥棒と思え」という事態になりつつあります。
■権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する(アクトン)
盗聴やNシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)に反対しているのは悪人だけではありません。
これらが犯罪捜査に絶大な威力を発揮するのは分かりますが、北朝鮮のような地獄への一歩でもあるのです。
話が脱線しました。
「吸水口の鉄枠がはずれたらポンプを止める」とか「鉄枠はステンレス製のボルトで固定する」とか、シロートでも分かる当たり前のことです。ふじみ野市営プールの管理者は当然「業務上過失致死罪」を問われます。
島谷さんは絶対に再発しない仕組みをお考えなのかもしれませんが、その発想を拡張していくと「警察を取り締まるための警察が必要」で「警察の警察を取り締まるための警察が必要で…」となってしまいます。
警察が頼りに
ならないからならないとしても警察を廃止すれば犯罪は激増するでしょう。怠慢で
あってもあったとしても警察いつも国語の使い方の間違いをご指摘いただきありがとうございます。
せっかくのご好意ですが私は国語の試験を受けるつもりはありませんから今後国語の使い方のご指摘に対してのレスは一切いたしませんのでご了承ください。
それが私の主張です。
どこまでするかがバランスの問題だと思います。
安全装置でもそうですよね。
安全装置が壊れた場合の安全装置。
安全装置を幾重にしたらいいか。
私とhidewさんとの意見の食い違いはバランスの置く場所の違いなんでしょうね。
私は盗聴(検閲)は反対ですがNシステムは絶対に必要だと思っています。
警察が頼りにならないからならないとしても警察を廃止すれば犯罪は激増するでしょう。
怠慢であってもあったとしても警察
いつも国語の使い方の間違いをご指摘いただきありがとうございます。
言葉の使い方の不正確さを指摘するわけがない(些細なくだらないこと)のに、そのように受け取られましたから、今後はやめます。
事実に関して、受け取り方(感覚)の違いがありますねと書いたつもりでした。100のうちの1を大きいとみるか小さいかということです。別の項目で書きましたが、母性と父性とどちらが強いかという違いだけです。
>私とhidewさんとの意見の食い違いはバランスの置く場所の違いなんでしょうね。
島谷さんがこうおっしゃっていることと全く同じです。小生と島谷さんとは、「意見が違うことを肯定する」コメントを書いたつもりでした。
■安全装置は安全性を高めない。安全装置が故障するという新たなリスクが加わるから。
というのがあります。パロマ給湯器は見事にこの法則が当てはまっているような気がします。
ふじみ野市のプールの事故はあまりに杜撰で、論外ですが、一般的に「安全性とコストのバランス」は大きな問題です。安全性に 100% というものはないので、ほどほどで手を打つべきだと思います。[犯罪防止と冤罪防止](http://qin.seesaa.net/article/17704151.html)と似た話ですね。
#冤罪については以前トラックバックした通りですが。
http://stone.dialog.jp/voice/view/1358
まともで善良な役人が殆どだと思います。
hidewさんが性悪説ならば、議論しても仕方ありませんが。
マスコミは、そういう宣伝をしていますね。
>■権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する(アクトン)
すべてのものは、変化しない限り腐敗するものであり、それは人間社会のみならず、自然界の掟・真理ではないでしょうか。権力は、自分を守ろうとする(自分は変化しない)力が強いので、特に目立つだけだと思っています。
以上です。
島谷さんの最近の主張は「官尊民卑」で、官の良心を不当に高く見積もって、民の良心を不当に低く見積もっているような気がします。
民の良心を低く見ることについては、とくに問題はありません。しかし、官の良心を不当に高く見積もることで、中国や北朝鮮のような国に少し近づきます。
「司法が腐敗する可能性」「警察が腐敗する可能性」「検査機関が腐敗する可能性」というものを排除してはいけません。むやみやたらに、厳罰化、検査強化、を言うのはかえって危険だということです。
>まともで善良な役人が殆どだと思います。
もちろん、民間人も「まともで善良な人」が殆どですね。ただ、官には「合法的横領」と言いたくなるような構造欠陥があって、善良な役人も少なからずそれに加担してしているわけですが。
>すべてのものは、変化しない限り腐敗するものであり
その通りです。ですから、権力が腐敗することを念頭に置いて社会制度を設計すべきということです。
Takkun さんは北朝鮮のような国ができてしまってから「権力者の腐敗が目立つなぁ」とのんきなことを言うのでしょうか。
これもバランスの問題で私は取り締まりの権限がが不当に低すぎると思っています。
相手が刃物を振り回して自分に向かってきても威嚇射撃しかできず、自分が命の危険に冒されてからでなければ相手に向かって発砲できないではおかしいと思っています。
検査については車検やボイラー検査はうまく機能していると思いますから見習ってほしいと思っています。
北朝鮮に関することは、「権力者の腐敗」が原因だとは考えたことがありません。つまり、↑のようなことは考えたことがないということです。基本的に、「米国とソ連の代理戦争」で朝鮮半島が二つに分割されてしまった不幸な事実を韓国・朝鮮民族が持っていると思っています。(ベトナム、ドイツに引き続いて、将来は統一されるものと思います。)
だからといって、北朝鮮を擁護するつもりはありませんし、拉致事件に関する小泉首相の対応は適切だと思っています。
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