事件が報じられると必ずと言っていいほど「あの事件が起きる前に警察に相談したのに相手にされなかった。」「あの事件が起きる前に加害者が不審行動をするので警察に通報したのに警察は動かなかった。」という声が報道され警察がすぐに動けば事件は防げたはずだと警察を非難する声があがる。
被害者の立場になれば当然の声だ。
しかし治安は悪くなっても冤罪をゼロになるようにすべきだという風潮が強い我が国では通報程度ですぐに警察は動けないだろう。
通報されたら即座に被疑者の調査に動きだしたら事件は未然に防げるかもしれないが事件が起きなければ起きないで悪いことをしていない人間に嫌疑をかけたのは権力の乱用だと警察は非難されよう。
加害者にとって犯行が成功するのはヒットだが無実の人を検挙するのは警察のエラーだ。
かつて巨人の川上一塁手は難しい球には手を出さずさっさと一塁に戻っていた。
球に飛びついてアウトにすれば美技だが球を弾いてしまうとエラーになる。
手を出さなければヒットになってもエラーにならないから自分の記録は汚れない。
最善を尽くそうとするよりエラーをしないようにするのが保身術の極意なのだろう。
神ならぬ身の人間のすることだから間違いをゼロにすることはできない。
冤罪をゼロにするように努めていても冤罪事件があり警察が非難されている。
通報にすぐに動かず犯罪が生じてしまい警察の怠慢を非難されるのと早とちりで摘発して冤罪を非難されるのとどちらが警察にとってダメージが大きいだろう。
前者なら「すみません。今後すみやかに行動するようにします。」と謝れば済むが後者だと謝っただけでは済まないから後者のダメージの方が遙かに大きいと思う。
治安が悪化してもいいから免罪がゼロになるようにしろという声が高い土壌では速やかな警察の動き出しを望めないと思う。
わたしは寡聞にして、このような声を聞いたことはありませんが、
>免罪がゼロになるようにしろという声
は常に聞こえます。しかし、この声と「速やかな警察の動き出し」とは無関係です。
言葉の話になってしまいますが、冤罪は「有罪判決を受けて犯人とされたのに、あとで犯人ではないと判った」場合です。
警察が速やかに動いて怪しい人を探っても、冤罪にはなりません。
おそらく、曖昧な話や些細(通報者にとっては些細ではない)なことが多く、人手不足で対処できないのではないかと思えます。
わたしたちが、警察に通報するのはよほどのことですが、そのような通報はどのくらいあるものでしょうか。
たとえば通報が20件あって、10件が犯罪に結びついた、という場合と、
通報が20万件あって10件が犯罪に結びついたという場合は通報の重さが違う。
わたしは「あのとき対処してくれたら…」という声を聞くとき、そのような通報がいったいどのくらいあるものか気になります。そのあたりがはっきりすれば、すぐに動かないことを批判できるのですが。
家族にとってはその無念は言い表せないでしょう。小さな犯罪のうちにきちんと扱って欲しいものです。
念のため、わたしと警察との関わり合い。
★読売新聞の勧誘員(と称する)が、1時間にわたって玄関のドアを押さえていたとき、警察を呼んで帰らせた。
★アダルトサイトの請求書が来たとき、それらをフロッピーに写して警察に証拠として提出したが、無視された。もちろんわたしは身に覚えのない請求は無視。
2回振って2回とも1だった。これでイカサマと決めつけるのは冤罪が多発します。
20回振って20回とも1だった。これを運がいいなぁといったらイカサマサイコロを摘発することはできません。
しかしイカサマでないサイコロでも20回振って20回とも1の目がでることもあり得ますからこれで検挙したら冤罪の人もでてくるでしょう。
私は10回振って10回とも1の目が出たらイカサマとして検挙していいと思っていますがこれだと冤罪に泣く人はかなり出てくると思います。
こんな議論をしていると治安が悪くなってもいいから冤罪はゼロを目指せという人が出てくるのです。
確かに冤罪ではありませんが、さぐられた人にとっては悪いことをしてもいないのにいろいろさぐられて世間の人から白い目で見られたと警察を非難し、それに同調して警察を誹謗する人がいっぱい出てくる風潮が感じられます。
警察の…の続きを書いてみました。内容が内容なので、筋違いの恐れがあり、これを載せるかどうかは、島谷さんの判断にお任せします。載せる意味がないとお考えでしたら無視してくださってかまいません。
誰もあとに書いて頂けないようなので、わたしが続けます。
わかりやすい例ではあるが筋違いではないかと思います。
>こんな議論をしていると治安が悪くなってもいいから冤罪はゼロを目指せという人が出てくるのです。
わたしは皆が、本当はどうなのかと考えるきっかけになると思います。
問題
警察の動き出しはなぜ遅い
理由
島谷説 治安は悪くなっても冤罪をゼロになるようにすべきだという風潮が強い。
謫仙説 軽く見て人手を割かないのではないか(冤罪を恐れてという説の否定)。
このことから予測される結論は、(わたしの予測です)
島谷説
イ、多少の冤罪は仕方ない
ロ、多少の冤罪は苦情を言うなかれ
ハ、冤罪を気にせずに動け
謫仙説
ニ、通報の軽重の判断をしっかりせよ
ホ、人手を増やせ
と、なりそう。
わたしは冤罪の発生を非難するのは民主主義社会の必然で正しい姿だと思っています。
たしかに、そのようにして冤罪は発生しますが、例えだとその例えの欠点(本題とは外れた)をつく話になって、議論のための議論になりそうなので、今回は、「遅い理由」に限定して、「冤罪の発生」の問題は書かないことにします。
通報者にとっては重大に感じられたことでも第三者にとってはたいしたことではなくそのようなことに警察が動くと税金の無駄遣いと非難されることもあり得ますね。
警察の不祥事はしっかりと糾弾しなければいけませんが、ことあるごとに何でも警察が悪いと警察を批判する風潮はなんとかしなければいけませんねぇ。
仕事をする気がないのと違うかと言いたい
一言の声をかけるぐらいあってもいいのでは ?
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