しかし大学や大学院の教師は学究型であるべきだと思っている。
私は学究型教師の授業に嫌悪感を持ち落ちこぼれた劣等生だったがそもそも私みたいに親の見栄のために仕方なく大学に進学するのが間違っている。
大学は義務教育ではないからその大学に進む目的がある人以外は入る必要はない。
留学生のように特定の学科を学びたくて大学に来る人にとっては教え方の巧みな教師より盗んでも盗みきれない深さがある学者に師事したいだろう。
大学入学の目的の中には学業ではなくその大学の特定のサークルに入って活躍したいという場合もあろう。
その学生はサークル活動に専念するの目的だから学業などはアウトオブザ眼中なはずだ。
大学で学ぶ知識は専門家になる人以外は知らなくても困るものではないのだからその学生でも理解できるように授業を進める必要はない。
私が不思議なのは大学の在学年数に制限があることだ。
授業料をきちんと支払っているなら無限に留年できるようにしないのはなぜだろう。
少子化が進み学生数が減少することは目に見えているのだから学生数確保のため留年の制限を撤廃したらいいと思う。
教室から受講生があふれ出るのではないかと心配する向きもあるがサークル活動に専念する学生は授業には出ないから教室が満杯になる心配はないと思う。
大学の教師は自分のペースで心置きなく授業を進め、それについていけない学生は授業料を納めている限り在学できる制度にすればいいと思っている。
いつもご丁寧なご挨拶痛み入ります。
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一人一人にコメントを返信していたら大変だと思います。
私は無精者なので同じようなものはひとつにまとめてレスしますし、レスを失礼してしまうことも少なくありません。
現在の学年制ですと1学期幾らという授業料の払い方ですから、学生はなるべく多くの単位に登録したがります。その理由が、同じお金でなるべく多くを学ぼうというのなら見上げた精神で、学年制の長所にもなるのですが、実は学生の99%は「なるべく多く登録しておけば、全部怠けても、どれか単位を呉れる先生がいるだろうから、卒業できる」という動機から、余分に授業を受けるのです。
大学が学年制でなく単位制が主流な国は米国を初め多数あり、日本の大学もそうするべきだ、と私がある私立大学の先生に主張したところ、次のような答が返ってきました。
「学生の便宜を第一に考えるならば、その通りです。日本の大学が学年制を採用しているのは単に大学側の都合によります。単位制にすると学生数の増減が大きくなり、先生の採用計画が難しくなりますし、教室の数の問題もあります。理科系の実験室を考えて見て下さい。また、入学者定員の問題もあります。あれは昔と違って定員の何倍も取るなんてことは出来ません。一般に知られていないかも知れませんが、入学者定員の数は、落第生がいるとその分だけ減らさなくてはならないのです。そうなったら大学の経営が圧迫されるのは明らかでしょう」
私はその時初めて、どうしようもない学生でも大学を卒業できるのかが、理解できました。同時に日本の大学を変えるには単位制を採用する位ではとても無理で、「卒業証書を無くす」位のことをやらねばダメと感じたものでした。
後、1芸入学というのがあるように1芸卒業というのがあるといいですね。
大学公認のサークルで所定の成績を上げたことが認められれば卒業できるという制度です。
例えば○○大学文学部の学生が陸上競技部で日本代表選手になったら○○大学文学部卒ではなく○○大学陸上競技部卒として卒業できるようにするのです。
これは大問題ですね。
入学者定員の数は留年生の多寡にかかわらず一定にしなければいけませね。
単位登録申請のときこの単位を学ぶためにはこれだけはあらかじめ知っておいて欲しいという内容を出題したテストを行い篩いをかける必要があるかもしれませんね。
米国の大学では、一年、二年で単位取得が少ないまたは「秀・優」ではなく「良・可」が多いようであれば、退学勧告されるようですね。本人のために、早く違う道を薦める意味のようです。
日本でも、碁・将棋でプロになるには年齢制限がありますね。これも同じ意味だと思います。
小生の出身大学では、卒業までの期限は8年間です。実際に8年で退学になった人がいますが、経歴としては「○○大学中退」になります。特に親の悲しみが大きく、本人にとってはそれが耐えられないほどつらかったようです。
そういう人を身近に知っているので、この件については、論評できません。
長嶋茂雄氏は立教大学の何学部卒業か誰も気にとめないでしょう。
立教大学野球部卒業だったらみんな納得すると思います。
本来学生と大学の関係は契約でしょう。ちょうど日本棋院と棋士が「どれどれの成績を重ねれば9段の免状を与える」という契約で結ばれているように。
それがはっきりと認識されないのは、義務教育と称する非契約行為(国家の強制)に従事させられる9年間の影響でしょうが、この契約に対して単なる保証人の立場である親が、往々にして契約内容まで口を挟もうしているのが、大学を堕落させている源泉だというのが私の見方です。
18歳の若者が入学という初期契約時に判断を誤ることはおおいにありうるでしょうし、勉強したいと思って入っても気が変わることもあるでしょう。それなのにどの大学も中途退学者がそんなに多くない(平均すれば2割にも達しない)のは、親に言われ仕方なく在学している学生が多数を占めるせいではないでしょうか。
結婚でさえ親に内緒で出来るのに、大学の入学退学を親の意向で決める最近の若者の言動は私には理解し難いものがありますが、それに迎合している親と大学がどんどん増えているのではないかと最近感じています。
各種学校やカルチャーセンターの方が教育本来の姿勢としては大学より純粋な気がします。実質的な1芸入学1芸卒業を昔から実践していますよね。
私は病弱(当時体重38kg)でなかったら絶対に大学を卒業していないと思います。
家を飛び出て高校卒で電気工場に勤めていたと思います。
私は各種学校で5年ほど暖房理論を教えたことがあるのですが生徒が熱心なのに感歎しました。
また5年ほど職業訓練専門校のビル管理科でボイラーの授業をしたことがあるのですが定年退職後の新たな職業に就くための知識として必要に迫られて学ぶので真剣そのものでした。
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