2006年06月07日

小学校の授業時間に何でも質問時間を

 むかしラジオで「子ども何でも相談室」(番組名はうろ覚え)という番組があって好評を博していた。
 いまでもこの種の番組はあるだろうか。
 この番組が好評だったのは子どもに対する教育効果が非常に高かったことにあると思う。
 小学校の授業時間に「何でも質問時間」を設けたらどうだろう。
 その答えがその学年の知識レベルでは理解ができないようなことを質問されることは多々あろう。
 そんな場合でも「その質問は未だ早い」などと言ってはいけない。
 質問者の知識レベルに合わせて答えてあげるようにしたい。
 たとえば小1の生徒に「赤ちゃんはどうして生まれるの」と訊かれたら雌しべ雄しべなど難しそうな話をする必要はない。
 「お父さんとお母さんが愛し合って君を生みたかったからだよ」と答えればよい。
 生意気盛りの生徒は卑猥な言葉や乱暴な言葉を使うこともあろう。
 また質問者に「バカじゃない、そんなこともわかないのか」などと罵詈雑言を浴びせることもあろう。
 こんなときこそ教育のチャンスだ。
 その言動がなぜいけないのかクラス全体で討議し、美しい日本語を話すようにし向けるようにしたい。
 生徒自ら疑問に感じたことを解決して得た知識はカリキュラムの沿って教わったことよりも身に付くはずだ。
 先生は生徒に質問されたこと以外は教えてはいけない。
 先回りして教えると普通の授業と変わりなくなってしまう。
 先生にもわからないような質問が飛び出てくることがあるかもしれない。
 その場合は「おっ!すごいところに目をつけたね。」とほめる。
 「先生もわからないから次までに調べてくる。こういうことに詳しいお父さんやお母さんがいたら聞いてくれないかな」と生徒に投げかける。
 その問題の詳しい親がいる子は得意になって調べてくるだろう。
 二人以上の生徒が違う答えを持ってきたら「そうか!この問題はいろんな考え方があるんだね」と両方の生徒の親をたてる。
 生徒は親を尊敬するようになるだろう。
 どうみても親の答えが間違っている場合は「あれぇ?先生にはよくわからないから、お父さん(お母さん)にもっと詳しく聞いてきてくれないかな」と 結論を保留し後でその生徒の親と電話で意見交換する。
 このよう授業は教師の負担は増えるが教育効果が上がると思う。
 ホームルームの時間を増やし何でも質問時間に当てることはできなだろうか。
この記事へのコメント
初等教育において「何でも質問」を許すというのはきわめて、教師にとって厳しいのではないでしょうか。
私は、専門学校で簿記を教えた事があります。
簿記を教えるという事は、複式簿記というシステムを教える事なのです。しかし、その第一歩である、借方と貸方という概念に関して、質問されたら簿記の教師の95%はお手上げでしょうね。
今の中学・高校の勉強が大学受験に出る物しか教えないんおと同様に、簿記の勉強も簿記検定や税理士・会計士試験に出題される範囲しか、教師ですら勉強していないのです。
本当にわかっている人は教師でも実務家でも2-3%しかいないのです。

Posted by みんみん at 2006年06月07日 14:00

 何でも正確に答えることを求めたら苦しいと思います。
 生徒と一緒になって考える姿勢を見せる。
 答えを求めるヒントを与えるということでもいいのではないでしょうか。
 生徒が教わったことだけを覚えるのではなく疑問を見つけることに喜びを感じるようになったら長足の進歩を遂げると思うのです。
 幼児が覚えるのがなぜはやいかというと目に見えたもの手に触れたものすべて興味津々だったからだと思います。
 それを疑問に感じさせないように教育すると教わったことは覚えるが疑問をもつことがない優等生ができあがてしまうのではないかと思うのです。

Posted by 島谷 at 2006年06月07日 14:11

「何でも正確に答えることを求めたら苦しいと思います。
 生徒と一緒になって考える姿勢を見せる。」
島谷さんが言われた通り、なんでもわかる人間、
教師なんていません。だから「いや先生もようわからんのやけれど、また調べてくるわ」とか
「よい質問やなぁ、けれど検定試験とは、あんまり関係のない話なので休み時間に話しようか」
とか接したいものですね。
ただ残念な事に、受講生は、とにかく「受かりたい」という事しか考えず、簿記や税法・商法に限らずあらゆる社会システムが、なぜ生まれたのか、その存在する理由とか何か、を知ろうとはしません。それゆえに法律の専門家の資格を持った人間が多く、村上・ライブドア・カネボウなどの事件に関与するのだ・・と私は見ております。


Posted by みんみん at 2006年06月07日 16:22

 受験対策校の場合は生徒に実力をつけるより試験合格テクニックを教えることの方が大事だと思います。
 しかし義務教育の公立小学校では生徒の実力向上を目指すべきだと思います。
 実力はつかなくてもいいから一流大学に合格させたいと思う親は受験対策の私立小学校に入学させればいいと思っているのです。

Posted by 島谷 at 2006年06月07日 16:35

「ゆとり教育」の失敗の理由について、文部省OBの方が、日本の教育には「なぜ」という哲学的
な問いが欠けている。だから生徒の自主性を重んじると、放縦になってしまう、とか朝日新聞の記事を見た事があります。ヒマな方は検索してください。(笑)
その受験対策の名門校も考え方を改めて来ているのかな、という気がします。というのもネット社会になった事によって、「情報」を頭に詰め込んだだけの人間なんて、企業から見てコアの人材たり得ない事は明白です。情報を共有する事は簡単になったけど、問題意識を共有しなければ、組織は動かないのです。そこには「なぜ」を追求する
人間が必要になってくる。自主性を無視し、軍隊的なマネジメントを教育の現場へ持ち込む。
60年代、70年代の大学紛争に懲りた文部省が、小学校から大学までカリキュラムで縛った。
私が大学に入った81年には、まだ大学に混乱の爪痕が残っていました。どうも日本が漂流し始めた
のは、教育の方向が間違っていたからではないか。と私は思います。私は小・中・高を通じて
学習環境に恵まれませんでした。「何のために勉強ってするの」と思っていました。だから
一度、社会に出てから大学に入ったのです。


Posted by みんみん at 2006年06月07日 17:02

どうも日本が漂流し始めたのは、教育の方向が間違っていたからではないか。と私は思います。
 禿同
 ゆとり教育が失敗したのは授業時間を少なくしたからではなく教員の質を高めることができなかったからだと思っています。
 授業時間を少なくして教師がゆとりをもっただけなのでは学力低下するにきまってます。
 私は受験に必要な知識だけを詰め込む詰め込み教育ではなく受験には関係ないが知りたいと思った知識を詰め込むゆとり教育が学力を高める効果的な方法だと思っています。
 しかし生徒の学力を高めるゆとり教育は教師の負担が増えるので労働強化になると日教組が反対するでしょうねぇ。

Posted by 島谷 at 2006年06月07日 17:17

簿記会計の話を囲碁に置換しますと、定石手順を覚えても強くならない。その手順の必然性を理解しようと自分で考えてみる必要があります。
マル暗記の人ほどハメられやすい。
必然性を理解しようとする事の大切さ、を囲碁部の試合に出る事で私は教えられました。
また必勝法なんて無い、勝ちを拾うには辛抱が一番だ、とも教えられました。
ただ最近、ネット碁を打っても真剣に考える根気がありません。

Posted by みんみん at 2006年06月07日 21:19

禿同

Posted by 島谷 at 2006年06月08日 04:12

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