鬼が碁を打ったら相手が嫌がる手だけを打つのじゃないかなぁ。
神や仏には嫌がる手はないはずだから鬼が神や仏相手に碁を打ったら絶対に勝てないだろう。
しかし、人間が相手だったら鬼は神や仏より強いんじゃないかなぁ。
神や仏は常に最大価値の手を打つから価値の低い手を打つ人間に対してじわりじわりと追いついていくだろう。
これに対して鬼は相手が嫌がる手を打つから神ならぬ人間は狼狽してうーーーーんと価値の低い手を打ち、あっというまに追いつかれてしまうのではなかろうか。
神や仏に6子置いたらいい勝負できる人間でも鬼には9子置いても勝てないのでないかと思う。
運の伴わないゲームは双方最善を尽くせば現在の形勢が変わることはない。
不利だと思っていた形勢が優勢になるのは自分がいい手を打ったからではなく相手が悪い手を打ったからだ。
最大価値の手を打つことは形勢を好転させるのではなく現在の形勢を維持することにしかすぎない。
だから形勢不利の立場としては最大価値の手を打った場合ゴールまでの道が平坦で相手に逃げ切られそうな場合は、それより価値が低くても山あり谷ありの険しい道に導く手があったらその方が勝機が得られるだろう。
勝負手とは、最大価値ではなく険しい道に導く手のことだと思う。
形勢有利な立場だったら最大価値の手を打つとゴールまでの道が険しいが、それより価値が低いがゴールまでの道が平坦な手があったらその手を選ぶのが試合巧者だろう。
これが店仕舞いと言われる手なのだろう。
敗勢ならば勝負手、勝勢ならば店仕舞い、これができれば勝率はぐんとあがるに違いない。
拙者は、まったくこの逆だから連敗街道を驀進するのだ。
神からみて→ 最大価値の手=相手の負けにつながる手=相手の嫌がる手 ←鬼からみて
ではないのだろうか?
相手の負けにつながらない最大価値の手というものが存在する?
相手が負けるのは最大価値でない手を連発して負けるわけです。
勝負手とは最大価値の手ではなく相手が価値の低い手を打つ可能性が高い手のことだと思います。
手合い違いかコミが正しくないという場合ですね
----修正----
相手の負けにつながる手(手合い違い等の場合において差がもっとも縮まる手を含む)
----修正ここまで----
>勝負手とは最大価値の手ではなく相手が価値の低い手を打つ可能性が高い手のことだと思います。
ということは、相手は小さい手を打っているわけですから自分は最大価値の手を打てば(前提は、引用開始-->神や仏が碁を打ったら常に最大価値の手だけを打つに違いない。<--引用終了。だったと思います)
>相手が負けるのは最大価値でない手を連発して負けるわけです。
という結果のような^^;
1万円のものがあるのに5000円のものを取る。
相手は幻惑されて2000円のものを取る。⇒差は3000円詰まる。(1万円のものを取られたら差は5000円広がります。)
こんなことってありませんか?
こっちが大きいし誰が打ってもこっちだろう
しかし、その前にここ打ってみたい
てな具合で負けにします。そうなると、歯止めがききませぬ。(涙
>神や仏が碁を打ったら常に最大価値の手だけを打つに違いない。
この場合
>前提が崩れます。
私の場合は、常に最大価値の70%前後を打つように心がけてます。最低でも悪手は打たない事を目指してます。
反動が怖い^^;
取りこぼしはないでしょうね。
拙者のバヤイは最大価値もヘチマもなく、打ちたいなあと思ったところに打っているので出来不出来の差が超激しいのでござった。
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