2006年04月02日

現実論はお役人的言説か

「累計加秒制が普及していないから、切れ負け制は必要」という、ただ現状を追認しただけの主張に一体何の意味があるでしょうか。

やる気や能力が欠けている場合、「・・・だから仕方がない」というフレーズで締めくくれば、万事解決します。でも、こういうお役人的言説を島谷さんから聞くことになるとは思いませんでしたね。
 どんな理想論でも実現可能でなければ意味がないと思います。
 現実に即した発言をお役人的ときめつけられると現実を無視した理想論は小児的言説と言い返したくなります。
 私は対局時計が採用されるようになったことさえ大進歩だと思っています。
 数十年前は対局時計が普及していなかったので多くの大会は所定時間になるとまだ対局が終わりそうもないところに役員がとんでいって両者同時に秒読みをしたものです。
 この制度は長考派にとってはすごく有利だったですね。
 市民大会で札付きの長考派の人は対局開始のときから紙と鉛筆を持った係員がついて着手時間をメモしていたものです。(主催者としてはその人に参加して貰いたくないのでしょうが税金を使っている大会ですから納税者の参加を拒否できないのです。)
 対局時計が出回るようになっても予算の関係で必要数調達できず、札付きの長考派の対局や有段者の対局だけに対局時計を使うとか準決勝以降に対局時計をつかうなどの措置を講じていました。

 累計加秒対応の対局時計が普及したとして、いままでの対局時計を破棄して全部累計加秒対応対局時計に入れ替えろというのは現実離れしていませんか。
 その費用は誰が負担するのでしょう。
 私が囲碁大会主催者だとすれば累計加秒対応時計は徐々に買い足していきますが既存の対局時計を破棄するようなことはしません。
 累計加秒対応時計と普通の対局時計を併用するとなるとあちらの対局は累計加秒こちらの対局は切れ負けでは不公平ですから一律切れ負け制にします。
 そして準々決勝、準決勝、決勝などのように対局数が少なくなり累計加秒時計の数が足りるようになったところで累計加秒制で対局して貰います。
 これはお役人的対処でしょうか。
 私は現実に即した臨機応変な対処だと思います。
 累計加秒制の評判が高まり、この時計を導入する要望が増えれば予算も取りやすくなり累計加秒制が普及していくのではないかと思います。

 それまでは対局を所定時間内に必ず終わらせるためには切れ負け制は絶対に必要だと思います。
 現実に即した対処はお役人的な対処ではないと思います。
 お役人的対処は広い2車線道路を40km/h制限にするなどむしろ現実に即さないものの方が多いのではないでしょうか。


この記事へのコメント
> 私が囲碁大会主催者だとすれば累計加秒対応時計は徐々に買い足していきますが既存の対局時計を破棄するようなことはしません。.....これはお役人的対処でしょうか。

偉大な現実主義者だと思います。^^

水を差すようで恐縮ですが.今仮に全ての時計が累計加秒対応とします。(普通の秒読みや切れ負け制も対応) そしてそのPRもしたとします。それで主催者たちが果たして累計加秒制を採用するかの問題がある気がします。我が感ですが、主催者たちは依然として秒読み制を採用するのではないかと^^。(推測ですので、こればかりはアンケートを取らないと何とも言えませんね)

Posted by 棋譜大好き at 2006年04月02日 17:44

理想論と現実論は「車の両輪」です。
島谷さんの「切れ負け擁護論」から続く一連の流れは明らかに、現実的妥協に終始する片輪走行だと思います。私はそのことを指して「お役人的言説」と言っているわけです。最初から妥協していて物事が前進するはずがありません。

私は「全対局を累計加秒制にせよ」という理想(というより空想)を主張しているのではなく、子ども囲碁名人戦・決勝のように「特別な対局だったら秒読みにできるはず」という極めて現実的なことを言っているつもりです。

そして準々決勝、準決勝、決勝などのように対局数が少なくなり累計加秒時計の数が足りるようになったところで累計加秒制で対局して貰います。


私も同意見です。理想論も現実論も島谷さんと私は全く同じだと思います。
にも関わらず議論になっているのは主張の優先順位が正反対だからです。

1. 切れ負け制を採用せざるをえない現実
2. 累計加秒時計を採用したいという理想

1. を声高に言う意味が私には分からないんです。スケジュールがきつかったり、切れ負け時計しかなかったりすれば、わざわざ言わなくても誰だって切れ負け制が必要なことぐらい分かります。思考停止した人はみんな言いますよ「切れ負け制は必要だ」って。

しかし、この問題に関しては現実を受け入れる前に考えることがいろいろあるはずです。

関連
清濁併呑 http://hw.bbzone.net/voice2/view/1099

(清濁=理想/現実)


Posted by hidew at 2006年04月02日 18:23

横からごめんなさい。

>思考停止した人はみんな言いますよ「切れ負け制は必要だ」って。

こういう書き方が議論の続いていく原因ではないでしょうか^^;

別に思考停止していなくてもいろいろな考えを持っていてもそうしているんだと思います。そうせざるを得ないのかもしれません。理由は様々でしょう、一言で「始皇帝氏」というのはいささか・・・(汗



Posted by とんぼ at 2006年04月02日 21:13

こういう書き方が議論の続いていく原因ではないでしょうか^^;


そうですけど、議論が続いたら何か具合の悪いことでもあるんでしょうか?

1. 思考停止した人はみんな「切れ負け制は必要だ」って言う。
2. 「切れ負け制は必要だ」って言う人はみんな思考停止している。

1. 2. は全然違います。


Posted by hidew at 2006年04月03日 00:49

余談ですが、ふと思い出しました。

Q. 契約文書に「甲及び乙が共に○○したときは〜」と書いてあるのに対して、その反対の法律効果を得たい場合。正しいのはどちら?

A1. 甲・乙のうち1人でも○○しなければ〜
A2. 甲・乙ともに○○しなければ〜

答えはこちら
http://www.atmarkit.co.jp/fsecurity/column/ozaki/29.html


Posted by hidew at 2006年04月03日 00:58

あはは、理論的なhidewさんですから当然そういわれると思ってました^^;

議論の相手を始皇帝氏と思っていないならこの言葉を持ち出すのは不適切かなと思っただけです、例えもおかしい、一連の文章は契約書ではありません、当然そうなる結果のものを例に持ち出されてもこまります。有段者には当然の一手でも初中級者には見えないものです。

議論は続けてもらって結構です止める権利もありませんが、既に島谷さんとの違いを突きとめられているのに続ける意味がわからなかっただけです。違う碁盤で戦っているのにかみ合わないですよね。

単純な疑問からです、ごめんなさいです。ぺこり

Posted by とんぼ at 2006年04月03日 02:52

法廷でよく問題となるのは、契約文書に「甲及び乙が共に○○したときは〜」と書いてあるのに対して、その反対の法律効果を得たい場合である。理系頭脳のある方なら「甲又や乙の一人でも○○しなければ」反対の効果が得られるはず、とすぐ分かるだろう。しかし、法曹の多くは、「甲・乙ともに○○しない場合」としてしまうのだ。先ほどの式でいうと右辺を(not A)and(not B)にしてしまう。
 法令用語の定義が日本工業規格(JIS)に規定されています。
 法曹関連の人が後者の解釈をするのが不思議ですね。
 「〜はみんないいますよ」は議論のアンチパターンではなかったのでしょうか。

Posted by 島谷 at 2006年04月03日 04:37

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