この切れ負け制は非合理であると批判の声が高い。
しかし私はこの切れ負け制が大好きである。
1局を90分で終了させなければならないという条件を前提としよう。
切れ負け制なら持ち時間45分の設定ですむ。
私的には持ち時間45分なら多すぎるくらいで時間切れになるのが不思議なくらいだ。
10秒の秒読みを採用したらどうなるか。
1局を250手とすれば秒読みだけで約42分(250×10/60)費やす。
したがって90分で終わらすためには24分(90-42/2)の持ち時間にしなければならない。
20秒の秒読みなら持ち時間3分にしなければならない。
持ち時間3分で20秒の秒読みなど碁を打った気分にならないだろう。
持ち時間25分秒読み10秒でも拙者はご免蒙りたい。
持ち時間25分切れ負けなら打つ気はするが秒読みがつくと必ず相手が秒読みになり秒読みの声を聞くと頭が囲碁モードから時計モードになってしまう拙者はこの時点で4子くらい弱くなってしまう。
だからネット碁のときは秒読みが聞こえないようにサウンドをオフにしている。(このため時間切れ負けになったことも少なくない。)
しかし生碁だと耳栓でもしないかぎり秒読みの声が聞こえてしまうし、耳栓をして碁を打つ気にはならない。
だから拙者は秒読みがある生碁は打ちたくない。
こんな考えの人は他にもいないのだろうか。
あと、相手が一手10秒で打たなくてはならないような時、例えば、シチョウで取られている石をどんどん逃げれば、最後に相手が取った石を盤上から取り除いている間に切れ負けします。
考えすぎでしょうかね。
これらの前提がそもそもおかしいという話はありますね。
例えるなら「寿命を一律に80歳以下として年金の制度設計をしているようなもの」です。
「秒読み方式」にいろいろ問題があるのは分かりますが、「切れ負け制」が最善ということも言えないはずです。理屈の上では「秒読み方式」より優れた方法もあります(以前の議論で出ていたのでご存知かと思います)
島谷さんの場合は早見え・早打ちで「切れ負け制」のグレーゾーンに入る前に打ち切ってしまうから、
本当の問題を認識されていないようにも感じます。
1. 持ち時間20分
2. 20秒の秒読み
の比較ではなく
1. 持ち時間4分
2. 4秒の秒読み
のような極端な条件で比較してみたらどうでしょうか?
切れ負け(1)の方は「囲碁的に決着しない」可能性が高いと思います。囲碁的に決着しない「別のゲーム」を楽しみたいのならばそれも一興ですけど(^^;
私は切れ負け制を最善とは言っていません。
私は秒読みが大嫌いなので秒読みよりは切れ負け制の方が好きと私の好みを主張しているのです。
私がKGSで対局設定するときは持ち時間45分のサドンデスにしています。
私が最善だと思っている持ち時間システムは昔Yahooで採用していた累進加秒制ですが、なぜかYahooでこの方式を廃止してしまいました。
累計加秒制に対応した手合い時計が普及して囲碁大会に累計加秒制が採用されるようになるといいなぁと思っています。
私がアクセスする時間帯のKGSではこのような楽しみ方をする人が少なくないのでビックリです。
相手の長考にイライラして短めの時間設定をする私でも対局を避けています。
私は碁に限らず残り時間が切迫するとパニックになってしまいとんでもないミスを重ねる持病があります。
私が待ち合わせの10〜20分前には着くようにしているのはギリギリだとパニックになって道を間違えたりするからです。
秒読みなどされたら碁を打っている気分になれません。(相手が秒読みされても同様です。)
切れ負けでも残り時間10分を切ったらオロオロしてしまいます。
だから45分持ちの場合は15分以上残して終局しています。
囲碁大会は1日に4局ほど消化しなければないのが普通だと思います。
朝10時スタートで夕方17時終了とすると昼食休憩を含めると1局1時間半で終わらせなければいけませんね。
大会運営者の立場としては切れ負け制だと45分にすれば絶対に1時間半を超えることがないから運営が楽でしょう。
秒読みだと1局250手と仮定して設定しても劫争いなどで300手近い熱戦を展開されると時間が超過して次の対局に影響してしまいます。
関東大学囲碁リーグ戦では30秒の秒読みがあるので昼休みも打ち続け、午後の対局時間になっても終局しないで連盟幹事が困っていたこともあります。
選手は対局が終わると食事を取る時間もなく次の対局をすぐに打たねばならず気の毒でした。
次の対局は遅刻扱いにされたかどうか覚えていません。
その選手の相手チームとすれば対局開始時間になってもその選手が来ないで待たされているのですから対局時計を押していたいところでしょうね。
秒読みなしという事ならば、時間コミ制等が一つの手かも。
気のあった友人との生碁なら時計なしでもだいたいこのペースになります。
大会とかネット碁とかは時計無しだと長考派の人とぶつかったら胃に穴があきそうになってしまうし、秒読みはパニックになるし、、、私は勝負が大事な対局には向いていない人なのでした。
それでも時間に追われているような強迫観念に囚われそうです。
私は救いようがありませんね。
持ち時間にも色々な方式があるんですね。
しかし、ネット碁と違い、対局者の顔が見える大会でも、手のない所に延々と打って相手を時間切れ負けにする人がいるというのは驚きました。
そういう人は、終盤このまま終局すると勝てないと分かった時点で時間切れ勝ちねらいに転向するのでしょうかね。序盤から時間切れ勝ちをめざすのでしょうかね〜。
その場合、盤面が全て1目の着手禁止点になるまで打ち続ける人がいるとも思えませんが、
仮にいたとすると、その状態になるまで打ち続けると何分位かかるのかな〜とか、色々、不毛なことを考えてしまいました。
全国大会でかなり上の方でも時間切れ勝ちを狙う人がいますから。
相手の残り時間が1分を切ったら10数手打てば時間切れに追い込めるでしょう。
私は、そのような人とは打ちたくありませんが、自分が時間に余裕をもたせなかった否を棚に上げて時間切れ勝ちを狙う人を責めるのは間違っていると思っています。
相手だって時間を消費するのですから相手より残り時間が多ければ時間切れ狙いができないはずです。
「静かに、急かされずに、適当な長さで一局」という島谷ペースは碁の本来の姿であり、ひとつの理想図だと思います。私は思わず切れ負け制擁護に一票。^^
余談ですが、殆どの問題には二つの解決法があると言われます。
1、[他人を変える]
ハリーポッターの如く、碁打つ人を全部集めて魔法を掛けるのです^^。すると「島谷ペース」がインプットされ、皆が早打ちになって、45分切れ負け制が支持され、やがて正規ルールになるのです。もっとも「遅見え・早打ち」の碁客が量産され、碁が百倍面白くなるという副作用があります。
2、[自分を変える]
ラジオ体操をする時は、音楽やカウント声が無いと不自然ですが、「碁はラジオ体操だ」と思い込むのです^^。すると、賑やかながらも1、2、、、8の時に石が自然に盤に下ろされるリズムになります。その時是非避けたいのは1手先しか読めないのに5手先を読もうとする事です。^^
それができるならまっさきにワイフをマイペースに変えたいです。w(゜o゜)w
碁はラジオ体操、いいですねぇ。( ゜゜)( 。。)( ゜゜)( 。。)
だけど、おっちょこちょいな私は屈伸運動をして碁盤をひっくり返しそうです。┓(´_`)┏
極端なパラメータを設定して、どのような不具合が起こり得るかというシミュレーションですから、理由は必要ありません。
「きれいな手」「意味のある手」だけを前提に碁を考えるのは強い人の悪弊です。弱い人のクソ粘りなんて、強い人から見れば「ナンセンス」「時間の無駄」ですけど、それが碁というものです。それを許容しないなら人間は碁を打てなくなります(^^;
時間が切迫した時だけ「無意味な手が続くのはダメ」というのは御都合主義です。「切れ負け制の碁」を肯定するなら、「いかに相手の時間を浪費させるか/自分は早く打つ」という視点で捉えて、脱法的な時間攻めも全て受け切る覚悟が必要でしょう。
「切れ負け制」を肯定する人に限って「切れ負け制」の最適戦略を何も考えていないように見えます。
碁は「会話」のようであり、「芸術」のようでもありますが、「戦争」の一種でもあるんです。日本人はノーテンキすぎると思います。
私はこの部分がひっかかります。
ルール通りの(脱法)行為は非難すべきではないと言いつつも、やはり非難してますよね(^^;
嫌いだと言っているだけです。
「私は人参は食べたくありませんが人参は栄養があります。」という発言には矛盾があるでしょうか。
私はプロではありませんから打ちたくなければ打たないですむのです。
時計なしである時間になると両者同時に秒読みなどの大会ルールは大嫌いですからそのような碁会には参加しません。
相手より残り時間が少なくならないようにすればいいだけのことだと思います。
持ち時間10分の切れ負けなら大問題だと思いますが、持ち時間45分で切れ負けするのは時間配分が問題だと思います。
なお、時計に仕掛けがあって相手の時計は進まないというのなら話は別です。
理路整然に論じられたが、最後の一句は可笑しい発言ではないだろうか。どこの国の(アマ)碁会でも、普通の試合時計(秒読み無し)しかない時は切れ負け制で行われ、まれに問題が起こる時は会の審判の出番になるが、殆どの場合は参加者たちがちゃんと"碁"を打って、会が円満に終了するよ。
「子ども囲碁名人戦・決勝は『切れ負け』で打たれるべきか?」というような第三者の具体的な事例を先に出しておけばよかったです。
村社会で仲良く碁を打つのならば、対局時計すら不要ではありませんか。夫婦や友人の間にルールなど必要ないでしょう。では、なぜ一般の大会で(時間)ルールが必要なのかを考えてみてください。
「表面的にうまくいっているから良い」という発想がそもそもおかしいのです。姉歯物件も、志賀原発も「とりあえず問題が顕在化しなければいい」という安易な考え方から問題が大きくなりました。
#なお「切れ負け制が円満に運営されている」という点も私は疑問に思います。
切れ負け制が「欠陥ルール」または「ルールにあらず」というお考えのようですが、私はそれが何かの思い込みで同意できません。切れ負け制自体は立派なルールで、「内面的も表面的」も欠陥は無いです。他のルールもそうですが、もし問題が起こった時は必ず審判の裁定に従うという附則が付いているので、すべての問題は解決されるはずです。
ただし、「参加者の観点」から見た場合、「切れ負け制」より「秒読み制」を選びたい、という事なら仰る通りで異論はありません。
よく最後なかなか終局しない悪質な人を例に上げるが、そういうのは"碁"ではない!という共同通念があり、審判の一喝で終わります。
仮に「秒読み式」でも、終局せずに延々と自分の地を埋める御仁にはどうしますか、まさか延々とお付き合いしませんよね。審判を呼んで来ますよね。
ルールにはそれぞれ長所と短所があり、「ルールの好き嫌い」と「ルールの良し悪し」を混同して議論しているように思えてなりません。
幸か不幸か碁会が他の競技会に比べてマイナーなのでそういう輩が碁会に現れていないようですが、もしもメジャーな競技会になったら必ずそのようなトラブルメーカーが出現するのでないかと危惧します。
ところで切れ負け制で時間切れを狙う人を非難する人は時間切れを狙う人の時計も動いているということを忘れているように思われてなりません。
かつて私は時間切れ負けを狙った人の方が先に時間が切れてしまったという対局を見たことがあります。
みんなザマーミロと大笑いでした。
そのような心配は無いように思います。今まで世界中の碁会がどれ程行われたか、解決できなかったトラブルを聞いた事がありません。碁に限らず、野球、サッカー等の殆どの競技もそのような品の無いレベルの心配をし出したら何でも危ないでしょう。
> ところで切れ負け制で時間切れを狙う人を非難する人は時間切れを狙う人の時計も動いているということを忘れているように思われてなりません。
御意。
切れ負け制は島谷さんの仰ったようにその5分前に打ち終えるつもりで打つのが良さそうですね。時間が緊迫して来たら、もう何でも起こり得るので、険しい事になるのは当事者の覚悟の上だと思います。
「60歳の時点で20年分の年金を支給します。寿命は80歳で終わるようにしなさい。」
この制度の非を言うことは「好き嫌い」の問題ですか?
「碁の持ち時間」も本質的に同じ問題ですよ。
「しょせん遊びだから」といい加減に考えるのではなく、「生きるか死ぬかの真剣勝負」と考えれば「切れ負け制」が間違っていることはお分かりいただけると思います。
私は「寿命は200歳を超えることはないでしょう」と制度を設定しているのです。
これも例えに使う数値の変な設定例です。
2.の4秒の秒読みで60手打ったら4分になります。
切れ負け4分を設定するということは8分以内に終局させる必要があるからです。
それを秒読み4秒に設定するということは碁は120手で終わるようにしなさいというものでしょう。
1.と2.を比較するならせめて
1.持ち時間10分
2.秒読み4秒
でどちらが碁らしいかを比較するべきでしょう。
これなら私は迷うことなく1.を選択します。
> 例えば次のようなルールがあったとします。
「60歳の時点で20年分の年金を支給します。寿命は80歳で終わるようにしなさい。」この制度の非を言うことは「好き嫌い」の問題ですか?「碁の持ち時間」も本質的に同じ問題ですよ。
上記の仮定は確かに本質的な問題です。しかし切れ負け制はそんな感じではないように感じます。持ち時間は途中からではなく、最初から分かっているのですから。
例え話ならば、「45才までに、稼いだお金の多さで勝負する」というような感じではないでしょうか。勿論45才以降にバンバン稼ぐかも知れないし、それだけで金稼ぎの才能を比べるには難点があるが、しかしそういうルールですから、それはをそれで立派な勝負だと思います。
>「しょせん遊びだから」といい加減に考えるのではなく、「生きるか死ぬかの真剣勝負」と考えれば「切れ負け制」が間違っていることはお分かりいただけると思います。
うん、碁は「戦争」、「生きるか死ぬかの真剣勝負」という表現を用いられていますが、何か思い詰めた雰囲気がありますね。(^^;
実際碁は「競技」、「スポーツ」の表現が普通ではないでしょうか。「切れ負け制」はプロの試合にも用いられた事がありますし、一つの競技形式と言えると思います。しかし「秒読み制」がより優れていると認められ、今主に使われています。
hidewさんの例は、むしろ秒読み制の欠陥を言っているような気がします。
つまり、考慮時間10分を超えたら年金として1手ごとに30秒支給します。終局までの手数(寿命)は200手までにしなさい。
hidewさん流の言い方をすると好き嫌いの問題ではなくシステムの本質的な問題ですよということになります。
後半の部分はともかく、前半については全くその通りだと思います。「会話」を楽しめるからボード碁が大好きですし、布石というのは真っ白なキャンバスに描くようなものだから、いつもワクワクしますし、戦いだからこそ、冷静な形勢判断・読み・決断などが必要な中盤の戦いでは手に汗にぎります。
>島谷さんは「情」の部分、私は「理」の部分を言うので、話が最初から噛み合っていないと思いました。
これには、賛成いたしかねます。島谷さんの記事を拝見しているのですが、非常に合理的ですし、いつも善悪と好き嫌いを区別されています。
そうではなく、条件が違うだけと思います。
ちなみに「理」という言葉だけでも、数学でいうところの「理=論理のうちの演繹」と、数学以外の自然科学でいうところの「理=論理のうちの帰納」と、社会科学でいったり人間や生物がもっている力の「理=合理的」などがあります。
島谷さんにとっては「理=合理性」であり、いつも合理的な意見を書かれていますが、hidewさんのおっしゃる「理」はどういうものでしょうか?
>「しょせん遊びだから」といい加減に考えるのではなく、「生きるか死ぬかの真剣勝負」・・・
小生は「遊び」だからこそ、碁が大好きなんです。真剣勝負だったら、とてもやってられません。プロは生活がかかっているから大変ですが、それでも命まではかかっていないから、まだできるのだと思います。「ゲーム」「遊び」というのは、人間が高等であることの証だと思っています。
hidewさんは、若い方なのかなあ?
秒読みだったら、寿命(手数)のことは考えなくてもいいと思いますが・・・
の後半部分は、ルールで決めるという意味ではありません。「80歳という寿命を前提に年金が設計されたら、120歳まで長生きする人が困ってしまう」という意味です。
たしかに寿命120歳というような設定ならば、渡し切りの年金(60歳の時点で60年分のお金を渡す)でも困る人はいません。ただし、そんなお金の余裕はありません。
--
島谷さんの記事は
で始まり、
で終わっています。
つまり、島谷さんご自身が「これは理(合理性)ではなく情(好き嫌い)の話」だと言うことを宣言されています。
「情と理」の大きな違いは反証可能性の有無だと思いますが、それほど深い意味で使っていません。「切れ負け制が好きか/嫌いか」という話は本来は議論のお題にならないということです。
「碁は真剣勝負か/単なるお遊びか」というお題も議論にはなりません。
全く、その通りですね。ただ島谷さんは「ご自身にとって合理的」とおっしゃっているだけで、「他の人にとって合理的」とは一言もおっしゃっていませんね。だから、島谷さんのおっしゃっていることは間違っていないのです。
自然科学の「演繹」と「帰納」は、客観ですから反証する場合も明確ですが、人間社会のことは、主観の集まりでしかないですから。
>「情と理」の大きな違いは反証可能性・・・
これは違うと思いますが、説明すると長くなるのでやめておきます。とんぼさんもおっしゃっていますが、(議論することで何かを得ることができるような)建設的な話にならないようですので、もうやめときます。
そうですよ。私は最初から「好き嫌いの話」にツッコミを入れても噛み合わないことは承知の上で書いております。「切れ負け制」のグレーゾーン(時間攻めを是とするか非とするかによって残すべき考慮時間が大きく異なる問題)について島谷さんの見解を聞こうと思っただけです。島谷さんは「脱法を道徳的に非難するなかれ」が持論ですが、そういう方が時間攻めに対して「非難もせず」「ルール整備もしない」とは一体どういうことか? そういう興味です。
「やっぱり噛み合わなかった」という所で「情と理」の言葉を出したら、揚げ足を取られて脱線したんです。「情と理」の言葉遣いが気に入らなければ、いくらでも訂正します。「理性と感性」「主観と客観」に言い換えればよろしいでしょうか。言葉遣いは本質的な問題ではないんです。
まるで「相手が非建設的な態度だから」と言わんばかりですが、そもそも「理由も説明できないのに、ただ否定する」「最後に捨て台詞を残す」というのが建設的な話を目指す人のとるべき行動なんでしょうか。
乱暴な結論だけ言い放って根拠を示さないのは、永田議員みたいですね。
議論のアンチパターン『言い逃げ』『最後は私』
http://www.shos.info/develop/oo/dscsnptn.html
私は、時間攻めを非難するつもりはありません。
私は、時間攻めを非難する人を非難したいです。
私にとって碁は遊びですから時間攻めをしても楽しくないからしないだけで1局10万円賭けての対局なら時間攻めも辞さないでしょう。
時間攻めをする人の時計が止めっていて時間攻めされている人の時計だけが動いているわけではありません。
時間攻めをする人の時計も動いているのですから手数を引き延ばせば時間攻めをする人の残り時間も減っていくのです。
それでも時間攻めをされている人の時計が先に落ちるのは自分の時間管理が悪かったつけが回ったに過ぎません。
私は、自己管理の悪さを棚に上げて他人を責める方が卑怯に感じます。
終局しなければならない時間が定められているときシンプル・イズ・ザ・ベストで設定できるのは切れ負け制でしょう。
秒読み制でも過去の最長手数でも終局時間が超過しないように設定することはできるでしょうが秒読みが短すぎると思います。
例えば対局時間を90分に制限したい場合、切れ負け制なら持ち時間45分ですみます。
秒読み制だと1局の手数を何手として設定するかの問題があります。
過去最長手数記録の411手とすれば持ち時間なしの秒読み13秒ということになります。
切れ負けで持ち時間45分と初手から秒読み13秒とどちらが喜ばれるでしょうか。
プロなら後者の方を選ぶだろうと棋譜大好きさんは言われていましたがアマの場合どうなんでしょう。
給料に例えると1ヶ月10万円支給されて不足してもそれはあなたの責任だよというのと、1万円渡して不足したら1日に最大3千円以内の補助をするというのとどちらがいいでしょう。
そもそも持ち時間を決めるということは対局時間を制限するのが目的でしょう。
所定の対局時間に収めるためには寿命(手数)を想定しなければ秒読み時間を決めることができないはずです。
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