2006年03月20日

手割りの盲点

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   (1)      (2)    

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   (3)      (4)    
 手の善し悪しを判断するのに手割りを使うことが多いが手割りとして引用する図が適切でないため間違った判断に陥ることが少なくないように感じる。
 吾輩は同じ図でもつぎの手番が黒か白かで評価が変わると思っているが、それを無視して論じられていることが多いような気がする。
 たとえば図1マゲはノビと換わって白の断点を解消するお手伝いの悪手で図2コスミが形とされている。
 つまり図2を互角と仮定すれば図1は黒不利ということになる。
 ところが図3コスミはへぼコスミで図4マゲツケが弛まぬ手といわれる。
 つまり図3は図4より黒不利なわけだ。
 それはおかしい ちっ(怒った顔) 図4マゲツケは図2と同じ形になるから悪手である exclamation と主張する人が出てくる。
 たしかに形だけ見れば図1=図4、図2=図3なのに評価が図1<図2、図3<図4になるのはおかしかろう。
 吾輩は、これが手割りを論じるときの盲点だと思っている。
 図1と図2は次が黒番なのに対し、図3と図4は次が白番だ。
 吾輩は手割りで比較する図は、その図ができた状態でつぎの手番が黒か白かということが非常に大切だと思っている。
 しかし、それをないがしろにして実戦図と参考図とを並べて云々することが多いような気がするのは吾輩だけだろうか。


この記事へのコメント
上の例図は着手の形の比較ですが、周りの状況や次の手番次第で評価が違うのは仰る通りです。しかし「手割り」とは関係ないものと思います。図1の白2は当然ですが、図2の白2は必然性は無いと思います。

一般に「手割り」とは石の形や手順を整理し、次の手番に関係なくその結果を簡単に評価できるもと思われます。

Posted by 棋譜大好き at 2006年03月21日 01:24

一般に「手割り」とは石の形や手順を整理し、次の手番に関係なくその結果を簡単に評価できるもと思われます。
 棋譜大好きさん、ご教示ありがとうございます。
 私は血のめぐりがわるいので疑問が払拭し切れません。
 私の疑問を図示したかったので必然性に乏しい図を例に挙げてしまいました。
 私は、黒の手番で一段落した図が、すでに評価が定まっている白の手番で一段落した図と手割り的に同じ形に帰す場合、両図は等価であるという結論は間違っているのではないかという気がしてならないのです。

Posted by 島谷 at 2006年03月21日 03:12

なにやら難しそうな話ですね。ずんどこなりの感想。

手順が示されていなければ図1=図4、図2=図3なのにいい手と悪い手に評価が分かれるということですね。
おそらくワタスを含めたずんどこ組の大半はカタチが同じなのに評価が異なることを学習した瞬間は覚えているものの、実戦になると平気で悪手の方を選択します。見た目が同じだから仕方がないのでゴンス。

Posted by adv55 at 2006年03月21日 05:38

> 手割り的に同じ形に帰す場合、両図は等価であるという結論は間違っているのではないかという気がしてならないのです。

「手順の結果」の等価、と「手順中の着手の価値」の等価を混同されているように思います。「手割り」は「手順結果の評価」を扱います。「手順中の個々の着手価値の評価」には無関心です。

「図1」
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬
├┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼10┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼・┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
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├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼・┼┼┼┼┼・┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼

「図2」
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬
├┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼10┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼・┼┼
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├┼┼・┼┼┼┼┼・┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼


図1の黒12は好点です。
図2の黒12はそれほど急がない。
仰りたい事は、手割り的に同じ形に帰していも、「両図の中の着手(黒12)の価値」は等価とは限らない、という事ではないでしょうか。

Posted by 棋譜大好き at 2006年03月21日 06:15

> 図31コスミはへぼコスミで図41マゲツケが弛まぬ手といわれる。
これは本当ですか?
個人的にはこんなとこ曲げてく気はしないんですけど…

Posted by あさだ at 2006年03月21日 12:50

「手順の結果」の等価、と「手順中の着手の価値」の等価を混同されているように思います。「手割り」は「手順結果の評価」を扱います。「手順中の個々の着手価値の評価」には無関心です。
 目から鱗です。
 納得しました。
 棋譜大好きさん、ご教示どうもありがとうございました。
手順が示されていなければ図1=図4、図2=図3なのにいい手と悪い手に評価が分かれるということですね。
 私が手順中の着手の評価と手順結果の評価を混同しているところに間違いがあったようです。
 私は図1のと代わって悪手、図2のとなったとすればキカシ、従って黒の立場で評価すると図1>図2。図3のと図4のとを比較すれば図4のの方が働いているから黒の立場で評価すると図3<図4。従って形は同じでも図1と図4、図2と図3は評価が異なると思っていたのです。
個人的にはこんなとこ曲げてく気はしないんですけど…
 最善手として示したのではなく比較のためにあげた手です。

Posted by 島谷 at 2006年03月21日 15:32

いやコスミと比べてもということですけど。

Posted by あさだ at 2006年03月21日 15:59

 あさださんはコスミの方がいいというご意見なわけですね。
 そうかなぁ、、、、うーーーーん、、、、

Posted by 島谷 at 2006年03月21日 16:45

まあ、私の感覚なんかはあてになりませんが。

でもそこが議論の出発点なので、なにか本に載ってた例図のような出典があるのかと思いまして。

Posted by あさだ at 2006年03月21日 23:35

 例図の出し方が悪かったですね。
 黒A白Bなら黒Aが悪手で黒C白Bなら黒Cがキカシなのにすでに白Bがあるとき黒Cよりは黒Aがいいということが少なくないということを主張したかったのです。

Posted by 島谷 at 2006年03月22日 04:23

> 黒A白Bなら黒Aが悪手で黒C白Bなら黒Cがキカシなのにすでに白Bがあるとき黒Cよりは黒Aがいいということが少なくないということを主張したかったのです。

身近な例ではこんな感じかな。
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬
├┼┼AC┼┼┼┼┼┼
├┼B┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼・┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼・┼┼┼┼┼・┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼


最初の図3と図4の黒1はどちらが良いかはおそらく全局図が無いと判断しにくいし、例え全局図があっても、道策のような名手でなければ正しく判断できないと思います。^^
個々の着手の評価がムズですから、それらを考えずに最終結果を分かり易く評価できるようにするのが「手割り」の働きです。
時として「3良手+1悪手」の手順と「3悪手+1良手」の手順が同じ形になったり、後者の方が良い結果になったり、人生いろいろ碁もいろいろです。^^

Posted by 棋譜大好き at 2006年03月22日 10:26

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├┼┼┼┼┼┼┼┼├┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼├┼┼┼┼┼┼┼┼
   (1)      (2)    
                  
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┌┬┬┬┬┬┬┬┬
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├┼┼┼┼┼├┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼├┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼├┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼├┼┼┼┼┼┼┼┼
   (3)      (4)   
 >身近な例ではこんな感じかな。

 そうです、そうです。
 棋譜大好きさん、補足ありがとうございます。
 黒の立場から評価すると図1<図2、図3>図4になるわけです。
 しかし形だけ見れば図1=図3、図2=図4ですから黒の立場で図1より図2の方がいいのだから図4のマゲの方がいいと言われると私は「形は同じでも手順が違うと評価が違うのだ」と言って顰蹙を買うのでした。


Posted by 島谷 at 2006年03月22日 15:20

> 黒の立場から評価すると図1<図2、図3>図4になるわけです。
これは本当ですか?

Posted by あさだ at 2006年03月22日 16:05

 図1の交換はアジケシの悪手で図2と受けてくれるとするならばキカシですから黒の立場としては図2の方が図1より勝ることになりませんか。

Posted by 島谷 at 2006年03月22日 16:30

> 図1より図2の方がいいのだから図4の1マゲの方がいいと言われる

ハハハ、そういう方がおられましたか。これは時系列の混乱かと思います。図2の黒1の時は白2が未だ無いのですから、図2の黒1と図4の黒1は全くの別物です。両者を比べるのはそもそもの間違いですね。20才の青年と70才のシルバー紳士は同じ人でも、実際は何もかも違うですね。^^

Posted by 棋譜大好き at 2006年03月22日 16:50

>> 黒の立場から評価すると図1<図2、図3>図4になるわけです。
> これは本当ですか?

これは本当です。



Posted by 棋譜大好き at 2006年03月22日 16:56

図3>図4についてはどうですか?
またその理由を図1図2に適用しないのはなぜですか?


「同じ形ならば成立過程にかかわらず同じ評価」というのは囲碁がどうこうというよりも数学的事実です。これは疑いありません。
だから図1図2と図3図4の違いは、本質的には手順の差ではなく次の手番の違いです。手番によって判断が変わるというならば、それは一段落した形ではないということです。その時点では部分的な判断はできない。

もしくは(このケースはこちらですが)、
一見同じ形に見えて実は違う形なのだ、というケースです。
図3図4はヨセの手ですから、図の右側は空いているということはなく、形が決まっているはずです。
もし図1図2で同じように右方の形が決まっていたなら(そして図3>図4が正しいなら)黒は図1を選ぶべきな筈です。

逆に不自然な話ですが、もし、序盤の段階で右方が空いていて、図3図4のどちらかを打たなければならないとしたら、図4を選ぶべきな筈です。



Posted by あさだ at 2006年03月22日 22:28

> 図3>図4についてはどうですか?

ハハハ、あさださんは少しは碁を打つようですから、図4の黒1は碁の法に無い手ぐらいは分かるでしょう。^^

> またその理由を図1図2に適用しないのはなぜですか?

適用?図1・2と図3・4を比べるのが間違いだと言っていますが。

>「同じ形ならば成立過程にかかわらず同じ評価」というのは囲碁がどうこうというよりも数学的事実です。

禿同。
そしてその評価の結果が必要あらば、形や手順を整理して評価できるようにするのが「手割り」の働きだと言っています。このスレッドを前からご覧になれば、島谷さんが混同を認められていたのを知る事ができるのではないでしょうか。

今の島谷さんのメイン問題は↓です
> 黒の立場で図1より図2の方がいいのだから図4の1マゲの方がいいと言われると私は「形は同じでも手順が違うと評価が違うのだ」と言って顰蹙を買うのでした。

「図1より図2の方がいいのだから図4の1マゲの方がいい」と仰る方が居るだそうで、正直信じられないですが、まさかそれはあさださんではないでしょうね。

Posted by 棋譜大好き at 2006年03月23日 00:49

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├┼┼┼┼┼┼├┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼├┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼├┼┼┼┼┼┼┼┼
   (1)      (2)    
                  
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┌┬┬┬┬┬┬┬┬
├┼┼┼┼┼├┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼├┼┼┼┼
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├┼┼┼┼┼├┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼├┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼├┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼├┼┼┼┼┼┼┼┼
   (3)      (4)    
 >> 図3>図4についてはどうですか?
 >
 >ハハハ、あさださんは少しは碁を打つようですから、図4の黒1は碁の法に無い手ぐらいは分かるでしょう。^^

 あさださんは、私より2〜3子強い方です。

>「図1より図2の方がいいのだから図4の1マゲの方がいい」と仰る方が居るだそうで、正直信じられないですが、まさかそれはあさださんではないでしょうね。

 あさださんではありません。また、図も違いますが、そのような趣旨のことをいう人は多いですよ。
 しかも私より強い人に強弁されると私はグーの音も出なくなってしまうのです。もうやだ〜(悲しい顔)


Posted by 島谷 at 2006年03月23日 04:13

>>「図1より図2の方がいいのだから図4の1マゲの方がいい」と仰る方が居るだそうで、
> 図も違いますが、そのような趣旨のことをいう人は多いですよ。

そうでしたか、90へえーです。^^
「部分的同形」を「全局的同形」と勘違いされたでしょうね。白三三の石の有無で石数が違うのですから、2図の全局図でどう手順を変えても4図の全局図と同形にならないでしょう。因みに島谷さんの表現で数文字を追加すれば意味がより明白で、誤解を避けられるかと思います。
「形は同じでも手順が違うと評価が違うのだ」

「形は同じでも手順が違うと着手の評価が違う可能性があるのだ」

Posted by 棋譜大好き at 2006年03月23日 05:53

> 図4の黒1は碁の法に無い手ぐらいは分かるでしょう。

いえ、わかりません。
最初に出された図、つまり右方も下方もがらがらに空いている状態なら曲げを打つべきだと思います。飛びと比較したらの話ですけど。






Posted by あさだ at 2006年03月23日 09:16

「形は同じでも手順が違うと評価が違うのだ」

「形は同じでも手順が違うと着手の評価が違う可能性があるのだ」
 はーーい。
 棋譜大好きさん、フォローどうもありがとうございます。
 なお、次のようなことも言いたいのですがよいでしょうか。
┌┬┬┬┬┬┬
├┼┼┼┼┼┼
├┼
├┼
├┼
├┼┼┼┼
├┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼
 形は同じでも次の手番が違うと評価が違うのだ。
 次の手番:黒 ⇒ 黒良し
 次の手番:白 ⇒ 白良し


Posted by 島谷 at 2006年03月23日 13:48

手番によって判断が変わるというならば、それは一段落した形ではないということです。その時点では部分的な判断はできない。
 そうでしょうか。
 どの時点でも評価しないと着手の善悪の評価ができないと思います。
 例えば、現在の形は黒悪しだがその1手前の形は黒良しなら黒が悪手を打ったことになります。
最初に出された図、つまり右方も下方もがらがらに空いている状態なら曲げを打つべきだと思います。飛びと比較したらの話ですけど。
 ヨセオンチの私が発言すると説得力が超乏しいのですが図3・図4は隅にアジがないのでヨセだけの問題だと思います。
 となるとマゲとトビコミとではヨセの大きさが違うからマゲは損だと思います。

Posted by 島谷 at 2006年03月23日 15:10

>> 図4の黒1は碁の法に無い手ぐらいは分かるでしょう。
> いえ、わかりません。

これは失礼しました。
既に三三に白石がある場合、黒1に曲がって、丁度白に押さえられる形は良い感覚ではありませんが、でも別に何も感じなければ、それはそれで幸せです。

> 最初に出された図、つまり右方も下方もがらがらに空いている状態なら曲げを打つべきだと思います。飛びと比較したらの話ですけど。

部分図ですから、適当な直感で良いと思いますが、お考えが細かいですね。一番最初の島谷さんの押し付けとコスミの両図も適当に島谷さんの気持ちや言いたい事を察すれば良いと思いますが、何でもマメで細かいですね。人の意をもっと汲む事ができれば、碁も強くなられるように思いますが、ま、大きなお世話か。^^。ご幸運を祈ります。

Posted by 棋譜大好き at 2006年03月23日 21:21

> 次のようなことも言いたいのですがよいでしょうか。形は同じでも次の手番が違うと評価が違うのだ。

もちろん正論です。例図は手番の違いで、結果は天と地の差がありますね。^^

そう言えばこの前↓ような小雪崩の手順を見ました。有名な雪崩定石が完成され、めでたしめでたし。白12以下は島谷さんも打ちそうな手順ですね。^^

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├┼12┼┼┼┼┼
20┼┼・┼
11151618┼┼┼┼┼
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├┼┼19┼┼┼┼┼┼┼
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├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼・┼┼┼┼┼・┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼


Posted by 棋譜大好き at 2006年03月23日 21:40

 胸の支えが下りてすっきりしました。
 棋譜大好きさん、ご教示どうもありがとうございました。
そう言えばこの前↓ような小雪崩の手順を見ました。有名な雪崩定石が完成され、めでたしめでたし。白12以下は島谷さんも打ちそうな手順ですね。^^
 (/o\)

Posted by 島谷 at 2006年03月24日 04:28

島谷様
どこかで「手割は先手と後手で異なるのではないか」という議論をされていたのに対し、私のコメントを用意していたのですが、しばらくご無沙汰しているうちに肝心の議論のページがどこにあるか分からなくなってしまいました。仕方が無いので以下に投稿します。お手数ながら、正しい場所に移して頂けませんでしょうか。
*************

碁の強い御三方が議論されているのに口を挟むのは気が引けるのですが、島谷氏が提起された(1)(2)図と(3)(4)図の結論の間に整合性があるべき(あさだ氏の立場?)なのか、もともと比べるのが間違い(棋譜大好き氏の立場?)なのか、興味深い問題なので、私のレベル(島谷師より3子弱い)で、「味けし」とか「きかし」とか「右側の形が決まっているのか」などの高度な概念を捨て去り、自分なりに解釈し直して見ました。

仮定1:ある局面における次の1手の価値は、一意的に数量(何目の手であるか)で表すことが出来る。
仮定2:1手の価値が大きい方が良い手である。
(この2つの仮定の正当性については最後にもう一度考えることにして、とりあえずは、これを認めないと議論が先に進みません。)

碁盤上に黒石がi個白石がj個ある局面で、黒が(i+1)手目を(p,q)に打った石の価値をB(p,q;i+1,j)、白が(j+1)手目を(r,s)に打った石の価値をW(r,s;i,j+1)とします。今黒石がn個白石がm個ある盤面(全部または一部)に注目したとき、黒のn手の価値の総和BT(n)と白のm手の価値の総和WT(m)はいずれも局面の白黒の配置に依存するだけでなく、打たれた手順にも依存しています。ところが、両者の差D(n,m)=BT(n)-WT(m)は碁石の配置のみで決まり、手順には無関係です。このDの大きさ(厳密にはBT(n)/nとWT(m)/mの大小)や正負を論ずるのが手割論でしょう。
島谷氏の出された(1)図に当てはめると,黒が7個目の石を(5,2)に打ち、白が8個目の石を(3,3)に打って応じた局面ですから、
D1(7,8)=B1(5,2;7,7)-W1(3,3;7,8)+D1(6,7)....(a)
となります。同様に(2)図では
D2(7,8)=B2(6,2;7,7)-W2(3,3;7,8)+D2(6,7)....(b)
です。(3)(4)図では白はすでに8個打ってありますから、
D3(7,8)=B3(5,2;7,8)+D3(6,8)................(c)
D4(7,8)=B4(6,2;7,8)+D4(6,8)................(d)
となります。島谷・棋譜大好き両氏の主張「黒は(3)図の方が(4)図より良い」とは
B3(5,2;7,8)>B4(6,2;7,8)....................(e)
の意味だとすると、(c)(d)から必然的に
D3(7,8)>D4(7,8)............................(f)
が得られます。(D3(6,8)=D4(6,8)に注意)。つまり手割論から言っても、(3)図の方が黒が優れていることになります。(黒の2手を比べているので、黒と白の手割の優劣は論点ではないことに注意)。
これを基に(1)(2)図を考えると、D1(7,8)=D3(7,8), D2(7,8)=D4(7,8)から、
D1(7,8)>D2(7,8)............................(g)
が導かれます。しかし、だからと言って「黒は(1)図の手を打つべきだ」ということにはなりません。なぜならある手を選ぶ基準はDの大小ではなく、この場合で言えば、B1(5,2;7,7)とB2(6,2;7,7)の大小にあるからです。(3)(4)図の場合はたまたま2つの比較方法の結果が一致しましたが、(1)(2)図では必ずしも一致しません。W1(3,3;7,8)とW2(3,3;7,8)の大きさが同じでないからです。
島谷・棋譜大好き両氏が主張されている「黒は(2)図の曲がりの方が(1)図のとび込みより良い」は
B1(5,2;7,7)<B2(6,2;7,7) ..................(h)
ということになりますが、この不等式(h)は不等式(e)とは独立に成立します。
(別個の関数値を比較している。不等号の向きを逆にしても成立することに注意)。この意味で棋譜大好き氏の主張「比べるのが間違い」は正しいことになります。しかし、一方で(g)式に(a)(b)を代入すれば次式が得られます。(D1(6,7)=D2(6,7に注意)
B1((5,2;7,7)-W1(3,3;7,8)>B2(6,2;7,7)-W2(3,3;7,8).....(i)
つまり、(1)(2)図でそれぞれ黒の手とそれに対する白の受け手の大きさの差を考えると(1)図の方が大きいことになります。従って、「白が(3,3)に受けてくれることが分かっているのならば黒は(1)図を選んだほうが得」になります。この結論は(3)(4)図の比較で黒は(3)図の方が良いと仮定した時点で既に決まっている当たり前の結果に過ぎません。「(1)(2)図と(3)(4)図の間には整合性があるべきだ」というあさだ氏(や島谷氏の碁敵?)の主張はこのことを意味しているのだと思われます。もちろん(h)は次に打つ白の手がどこであっても成立する関係ですから、(i)の関係式とは矛盾しないわけで、棋譜大好き氏の主張と両立しています。

しかしながら、上の結論には何か釈然としない所が残ります。というのは島谷師は最初「1図の黒のとび込みは白の33と替わって味けしだが、2図の黒のまがりは白の33と替わればきかし」とコメントされたので、白の受け手まで考慮した師の判断が正しければ(i)式とは相反しているような気がするからです。

長々と議論しましたが、仮定1と仮定2のいずれか(あるいは両方)が正しくないのかも知れません。よく「この黒と白の交換がキカシになるかアジケシになるかは後の打ち方による」というプロの解説を聞きますが、キカシとはその局面で「価値が大きくて良い手」であるのに対しアジケシは同じ局面で「価値は大きいが悪い手」だとすると、上の議論の前提である仮定は明らかに不当になります。しかしこの仮定を認めないと極端に言えば「ある局面での1手の善悪はその碁を打ち終わるまで分からない」ことになって、そもそも手の大小(善悪)の議論が出来なくなってしまいます。
諸兄のご意見をお聞かせ下されば幸いです。

Posted by moto(島谷代理投稿) at 2006年04月07日 15:28

仮定1:ある局面における次の1手の価値は、一意的に数量(何目の手であるか)で表すことが出来る。
仮定2:1手の価値が大きい方が良い手である。
 この仮定は正しいと思います。
 ただし、それは盤全体ということで部分を切り出したのでは、ほかの部分の状態によって次の1手の価値が変わってくると思います。
 従って「ある局面での1手の善悪はその碁を打ち終わるまで分からない」ではなく「ある局部での1手の善悪は他の部分を見なければわからない」だと思います。

Posted by 島谷 at 2006年04月07日 15:53

わい、すごい本格的な論文ですね。敬服します。
論より証拠^^という事で、図(全局例)を以下に再掲します。
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├┼┼15┼┼┼┼┼┼┤
├┼16┼┼┼┼┼┼┤
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├┼┼┼┼1214┼┼┼┼┼┤
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├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼・┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘

(1)
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├┼┼┼┼1013┼┼┼┼┤
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├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
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├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘

(2)

┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
├┼┼1711┼┼┼┼┼┼┤
├┼16┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼・┼┼┤
├┼┼┼┼1213┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼1014┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼・┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼・┼┼┼┼┼・┼┤
├┼15┼┼┼┼┼18┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
(3)
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
├┼┼┼1711┼┼┼┼┼┼┤
├┼16┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼・┼┼┤
├┼┼┼┼1213┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼1014┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼・┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼・┼┼┼┼┼・┼┤
├┼15┼┼┼┼┼18┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
(4)
島谷さんのご主張は、黒から見た全局的評価は図1 < 図2、図3> 図4 です。今あらためて見て、依然違和感はありません。^^
なおこの評価は定石や一般則から得もので、「評価の証明は?」と言われますと一局打たねばならないので、一応置いときます。^^

両局面の左上隅の形は同じですので、その部分の手順が違ってもその部分のスコアは同じです。あさださんの仰りたい事はそれかと推測します。(自信なし)

しかし 図1 < 図2 "だから" 図3 < 図4 と
考え、黒17は図4の方が良いと主張する方が居るだそうですが、私はその"だから"が不思議です。^^ 両局面はタマタマ左上隅が同形になっただけで、全局的には全くの別物で、比べるのは間違いだと考えた次第です。

Posted by 棋譜大好き at 2006年04月08日 10:06

そうでしたか。「手割」という言葉は色んな意味があるようですね。私の「手割」の言葉のイメージはこのスレッドの先頭部分に書きました「石の形や手順を整理し、次の手番に関係なくその結果を簡単に評価できるもの」です。そもそもこのスレッドの議論は「手割」と関係ないように思います。^^

具体的には例えば良く知られる下図。前者は激しいチャンバラ^^の末、白34まで一段落。黒たくさん取られて白嬉しそう、、、さて、評価いかに、、、形を整理すれば、後者の形になります。黒石12個対白石12個。その優劣は一目瞭然、白一手以上の損な分かれと思われます。(ここから更に手順を想像して、黒の優位をはっきりさせる事も手割りの一部分ですが、省略^^) 以上、私の手割り論でした。

┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
├┼16182826┼┼┼┼┼┼┤
24341727┼┼┼┼┼┤
30111225┼┼┼・┼┼┤
321315┼┼┼┼┼┼┤
2010221429┼┼┼┼┼┼┤
3319213123・┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼・┼┼┼┼┼・┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘

┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
├┼┼┼┼┼┼┼┤
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・┼┼┼┼┼┤
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├┼┼・┼┼┼┼┼・┼┼┤
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├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘


Posted by 棋譜大好き at 2006年04月08日 10:19

両局面はタマタマ左上隅が同形になっただけで、全局的には全くの別物で、比べるのは間違いだと考えた次第です。
 囲碁部の選手でも局部だけ取り出して論じることが少なくありません。
 今後このような議論が生じたときはこの図を使わせて頂きたいと思います。
 棋譜大好きさん、わかりやすいご説明どうもありがとうございました。

Posted by 島谷 at 2006年04月08日 10:24

> 両者の差D(n,m)=BT(n)-WT(m)は碁石の配置のみで決まり、手順には無関係です。このDの大きさ(厳密にはBT(n)/nとWT(m)/mの大小)や正負を論ずるのが手割論でしょう。

前コメントは↑に対してのコメントです。すみません。

Posted by 棋譜大好き at 2006年04月08日 10:25

そもそもこのスレッドの議論は「手割」と関係ないように思います。^^
 すみません。私が手割りに対する誤解から発生したスレッドです。(/o\)
 私は、手順を整理した形を既存の評価が定まった形と比較して善悪を判断するのが手割りだと思っていたのです。
 そこで同じ形(局部的に)でもその形ができたときの次の手番で価値が変わるから一概に比較できないのではないかと発言したわけです。

Posted by 島谷 at 2006年04月08日 10:37


 投稿者のご要望により削除しました。
 もし私の勘違いでしたら復活しますからお申し出ください。(島谷記)

Posted by at 2006年04月08日 11:05

┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
├┼┼15┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼15┼┼┼┼┼┼┤
├┼16┼┼┼┼┼┼┤├┼16┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼11┼・┼┼┤├┼┼11┼・┼┼┤
├┼┼┼┼1013┼┼┼┼┤├┼┼┼┼1013┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼1214┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼1214┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼・┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼・┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼・┼┼┼┼┼・┼┤├┼┼・┼┼┼┼┼・┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
     (1)     <     (2)    
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
├┼┼1711┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼1711┼┼┼┼┼┼┤
├┼16┼┼┼┼┼┼┤├┼16┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼・┼┼┤├┼┼┼・┼┼┤
├┼┼┼┼1213┼┼┼┼┤├┼┼┼┼1213┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼1014┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼1014┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼・┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼・┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼・┼┼┼┼┼・┼┤├┼┼・┼┼┼┼┼・┼┤
├┼15┼┼┼┼┼18┼┼┼┤├┼15┼┼┼┼┼18┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
     (3)     >     (4)    
 全4図を新しい図にしてまとめました。
 棋譜大好きさん、どうもありがとうございました。


Posted by 島谷 at 2006年04月08日 12:05

┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
├┼┼1511┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼1511┼┼┼┼┼┼┤
├┼16┼┼┼┼┼┼┤├┼16┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼・┼┼┤├┼┼┼・┼┼┤
├┼┼┼┼1213┼┼┼┼┤├┼┼┼┼1213┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼1014┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼1014┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼・┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼・┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼・┼┼┼┼┼・┼┤├┼┼・┼┼┼┼┼・┼┤
├┼17┼┼┼┼┼18┼┼┼┤├┼17┼┼┼┼┼18┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
     (5)           (6)    
 図を整理しているうちに頭が混乱してきました。
 図1と図2に17三々18コゲイマガカリと進行させました。
 この図はそれぞれ図(3)と図(4)と全局的に同型です。
 黒の立場から見て図(1)<図(2)だったのが図(5)>図(6)となったということは18が悪手ということになるのでしょうか。


Posted by 島谷 at 2006年04月08日 12:24

 すみません。言葉不足でした。
 黒の立場から見て図(1)<図(2)だったのが図(5)>図(6)となったということは図(5)18が悪手あるいは図(6)17が悪手なのでしょうか。


Posted by 島谷 at 2006年04月08日 12:39

図1と図2の黒1を元の星にしてください。(違いを強調するにわざわざ外したのに^^)

なお図3と図4は黒17までの局面を比べていますので、白18は分かりやすいため適当に付けた「幻の手」です。もし修正されるなら3図の白18は二の三の押さえ、4図の白18は二の四の押さえにしてください。4図の黒17に白18とぴったり押さえられたら、その非は一目瞭然でしょう。^^

お手数を掛けて申し訳ございません。

Posted by 棋譜大好き at 2006年04月08日 15:29

> 私は、手順を整理した形を既存の評価が定まった形と比較して善悪を判断するのが手割りだと思っていたのです。

一般に「手割」での比較は、「同一局面」での色んな手順を比較/分析しますが、島谷さんのこのケースは異なる局面で、「手割論」というより「連想比較論」ではないでしょうか。^^

○ コメントを編集/削除されないようで、今朝の私のミスでこのスレッドがトンチンカンになった事をお詫びします。なおmotoさんの前文ではこのページより他の所を希望されているようです。


Posted by 棋譜大好き at 2006年04月08日 15:41

図1と図2の黒1を元の星にしてください。(違いを強調するにわざわざ外したのに^^)
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
├┼┼15┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼15┼┼┼┼┼┼┤
├┼16┼┼┼┼┼┼┤├┼16┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼11┼・┼┼┤├┼┼11┼・┼┼┤
├┼┼┼┼1013┼┼┼┼┤├┼┼┼┼1013┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼1214┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼1214┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼・┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼・┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼・┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼・┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
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     (1)     <     (2)    
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
├┼┼1711┼┼┼┼┼┼┤├┼┼┼1711┼┼┼┼┼┼┤
├┼16┼┼┼┼┼┼┤├┼16┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼・┼┼┤├┼┼┼・┼┼┤
├┼┼┼┼1213┼┼┼┼┤├┼┼┼┼1213┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼1014┼┼┼┼┼┤├┼┼┼┼1014┼┼┼┼┼┤
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└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
     (3)     >     (4)    
 申し訳ありません。
 図(3)図(4)を修正するとき気を利かせたつもりで図(1)図(2)を変更してしまいました。
 訂正するとともに謹んでお詫び申し上げます。

○ コメントを編集/削除されないようで、今朝の私のミスでこのスレッドがトンチンカンになった事をお詫びします。
 これも気を利かせたつもりで別記事にまとめたのです。
 otd-bbsは投稿記事を削除しても後から復活することはできるのですが、Seesaaはコメントを削除すると復活できないので削除に躊躇したのです。
 さっそくコメントを復活できる状態で編集・削除します。
 まことに申し訳ありませんでした。
なおmotoさんの前文ではこのページより他の所を希望されているようです。
 motoさんの原文は阿呆草おとぼけ広場に投稿されたのでここにコピペしたのです。

Posted by 島谷 at 2006年04月08日 16:12

、「手割論」というより「連想比較論」ではないでしょうか。^^
 定石と同じ形で1路ずれている形が生じた場合、定石より1路高いから有利などということが少なくないのでこれも手割りだと思っていました。
 これは連想比較論なんですね。
 どうもありがとうございました。

Posted by 島谷 at 2006年04月08日 17:02

> motoさんの原文は阿呆草おとぼけ広場に投稿されたのでここにコピペしたのです。

あ、そうでしたか。
よく考えますと、「手割」は分かり易く、正しく評価する事がその役割ですが、この議論は何のための議論かよく分からなくなりました。あ、図4の黒17のような手を打たせたい時に、この話で相手を煙に巻くのが一つの作戦かな。^^ どうも有難うございました。

Posted by 棋譜大好き at 2006年04月08日 17:39

> 定石と同じ形で1路ずれている形が生じた場合、定石より1路高いから有利などということが少なくないのでこれも手割りだと思っていました。これは連想比較論なんですね。

いえ、知識の単純な照会で、これは「島谷的手割り」と思います。^^


Posted by 棋譜大好き at 2006年04月08日 17:52

よく考えますと、「手割」は分かり易く、正しく評価する事がその役割ですが、この議論は何のための議論かよく分からなくなりました。
 すべては私の勘違いから発したスレッドです。
 話をややこしくして誠に申し訳ございませんでした。
いえ、知識の単純な照会で、これは「島谷的手割り」と思います。^^
 (/o\)

Posted by 島谷 at 2006年04月08日 18:05

島谷様、棋譜大好き様、
私の投稿に対し、コメントして頂きどうも有難うございました。
(どうにかこのスレッドにたどり着きました。)

島谷さんの
>私は、手順を整理した形を既存の評価が定まった形と比較して善悪を判断するのが手割りだと思っていたのです。<
は私の手割に対するイメージと違わないと思っています。既存の評価が定まった形(定石)とは、とりもなおさずBT(m)/m=WT(n)/nということではないでしょうか。それと配置が違えば一般には両者は等しくなりませんので善悪が判断できることになります。

また棋譜大好きさんの手割の定義
>石の形や手順を整理し、次の手番に関係なくその結果を簡単に評価できるもの<
も私と違いません。34手まで打たれた上の例で言えば、BT(17)>WT(17)という結論です。その場合に白黒5個ずつ取り去って比べたということは、この5手の黒の価値の総和と白の価値の総和が等しいと仮定して、不等式の両辺から取り去ったわけで、BT(12)>WT(12)となり、結局同じことを言っていることになります。

全4図を出されたので言われていることは良く分かりました。ところで、もし(1)(2)図の黒の初手が星でなく小目で、かつ黒17を小ケイマじまりにしたら、黒は(1)図より(2)図が良い、と言えるでしょうか。(私の棋力では判断がつかないのです)。そうならば、(3)(4)図との比較がより明瞭になり、もっと分かり易いかと思いますが。

余談ながら、ある議論の論点がはっきりしない場合に、具体化する方法と逆に一般化する方法がありますが、どちらかといえば後者の方が分かり易いと考えている私は少数派かも知れません。(ここで見かける方の中ではhidew氏の議論の手法が私と似ているかなと感じています。)上の私の手割の定義が島谷さんや棋譜大好きさんの手割の定義を包含しているとすれば、私は一般化に成功したことになるわけです。

今回、皆様の議論を聞かせて頂いたお陰で、
(A)手割りは局所的な石の効率の優劣を論ずるものである。
(B)ある手の善悪はあくまでも全局的に決まる。
の2点がはっきりしました。
上の例の場合はこれで十分納得しましたが、なおかつ、私は、(B)と同様に、「ある手の善悪は既存の石の配置だけでなく将来の手に依存する」のではないか、つまり、私の仮定1は間違っていたのではないか、という疑念を捨て切れません。もし手の善悪が現在の局面だけで決まるとすると、「先手・後手」「キカシ・アジケシ」の概念に何か不透明さが残るのと合わせ、改めて考え直しているところです。



Posted by moto at 2006年04月11日 18:59

motoさん、こんばんわ。

>「ある手の善悪は既存の石の配置だけでなく将来の手に依存する」のではないか、つまり、私の仮定1は間違っていたのではないか、という疑念を捨て切れません。

とのことですので、私見を述べます。

>疑念1:「ある手の善悪は既存の石の配置だけでなく将来の手に依存する」のではないか?

これは、イエスが正解とも言えますし、ノーが正解とも言えます。厳密な表現をすれば、「全知全能の神様が打てば、既存の石の配置だけで決定されるが、ミスもするし考え方も違う人間が打てば将来の手に依存する。」ということになると思います。

>疑念2:私の仮定1は間違っていたのではないか?(仮定1:ある局面における次の1手の価値は、一意的に数量(何目の手であるか)で表すことが出来る。)

はい、まちがっていると思います。簡単な例ですが、大石どおしの攻め合いで、お互いに内ダメが全部つまっており、外ダメのみがあいている場合は、どのような値になるのでしょうか?

具体的数値で考えてみます。お互いに20目ずつの超ダンゴ石で3つずつ外ダメが空いている場合、黒から打つと5手目で打ち上げることになります。

0,0,0,0,40目で良いのでしょうか?
それとも、40,0,40,0,40目でしょうか?
ちょっとおかしいことに気づくと思います。

疑念1の答えは、イエスでもノーでも正解、疑念2はイエスですから、疑念1と疑念2は別物だと思います。



Posted by Takkun at 2006年04月11日 23:31

囲碁について数値的記述ができるとすれば、ある局面において黒が何目リードしているかということでしょう。

神様どうしが打てば、例えば一手目から
13, 0, 13, 0, 13, 0, 13, 0, 13, 0, 13, 1, 13, 1, 13, 1, 13, 1, 12, 1, 12, 1,・・・
・・・・ , 6, 7, 6, 7, 6, 7 で終局!

そうならない手は、悪手/緩手といえると思います。


Posted by Takkun at 2006年04月12日 00:21

>疑念2:私の仮定1は間違っていたのではないか?(仮定1:ある局面における次の1手の価値は、一意的に数量(何目の手であるか)で表すことが出来る。)

はい、まちがっていると思います。簡単な例ですが、大石どおしの攻め合いで、お互いに内ダメが全部つまっており、外ダメのみがあいている場合は、どのような値になるのでしょうか?
 私は仮定1:は正しいと思います。
 現時点では解明は不可能ですがすべての局面で7路盤の研究で記載した価値マップがあると思います。
 Takkenさんが例に上げた攻合いは布石や中盤と違って現段階でも答えが得られるものですから明確に価値マップを得られると思います。

 なお、最大価値(価値マップ上0の手)は複数存在することが多く、どれを選ぶかが個性であり、また、それまでの流れによっても選ぶ着点が変わるのではないかと思っています。

Posted by 島谷 at 2006年04月12日 04:34

自分でも、まだ整理できていないのですが・・・

小生は、19路盤では「中盤の戦いにおいては」一手一手での価値を定義する意味はなく、何手からのセットでのみ「意味を持つ価値」が定義されると考えています。

ただ「序盤」と「大ヨセ」以降は、19路盤でも問題なく「意味をもった」定義をできると考えています。そして7路盤では「すべての手は終局までシミュレーションできる=(小生がいうところの)中盤の戦いは存在しない」のではないでしょうか?

例えば、サイコロを振って何の目が出るかについては、どのように思われますか? サイコロの形状・諸速度などの物理的特性がわかれば、100%計算によってわかります。

例えば、小生のこのコメントですが、島谷さんの性格・能力や小生の性格・能力をすべて数値的に記述できれば、4つ前のmotoさんの投稿が掲載されて時点で予測できます。でも本当ですか?

motoさんは、同じようなことを言われている気がしたのです。


Posted by Takkun at 2006年04月12日 06:55

例えば、サイコロを振って何の目が出るかについては、どのように思われますか? サイコロの形状・諸速度などの物理的特性がわかれば、100%計算によってわかります。
 不確定性理論によればある精度以上はわからないそうですね。
小生は、19路盤では「中盤の戦いにおいては」一手一手での価値を定義する意味はなく、何手からのセットでのみ「意味を持つ価値」が定義されると考えています。
 人間同士の対局ではその通りだと思います。
 むかーし私は同じ形でもそれが生じる手順で次の着手が変わると発言して大顰蹙を買いましたが手をセットで考えていたからです。
 ただ1手に絶対の価値があったとしても同じ価値の大きさの手が複数あった場合はそれまでの流れに応じて選ぶ着手が変わっても矛盾はないと思います。

Posted by 島谷 at 2006年04月12日 07:46

motoさんの論理展開には最初から違和感があったのですが、その原因が何かわからないままに反論を試みたので、とんちんかんな説明ばかりしていまいました。

やっとわかりましたが、仕事が始まるまでに書き終えることができないので、今夜書きます。

島谷さんの回答は、正解でした。
でも、小生の回答も正解でした。
motoさんの「命題」そのものに、わずかな不備があり(誤りではありません)、それを小生が感じていたことが原因のようです。


Posted by Takkun at 2006年04月12日 08:47

Takkunさんと島谷さんの議論を読んで、徐々に理解が深まってきました。どうも有難うございました。

価値マップとは素晴らしいアイデアですね。今後はこれを基に考えを進めたいと思います。まず私の仮定1と2を書き換えます。
仮定1.碁のある局面における価値マップは、その局面のみに依存し、一意的に決まる。
仮定2.価値マップ上の0の点が最善手である。(注:最善手は複数存在しても良い)

そもそも私がこういう問題を考えるきっかけになったのは、しばしばヨセの教科書などに「この手は先手3目だから、後手5目より大きい」などと書いてあるのが不満だったからです。先手という概念は2手をセットで考えているのが気持ちが悪いのです。価値マップで常に0の場所があるのなら先手と後手の区別は必要ないので、大変すっきりします。

仮定1が正しいとすると「先手」とは次のように表現できるでしょうか。
「ある着手後、その手の近傍のみに価値マップ上の0の点が生じる時、その手を先手と言う。」

問題は「キカシ」や「味けし」を価値マップの言葉でどう表現するかですが、まだ思いつきません。

仮定1が正しいという島谷さんの考えに、今では私も全面的に賛成したい気分になりました。そこで次は仮定2の検証です。
「最善手はある局面の価値マップだけで決まるのだろうか、その手を打った後の価値マップにも依存するのではないか」というのが私の疑念になります。



Posted by moto at 2006年04月12日 16:01

問題は「キカシ」や「味けし」を価値マップの言葉でどう表現するかですが、まだ思いつきません。
 キカシは価値マップ上でほぼ0の手、アジケシは価値マップ上でx以上の手ということになると思います。
 なお、キカシなど好着に対する用語、キカサレ、アジケシなど悪手に対する用語は、なぜ好着か、なぜ悪手かということを端的に表現するための言葉なのではないでしょうか。
「最善手はある局面の価値マップだけで決まるのだろうか、その手を打った後の価値マップにも依存するのではないか」
 価値マップはその手を打った後、双方が最善手を打つものとして求められるものだと思います。
 したがって相手が悪い手を打った場合のことは配慮されませんから人間対人間の試合の場合は価値マップ0でない手が勝着になるということもあると思います。
 「敗勢のときは最善手ではなく相手がいやがりそうな手を指せ」と語った将棋の某棋士(名前を忘れました)に大いに納得したものでした。

Posted by 島谷 at 2006年04月12日 16:27

>疑念2:私の仮定1は間違っていたのではないか?(仮定1:ある局面における次の1手の価値は、一意的に数量(何目の手であるか)で表すことが出来る。)

はい、まちがっていると思います。

と前々回のコメントには書きましたが、前回のコメントでは鳥谷さんのおっしゃるように、間違っていないと書きました。

motoさんは厳密な数学的記述を望んでおられるようで・・・数学にはお詳しそうなので、関数と群・環・体をご存知だと思いますが、囲碁においては「加算」「減算」をどのようにお考えでしょうか? 

小生は、「どんな局面においても、どちらが何目リードしている」と数値的に表現できると考えています。すなわち、前々回に書いたように

神様どうしが打てば、例えば一手目から
13, 0, 13, 0, 13, 0, 13, 0, 13, 0, 13, 1, 13, 1, 13, 1, 13, 1, 12, 1, 12, 1,・・・
・・・・ , 6, 7, 6, 7, 6, 7 で終局!

そうならない手は、悪手/緩手といえると思います。島谷さんの価値マップ0以外の手は、悪手であるということと全く同じことを言っています。

これに対して、motoさんは

両者の差D(n,m)=BT(n)-WT(m)は碁石の配置のみで決まり、手順には無関係と書かれています。

このうち「両者の差Dは碁石の配置のみで決まり、手順には無関係」というのには小生も賛成ですが、D(n,m)=BT(n)-WT(m)には賛成できません。

囲碁においては、Dは本来的に存在するけれども、BTとかWTは本来的には存在しないと思います。

n手目まで打たれたときの盤面における数値をTv(n)としたとき、n手目の価値Sv(n)というものを、
Sv(n)=Tv(n)−Tv(n)で「定義」することにより、便宜的に取り扱うことができるので、非常に便利であるということだと思います。

そして価値マップというのは、Sv(n)が最大となる箇所の数値をゼロと置いているということです。

そこで次は仮定2の検証です。
「最善手はある局面の価値マップだけで決まるのだろうか、その手を打った後の価値マップにも依存するのではないか」というのが私の疑念になります。

この答えは、鳥谷さんがおっしゃるように明確だと思います。それ以降は双方が最善の手を打つという仮定がありますから、それ以降の手には関係ありません。


Posted by Takkun at 2006年04月12日 21:27

Sv(n)=Tv(n)−Tv(n−1)の間違いです。

Posted by Takkun at 2006年04月12日 21:44

神様どうしが打てば、例えば一手目から
13, 0, 13, 0, 13, 0, 13, 0, 13, 0, 13, 1, 13, 1, 13, 1, 13, 1, 12, 1, 12, 1,・・・
・・・・ , 6, 7, 6, 7, 6, 7 で終局!
 これは神様が悪手を打っていることになってしまいます。
 神様同士が打ったら盤面黒6目勝ちになるものとしたら 6,6,6,6,6,6,6,・・・・・・6ではないでしょうか。
Sv(n)=Tv(n)−Tv(n−1)の間違いです。
 Sv(n) = Tv(n) - Tv(n+2) ではないのですか?
 ただし、Sv(n+1) = 0 の手が打たれた場合としての値です。

Posted by 島谷 at 2006年04月13日 04:27

>神様同士が打ったら盤面黒6目勝ちになるものとしたら 6,6,6,6,6,6,6,・・・・・・6ではないでしょうか。

詳細質問をされるということは概要は理解いただけたのだと思います。盤面黒6目勝ちになるものとしたら 半コウがない場合,6,7,6,7,6で終局になります。半コウが奇数の場合には、半コウ数+2回、偶数の場合には半コウ数+1回、同じ数字が並んで終局になると思います。

>Sv(n) = Tv(n) - Tv(n+2) ではないのですか?
 
そうではありません。囲碁の場合には、n手を打った時点(現在)での評価値は、1手目からn−1手目(すなわち過去)まで、およびn手目で決定されますから、右辺にn+2(未来)があることはありえません。

現在での値を決定できないのは、ボーリングのスペアとストライクくらいです。

>ただし、Sv(n+1) = 0 の手が打たれた場合としての値です。

また、この条件の意味がよくわからないのですが、不要と思います。すでにこの論理展開においては、次の二つの条件が含まれています。
@未来については、双方が最善を打つ。
A小生の表記法では、過去・現在においても最善手のみを取り扱っている。

@は議論における前提条件ですが、Aについては小生が簡略したためです。厳密に論じれば、motoさんのように、すべての手に関する表記もできますが、それは本題ではない詳細になるので、やめました。






Posted by Takkun at 2006年04月13日 08:49

盤面黒6目勝ちになるものとしたら 半コウがない場合,6,7,6,7,6で終局になります。
 この羅列した数字は私の解釈と違う意味のようですね。
 私は、この数字は双方最善手で終局まで打ったとしての盤面で黒の余した数です。
 盤面黒勝ちとなるものとしたら、どちらもマイナス手を打たなければどの時点でも TV(n)=6 なはずです。
 Takkunさんの数字は、相手がパスし、その後双方最善を尽くした場合の数値ではないでしょうか。
 着手ごとに終局時の目数差が 6 になったり 7 になったりするのはマイナスの着手をしていることになります。
>Sv(n) = Tv(n) - Tv(n+2) ではないのですか?
 
そうではありません。囲碁の場合には、n手を打った時点(現在)での評価値は、1手目からn−1手目(すなわち過去)まで、およびn手目で決定されますから、右辺にn+2(未来)があることはありえません。

 了解しました。
 ちょっと勘違いしていました。

Posted by 島谷 at 2006年04月13日 09:33

>この羅列した数字は私の解釈と違う意味のようですね。

確かに違うようです。まだ、小生の数列の意味を誤解されていると思います。

>私は、この数字は双方最善手で終局まで打ったとしての盤面で黒の余した数です。

小生も、そうです。
ただし各時点において、盤面を(黒が勝っている目数で)評価した値です。

>盤面黒勝ちとなるものとしたら、どちらもマイナス手を打たなければどの時点でも TV(n)=6 なはずです。

そんなことはありません。島谷さんは、(価値マップの先入観で)最善手をゼロとおいているから、そのようにお考えなのでしょう。

しかし、「どの時点でもTV(n)=6」というのが誤りであることは明らかです。なぜなら、黒が一手も打っていない場面においてもTV(n)=6になってしまいます。

どちらも打っていない時には、評価値が0にならないような評価方法は不適切です。

また、最終的に何目差になるかによって、途中の評価値が左右されるのもおかしいです。

>Takkunさんの数字は、相手がパスし、その後双方最善を尽くした場合の数値ではないでしょうか。

少し違います。相手はパスしません。

最初の13という数字は、黒が一手目だけを打ったときの、盤面の評価値です。つまり一手目の価値は13目くらいだろうという意味です。(コミが6目半ですから、まあこんなものでしょう。)
二番目の0という数字は、その次に白が2手目を打ったときの、盤面の評価値です。(白が同じ13目の手を打ったので、盤面では0になります。)

>着手ごとに終局時の目数差が 6 になったり 7 になったりするのはマイナスの着手をしていることになります。

島谷さんは、(価値マップの先入観で)最善手をゼロとおいているから、そのようにお考えなのだと思います。小生は、何目の手であるかという数値を書いています。最終のヨセは後手1目ですから、お互いに一目の手を打つことになり、一手ごとに、値が1だけ増えたり減ったりします。

ちなみに二子の場合には、最初は25とか26から始まります。


Posted by Takkun at 2006年04月13日 23:42

しかし、「どの時点でもTV(n)=6」というのが誤りであることは明らかです。なぜなら、黒が一手も打っていない場面においてもTV(n)=6になってしまいます。
 コミ6目が妥当だとすれば黒が1手も打ってない場面で盤面黒6目勝ちなはずです。
最初の13という数字は、黒が一手目だけを打ったときの、盤面の評価値です。つまり一手目の価値は13目くらいだろうという意味です。(コミが6目半ですから、まあこんなものでしょう。)
 コミ6目半だから1手目の価値はその2倍の13目という考えは誤りだと思います。
 この件に関してはあさださんと同意見です。
 コミというのは双方最善手で終局まで打ったときの黒の盤面勝ち数を想定したもの、または、黒と白の勝率が5割になる値として設定したもので初手の価値を1/2にしたものではないはずです。

Posted by 島谷 at 2006年04月14日 04:34

各時点において、盤面を(黒が勝っている目数で)評価した値です。
 この値をTv(n)と定義するとSv(n)=Tv(n)-Tv(n-1)の最大値が最大価値ということにならなくなります。
 例えば、あと半劫をどちらかがツグことで終局の場合、半劫をトル手と劫材を先手でなくす手が合った場合、前者Sv(n)>後者Sv(n)ですが前者の手を打つと劫材が不足して劫に負けることがあります。
 したがって価値的には後者の方が高くなります。
 Sv(n)を双方最善を尽くして終局まで打ったときの値とすれば前者Sv(n)<後者Sv(n)となりこの矛盾がなくなります。

Posted by 島谷 at 2006年04月14日 12:13

お二人の議論がどんどん先に進んでしまうので、私が内容を理解するのが大変です。私は何か基本的なところを理解していないのかもかもしれませんので、元に戻って確認したいと思います。まずは次の私の考えは何か錯覚しているのでしょうか。説明して頂ければ有難いのですが。

(1)「この局面で最大の手は右上黒ケイマすべりでこれは18目に相当する。他の着手はすべてこれより小さい」が真だとします。

この18目及びそれが最大だと結論した過程は局面の配置だけで決まり、次に白が最善手を打つかなどの、これより後の手には依存して居ません。これが私の仮定1です。
もし価値マップが以後の最善手を打つ前提でしか作成できないものならば、「ある局面の最大の手は最後まで打ってみないとわからない」ことになり、仮定1は成立しません。
(2)価値マップはその局面における可能着手点の相対的数値の表ですが、理論的にはマップからどの点も何目の手であるかが、計算できるはずのものだ、と理解しています。間違っているでしょうか。
(3)Takkunさんの言われるBT(m)やWT(n)は存在しないとはどういう意味でしょうか。ある局面で黒の手の価値が一意的に決まれば、黒のm手の価値の総和であるBT(m)が存在するのは明白だと思えますが。仮定1が誤りという意味でしょうか。
(4)私のキカシとアジケシに対するイメージは島谷さんと大分違うようです。私は、たとえば同じ「黒がノゾイて白がツグ」手の場合「黒も白も局面の最大手を打っているが、2手を比較して黒の価値が白の価値より大きければキカシ、逆に白の価値が大きければアジケシ」だと考えています。実際の価値の大小が神様でないと分からない状況を、「この交換がキカシになるかアジケシになるかは後の打ち方による」と表現しているのではないでしょうか。



Posted by moto at 2006年04月14日 14:56

 motoさんの仮定を再掲します。
仮定1:ある局面における次の1手の価値は、一意的に数量(何目の手であるか)で表すことが出来る。
仮定2:1手の価値が大きい方が良い手である。
 私は両方とも正しいと思います。
 この仮定1に対する見解が私とmotoさんとで違うようです。
もし価値マップが以後の最善手を打つ前提でしか作成できないものならば、「ある局面の最大の手は最後まで打ってみないとわからない」ことになり、仮定1は成立しません。
 私は厳密にはある局面の最大の手は最後まで打ってみなければわからないと思いますが仮定1を否定するものではないと思います。
 最後まで最善に打ったらどうなるであろうかという予想は過去のデータから想定できると思います。
 破壊検査できないものでもサンプリングによりそのロットの品質はかなりの精度で推定できるよに過去のデータから推定しているのではないでしょうか。
 サンプリングが妥当でなければ当然正しい値は得られません。
 布石における着手の評価が昔と今とで換わってきているのはサンプリングデータが増えたからだと思います。

Posted by 島谷 at 2006年04月14日 16:14

>仮定1:ある局面における次の1手の価値は、一意的に数量(何目の手であるか)で表すことが出来る。
仮定2:1手の価値が大きい方が良い手である。
 私は両方とも正しいと思います。
 この仮定1に対する見解が私とmotoさんとで違うようです。

小生も、両方とも正しいと思います。
この仮定1に対する見解は、三人とも違うようですが。

>もし価値マップが以後の最善手を打つ前提でしか作成できないものならば、「ある局面の最大の手は最後まで打ってみないとわからない」ことになり、仮定1は成立しません。

そんなことはありません。囲碁はゲームの理論を適用できるものです。以後は双方が最善手を打つことを仮定するということは、「有限時間内に、全変化をシミュレーションによって求めて、その最適手順を求めることができる」と言い換えることができます。コンピュータを用いれば有限時間内(といっても宇宙の年齢以上かも知れませんが)に計算できるので、仮定1は成立します。計算に無限時間かかる場合には仮定1は成立しないといえますが。

>最初の13という数字は、黒が一手目だけを打ったときの、盤面の評価値です。つまり一手目の価値は13目くらいだろうという意味です。(コミが6目半ですから、まあこんなものでしょう。)
 コミ6目半だから1手目の価値はその2倍の13目という考えは誤りだと思います。

似たようなものですが、厳密には意味が違います。コミが五目半だったということは、先手の有利さは、五目以上であるが六目は超えないだろうと、信じられていたということを意味します。

しかし、プロの打碁50万局を調べたところ、黒が有利であり(日本棋院は知っているはずですが、たとえば52万局で黒の勝率が50.4%だったとか)、これは「確率90%で、その仮定は誤りである。(統計学上の言葉では、有意差があるということ)」という結論になったのでしょう。それでコミを六目半にしたのだと思います。五目半がいいのか、六目半がいいのか、六目半でもまだ足りないのか、いずれは結論がでると思います。コミは3目半→4目半→5目半→6目半ときたのですから、7目半になる可能性もあります。

コミが六目半というのは、6目<先手の有利さ<7目という意味であり、2倍すると12目<一手目の価値<14目です。
四者五入すれば、一手目の価値は12目か13目か14目のいずれかになります。だから、例として13と書きました。

なお一手目の価値は、先手の有利さの2倍になります。これは説明できますが、一旦、ここで切ります。

Posted by Takkun at 2006年04月14日 20:09

面白くよませていただいてます。
話が横道へずれそうで怖いのですが、コミは6目ではないでしょうか?ルール上持碁は引き分け、[持碁は白勝ちではルール違反です]。勝負を決しなければならないプロの世界で引き分けがあってはまずいので便宜上半目をつけているだけだと思います。
今[黒から打初めて6目勝つのでハンディを6目とする]というのがコミの定義だとおもいます。白手番から打ち始めた場合は白が6目勝つ、も同義ですね。この間一手の差があるわけですが目数にすると12目と言うことになります。

Posted by とんぼ at 2006年04月14日 21:10

>コミ6目が妥当だとすれば黒が1手も打ってない場面で盤面黒6目勝ちなはずです。

小生 13, 0, 13, 0, ・・・ , 6, 7, 6, 7, 6
島谷さん 6,6,6,6,6,6,6,・・・・・・6

どちらも現在の盤面の評価ですが、次の手番がどちらであるかということが、この評価値に含まれているか含まれていないかという点が異なります。

島谷さんの場合には、次の手番が決まっています。
小生の場合には、次に黒から打つ場合と、白から打つ場合の平均値を示しています。(その盤面までの評価という意味では、この方が適切だと思います。)

囲碁におけるヨセは、大ヨセから始まり半コウで終わります。おおよそ、出入りで22目くらいから始まりますが、一手の価値としては11目くらいからだんだん小さくなっていきます。

囲碁ではお互いに、価値が最大のところに打つのが最善手ということですから、n手目の価値をSv(n)、最終手をL手目とすると
Sv(1)≧Sv(2)≧Sv(3)≧Sv(4)≧・・Sv(n)・・≧Sv(L)>Sv(L+1)=0と書けます。

例えば、一手目の価値Sv(1)=X、以下0.05目ずつ価値が低減するとすれば、最終的な盤面でのの値
Tv(L)=X−(X-0.05)+(X+0.10)−(X-0.15)+(X+0.20)・・・・
=X/2

となります。これは、一手目の価値の半分が先手の有利さを表していることを意味しています。
(ここでは厳密な論議をしていませんが、そうでないと仮定すると背理法によってその仮定が誤りであることが証明できるかもしれません。)

なおコウについては、もう少しむずかしくなります。半コウの価値は1/3目であり、Sv(n)やTv(n)では整数しか扱っていないので、四捨五入されて表記されていると考えるのが妥当でしょう。


Posted by Takkun at 2006年04月14日 21:12

誤記です。

Tv(L)=X−(X-0.05)+(X+0.10)−(X-0.15)+(X+0.20)・・・・

   ↓

Tv(L)=X−(X-0.05)+(X-0.10)−(X-0.15)+(X-0.20)・・・・



Posted by Takkun at 2006年04月14日 21:18

>今[黒から打初めて6目勝つのでハンディを6目とする]というのがコミの定義だとおもいます。

神様同士が打ったら、黒が5目勝つのか6目勝つのか7目勝つのか、誰にもわかりません。
5目半というのは、5.1目でも5.9目でも同じこと。6目半というのは6.1目でも6.9目でも同じこと。

コミの目的は、「人間同士が打った場合の黒の勝率と白の勝率をできるかぎり5割に近づけること
」、定義は「先手のハンディを何目とする」しかありません。


Posted by Takkun at 2006年04月14日 21:43

>(3)Takkunさんの言われるBT(m)やWT(n)は存在しないとはどういう意味でしょうか。ある局面で黒の手の価値が一意的に決まれば、黒のm手の価値の総和であるBT(m)が存在するのは明白だと思えますが。仮定1が誤りという意味でしょうか。

黒の手だけの総和というのは、形式的には存在します。でも、実際の意味を持たないという意味です。

ある瞬間の盤面において、何目黒がリードしているかという評価は常にできます。小生は、一回前の盤面の評価値を引くことによって、その次に「一手の価値」というものを「定義」できると考えています。

「一手の価値」と「ある局面での盤面での評価値」のどちらを先に定義すべきかという気持ちがあります。

また囲碁では、黒と白は交互に打つのですが、「黒−白」は意味があっても、黒単独とか白単独とか、ましてや黒の手の総和というのは、意味づけをできない(意味的には定義できないが、形式上・計算上は存在できる)と思っています。



Posted by Takkun at 2006年04月14日 23:10

 私の老衰脳には理解不能になってしまいました。
 Takkunさんとmotoさんの会話の聞き役にさせていただきます。

Posted by 島谷 at 2006年04月15日 04:41

motoさんが、数学的記述をされたのに対してどなたも反論されず、また島谷さんがご意見を書かれたために、ちょっと書いてみる気になったのですが・・・
 
理解には、(老衰脳の問題ではなく、)確率論・統計学の知識と数学的素養が必要なのだと思います。

Posted by Takkun at 2006年04月15日 09:34

たぶん「手割りとは?」という議論から、脱線したように思うので、それについて意見を書かせていただきます。

島谷さんの
>私は、手順を整理した形を既存の評価が定まった形と比較して善悪を判断するのが手割りだと思っていたのです。<

また棋譜大好きさんの手割の定義
>石の形や手順を整理し、次の手番に関係なくその結果を簡単に評価できるもの<

小生は、どちらも少しだけ違うと思います。
@手割りとは、善悪を判断するために用いる。
A次がどちらの手番であるかということは大事である。正確に言うと、手割りは部分的に完了した時点で論じるものだから、次の手番は関係ないのだが、論じている部分の折衝でどちらが後手を引いたのかということは、評価する上で大いに関係する。(囲碁では、先手で打てるのか、後手でもいいのかというのは非常に大きい。)
B実際の手順においては、その評価を理解しにくいときに、わざと違うパスで同じ局面に到達するのが「手割り」である。
C違うパスを通ると、必ずお互いにマイナスの手を打ったことになるが、そのマイナスの度合いが少ない方が良いと考えるのが妥当である。すなわち、手割りとは「元の結果についての評価を理解しやすくするための一手法」である。
D手順を変えて評価することに意味があり、「既存の定まった評価」と比較する必要はない。

小生のイメージですが、例えは「茶筒」(もう死語ですか?)ですが、真上から見ると「円」、真横から見ると「長方形」です。手順どおりというのは「真横から」見ているのであり、手順を変えて「真上から」見てみると違って見えます。手割りというのは、違った角度から見てみるということだと思っています。



Posted by Takkun at 2006年04月15日 11:15

こんにちは、^^

同じことを言っているのか違うことをいっているのか、私にわかりません^^;

以下に引用しながら私の解釈を加えてみます。

>神様同士が打ったら、黒が5目勝つのか6目勝つのか7目勝つのか、誰にもわかりません。

だから、取りあえず5目のハンディでスタートしましょう。しかしながら

>5目半というのは、5.1目でも5.9目でも同じこと。6目半というのは6.1目でも6.9目でも同じこと。

であるけど、5目では勝負が決しないとまずいので端数つけたいけど、5.1とか5.9ではおかしいから丁度よく5.5目としましょうよ。最後は1目の決着だからいいんじゃない?

>コミの目的は、「人間同士が打った場合の黒の勝率と白の勝率をできるかぎり5割に近づけること
」、

として、しばらく運用してきたけどどうも5目では黒に分がありそうなので今度から6目にしましょうよ。

>定義は「先手のハンディを何目とする」しかありません。

ということで、このハンディを コミと呼ぶことにしましょう。

の解釈では間違いでしょうか?


Posted by とんぼ at 2006年04月15日 16:05

とんぼさん。

非常に、平易な解説、ありがとうございます。
そのとおりです。

Posted by Takkun at 2006年04月15日 16:29

私もTakkunさんの総和に関する議論は理解不能なのですが、総和が意味を持つ簡単な例を挙げますと、たとえば黒が中国流を、白が3連星を打った局面を考えます。この6手までを打つ手順は36通りあると思いますが、黒の総和の最大値(ということは白の最大値でもある)がどの手順に対応するかどうかが分かれば、その手順がこの布石を敷くのに最も妥当な打ち方である(これが真であるかどうかは別に議論が必要ですが)とか、判断の基準にすることが出来ると思っています。

この議論はどちらが正しくてもたいした問題ではないと思いますが、私の元の仮定1に関してはまだ皆様のご意見を伺いたいと考えています。
私の書き方がまずくて済みませんでした。あれは

修正仮定1:ある局面における次の1手の価値は、その局面のみに依存し、一意的に数量(何目の手であるか)で表すことが出来る。
と記すべきでした。
実は私は心の奥では、「ある手の大きさは最後まで打たなければ分からないのではないか」、とずっと疑っていたのですが、強い方々(プロを含む)のヨセの議論では、現時点の局面のみで手の大きさを厳密に決める理論を述べられているので、いわば上の仮定はそれを踏襲して論じたいと思ったわけです。
この修正仮定1の妥当性が私の興味ですが、これはひとまず置いて、もしそうでなく「ある局面の1手の価値は最後まで打った後に決まる」とするならば、私は仮定2の妥当性に疑問を感じます。

今、ある局面で黒の手番だとして、黒の可能な着手に対するシミュレーションをして、黒の勝つ手がM手負ける手がN手あったとします。負ける手が良い手であるのはおかしいので、まずN手は手の価値の大小に関係なく捨てられます。次に残るM手の内どれを選ぶかを決める際「最終局面で白との差が最も大きくなる手」が最善手というのがTakkunさん(あるいは島谷さん)の仮定2の解釈だと推定していますが、私は、M手のうち「黒の勝ち筋(勝つ場合の数)が一番多い手」が最善手だと考えます。同様に次の白の可能な着手(すべて負ける手)の内最善手は「終局時の黒との差が最も小さくなる手」ではなく、「黒の勝筋が最も少なくなる手」だと思います。
もちろん二つの定義の最善手が一致することも少なくないでしょうし、ある意味では好みの問題でしかないのかも知れません。上の二つ以外にも「M手のうち終局までの手数が最も少ないのが黒の最善手で、逆に白は手数が最も長くなるように選ぶべきだ」と考える人もいるでしょうし、もっと極端に「黒のM手はすべて勝ちになるのだから優劣は付け難い。白は投了が最善」と(実際の対局で実行している)意見を持っている人もいるかと思います。

と考えるとこの議論は現実の碁にはあまり役に立たないのですが、ただ私はもし「将来の打ち方に関係なくある局面の手の大きさが決まる(修正仮定1)のなら、その最大を打ち続ければ良い(仮定2)」という考え方にも魅力を感じているので、どうにかしてこれを証明する方法はないか、と模索しているのです。






Posted by moto at 2006年04月17日 15:14

将来の打ち方に関係なくある局面の手の大きさが決まる(修正仮定1)
 将来の打ち方ということを書くと話がこんがらがってきてしまうと思います。
 将来の打ち方は両者最善をつくすと仮定しなければ価値マップは作成できません。

 いま、黒白最善をつくして終局した場合、黒が盤面6目勝ちとしましょう。
 この場合、まっさらな碁盤は黒盤面6目勝ちなはずです。
 ここでが小目または星の場合その後両者最善を尽くせば黒盤面6目勝ちなら小目や星の価値は最大値0になります。
 が目外しでその後両者最善を尽くせば黒盤面5目価値なら目外しの価値は-1になり、その時点で黒面5目勝ちの形勢になります。
 を着手した後、両者最善を尽くすと黒盤面7目勝ちになるならの価値は-2で、その時点で黒盤面7目勝ちの形勢になります。

 ただし、双方最善を尽くすということができないので過去データから双方最善をつくせばこうなるだろうと想定して価値を割り出しているのだと思います。


Posted by 島谷 at 2006年04月17日 17:20

>もしそうでなく「ある局面の1手の価値は最後まで打った後に決まる」とするならば、

>私は、M手のうち「黒の勝ち筋(勝つ場合の数)が一番多い手」が最善手だと考えます。

失礼かもしれませんが、motoさんは、ミニマックス戦略(ゲームの理論)について、ご存知ないのでしょうか?
ご存知だったら、このような意見にはならないと思います。


Posted by Takkun at 2006年04月17日 23:37

 碁の難しさは出入り最大の手が最大価値になるとは限らないことにあると思います。
 逆ヨセ5目が両後手15目より価値が高い場合もあるし、両後手5目と同価値の場合もあります。(作図可能)
 また、出入り0目の手が出入り1目の手より価値が高い場合もあります。
 しかし、見合い計算で最大の手が最大価値になる確率が非常に高いので出入りの差と先手後手を価値判断の参考資料にしているのでないかと思います。

Posted by 島谷 at 2006年04月18日 04:16

 話がどんどん脱線しますが私はミニマックスに疑問を感じているのです。
 ミニマックスに熟知している甲とミニマックス理論を知らないZとがじゃんけんをするとどうなるでしょう。
 甲は引き分けしか期待できません。
 私はミニマックスを知らない乙が甲と同じ勝率になることに違和感を覚えるのです。

Posted by 島谷 at 2006年04月18日 04:25

島谷さん、コメントありがとうございます。
本当に、どんどん脱線するので・・・

>私は、M手のうち「黒の勝ち筋(勝つ場合の数)が一番多い手」が最善手だと考えます。

motoさんの最初の意図は
「囲碁というゲームの着手や戦術について、数学的表現ができないか?」ということだったと思うのです。

ですから小生は、「神様がお互いに最善をつくした場合」ということが、論理展開の前提条件になっていると思っていたのです。(それで、同じ前提に立っている「ミニマックス戦略」を持ち出しました。)

ところがmotoさんは、突然、ミスをする人間の勝負における最善手のことを話題にされるようになりました。

それが、motoさんに対する質問の真意でした。

もうすぐ始業ですので、続きは今晩、投稿します。

Posted by Takkun at 2006年04月18日 08:50

一番書きたいことは最後にして、先に島谷さんのコメントに意見を書きます。

>碁の難しさは出入り最大の手が最大価値になるとは限らないことにあると思います。
 逆ヨセ5目が両後手15目より価値が高い場合もあるし、両後手5目と同価値の場合もあります。(作図可能)
 また、出入り0目の手が出入り1目の手より価値が高い場合もあります。

そのとおりと思います。

>しかし、見合い計算で最大の手が最大価値になる確率が非常に高いので出入りの差と先手後手を価値判断の参考資料にしているのでないかと思います。

そうだと思います。というよりも、例外もある程度あると考えたらいいと思います。見合い計算すらまともにできないのが普通(小生もです)で、それが確実にできれば県代表クラスではないでしょうか?

>話がどんどん脱線しますが私はミニマックスに疑問を感じているのです。
 ミニマックスに熟知している甲とミニマックス理論を知らないZとがじゃんけんをするとどうなるでしょう。
 甲は引き分けしか期待できません。
 私はミニマックスを知らない乙が甲と同じ勝率になることに違和感を覚えるのです。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという感じです。じゃんけんというのはコイン投げの表裏当てと同じで、ミニマックス戦術の入る余地はないです。つまり「無関係」。

ちなみに、小生は囲碁ではミニマックス戦術をとりません。形勢有利ならば、厳しい戦いは避けて次善手を打ちますし、逆に形勢不利な場合は、一か八かの戦いを挑み、戦線拡大に努めます。

一番、書きたいことを次に・・・

Posted by Takkun at 2006年04月18日 20:16

以前に、以下のように書きました。

−−−−−−−−−−−−−−
>コミ6目が妥当だとすれば黒が1手も打ってない場面で盤面黒6目勝ちなはずです。

小生 13, 0, 13, 0, ・・・ , 6, 7, 6, 7, 6
島谷さん 6,6,6,6,6,6,6,・・・・・・6

どちらも現在の盤面の評価ですが、次の手番がどちらであるかということが、この評価値に含まれているか含まれていないかという点が異なります。

島谷さんの場合には、次の手番が決まっています。
小生の場合には、次に黒から打つ場合と、白から打つ場合の平均値を示しています。(その盤面までの評価という意味では、この方が適切だと思います。)
−−−−−−−−−−−−−−

この考え方は、全面的に間違いであることに気がつきました。

         布石 中盤 ヨセ
小生の考え方は   ○  ×  ◎
島谷さんの考え方  ○  ○  ○

でした。前言を撤回いたします。


Posted by Takkun at 2006年04月18日 20:27

> じゃんけんというのはコイン投げの表裏当てと同じで、ミニマックス戦術の入る余地はないです。つまり「無関係」。

私はmotoさんと同じく、このスレッドを読み進んで、何が何だかよく分かりません。しかし上の文はハッキリしていて、真実である事はよく分かります。Takkunさん、やったね!!^^

> コミ6目が妥当だとすれば黒が1手も打ってない場面で盤面黒6目勝ちなはずです。

えと、あの、いくら何でもこれは無いと思います。^^

黒の一手目を打ち出さなければ、来るべき未来が定まらず、三次元空間が歪曲します。

例えば1手も打たないで双方が終局と同意すれば、黒は決められた"盤上と無関係"なコミ分負けます。半目負けではないと思われます。

碁は千変万化で、足し算、引き算、掛け算、割り算、何でも真であり、また同時に例外もあります。碁プログラムを設計するプログラマーに「碁とは何か?」と聞くと、素っ気なく「碁は例外の多いゲームである」というのが有名な話です。実際、15手以上の「大悪手」を連打したため、"それで勝ちが確定した"という棋譜も本に載ってあります。

Posted by 荘八 at 2006年04月19日 00:22

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという感じです。じゃんけんというのはコイン投げの表裏当てと同じで、ミニマックス戦術の入る余地はないです。つまり「無関係」。
 私がミニマックスを知ったのは普通のじゃんけん、つぎはグリコ・チョコレート・パイナップルのじゃんけんを例にあげての解説でした。
 そのときはものすごく感激したものでした。
 私は嘘を教えられたのですね。。・゜゜・(×_×)・゜゜・。


Posted by 島谷 at 2006年04月19日 04:21

> コミ6目が妥当だとすれば黒が1手も打ってない場面で盤面黒6目勝ちなはずです。
黒の一手目を打ち出さなければ、来るべき未来が定まらず、三次元空間が歪曲します。

例えば1手も打たないで双方が終局と同意すれば、黒は決められた"盤上と無関係"なコミ分負けます。半目負けではないと思われます。
 舌足らずな発言で申し訳ありません。
 私の真意はその時点から双方最善を尽くして終局まで打てばという意味です。
 その時点で終局して勘定するという意味ではありません。 

Posted by 島谷 at 2006年04月19日 04:35

>> コミ6目が妥当だとすれば黒が1手も打ってない場面で盤面黒6目勝ちなはずです。

> 私の真意はその時点から双方最善を尽くして終局まで打てばという意味です。

そうでしたか。失礼しました。
ところで双方最善を尽くして終局まで打てばという事は、双方は碁の神様の意味かと思いますが、
その場合の結果が黒X目勝ちとしますと、コミX目は神様にとって妥当ですが、我々人間にとっては妥当かどうかは不明かと思います。

Posted by 荘八 at 2006年04月19日 08:07

その場合の結果が黒X目勝ちとしますと、コミX目は神様にとって妥当ですが、我々人間にとっては妥当かどうかは不明かと思います。
 サンプル数が少ない場合はそうかもしれませんが、サンプル数が非常に多くなれば勝率が50%になるようなコミX目は神様にとって妥当なコミX目と考えていいのではないでしょうか。


Posted by 島谷 at 2006年04月19日 13:25

> サンプル数が非常に多くなれば勝率が50%になるようなコミX目は神様にとって妥当なコミX目と考えていいのではないでしょうか。

なるほど。非常に多い人間同士の対局サンプルがあれば、神様同士は最善を尽くす事なく、その沢山ののサンプルから得られたコミ値で碁を楽しめるわけですね。納得。^^
ご教示有難うございました。

Posted by 荘八 at 2006年04月19日 14:27

 三山くずしのように解が簡単?な場合は人間でも神の一手が得られますが、碁の場合は神の一手を極めるのは不可能だと思います。
 そこで過去のデータをもとに統計的手法で最善らしき手を模索しているのではないでしょうか。
 碁のプロの頭脳には膨大な棋譜が格納されていてしかも電光石火に引き出すことができるから未知の手に遭遇したときでも私から見たら神様のような手を打たれるのだと思います。

Posted by 島谷 at 2006年04月19日 14:56

島谷さんへ、
評価マップの話は興味が尽きず、まだコメントがあるのですが、今は時間が無いので、取り急ぎ簡単に書けるトピックにします。

私はミニマックス理論はジャンケンにも適用出来ると思います。甲乙ジャンケン勝負300回を想定したとき島谷さんの違和感は次のようなものでしょうか。
理論を知っている甲はグー、チョキ、パーを等しく1/3の割合で出すが、乙は偏った割合で出す。それでも甲は100勝100敗100引分けしか期待出来ない。(極端な例として乙がパーしか出さない場合を考えれば良い)。だからこの理論が役に立つとは思えない。

もしそうなら島谷さんはミニマックス戦略に過剰期待をされているのではないでしょうか。この場合で言えば甲が知らなかったとするともっと悪い結果を招く可能性があります。(例えばグーばかり出せば全敗です。)これを防ぐ戦略がミニマックスだと理解していますが。


Posted by moto at 2006年04月19日 16:02

もしそうなら島谷さんはミニマックス戦略に過剰期待をされているのではないでしょうか。この場合で言えば甲が知らなかったとするともっと悪い結果を招く可能性があります。(例えばグーばかり出せば全敗です。)これを防ぐ戦略がミニマックスだと理解していますが。
 確かに過剰期待していたのかもしれません。
 甲がミニマックスを知らなければ乙はもっと悪い結果を招く可能性もある訳です。(たとえば甲
がチョキばかりしか出さなければ乙は全敗です。)
 じゃんけんに信じられないほど強い後輩がいて「あいこになったら必ず勝つ。だからじゃんけんに勝つ確率は2/3」だと豪語していました。
 こんな人間を相手にした場合はミニマックスで引き分けに持ち込める可能性がありますね。

Posted by 島谷 at 2006年04月19日 17:15

>その場合の結果が黒X目勝ちとしますと、コミX目は神様にとって妥当ですが、我々人間にとっては妥当かどうかは不明かと思います。
 サンプル数が少ない場合はそうかもしれませんが、サンプル数が非常に多くなれば勝率が50%になるようなコミX目は神様にとって妥当なコミX目と考えていいのではないでしょうか。

島谷さんのおっしゃるとおりと思います。

しかし、それ以前の話として、コミの目的は、人間同士が打ったら五分五分になるようにあたハンディです。、黒白の勝率が均衡するようにハンディを与えるのが目的だと思います。

極端な話、人間同士で6目ならば、神様同士で4目であろうと5目であろうとどうでも良いはずです。


Posted by at 2006年04月19日 20:49

投稿直前の修正中に、誤操作して失礼しました。

上に書いたのは、「コミとは何か」ということを明確に言いたかっただけです。
あとで読むと、しつこくてスミマセン。


Posted by Takkun at 2006年04月19日 20:56

しかし、それ以前の話として、コミの目的は、人間同士が打ったら五分五分になるようにあたハンディです。、黒白の勝率が均衡するようにハンディを与えるのが目的だと思います。
 たしかにそうかもしれません。
 しかし、初めてコミを設定したときは神様同士が打ったら黒が4〜5目盤面勝ちになるのでないかとの見解から4目半にしたのではないでしょうか。
 その後、日経がコミ5目半の早碁名人戦(だったかな?)を始め、この方が勝率5割に近いので5目半が趨勢をしめるようになり、さらに6目半になったのだと思いますがどうなんでしょう。
 近似法でも初期値は出鱈目ではなく解に近い数値を設定すると思います。

Posted by 島谷 at 2006年04月20日 04:05

>しかし、初めてコミを設定したときは神様同士が打ったら黒が4〜5目盤面勝ちになるのでないかとの見解から4目半にしたのではないでしょうか。

どちらでもいい話ですが、「神様同士・・」という考え方はなかったと想像します。コミを導入するまでは、黒有利であることが誰の眼にも明らかでしたが、何目が妥当がわからなかったので、とりあえずは、このくらいが妥当かなと決めたのだと思います。

それと、一番最初は三目半だったと、何かで読んだ記憶があります。

Posted by Takkun at 2006年04月20日 07:39

それと、一番最初は三目半だったと、何かで読んだ記憶があります。
 そうか、、、コミのない時代は黒番は手堅く打って1目勝ちがいいとされていましたから、3〜4目勝ちが多かったんでしょうね。
 どうもありがとうございました。

 脱線ついでに、、
 私は4目半でも白を持ちたいシトですが、力戦派のアマは8目半でも黒を持ちたいという人が多いみたいですね。
 アマの大会は7目半の方が勝率5割に近くなるかもしれませんね。

Posted by 島谷 at 2006年04月20日 08:19

樅の間で、勝手読みさんにお相手願っていますが、白は本当に苦しいです。
小生の場合、コミ6目半ならば、絶対に黒持ちです。7目半ならばちょっと考えます、8目半だとさすがに黒を持つ気はおこりませんが。

Posted by Takkun at 2006年04月20日 19:05

 私はヨセが超ヘタなのでコミを出さなければならないというだけでパニックになります。
 だからコミ5目半では互先で勝率50%の人と打つ場合、黒の勝率は20%以下でした。
 いまはコミ6目半ですから黒を握ったらまず勝てません。もうやだ〜(悲しい顔)

Posted by 島谷 at 2006年04月21日 04:31

島谷さんへ。
レスどうも有難うございました。
私は井口さんの価値マップの理論構築に異を唱えているわけではありません。また人間は正確に読めないが、価値マップを経験に基づいて(つまり確率論的に)作成することが出来る、という島谷さんの主張ももっともだと考えています。
そもそもが人間がやるゲームには確率がどこかに必ず入っているので(そうでなければ勝負が試合開始前から決まっている)、この意味では囲碁ゲームもジャンケンゲームも変わらないでしょう(交互着手か同時着手かという大きな違いは無視できませんが)。この点でTakkunさんと荘八さんのジャンケンとミニマックスに関するコメントを読むと、お二人と私はゲームというものに関する根本的な認識が異なっているようです。

なおかつ私は価値マップ理論に違和感を覚えます。というのはプロ高手同士の対局を観戦していると(解説を聞いていると)、価値マップ上の0を選ぼうとしている時も確かにあるが、そうでない場合もあると見受けられるからです。
これの説明にどんな例を挙げても"お前如きの棋力でどうしてそんなことが分かるんだ"と言われるとまともに反論できないので、直球でなくカーブを投げ返すことにします。

私が勝ちマップに対し違和感を持たないのは「同じ対局者が10番碁を打ち、各局何目勝ったかを合計して総数の多い方を勝とする(投了は認めない)」ゲームの場合です。つまり上記価値マップには「囲碁は1目勝っても100目勝っても同じ価値だ」という約束ごとが抜け落ちていると感じているわけです。

端的に言えば「負ける側の最善手をどう決めるか」という問になるかも知れません。



Posted by moto at 2006年04月21日 20:29

端的に言えば「負ける側の最善手をどう決めるか」という問になるかも知れません。
 私は負ける側の最善手は価値マップ0の手とは限らないと思っています。
 価値マップ0の手を選んだ道が山あり谷ありなら、相手がマイナスの手を打つ可能性が多いので敗差が広がらないように価値マップ0の手を打つのが最善かと思います。
 しかし価値マップ0の手を選んだ道が平坦な場合は相手が間違えそうな道を選ぶと思います。
 これが勝負手というのではないでしょうか。

Posted by 島谷 at 2006年04月22日 04:51

>私がミニマックスを知ったのは普通のじゃんけん、つぎはグリコ・チョコレート・パイナップルのじゃんけんを例にあげての解説でした。
そのときはものすごく感激したものでした。
 私は嘘を教えられたのですね。。・゜゜・(×_×)・゜゜・。

ウソを教えられたのではありません。
「グリコ・チョコレート・パイナップルのじゃんけん」では有用ですが、「普通のじゃんけん」では必要ないという意味です。

>じゃんけんというのはコイン投げの表裏当てと同じで、ミニマックス戦術の入る余地はないです。つまり「無関係」。

「普通のじゃんけん」にもミニマックス戦術は適用できますが、そんな難しいことは必要ないでしょ!という意味です。

小生は設計技術者ですが、笑い話にツギのような話があります。誰かが仮定の冷蔵庫の中身がすぐにわかるように、コンピュータを使ってと考えたら、・・・ドアを開けたらすぐわかると奥さんに無視されたとか。

Posted by Takkun at 2006年04月22日 10:45

誰かが仮定の冷蔵庫の中身がすぐにわかるように、コンピュータを使ってと考えたら、・・・ドアを開けたらすぐわかると奥さんに無視されたとか。
 ドアを開けている時間が短くなるので地球にやさしいかも。わーい(嬉しい顔)

 このスレッドのコメントは100を超えました。
 どこまで記録が伸びるか。わーい(嬉しい顔)

Posted by 島谷 at 2006年04月22日 10:52

>ドアを開けている時間が短くなるので地球にやさしいかも。

アハハッ。そうともいえますか。
大企業のHPは、どんな会社も「地球環境への取り組み」などと掲げていますしね。


Posted by Takkun at 2006年04月22日 11:12

> 私はミニマックス理論はジャンケンにも適用出来ると思います。甲乙ジャンケン勝負300回を想定したとき

「ジャンケン」と「ジャンケン勝負300回」とでは意味が違うのではないでしょうか。数百回の長期戦になれば、相手のクセ、心理、状態等の読みの材料が出て来るためミニマックスや他の色んな作戦が考えられますが、普通の意味の(一回の)ジャンケンでミニマックスを適用するには、具体的にどのようにするのでしょうか?

Posted by 荘八 at 2006年04月25日 11:41

 1回のジャンケンではミニマックスは意味がないと思います。
 数百回の長期戦のとき、相手のクセ、心理状態などを読むのがうまい人を相手にしても引き分けに持ち込むことができるのがミニマックスの利点だと思います。
 逆に相手のクセや心理を呑み込んでいて必ず勝てる相手にはミニマックスを使ったら損だと思います。(相手がミニマックスを知らないことを祈ることになりますね^^)

Posted by 島谷 at 2006年04月25日 12:08

> 1回のジャンケンではミニマックスは意味がないと思います。

ですから「ジャンケン」はミニマックスと全く関係ないと言っております。^^

> 数百回の長期戦のとき、相手のクセ、心理状態などを読むのがうまい人を相手に...

「ジャンケン」に限らず、数百回の「ポーカー」、数百回の「マージャン」でも同じです。島谷さんとmotoさんが仰りたいのは「数百回の長期戦の"ゲーム"ならばミニマックスが適用できる」という事ではないでしょうか。(もしそうなら異議なしです^^)

Posted by 荘八 at 2006年04月25日 13:30

 はい、私は大数の法則が適用できるほどの長期戦ゲームならば運の左右するゲームにもミニマックスが適用できると思います。
 荘八さんに賛同いただき大船に乗った気分です。o(^-^)o

Posted by 島谷 at 2006年04月25日 13:40

「ジャンケン&ミニマックス」に対しての拙主張に同意して頂き嬉しく思います。(o^-^)o

因みに「後出しジャンケン」ならミニマックスが適用できます。相手がグーならこちらはパー(マックス)、相手がパーならこちらは.....従って、「後出しジャンケン」はミニマックスを適用でき、後出しの方が勝ちます。

あ、島谷さんは「後出しジャンケン」でも負けたりするかな?!^^

Posted by 荘八 at 2006年04月25日 14:06

 後出しジャンケンってミニマックスを使うまでもないんじゃないですか?
 秒読みされると後出しジャンケン負けます。もうやだ〜(悲しい顔)

Posted by 島谷 at 2006年04月25日 16:02

> 後出しジャンケンってミニマックスを使うまでもないんじゃないですか?

冗談です。すみません。^^

> 秒読みされると後出しジャンケン負けます。

あはは、そうでしたか。私も最近秒読みされると頭が痛くて6な5が打てません。島谷さんの良い影響かもね。^^

Posted by 荘八 at 2006年04月25日 17:11

┓(´_`)┏

Posted by 島谷 at 2006年04月25日 17:17

どうでも、いい話ですが・・・

命題「1回のじゃんけんではミニマックス戦術を適用できなくて、300回ならば適用できる。」

じゃんけんというものが、前回までの結果と独立
である場合
→300回に適用できるのならば、1回にも適用できます。逆に1回に適用できないならば、300回にも適用できません。

じゃんけんというものが、前回までの結果に従属する(独立でない)場合
→ミニマックス戦術は適用できません。

つまり、いかなる場合においても、命題は偽です。

Posted by Takkun at 2006年04月25日 21:38

> 命題「1回のじゃんけんではミニマックス戦術を適用できなくて、300回ならば適用できる。」.....つまり、いかなる場合においても、命題は偽です。

或いはそうかも知れません。^^
「手割り」の定義と同じく、「ミニマックス」の定義も人それぞれのようですね。
一回のじゃんけんは単純な運のゲームですが、複数回のじゃけんは運のゲームではないと思います。例えば最初の9回相手が全部グーを出したとしますと、10回目のじゃんけんは運のゲームではないのが明らかです。

Posted by 荘八 at 2006年04月26日 09:56

例えば最初の9回相手が全部グーを出したとしますと、10回目のじゃんけんは運のゲームではないのが明らかです。
 10回目のじゃんけんのとき相手が賭金をそれまでの10倍にアップしたら何を出したら勝てるでしょうね。┗(-_-;)┛

Posted by 島谷 at 2006年04月26日 11:10

> 10回目のじゃんけんのとき相手が賭金をそれまでの10倍にアップしたら何を出したら勝てるでしょうね。┗(-_-;)┛

「グーでない可能性大でチョキを出せば...」と何かを適用して考え込みがちですが、しかしここで考えてはいけませぬ。相手側を眺め、勇気を出してパーで大金をせしめるべし。o(^-^)o
なぜなら相手はいつもグーを出す、ミニスカートを穿いた美人ママ抱っこの「マックス」という赤ん坊だった。

Posted by 荘八 at 2006年04月26日 12:20

 すべてはパーとなりにけり。
 あじゃパー。

 まっくすさんどうしてるかなぁ、、、

Posted by 島谷 at 2006年04月26日 12:39

ミニマックス理論というのがどうもよくわからんのですが(汗

前から言葉だけは知っていましたが中身まで深く調べませんでした、今回ここでの話が結構続いているのでネットで調べてみました、他にも沢山あるんですね。

で、私の調べた範囲で理解した(と思ってる)ことは・・・

相手がどう出てくるかわからないとき、自分の損害を最小限に食い止めるための作戦を探る理論である。

これ間違いでしょうか?

私の理解したとおりだとすると、皆さんの考えてることと私の考えることが正反対になってしまいます。

少数回のジャンケンでは相手がどう出るかわからない。→ミニマックス理論が適用できる。

多数回のジャンケンだと相手の戦略思想感情等判断できる要素が入ってくる。→確率統計の適用範囲で数学の分野。

と.....

どう適用すればいいのかは、私には未だわかりませんし適用できないのかもしれませんし闇の中^^;

Posted by とんぼ at 2006年04月26日 17:34

 ミニマックスはゼロサムゲームで引き分けに持ち込む方法と私は受け止めています。(間違っているかもしれません。)
 だから、相手の心理を読むことに長けていてジャンケンに強い相手にでもサイコロでこちらの出す拳をきめれば引き分けにもちこめる程度のメリットしか感じていません。(これも大間違いかもしれません。)

Posted by 島谷 at 2006年04月27日 04:47

>相手がどう出てくるかわからないとき、自分の損害を最小限に食い止めるための作戦を探る理論である。

100%、正解です。

>少数回のジャンケンでは相手がどう出るかわからない。→ミニマックス理論が適用できる。

適用できますが、グー、チョキ、パーでは、そんなことを知っていても、知っていなくても同じです。つまり、有用ではありません。

>多数回のジャンケンだと相手の戦略思想感情等判断できる要素が入ってくる。→確率統計の適用範囲で数学の分野。

後半が間違いです。

>ミニマックスはゼロサムゲームで引き分けに持ち込む方法と私は受け止めています。(間違っているかもしれません。)

優勢であれば、優勢を維持する方法です。現在の形勢を維持する方法ですから、スタート時点ではそうなります。

Posted by Takkun at 2006年04月27日 07:02

>後半が間違いです。

「前回の結果に従属しない」と「1回に適用できればすべてに適用できる」の2点と推測します。

相手が人間である場合偏りが出ませんか?
勝つためのジャンケンならなおさら出ると思います。

今二つの理論があって

1:損失を少なくする方法
2:統計と確率によって勝ちを予測する理論

の場合、誰しも2を選びませんか?

この前の深夜番組で給料がジャンケンによって決まるという会社を紹介していました。今月40万の方が結果如何で60万になるか20万になるかです。

こういう場合有用かどうか別にして何かの理論を元にして何かの戦略をたてておかしくないと思いますが、そうすればある法則に則るはずですよね



Posted by とんぼ at 2006年04月27日 18:06

今二つの理論があって
1:損失を少なくする方法
2:統計と確率によって勝ちを予測する理論
の場合、誰しも2を選びませんか?
 2.の理論が確立されていればそうですが、そんな理論ありますか?
例:1回100円の賭金で甲は20回グーばかりだしていた。
 乙は途中から甲の癖を見抜き1000円稼いだ。
 21回目に甲は今度から賭金を5000円にしようと申し出て乙は了承した。
 さて、21回目のジャンケンは乙は何を出したら勝てるでしょう。
 甲の思惑を配慮に入れず統計と確率からいけばパーを出せば乙が勝つ確率は非常に高いことになりますがそうは烏賊の天麩羅ではござりませぬか?

Posted by 島谷 at 2006年04月27日 18:34

>さて、21回目のジャンケンは乙は何を出したら勝てるでしょう。
>統計と確率からいけばパーを出せば乙が勝つ確率は非常に高いことになりますがそうは烏賊の天麩羅ではござりませぬか?

あは、痛いところを^^;

人間の癖はいかがでしょう?
私は最初にパーを出す確率が高いですというよりほとんどパーです、頭が、、、いや^^;。

人間工学的にグーが楽だからです。従ってグーを出す人が多いんです。こういう癖を持った人つまり私に島谷さんがチャレンジすれば勝てる確率は高くなります。そういう統計を研究するのが統計学でありそこから導き出されるのが確率論だと思います。

車の運転でとっさの時に右へハンドル切るか左へ切るか?その人なりの癖は必ずあります。碁でもありません?戦略の分岐点でどっちを選択するか?

と思ってますがはたしてどうなのか?わかりません^^;


Posted by とんぼ at 2006年04月27日 18:50

 推計は無作為でなければ成立しないはずです。
 作為がある場合は統計からの推論は成立しないでしょう。
 私の性格を知り尽くしている人と私のヨミにしたがってジャンケンを1000回したら私は100回と勝てないでしょう。
 ミニマックス手法でジャンケンすれば500回近く勝てることになると思います。

Posted by 島谷 at 2006年04月27日 18:58

>作為がある場合は統計からの推論は成立しないでしょう。

でしょうか?
負け続けるのも楽ではないと思います、作為があればあったでその作為の意味するところと、さて本番の時にどう出るか?作為と同じかまたは逆なのか?。それさえも「癖」として統計の中に入っていたとしたら?

作為が見抜けなかったときは?おジャン?(爆)

Posted by とんぼ at 2006年04月27日 19:27

とんぼさんへ

>そういう統計を研究するのが統計学でありそこから導き出されるのが確率論だと思います。

小生が、motoさんへの反論からミニマックスなどと書いたものだから、横道にそれてばっかりして申し訳ないのですが、全然違います。

大学・大学院時代の小生の専攻は、確率論・最適制御理論・オペレーションズリサーチなどでしたから、motoさんの論理展開に反論したくなったのがいけなかったようです。

でも、おかげ様で、コメントが100を超えるという偉業を達成することになりましたから、良かったのかも?

Posted by Takkun at 2006年04月27日 20:25

作為があればあったでその作為の意味するところと、さて本番の時にどう出るか?作為と同じかまたは逆なのか?。それさえも「癖」として統計の中に入っていたとしたら?
 つまり作為する思考パターンに無作為の要素があるということですね。
 そのときのジャンケンだけではなく1年以上相手のジャンケンのデータを収集し、賭金額、天候、時間、体調、相手の性格などなどを多元配置で統計解析して天候晴れ、気圧1024ヘクトパスカル、賭金額100円、10回勝負、時間14:30分、相手は弱気な中年のときグーグーグーなら次は?、グーグーチョキなら次は?、グーグーパーなら次は?、グーチョキグーなら次は?、、、、である可能性がx%以上と推定することが可能だということを言われたいのですね。

Posted by 島谷 at 2006年04月28日 04:09

いえ、ろくに知らないのに確率とか統計とかの話を持ち出したのでこうなってしまったのかなと思って反省しています、ごめんなさい。

私の言いたかったのはもっとマクロ的なことでした。投手が打者の足の位置でどっち方面を狙うか、又投手の膝の上がり具合手の位置から球種を読むとか、いわゆる周辺視と言われるものです。

また、意図されたものであればその人なりの作為パターンは存在すると思います。そのパターンから次のパターンへ移る癖もあると思ってます。

Posted by とんぼ at 2006年04月28日 17:53

私の言いたかったのはもっとマクロ的なことでした。投手が打者の足の位置でどっち方面を狙うか、又投手の膝の上がり具合手の位置から球種を読むとか、いわゆる周辺視と言われるものです。
 それは統計の問題ではなくヨミの問題ですね。
 詰碁の正解着手は統計で求めるのではなくヨミ切りでも求めます。
 碁もみやまくずしのように正解が解明されていれば統計の余地はないでしょう。
 正解が解明されていないから正着としての確率が低い手を悪手とするのだと思います。
意図されたものであればその人なりの作為パターンは存在すると思います。そのパターンから次のパターンへ移る癖もあると思ってます。
 癖というのはその人で制御できないもの、無作為なはずです。
 その人の意志で制御できるものは統計の確率の対象にならないと思います。
 癖は無作為だからこそ統計・確率で推定できるのではないでしょうか。
 統計データは無作為抽出であるから意味があると思います。

Posted by 島谷 at 2006年04月28日 18:09

>それは統計の問題ではなくヨミの問題ですね。

最終的にはそう呼ぶのかもしれません、しかし投手によって球の握り具合も肘の上げ下げも違うはずですのでデータが何もない状態では読めません。そのためのデータ取りを統計をとると解釈しました、間違いかもしれません。

>その人の意志で制御できるものは統計の確率の対象にならないと思います。

意思で制御できないからこそ行動様式が何パターンかに集約されるのではないでしょうか?そしてそのパターンの結果がどう出るのかをデータ化(統計)すれば将来の予測がつきません?しかしいつもそうなるとは限らないでしょうからそこで確率という言葉を使わせていただきました。


Posted by とんぼ at 2006年04月28日 18:45

引用箇所間違えました^^;

Posted by とんぼ at 2006年04月28日 18:47

 統計・確率に関するイメージがとんぼさんと私と全然違うようです。
 私のイメージはとんぼさんとTakkunさんと間なので中途半端でいちばん間違っている可能性が濃厚です。
 差し出がましい発言をして恐縮でした。統計・確率の専門家のTakkunさんのご意見を傾聴することにします。

Posted by 島谷 at 2006年04月28日 19:03

>そういう統計を研究するのが統計学でありそこから導き出されるのが確率論だと思います。・・中略・・全然違います。

>差し出がましい発言をして恐縮でした。統計・確率の専門家のTakkunさんのご意見を傾聴することにします。

島谷さんに発言を促されましたので、あつかましいとは思いながらも132番目のコメントです。

「ユークリッド幾何学」というのは、わずか四つの公理と一つの公準を出発点として、最低限の必要なことを定義していく中で、無数の定理を導き出していきます。

「代数学」というのも、自然数から始まり、四則演算など、必要なことを定義して中で、無数の定理を導き出します。

「確率論」も、いくつかの言葉を定義して、「○○が△△の確率分布に従うとしたとき、xxは□□になる。」というような定理を、たくさん導いている『一般論』です。

また「統計学」というのは、確率がわからない場合に、現実のデータを得ることで、確率を知ろうという学問です。「統計学」も、「○○というデータからは、△△は××といえる。」というような定理を、たくさん導いている『一般論』です。

「原因と結果」の因果関係がわからないものに対しては、そういうアプローチしかできないから「確率」があるので、島谷さんがおっしゃるように、因果関係がわかるものであれば「確率」も「統計」もないですね。

それから現実のことでは、『一般論』にのらないことが非常に多いです。それらを何に適用できるかは個々に考える話であって、適用方法が適切か否かだけです。確率論や統計学は、常に100%正しいのです。

適用方法が適切かどうかというだけ!
ジュースはコップで飲み、ご飯は茶碗を使うと思います。ご飯をコップに入れて食べると食べにくいのですが、だからコップは悪いという人はいないと思いますが、それと同じです。

とんぼさん。
「そういう統計を研究するのが統計学でありそこから導き出されるのが確率論だと思います。」ではないことを、理解いただけましたでしょうか?
そういう統計は研究しないのです。また確率論は統計から導かれるものでもありません。

Posted by Takkun at 2006年04月28日 23:21

わかりましたありがとうございます。^^

ところで後学のために教えてください

1:こういう場合のデーターを取って解析することをなんて呼べばいいんでしょう
2:もう一つその事象Aが何回かおきたときにBの発生する割合を何て呼べばいいんでしょう。

わたしは今まで大きな間違いをしていたのですね(涙

Posted by とんぼ at 2006年04月29日 01:07

とんぼさん、返事をありがとうございます。

>1:こういう場合のデーターを取って解析することをなんて呼べばいいんでしょう

データを取ること→データ取り
得られたデータから解析すること→データ解析
「データ取り」「データ解析」という言葉は、技術者が普通に良く使う言葉です。データの取り方によって、結果が大幅に変わることがあるので、そのための注意が必要です。(技術者にとってはあたりまえのことです。)
特にそれが「確率的な場合」には、「統計学」の知識が必要になります。(技術者でも、確率・統計については殆ど知らないですね。)

>2:もう一つその事象Aが何回かおきたときにBの発生する割合を何て呼べばいいんでしょう。

特に、そういう言葉はありません。
ところで、「割合」と「確率」とは全く違う概念です。同じような意味で用いられているようですが。

Posted by Takkun at 2006年04月29日 06:39

特にそれが「確率的な場合」には、「統計学」の知識が必要になります。(技術者でも、確率・統計については殆ど知らないですね。)
 ということでパンピーは標本採取のことを統計と読んでいると思います。
ところで、「割合」と「確率」とは全く違う概念です。同じような意味で用いられているようですが。
 パンピーは同じような意味で使ってると思います。
例:1週間のうち金曜になる確率はナンチャッテ




Posted by 島谷 at 2006年04月29日 07:02

>パンピーは同じような意味で使ってると思います。
例:1週間のうち金曜になる確率はナンチャッテ

このような例は良くありますね。ニュースキャスターが「割合」と言うべきところを「確率」と言います。「割合」という言葉よりも「確率」とう言葉の方が(理論的で)高尚なイメージがあるのでしょうか?だから、一般人が誤解するのも無理はないですね。

Posted by Takkun at 2006年04月29日 07:22

修正します

-<修正開始>-----------------
今二つの方法があって

1:損失を少なくする方法
2:データ解析と割合を求める事によって勝ちを予測する方法(数学的分野)

の場合、誰しも2を選びませんか?
-<修正終了>---------------------

でいいでしょうか?

修正していたところで急に腹が立ってきました

-<引用開始>-------------------------
特にそれが「確率的な場合」には、「統計学」の知識が必要になります。(技術者でも、確率・統計については殆ど知らないですね。)

特に、そういう言葉はありません。
ところで、「割合」と「確率」とは全く違う概念です。同じような意味で用いられているようですが。
-<引用終了>-----------------------

つまり世間一般では誤用される場合が多いということですね

前回私が統計の発言をしたときに、単純に>間違いです
だけでなくここまでを付け加えていただければ、こんなに長引かなかったし早く結論が出ていたような気がします。


Posted by とんぼ at 2006年04月29日 09:39

1:損失を少なくする方法
2:データ解析と割合を求める事によって勝ちを予測する方法(数学的分野)

の場合、誰しも2を選びませんか?
 比較のしかたが不公平だと思います。
 提示された比較なら誰しも2を選びます。
 ミニマックス戦略と他の戦略を比較するなら
データ解析と割合を求めることによって
1:損失を少なくする方法
2:収益を多くする方法
のどちらを選びますか?

とすべきだと思います。
 慎重派は1.積極派は2.を選ぶのではないでしょうか。
 あるいは現状満足なら1.現状打開なら2.となると思います。


Posted by 島谷 at 2006年04月29日 12:03

>データ解析と割合を求めることによって
>1:損失を少なくする方法
>2:収益を多くする方法
>のどちらを選びますか?
>とすべきだと思います。


ミニマックスは戦略の分析でデータ解析は行っていないと思います。
したがって


1:戦略を分析をすることによって損失を少なくする方法
2:データ解析と割合を求めることによって収益を多くする方法
のどちらを選びますか?

でどないでしょ^^;

まぁ人それぞれで正解はないと思いますが

>慎重派は1.積極派は2.を選ぶのではないでしょうか。
>あるいは現状満足なら1.現状打開なら2.となると思います。

同意^^

Posted by とんぼ at 2006年04月29日 14:19

ミニマックスは戦略の分析でデータ解析は行っていないと思います。
 ですからデータ解析を行っていない戦術とデータ解析後に行う技法を比較してはいけないと思うのです。
 比較をするならデータ解析後に
1:ミニマックス
2:マクシマックス
のどちらを選びますかとしないと比較が不公平になると思ういます。

Posted by 島谷 at 2006年04月29日 14:31

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