中国ルールなら終局の判定はわかりやすいから中国ルールにすべきだという意見も少なくない。
しかし吾輩は中国ルールで碁を打つ気がしない。吾輩はただでさえヨセが大嫌いだ。ヨセが終わって単なる終局処理を1手ずつ神経を集中して打ち進めなければならないとは考えただけでゾットする。
曖昧さを尊び素っ気なさが大嫌いな日本人気質に碁が受け入れられたのは日本ルールの賜だろう。
ザル碁仲間で碁では終局処理のとき一方の石が足りなくなると石が残っている側の石でダメを詰めて済ませる。こんな融通を利かせることができるのは日本ルールならではだ。
日本ルールですっきりと終局の判定ができないだろうか。なけなしの頭を絞って考えてみたところ日本棋院囲碁規約の
第七条−2 第九条の「対局の停止」後での、死活確認の際における同一の劫での取り返しは、行うことができない。ただし劫を取られた方が取り返す劫のそれぞれにつき着手放棄を行った後は、新たにその劫を取ることができる。を下記のように訂正したらどうかと思いついた。
第七条−2 第九条の「対局の停止」後での、死活確認の際において石を抜かれた場合の取り返しは、行うことができない。ただし石を抜かれた方が同一の場所についてそれぞれ着手放棄を行った後は、石を取り返すことができる。
これなら同型の循環もなくなると思う。どうだろう?
着手禁止を増やすと、変な判定も増える様です。
まずいですねぇ、、
日本ルールではすっきりした終局の定義がむずかしいんですねぇ。(涙)
同型反復時は、以前と同じ着手を禁止すると、それほど問題無さそうに思うのですが、
どうでしょう。
同型反復は、有限回しか繰り返しません。
同型反復禁止と同型再現禁止では判定が逆転することがあるようです。
両コウゼキが死石になります。
3パス、4パスの後、5と取ると、6と取り返せなくなります。
まあ、困ったもんです。
文が南海キャンディーズ
黒がパスをした時点でE1への取り返しが可能になり、
白がパスした時点でA4への取り返しが可能になります。
日本棋院囲碁規約は欠陥ルールですねぇ。
黒パスの後に、白パスが必要になると、セキ崩れが、崩れなくなってしまいます。
まさに、欠陥ルールです。
国際棋戦などでは、あまり使ってほしくないですねぇ。
日本囲碁規約第七条の適切な改正案が
ドイツのロベルト・ヤシエックさんによって発表されています。
実際には規約の全面改訂になっています。
日本囲碁規約(1989)は記述が曖昧なだけではなく、
死活例17の解説の結果を再現できないというバグもあります。
ヤシエックさんはそれらの問題をことごとく解決しています。
個人的にはすごい力技だと思いました。
詳しくは最近 goxi の方に書いた公開日記を読んで下さい。
ttp://goxi.jp/?m=diary&a=page_list&target_c_member_id=3366
日本棋院囲碁規約は論外としてどの方式でも囲碁は終局が面倒ですねぇ。
純碁のように盤に残った石の多少を競う方法にしても無味乾燥な石置き作業が対局の中と思うとウンザリします。
中国ルールの利点は、合意できない場合には対局を再開によって合理的に決着をつけられることです。
実は1968年に発表された池田敏雄囲碁ルール試案の「日本式I、II」は同じことを日本ルールでも可能にしています。
アイデアは単純で「原則としてパスパスで対局停止後の対局再開から終局までのあいだに対局者双方が同じ個数の石を盤上に打たなければいけない」とすることです。
日本ルールでパスパスで対局停止する場面は盤上に有効な手がひとつも無くなったときです。すなわち対局者の双方が「損をするからどこにも石を打ちたくない」という局面です。そういう局面であっても相手も同じ個数だけ盤上に石を打ってくれるなら、一方的に自分だけが損をせずに自分の地に手を入れて相手からのコウ材を無くしてから、死活の判定が怪しい石を取りに行くことができます。
両対局者の棋力が十分に高く、マナーもしっかりしていれば、パスパスで対局停止した後に死活で合意できずに対局再開となるのはまれでしょう。
だから通常の場合には何も変わらない。
日本囲碁規約だと合意できない場合の扱いがかなり面倒になります。
それに対して池田式ルール「日本式I、II」では、死活の判定がデタラメな人がいたとしても、対局を再開して、実際には死んでいるのに活きていると言われた石を打ち抜いたり、実際には活きているのに死んでいると言われた石を明確な活き形にして勝つことができます。
KGSあたりでこのようなルールを採用してくれたら素晴らしいことだと思います。
ドイツのロベルト・ヤシエックさんも本質的に同じことを指摘しています。
日本囲碁規約第七条2を文字通りに受け取ると、日本囲碁規約死活例17の解説の結果が再現されなくなります。白側が両コウにおいてコウを取り返すためのパス合戦を仕掛けて無限ループに陥らせることが可能になります。
ヤシエックさんは日本囲碁規約第七条2を別のルールにしてしまうことを提案しています。
・「対局の停止」後の死活確認の際において、両対局者は自分の手番で取ることが禁止されているコウが存在するときおよびそのときに限って(盤上への着手とパス以外に)「コウパス」を行なうことができる。
・同死活確認の際において、一方の対局者のコウ取りからどちらかの対局者による「コウパス」が行なわれるまでのあいだ、もう一方の対局者はそのコウを取り返してはいけない。「コウパス」のあとに両対局者は任意のコウを取り返せるようになる。
このようなルールで日本囲碁規約第七条2を置き換えれば欲しい結果が得られます。
日本囲碁規約第七条2は明確に間違いだと(説明が曖昧だというレベルの問題ではないと)思われるので、日本棋院はできるだけ早く修正をした方が良いと思います。
この点が、異なってくる様ですね。
読売・朝日・毎日・日経・新聞囲碁連盟・NHKなど報道各社が囲碁規約を作成してこの囲碁規約でなければ日本棋院と契約しないとするほかなさそうですね。
問題は、両コウのそば劫がくっついているときに、「コウを取り返すためのパス」合戦による無限同形反復に持ち込まれると、死に石と判定されて欲しい石を取れなくなってしまうということでした。
日本囲碁規約に以下のルールを追加すればその死活例17の解説の結果を再現できるようになります。
・死活確認のための仮想手順においてたとえ「コウを取り返すためのパス」であろうとパスが連続したなら、仮想手順の停止とする。
・死活確認のための仮想手順の再開の要請には応じなければいけない。
・死活確認のための仮想手順の再開は石を殺そうとしている側の手番で始まるものとする。
これで死活例17の解説の結論を再現できるようになります。
でも、「有効手が見当たらないという理由でなされたパス」の連続で対局の停止とすることは自然ですが、「コウを取り返すために取り返したいコウをしていしてなされたパス」の連続で仮想手順を停止するのは全然自然に感じられませんね。やはり、ヤシエックさんの修正の方が美しいと思います。
rec.games.go における英語での議論をちょっと覗いてみましたが、日本囲碁規約はかなり評判が悪いです。
このままでは公式の国際ルールとして、地と盤上の石で計算する中国式のルールだけが生き残って、地とアゲハマで計算する便利な日本式ルールは「非公式ルール」として生き残るだけになってしまうかもしれませんね。
池田囲碁ルール試案「日本式I、II」のような海外ではよく知られている合理的な日本式ルールがすでにあるので非常に残念です。
読売・朝日・毎日・日経・新聞囲碁連盟・NHKなど報道各社が囲碁規約を作成してこの囲碁規約でなければスポンサーにならないとするほかなさそうですね。
数えないタイプも、作っておくと良いですね。
英訳版では訳者が6種類に増やしています。
「中国式I」=純碁
「中国式II」≒通常の中国ルール
「中国式III」=池田式中国ルール
「日本式I」=池田式日本ルールI
「日本式II」=池田式日本ルールII(セキの目は地でない)
「日本式III」=池田式日本ルールIII
計算法については
「中国式III」=「日本式I」
「中国式II」=「日本式III」となっています。
「日本式I、III」ではセキの目も地とみなしますが、
「日本式II」ではセキの目を地とみなしません。
これらすべての池田ルールの特徴は終局のための合意ができない場合には
最後まで打って合理的に決着を付けられることです。
どんなに複雑怪奇な珍形が出て来ても審判に
「これの死活はどう判定するんですか?」
と聞く必要がなく、盤上ですべての決着をつけることができます。
むしろこのルールで審判が「この石は活きている」などと対局者に言ってしまったら
助言になってしまうので審判をクビにしなければいけなくなります。
日本ルールとは言っても、中国ルールもどきという感じですね。
手入れ中や手入れ後でも、コウ争いになる可能性は、中国ルールと同程度に、大きそうですね。
ttp://sowhat.ifdef.jp/igo/chinese/ の「18. パスをめぐって1」の例では
通常の中国ルールなら通常の日本ルールより黒が2目得をでき、
池田試案「中国式III」と「日本式I、II」なら黒の得は1目に減ります。
池田試案「中国式III」「日本式I、II」では
通常の日本ルールと通常の中国ルールの中間の結果になることが多い。
「死活は対局の継続で実戦的に解決すべきだ」という立場に立つと、
コウに強ければ半コウをつがずに終わりにして、
半コウ部分の欠け目も自分の地だと主張できます。
本因坊秀哉はそうするのが正しいという立場だったようです。
ttp://tmkc.pgq.jp/igo/j_s6/j6030001.html
「コウに強ければ半コウをつがずに活石と主張できる」という性質は
中国ルールの特徴ではなく、死活を対局の継続で解決するルール全般の
特徴なのでしょう。
この点にアレルギーを示す日本ルール愛好者は結構多いと思います。
私も最初はかなりの違和感を感じました。
しかし、ゲームとしてはそうなった方が面白そうなことに気付いて、
違和感が無くなりました。
日本ルールになれて「自分の地に無駄に手入れをすると損になる」
と考える癖がついてくると、「自分の地に手を入れても損にならない
(駄目が偶数個ならまったく損にならない)」という中国ルールの性質は
「ぬるい」と感じてしまいます。
しかし、逆に中国ルールになれていれば「コウに少々弱くても最終盤に
思わぬ損をしなくてすむ」という日本ルールの性質を「ぬるい」と感じる
のではないでしょうか?日本ルールのこの「欠点」は本因坊秀哉判定を
日本棋院が否定し、その否定を「伝統」のようにしてしまったことから
固定されてしまいました。
このように考えればアレルギーを感じることはちょっと無理になります。
P.S. ちなみに同形反復の完全な禁止を日本囲碁規約(1989)に近い形で
ゆるめたルールも提案されています。
7条2項の様なルールを用いるのは、発想としては良いと思います。
まあしかし、完全に検討不足ですね。
ワールドマインドスポーツゲームズ2008では池田敏雄囲碁ルール試案「中国式III」を採用しました。「中国式III」ではすぐ上に書いた中国ルールの欠点が無くなり、日本ルールと同様に「対局の途中に自分の地に無駄に手を入れると1目損をする」という特徴を持ち、さらに驚くべきことに「中国式III」の「地と活石」による中国式計算法を採用しているにもかかわらず、日本式の「地とハマ」による計算法と同値になります(ただしセキの目も地とみなす)。その結果、黒と白の得点の差も日本ルールと同様に奇数にも偶数にもなりえます。
ワールドマインドスポーツゲームズ2008がこのようなルールを提案したことに対して、中国ルールの修正結果が日本ルールにあまりにも似ている過ぎるなら新しいルールを作る意味がない、のように非難するのは正しいでしょうか?
これは三つの意味で誤りだと思います。
1.もとルールの欠点を修正することになるのだから、たとえ別のルールに似過ぎるルールになったとしても意味がある。
2.中国ルールの日本ルールへの歩み寄りは普段日本ルールで打っている人にとってありがたいことだ。修正結果が日本ルールに似ていれば似ているほどありがたい。
3.実際には池田試案「中国式III」は計算法が「日本式I」と同値なだけで、それ以外の点も完全に同じわけではない。それと似ている「日本式I」は慣習的な日本ルールと明らかに異なる特徴(セキの目も地になる)を持っている。
これの逆も成立しており、慣習的な日本の囲碁ルールを「部分(独立)死活論」ではなく「本因坊秀哉判定」の方を正当化する形で改良修正した「日本式I」は「中国式III」と完全に同じルールではないし、「中国式III」は通常の中国ルールとはかなり異なる性質を持っています。
これらのルールの存在価値は少なくとも2つあります。
A.異なるルールを互いに歩み寄らせた「国際ルール」として採用すると良さそうなこと。
B.これらのルールを採用すれば通常の中国ルールや通常の日本ルールの欠点を修正できること。
それぞれのルールの欠点を修正したら、結果的に日本ルールと中国ルールが互いに歩み寄ることになったというのは非常に興味深いと思います。
また、各ルールがしっかりしていれば、必ずしも別途国際ルールを作る必要は、必ずしも有るとは言えないでしょう。
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