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└○B●A○C●●●○┴┴┴┴┴┴┴┘
左図は大橋拓文7段vs潘善キ7段の対局停止の局面だ。├┼●○●┼●●●○○●┼┼┼┼┼┼┤
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└○B●A○C●●●○┴┴┴┴┴┴┴┘
ここで黒A・黒Cと手入れをすれば白半目勝ち。白A黒ヌキ白A黒ヌキと白が手入れすれば黒1目半勝ちになる。
この碁はこの局面のまま審査会に「勝負預かり」となり黒1目半勝ちの裁定となったとひろふみブログ☆の万が一!に記された。
吾輩はこの裁定に納得がいかず不可解な日本棋院裁定を記したがたかお日記のルールは難しいに詳細な解説があり白が負けであることは理解できた。
吾輩は日本棋院囲碁規約の難解さにウンザリしたがひろふみブログ☆の深奥へ・・・では囲碁は奥が深いと感嘆されていた。やはりプロは違うなぁと感じた。
しかし、考えれば考えるほど日本棋院の裁定に疑問を感じる。
そもそも対局者同士で手入れがいるかいらないか相談するのはおかしいのではなかろうか。
どちらが手入れするかを裁定を仰ぐことは助言を求めることだし、どちらかに手入れをさせるのは助言をしたことになる。
パスパスの時点で両者手入れしないことを主張したら手入れしない状態で判定すべきだろう。
両者手入れしない状態で黒は白死を主張し白はセキを主張して裁定を仰ぐべきだ。
セキならセキの部分の黒地はゼロだから白1目半勝ちになる。
白死なら黒22目半勝ちだ。
したがって黒22目半勝ちの裁定になるはずで黒1目半勝ちの裁定はおかしい。
また黒勝ちの結論は得られるにしても同型反復を繰り返し循環するたびに白は1目損をする循環は地の多少を争う碁の目的に反するから認められないという日本棋院囲碁規約の解釈はこじつけも甚だしい。
運の伴わないゲームは得する手を打って勝つのではない。損する手を打って負けるのだ。損する手を打ってはいけないのなら碁を打つことはできなくなる。
損か得か即座にわからない損はいいがはっきりわかる損を打ってはいけないというのもおかしい。はっきりわかる損とはなにか。プロなら一目でわかるはっきりした損でもアマでは損か得かわからないことが多い。
級位者はこれは損だと口を酸っぱくして注意しても平気で損な手を打つ。これをルールで認められないといったらどうするのだ。
地の多少を争う碁の目的に反するから認められないという表現ではなく循環するたびに損を重ねる同型反復は禁止と明記すべきだと思う。

終局時の死活判定での同型反復に関する規定が、ありません。
片手落ちです。
ルールの美しさにこだわる人がいますがナンセンスの極みだと思っています。
競技が楽しくトラブルなく運営できればルールは複雑でもいいはずです。
麻雀のルールは複雑で不合理ですが、複雑だから嫌だとか混一色が3翻なのは確率的に不合理だとか言わずに遊ばれています。
ルールの見た目を美しくして競技の運営に支障を来すのは本末転倒です。
こんなルールでは碁を薦めることができません。
←終局は相手と相談しお互い同意したら終局になるのです。手がいるかどうか片方が納得しなかったら終局になりません。終局を相談するのは通常のことだと思います。
パスパスの時点で両者手入れしないことを主張したら手入れしない状態で判定すべきだろう。
←だから日本棋院も手入れしてない状態で手がいるかどうか判定してるじゃないですか。
また黒勝ちの結論は得られるにしても同型反復を繰り返した循環するたびに白は1目損をする循環は地の多少を争う碁の目的に反するから認められないという日本棋院囲碁規約はおかしい。
←じゃあ、囲碁の目的ってなんなんですか?地を争うことじゃないんですか?
地の多少を争う碁の目的に反するから認められないという表現ではなく循環するたびに損を重ねる同型反復は禁止と明記すべきだと思う。
←トートロジーにすぎません。
こんなルールでは碁を薦めることができません。
←結局不平しか言ってませんよね、じゃあ、「こんなルールだからやめだ!」といって碁をやめたらいいじゃないですか。指導者にも向いてないですよね。
終局かどうかを相談するのは構いません。手入れの有無を相談するのがおかしいと言っているのです。
パス・パスで対局停止になるわけですね。
ここでどちらかが手が残っていると思えば終局に同意せず対局再開になるわけです。
こんな手がありますよというのはおかしいと私は言っているのです。
日本棋院の裁定は白に手入れをさせて勝敗を決めていますね。
私はこれがおかしいと言っているのです。
手入れしない状態で両者は終局と言っているのですから白死という裁定で黒22目半勝ちとすべきだと私は主張しているのです。
日本棋院で裁定すべきは手がいるかいらないかではなくその局面での死活の裁定であるべきです。
日本ルールでは地の多少を争うものです。
しかし損する手は目的に反するから打ってはいけないというのなら碁は打てないではありませんか。
損な手を打ったら碁の目的に反するから反則だと言ったら私など1手目で反則負けになりそうです。
私の悪い癖で2つのテーマを1つにまとめてしまったことにも原因があるようです。
テーマを2つに分けて追記します。
両者手入れ必要なしと主張したのならその時点で終局になるわけですね。
そこで黒はこの白は死と主張し、白はセキだと主張して勝負預かりになるのなら理解できます。
日本棋院はその局面で白死かセキかを裁定して白死なら黒22目半勝ちセキなら白1目半勝ちとすべきです。『手入れしなければ白死ですよ。』『ああそうですか、それなら手入れします。黒1目半勝ちですねぇ。』これはないでしょと私は言いたいのです。
手入れしなさいということは終局していませんよということです。終局前の裁定は助言にほかなりません。
これには異論ありません。
損な手だから認められないということを裁定に入れるのが不当だと言っているのです。
ルールというものは誤解が生じないように作るべきです。
死活判定の際には循環するたびに損を重ねる同型反復は禁止と明記すれば誤解の生じる余地はないでしょう。
損な手を打ってはいけないなら、どんな石でも活きですねぇ。
地の定義を、石の死活確認の結果を用いて定義しています。
このことからも、死活の定義に、地の話を持ち出すことは、おかしいことだと思います。
日本棋院囲碁規約は問題がありますねぇ。
酒井9段がいなくなったらどうするつもりなんでしょうねぇ。
島谷さんの怒りはもっともだと思います。日本囲碁規約には問題があります。ただし、現在の日本囲碁規約はおそろしくあいまいでかつ論理的にも汚く複雑なルールだと思います。
ワールドマインドスポーツゲームズでの囲碁ルールを決めるときにも日本棋院が単純できれいなルール(もともとは日本の池田敏雄氏が提案したルール)に蛇足をたくさん付けさせて大顰蹙を買っていたようです。
ttp://home.snafu.de/jasiek/WMSGrules.pdf
ttp://home.snafu.de/jasiek/wmsgc.pdf
にあります。もとになった池田敏雄囲碁ルール試案(1968年発表)については
ttp://tmkc.pgq.jp/igo/j_menu.html
池田氏は次の5種類のルールを提案しています。
「中国式I」=純碁
「中国式II」=中国ルール
「中国式III」=WMSG2008で採用された中国ルールの一種
「日本式I」=「中国式III」と計算結果が等しくなる日本ルールの一種
「日本式II」=セキの目を地とみなさない通常の日本ルールの一種
「日本式I」と「中国式III」が同値であることは注目に値します。池田試案では日本ルールと中国ルールの双方を自然に歩み寄らせることによって統一が実現されているわけです。
次のページにある昭和初期に起こった本因坊秀哉と久保松勝喜代名誉九段のあいだの論争も面白いです。
ttp://tmkc.pgq.jp/igo/j_s6/j6030001.html
「日本式I」ルールは本因坊秀哉の判定を支持します。現在の日本囲碁規約では本因坊秀哉の判定は否定されてしまいます。「日本の伝統」という観点から本因坊家の当主の判定は無視できないはずですが、日本棋院は昭和にあいだに本因坊秀哉判定を完全に否定してしまいました。
ぴかぐりさんのコメントはURLが記入されていたためSeesaaが受信しませんでした。
幸いSendmailでメール受信したのでURLをttp://とh抜きにして私がアップしました。
今後URLを記入するときは ttp:// のように不完全な形にしてください。
この時に一つ問題あるのに気づきますか?
例えば、女性が負けを確信して「投了」の判断を下しペアを組んでいる男性に相談しても、男性が「投了」を拒否すれば「何かまだ手がある」と「投了」を判断した女性は考えます。
これでは、お互いに助言しあいルール違反になります。
だからペア囲碁の場合、「投了」をペア同士で相談して時点で、「負け」と判断します。
ルールにも色々ありますが、勝敗が決まるまでは無言で打つのが基本中の基本です。
これはペア囲碁でなくても、1対1で対局する場合でも同じことです。
アマの場合ですが、時々問題になる事があります。
今回のお話と似ている箇所もあると思います。
それは、もう打つ場所がないと判断した相手に「ダメを詰める」ことを確認することです。
たまにダメが詰まってきて、アタリになり勝っていたのに、逆転負けという場合もあります。
私個人の意見ですが「ダメ」=「終了」とは考えておりません。
先ほども話したように、「ダメ」が詰まってくると最後に「打ち上げ」しないといけない場合があり、まだ「手」が残っている時もあるからです。
だから自分が「もう打つ場所がない」と考えているだけで、相手も同じ考えであるとは限りません。
結局この問題も、自分が「もう打つ場所がない」と判断しても、また「ダメ」を詰めることを求められた相手も、今後はペア囲碁同様にダメを詰める時も話さずに終了させるべきです。
だからブログ主さんが言うように、ましてや対局者同士が相談しあうなんてもっての他。
確かにプロでも判断し兼ねない場合もあるけど、第三者(今回は日本棋院)に助言を求めるなんて、その程度の実力のプロ棋士なんです。
まぁ、どちらも負けたくなかったので必死になってただけでしょう。
これはルール以前に、人間性やマナーに問題ある気がします。
今回問題視されている棋譜ですが、単純明快ですよ。
要するに問題箇所の黒もしくは白が「取られる」か、両者の地にならない「セキ」にするかです。
あと次がどちらの手番なのかでも結果は変わってきます。
また両者各自がどのように考えているかにもより、変わってきます。
例えば黒番で、
@「白石を確実に取りたい」という考え
黒B白A・・・で「コウ争い」に持ち込みます。
ただし「コウ争い」の場合、必ず勝たないといけないとハイリスクもあります。
A「セキ」を選択
この場合はブログ主が言ってる通りの手順で打てば、どちらかも打てないので「セキ」になります。
ただブログ主の言うとおり「セキ」選択に場合、白1目半勝ちで黒負けになるそうです。
次に白番の場合
@「コウ争い」
残念ながら、白からの「コウ荒らし」の手順はありません。
A「セキ」を選択
「セキ」を選択し場合、ブログ主の言う手順で出来ますが、結果は黒の1目半勝ちで白負けになるそうです。
ご覧の通り、同じ「セキ」でも手番が黒か白かで勝敗が変わります。
ただし、ブログ主が言うようにどちらからも手を入れない方法の「セキ」の場合、白1目半勝ちで黒負けになるそうです。
しかし白の言う通り「どちらからも手を入れないセキ」を選ぶと負けるので、黒から「コウ争い」に持ち込むしかありません。
(黒からのセキの場合、黒番Aの通り黒負けになるのでありえない)
恐らくここで、白が「パス」を言ったと推測されます。
(どちらからも手を入れないセキにしないと、確実に勝てないため)
白が「パス」を言った時点で「何も手は無い」と判断できます。
しかし黒が手があると言えば、「コウ争い」なりなんらかの手法を仕掛けてくるでしょう。
だから今回も「黒から手がある」と判断され、白番だったから、白A黒ヌキ白A黒ヌキを選択して結果黒1目半になったのだと思います。
ただブログ主が言うように、対局両者が何もない「パスパス」を判断した場合は、当然「どちらからも手を入れないセキ」を選択するしかありません。
実際は両者が相談されたそうですが、これはお互いに「手が見えていない」・「手がない」と同じ意味です。
だからやはり「パスパス」するしかなかったでしょう。
また第三者の日本棋院としては、相談しあった両者を失格とし対局無効とするべきだったと思います。
次の手番が白を前提とすると、白が「パス」を言っても黒が「手がある」と思えば仕掛けてくるというお話をしました。
白:パス
(どちらからも手を入れないセキと判断)
↓
黒:手があると判断。
↓
白:セキなのでどちらの地でもないと主張
↓
対局停止:日本棋院が裁定
こんな感じ?だったと推測されます。
確かに白が勝つためには「パス」を選択するしか
ありませんが、黒が「手」があると言えば黒の手番なら黒が手を入れて当然です。
だから日本棋院が裁定した行為には問題ありますが、黒1目半勝ちという結果はブログ主が言う通り当然でしょう。
だって黒番なのに、白が「手は何も無い。だから何もするな」と言うのはオカシイでしょ?
初めにも言ったけど、第三者の日本棋院に裁定をされるようでは、まだまだ両者プロとして未熟です。
ちゃんと当人同士で解決できるようにしてもらいたいですね。
今の日本棋院には何を言っても無駄でしょうね。
棋戦主催者が理想的なルールを作って自社の囲碁はこのルールで行うとするほかなさそうですね。
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