2004年12月15日

平和ボケ

 文部科学省がゆとり教育を見直し、授業時間を増やすようにするというニュースが流れた。
 子供の学力低下が社会問題となり、その原因がゆとり教育にあるという世論に応える政策のようだ。
 私は、学力低下をゆとり教育になすりつけるのはとんでもない見当違いだと思う。
 私はゆとり教育を撤廃し、授業時間を大幅に増やしたとしても、落ちこぼれ学童を増やすことがあっても学力低下に歯止めをかけることができないと思っている。
 私は子供の学力低下の原因は、無学であってもそこそこの生活ができそうな社会環境にあると信じてやまない。
 つまらない勉強を我慢してしなくても生活できるのなら苦痛に耐えて勉強に励むだろうか。

 鳥が空を飛ぶのは好きこのんで飛んでいるのではなく、天敵から逃れるためにやむを得ず飛ぶのだそうだ。
 確かに引力に逆らって空を飛ぶのは重労働だろう。
 キューイという鳥は、天敵がいない環境で棲息していて空を飛ぶ必要がなくなったため飛べない鳥になったそうだ。

 いま社会問題になっているニート(NEET)も働かなくてもそこそこの生活ができることに原因があると思う。
    NEET(Not in Employment, Education or Training):「働こうとしていない」、「学校にも通っていない」、「仕事に就くための専門的な訓練も受けていない」ということ。
 ニートの若者があるテレビ局のインタビューに答えて曰く「俺が職に就かないのは、生き甲斐がある仕事が見つからないからだ。生き甲斐がある職場が見つかったらすぐに就職する」
 インタビュアー曰く「ニートが増えるのは若者に生き甲斐を感じさせる職場を提供しない社会に責任がある」
 この番組を見て開いた口がふさがらなかった。
 いまの社会人で生き甲斐がある仕事をしている人は恵まれた一部の人たちにすぎないと思う。
 多くの人は家族を守るためにしたくもない仕事をし、家族や趣味に生き甲斐を求めているはずだ。
 働かなければ生きることができない社会なら、生きるために不本意な仕事をするか、生きるのを放棄するかの選択を迫られることになろう。

 無学であっても、定職がなくてもそこそこに生活ができるのはどうしてだろう。
 私は、日本国内で大きな戦争が生じていないことにあると思う。
 国内で戦乱が生じれば、震災による被災者を上回るみじめな生活を強いられることになろう。
 半世紀以上も国内に戦乱が生じていなければ社会が平和ボケになってしまうのは天敵のいない鳥が飛ばなくなったのと同様な現象かもしれない。

 しかし、この平和がいつまでも続くという保証はない。
 手足を奪われたお仕着せ憲法のもとで平和が維持できているのはアメリカの保護のおかげだ。
 アメリカが日本を見放したら国内は戦乱の嵐に巻き込まれ、平和ボケから目覚める前にショック死することになりそうだ。

 領海侵犯に対する中国の態度や拉致問題に対する北朝鮮の態度は、いずれも平和ボケしている日本をなめきっていなければできるものではない。
 中国の領海侵犯に野党は「政府の対応は適切だったのか」と詰問し、総理は「政府の対応は適切だった」と答弁する。
 適切であるものか。
 自立した国家なら退去に応じなければ拿捕するか撃沈させるだろう。
 しかし、お仕着せ憲法のもとでは任務実行のためにそのような行動を取れないだろうし、正当防衛で撃沈させたとしても野党は政府を非難するだろう。
 北朝鮮も経済制裁されたら武力制裁すればいいと思っているに違いない。
 北朝鮮と中国が連合軍を組み、舞鶴を占拠したらどうなるだろう。
 自衛隊が出動せず、機動隊で応戦することになるのだろうか。
 北朝鮮・中国連合軍が本腰をいれたら自衛隊が出動することができても舞鶴を奪還することは出来ないと思う。
 国連の多国籍軍派遣は拒否権発動する国がでて望めまい。
 アメリカ軍に出動してもらうほかあるまい。

 自衛隊のイラク派遣反対論者は平和ボケの最たるものだと思う。
 この人たちはアメリカがボランティアで日本を守ってくれると思っているのだろう。
 アメリカ軍はアメリカ人の税金で賄われている。
 アメリカ軍はアメリカの国益にならない行動をするはずがない。
 アメリカが日本を守ってくれるのは日本のためではなくアメリカのためなのだ。
 日本がアメリカにとって価値のない国だったら守ってくれるはずがない。
 日本がアメリカにとって価値のある国であるためにはアメリカの政策に協力するしかないだろう。

 こんな情けない国が独立国家といえるだろうか。
 たしかに占領下にないから独立国家かもしれないが、自力では自分の国を守るとができないのでは自立しているとはいえまい。
 日本が自立するためにはお仕着せ憲法を改正するほかない。
 とはいえ、貧乏人が大金を手にするとろくな使い方をせず、すぐ無一文になる。
 格闘技を覚えてちょっと強くなった子供は、その技を使いたくて喧嘩を売りまくる。
 平和ボケした国に武力を与えると正しい使い方をするかどうかこわいものがある。
 正しい武力の使い方を身につけるまでお仕着せ憲法で我慢し、アメリカの庇護を受けることが出来るようにアメリカにとって都合のいい国でいるほかなさそうだ。
 こんな結論にたどり着く拙者は救いようのない平和ボケ患者だ。残念。

2004年12月08日

弘法筆を選ばず

 道具は職人の命だ。
 一流の職人ほど道具を選ぶし、選び方が適切だ。
 また、道具を大切にして手入れを怠らない。
 私は不器用なのでペンキ塗りをすると刷毛からぽたぽたとペンキを垂らして回りを汚し、塗り跡はまだらになってしまうが、職人の刷毛で塗らしてもらったときはペンキを垂らさなかったし、塗り跡に刷毛の筋が残らなかった。
 私が釘を打つと途中で折れ曲がってしまうのが常だが、大工の金槌を使わせてもらったときは最後まで釘を叩き込むことができた。
 パチンコの達人は、台選びが命だという。

 60の手習いでスキーを覚えてはや7年。
 最初の2年はレギュラースキーで滑っていたが、スキー板の長さをもてあまし、ファンスキーに切り替えた。
 この道具(ファンスキー)が私の波長にあったのだろうか、いままで滑れなかった急斜面も滑れるようになったし、昨シーズンは まがりなりにも斜度35度程度のコブ斜面を滑り降りることができるようになった。
 私は、上級斜面を滑れるようになったのだから技術が上級レベルに達したのだと錯覚するにいたった。
 ここまで上達したのだから長いスキーでも滑れるようになったのではないかと思い、中古スキーを買いにBOOK OFFに赴いた。
 当初は、いま流行のカービングスキーを購入する予定だったがカービングスキーは中古といえども福沢諭吉先生がお出ましになるので懐が許さない。
 やむを得ず2000円でレギュラースキーを購入した。
 このレギュラースキーで初級斜面を滑って驚いた。
 スキーのコントロールが思うに任せない。
  • 膝を倒すとオーバーステアリングになってからだが横向きになる。

  • 股の力を緩めると足が開いて板に荷重がかからなくなる。

  • 足をひねるともう一方の足の板の上に板が乗って制御不能になる。

  • 気を緩めると山足の板が雪にタックルされる。
 からだの力を抜いてリラックスして滑る余裕など生じるわけがない。
 緊張しまくり、ぎくしゃくと滑ることになり、自分のスキー技術が初級レベルだということを思い知らされた。
 コブ斜面を滑り降りることができたのは技術が上達したのではなくファンスキーのおかげだったということを痛感し、道具の偉大さを再認識することになった。

 とはいえ習熟しなければ使いこなせない道具をすべて否定するわけではない。
 趣味の世界なら高性能で操作性抜群だが味も素っ気もない道具よりも、性能や操作性は劣るがそこはかとない味わいをもつ道具の方に魅力を感じることが少なくないだろう。
 また、簡単には使えない道具を使いこなすことができるようになればその道具を使いこなしたという征服感が味わえよう。
 雑草の葉をちぎって唇に当てメロディーを奏でる草笛は、操作性が抜群に悪い楽器だが、その音色に心惹かれるものがあるし、草笛を吹くことができるのは自慢にもなろう。
 不揃いの毛筆で書いた文字でもかすれた筆跡が独自の味わいになることもあろう。

 弘法筆を選ばずとは、どんなものでも長所がある。
 長所を生かすも殺すも使う人の心がけ次第だという教えかもしれない。

 斜面を確実に滑り降りるのが目的なら、レギュラースキーはファンスキーやカービングスキーに比べて操縦性に劣る道具だと思う。
 しかし、春スキーや初スキーのように平板な緩斜面以外のコースが閉鎖されている場合は、雪と戯れることができないのでファンスキーだと退屈してくる。
 この場合は操作性の悪いレギュラースキーの方がじゃじゃ馬に乗るような気分が味わうことができる。
 今年もコブ斜面が滑走可能になるまではレギュラースキーで楽しんでみようと思っている。