2002年02月27日

ルールと慣習

 制限速度40km/hの広い道を渋滞もなく車が60km/hで流れて行く。
 バックミラーを見るとカッコいい車が迫ってくる。
 自分より早い車が後に着いた場合は、すみやかに追い越させてやるのがマナーというものだ。
 できるだけ道路の左側によって追い越せるスペースを明けてから少し減速すると、後ろの車は颯爽と追い越して行き、追い越し終わるとハザードランプを点滅してお礼の挨拶をする。

 しばらく走っていると車の流れが遅くなり、間隔が詰まってきた。
 見通しのよいカーブで前方が見えると軽自動車がノロノロと走り、その後ろに車が数珠繋ぎになっている。
 後続車は、追い越し禁止の道路ではあるが、対向車が途切れると対向車線にはみだして軽自動車を追い抜いて行くが、軽自動車は左に寄ろうともしない。
 順番に車が追い越して行き、軽自動車の後ろにつく破目になった。
 追い越しにかかったところ、対向車線に猛スピードの車が現れたので、左側に避けたところ追越し中の軽自動車に接触した。

 この場合、どういうことになるだろう。

  •  この道路は制限速度40km/hだが60km/hで流れるのが慣習だから、流れに従って走るのがマナーだ。
     ルールよりマナーが優先するからノロノロと制限速度で走る軽自動車が悪い。
  •  追越されるときはできるだけ左側に寄って追越しやすくするのがマナーだ。
     少し左に寄ってくれさえしたら、接触するはずがないから、道を譲らない軽自動車が悪い。
と抗弁しても、警察は聞く耳をもたないだろう。
 仲間内では軽自動車の運転者を罵っても、軽自動車の運転者はルールを侵していないのだから処罰することはできない。
 広い道路を快適に走れるようにするためには、制限速度を60km/hに変更する、追い着かれたとき道を譲らない車を厳しく取り締まるなどルールを改正するほかないはずだ。

 ところで、この道路が制限速度50km/hでこの軽自動車が40km/hで走っていたとしよう。
 この車を50km/hの速度で追越をかけて接触したときはどうなるだろう。

     制限速度より遅い速度で走っているにも関わらず後続車に道を譲ろうとしなかったから追い着かれた車の義務違反という交通違反をしている軽自動車の方が罪が重い。
と主張しても罰せられるのは追越をかけて接触した車のはずだ。
     接触したこちらも悪いかもしれないが、その原因となったのは交通妨害をした軽自動車だ。
     むしろ、こちらが被害者だ。
     こちらだけ罰せられるのは不当だ。
     喧嘩両成敗で接触された車も処罰せよ。
 と抗議してもとりあわれないだろう。
 せいぜい、損害賠償の民事訴訟の際に、軽自動車の交通違反が過失相殺されて賠償金額が減額される程度だろう。

 マナーや慣習がルールに優先するのはあくまでも閉じた社会の中での日常生活に限られる。
 公式な場面では、マナーや慣習に従った行動がルール違反なら、それが発覚した場合はルールに従った処分を受けるのはやむを得まい。
 万人が納得するマナーや慣習がルール違反として咎められるのなら、ルールの改定運動を起こすべきだ。
 また、マナーや慣習に従ってルールを破る場合は、摘発された際には処罰を覚悟する必要があろう。

2002年02月08日

過剰な正義感は紛争の火種

 我々が社会生活を営む上で正義感が必要だ。
 オバタリアンが嫌われるのは人の迷惑お構いなしの自己虫で正義感が欠如していると感じられるからだろう。
 正義感を持ち合わせていれば自分の利益のために反社会的な行動をすることは慎むはずだ。

 正義感が強い人は、反社会的な行動をしないというだけではなく、反社会的な行動を目の当たりにした場合触らぬ神にたたりなしと見て見ぬふりをしない。

  • ファミレスの中で駆け回っている子供に静かにするように注意する。
  • 禁煙場所で喫煙している人を見かければ他の場所で吸うように注意する。
  • 混みあっている電車で足を広げて座席に座っている人には席を詰めるように注意する。
  • 混みあっている電車で荷物を椅子に置いている人には、荷物を網棚に上げて席を空けるように注意する。
  • 路上で殴り合いをしていれば警察に通報する。
 これらは立派な行為だ。
 これらの行為は、物騒ないまの社会では勇気がなければ実行できない。
 自分の不利益を省みず、正しいと信ずる行為をすることは、正義感が強くなければできない。
 しかし、注意だけでは飽き足らず実力行使したらどうなるだろう。
  • 駆け回らないで歩くように注意したが止めないので駆けて来る足を蹴り払って倒した。
  • 禁煙場所で喫煙している人に注意したが無視されたので煙草を取り上げてその人のポケットにねじ込んだ。
  • 席を詰めるように注意したが無視されたのでからだを押して無理やり隙間を作った。
  • 網棚に上げて席を空けるように注意したのに無視されたのでその荷物をとりあげて網棚に置いた。
  • 殴り合いの仲裁に入ったら大きなお世話だと殴られたので殴り飛ばした。
 このような行為はやーさんマッサオな暴力行為だろう。
 しかし、当人は悪を懲らしめる行為だと思っているから、反撃されればさらに暴力行為をエスカレートするに違いない。
 悪を正そうとする行為でも、その行為が社会的秩序を乱す行動であっては大迷惑だ。

 正義感が過剰な人間は、目的達成のためには犯罪も辞さない。
 グリーンピースの連中は、環境保護を錦の御旗にして漁業の妨害をする。
 彼らは漁民が生活苦に喘ぐことになっても意に介さない。
 正義の達成のためには犠牲者が出ることは止むを得ないと思っているようだ。

 正義感の強い人は、自分の信念が常に正しいとの錯覚に陥りやすい。
 彼の信念に異論を唱えると間違いだと一蹴され、彼の信念に同調しないと悪者扱いされる。
 彼の信念が社会に受け入れられない場合、社会を批判する。
 社会不信が昂じると批判だけではもの足らず、責任者を罵倒するようになる。
 ひいては自分の信念に基づく社会に変えようと、反社会活動をするようになる。

 ヒトラーやビンラディンも彼らの正義感に基づいて行動したに違いない。
 彼らに大勢の支持者がいるのは、彼らが自分の利益のために行動を起こしたのではなく、正義のための行動だと感じたからだろう。
 正義感が欠如した自己虫も目的達成のために人の迷惑を顧みないが、正義感過剰人間は利益を目的としていないから自己虫より始末が悪い
 自己虫は、自分の利益になることを目的として行動するから、その行動が損になるようにすれば行動を抑制できる。
 自分の信じる正義を守るために行動する人間は、利益のために行動しているのではないから、その行動が損になるようにしても行動を阻止することができない。
 信念を貫くために行動する人は死にいたる行動も辞さない。
 焼身自殺や自爆テロなど典型的な例だろう。

 正義感過剰人間が我々に危害を与える行動をしたとき、我々はどうしたらいいのだろう。
 我々が困るから止めて欲しいと頼んでも正義のためだから我慢するようにと拒絶されるだろう。